実を言うと私はミスチルの桜井和寿から、書くということを学んだ
書く気が出ない……
こうして毎朝、何かしらの記事を書くようになって5ヶ月が経つが、時々、4日に一回に割合で「やる気スイッチ」が入らず、何を書けばいいかわからなくなる時がある。
それはブログなどを書いている人には身にしみて感じていることかもしれない。
書くネタがなくなり、書くスイッチが入らなくなる現象。
毎日、ネタを吐き出し続けるとどうしてもネタが枯渇してくるものだ。
読書や映画館に駆け込んで、インプットを補おうにも、平日は仕事で忙しく、電車の中でしか本を読んでいられないので、学生時代に比べたら圧倒的にインプット量が足りなくなる。
インプットがないと、どうしても書くネタが思いつかず、書くこと自体が鬱陶しく思えてくる時もあった。
あ! 今日書くスイッチ入らないわ。
PCの前に向かって直感的にそう思った時、私はいつもある音楽を聴くことにしている。
その音楽とはMr.Childlenの「sign」だ。
正直言うと、私はそんなにミスチルのファンというわけではない。
しかし、書くことに悩むとなぜか無性に「sign」が聴きたくなるのだ。
ひと昔に妻夫木聡と柴咲コウ主演で話題になったドラマの主題歌だが、私はそのドラマも見たこともなければ、それほどミスチルに思い出があるわけではない。
それなのに「sign」だけはよく聴いているのだ。
ネタがないと悩んでいる時、「sign」のメロディーを聴いていると、ふと脳の回路がリラックスしてきて、今まで脳の中で眠っていたアイデアが湧き出てくる感触があるのだ。
何なんだこのメロディーは。
ありふれた日常の中から湧き出すメロディーに乗って、奏でられる桜井和寿の歌声を聴いているとなぜかアイデアが浮かんでくるのだ。
「自分の中にあるジャズの音から小説の書き方を学んだ」
そう村上春樹はインタビューで語っていた記事を読んだことがある。
書くということはリズムが伴うため、日本の小説をほとんど読んだことのなかった村上春樹は自身が大好きなジャズのメロディーからヒントを得て、小説を書いていったというのだ。
私のような凡人がこういうことを言うのもはばかれるが、この村上春樹が言っていることがものすごく理解できるのだ。
私は学生時代に自主映画を作っていたのだが、脚本を書いては人に見せている時、やたらと評判がいい脚本が数個あった。
その評判がいい脚本は、決まってリズム良くスラスラ書けたものだった。
セリフの行間やリズミカルに続くテンポを大切にして書いた脚本はやたらと評判が良かったのだ。
「文章も所詮はリズム。音楽がキーなんだ」
そのことを自主映画を作っている時に身にしみて感じたのだ。
こうして毎朝、ブログを書くようになっても自分の中にもつリズムというものを大切にやっている。
桜井和寿が奏でる「sign」のメロディーに合わせてイメージしていると、なぜかす〜とアイデアが湧き出てくるのだ。
些細な日常の中に眠るメロディーを引き出すかのように集め、奏でられたメロディーを聴いていると脳の思考がリセットされ、思いもよらなかったアイデアが思いつくこともある。
私にとってミスチルの「sign」はやる気スイッチなのだ。
このやる気スイッチである「sign」を聴いていると頭が空っぽになり、絶妙なアイデアが湧き出てくる可能性がぐっと高まってくる。
なぜ、そうなのか?
思うに、「sign」のメロディーを作った桜井和寿本人が頭を空っぽにする感覚を大切にしているからだと思う。
「sign」のメロディーを思いついたのも桜井さんが二日酔いで死にそうになっていた時に、ふと湧いてきたメロディーであるらしいのだ。
度々、このミュージシャンは「頭を空っぽにした時にメロディーが湧いてくる」という発言をしている。
サッカーをやっている時に「名もなき詩」のメロディーが湧いてきた。
トイレの中で「彩り」のメロデイーが思いついた。
「曲を作ろうと意識している時よりも、頭を空っぽにした方がいいメロディーが思いつく」
そういたるところで発言しているのだ。
よく考えたらあれだけのヒット曲を連発できたのは、その頭を空っぽにする感覚というものを大切にしているからだと思う。
桜井和寿のメロディーを聴いていると、私はいつも禅というものを思い出す。
「頭を空っぽにした時に、ふと湧き上がってきたものがあなた自身を作り上げるものです。世の中の雑音を捨てるということを大切にしてください」
私は京都の寺で、お寺の住職さんにこう言われたことがあった。
空っぽにした時に浮かび上がる感情や思いが自分が本来望んでいるもの。
大切なことは雑音を捨てていくこと。
桜井和寿はどうもこの禅という考え方を大切にしているクリエイターなように思うのだ。
本人に聞かないとわからないが、どこかで禅についての本を読んだのかもしれない。
世の中の雑音を排除し、自分の中に眠る音楽を頭を空っぽにして引っ張り出しているのだ。
誰もが自分独自の体内リズムというものを持っているのだと思う。
そのリズムを読み取れるかは頭を空っぽにして、自分の奥深くから音楽を引っ張り出せるかどうかにかかっているのかもしれない。
見栄や意地などを取り除いた、禅僧のような神聖な精神を持っているからこそ、桜井和寿は世の中の雑音を取り除いて、自分の中から音楽を引っ張り出すことができるのだと思う。
感覚的な話になって申し訳ないが、禅を体得した住職さんと桜井和寿が言っている言葉が似ているのだ。
頭を空っぽにして湧き出てくるメロディーを体得しているからこそ、桜井和寿は長年、第一線で工場のようにメロディーを大量生産できるのだと思う。
毎日、毎日書き続けているとどうしてもネタが枯渇してくる。
そんな時は私はいつも「sign」のメロディーを聴いて、頭を空っぽにする感覚を思い出す。
禅の教えであるように頭を空っぽにして、雑音を取り除くこと。
それがクリエイティブな何かを生み出すときに重要になってくるのだと思う。