未来を写したその先にあるもの……
「終点、渋谷〜」
満員電車のドアが開いて、人がどっと溢れかえっている渋谷駅構内。
毎朝見ている光景で、一年以上社会人をやっているとさすがに満員電車にもなれてくる。
この電車に乗れば、通勤ラッシュの時間にあたるな。
この電車に乗れば、比較的ラクに都心に出れるな。
朝起きてから家を出るタイミングで、何時発のどの電車に乗れば、何時に会社に着くのかはだいたいわかってくる。
自分は人混みの中で電車に乗るのが大の苦手のため、早めに家を出て、
通勤ラッシュ直前の比較的空いている各駅停車に乗って会社に向かうことにしている。
各駅でも朝は大混雑だ。
怪物のような満員電車のドアが口を開けた時、ものすごい量の人がなだれ込んでくるのだ。
よくもみんなこんな混雑した空間の中、我慢しながら会社に向かえるよな。
自分も我慢しながら通勤している身だが、我ながら良くも持ちこたえて出社しているなと思う。
ドアの開け口が開くたびに、人の出入りがあり、自分が確保していたスペースは減らされていく。
あ、やばい。
クラクラと目眩がするときは、とっさに駅に降りて休むことにしている。
人と話すのが大の苦手な私は、とにもかくにも満員電車が駄目である。
いつも本を読んで、自分の世界に没頭しているが、周囲の雑音が目に入って、どうしても耐えられなくなる時がある。
なんかずっと空虚な感じがずっとしていた。
人混みの中で漂っていると自分が何処に向かって、どこに歩んでいるのかわからなく感触。
とにかく浮足立っていて、常にフラフラな状態で会社に向かっている感じだ。
あ、最近は写真も撮れてないな。
いっとき、何かの感受性が爆発したのか、会社に出社するときも仕事中も、帰宅中も、土日もカメラを持ち歩いて写真ばかり撮るようになった時期があった。
しかし、自分に課される仕事量が増加するに連れて、自分がなんとかしなきゃと踏ん張っているうちに、気がつくと今まで鮮やかに見えていた景色も少しずつ色あせていった。
あれ、なんだかおかしいな。
枯れていく自分の感覚。
どこか社会とのつながりを持とうと必死になっているうちに、何かが消えていく感覚があった。
一度、社会人を辞めたことがあったこともあって、とにかく社会とのつながりを持ちたくて必死になって働いていくうちに、外の世界と繋がるはずが、どんどん自分の中に閉じこもっていった。
土曜日になるといつもフラフラな状態になっていて、昼過ぎまで体が起きないのだ。
無理に外に出ようとして、カメラを持って街の中で出ていっても、
何も撮るものが思いつかない状態が数ヶ月続いていた。
「無理にカメラを持って、外に出なくていいです。常にカメラを持ち歩いて下さい。コンビニに行くだけでも心に響く自分だけの景色があるはずなんです」
以前に少しお世話になったカメラマンの方がツイッターでそんなことを呟いていた。
ガンを宣告されて、余命がわかっているのに、いつも笑顔を絶やさない、
そんな素敵な方だ。
その方がやたらと勧めている映画があった。
「未来を写した子どもたち」
インドの売春街で生まれた子どもたちが、カメラを通じて外の世界に飛び出していくドキュメンタリー映画だという。
私は、映画は好きだがドキュメンタリー映画は大の苦手である。
人との会話が続くだけで、見ているとなんだが映像に酔ってきてしまうのだ。
あ、ドキュメンタリーか……
どこか自分の波長とは合わない映画のような気がして、最初はあまり見る気が起きなかった。
だけど、気がついたらTSUTAYAのレンタルコーナーの棚からDVDを取り出していた。
インド・コルカタ……
自分は二年半ほど前にインドに行ったことがあった。
空港から出た瞬間、悪臭が広がり、人で溢れかえり、カオスとしか言いようがない世界。
信号もろくになく、タクシーやオートリキシャーに秩序なんて存在しない。
日本で生まれ育った自分にとっては、だいぶカルチャーショックな世界だった。
ホテルの送迎タクシーに乗ってデリー中心部に向かっていると、溢れんばかりの小さな子どもたちが群がってくる。
みんなボロボロの服を着ていて、物乞いをしている。
カースト制度というインドの奥深くに根付いている問題を目の前にして、自分は何も返答が出来なかった。
DVDのパッケージに映る、笑顔で笑っているインドの子どもたちの姿を見ているうちに、その光景を思い出してしまった。
家に帰り、さっそくDVDデッキで見てみることにした。
画面に広がっていたのは、自分が見てきたインドの光景と似通っていた。
過酷な環境下で生きている子どもたちに取材を続けるアメリカのジャーナリスト。
インドは生まれた瞬間に自分の運命がほぼ決まってしまう。
カーストですべてが分断されているため、富裕層の子どもたちはきちんとした教育を受けられるが、最下層のカーストの親を持つ子供は、大人になっても最下層のカーストである。
将来に就ける職業も生まれた瞬間にほぼ決まってしまう。
どんなに努力しても、変えられない現実が目の前に横たわっている。
売春街で生まれた子どもたちは将来、売春で生計を立てることが本人の意思ではなくても決まってしまうのだ。
生活苦のため、その環境下からも逃げ出せずにいる子どもたち。
そんな子どもたちに、アメリカ人のジャーナリストはカメラを与える。
生まれて初めて見るカメラを通じて、外の世界に飛び出していく子どもたちの姿がそのドキュメンタリー映画に映し出されていた。
売春宿で撮った子どもたちの写真が、とても美しいのだ。
無邪気にカメラを楽しんでいて、自分たちと外の世界をつないでいる。
ただただ、純粋にカメラを楽しんでいる姿が描かれていた。
しかし、月日が経つにつれて、過酷な運命が子どもたちの前に横たわっていた。
ある子は親の跡をついで、売春を始める。
カメラを通じて外の世界とつながることを知ってもどうしても変えられない現実がある。
それでもある子はカメラを持って、外の世界に飛び出していく。
奨学金を申請して学校に通い出す子どもたち。
純粋に目の前の過酷な光景を見つめる子どもたちの姿を見つめていると涙が溢れてくる。
日本はだいぶ恵まれている。
街を歩いていても乞食をやっている子どもたちの姿なんてまず見かけることがない。
だけど、純粋な目線で外の世界に繋がっていこうとするインドの子どもたちの姿を見ていると日本にはない何かがある気がする。
最近は仕事が忙しいのを理由に自分の世界に閉じこもってばかりいたと思う。
カメラを通じて、外の世界を見つめる喜び……
そんなことをこのドキュメンタリー映画を見ているうちに感じた。