人一倍仕事を覚えるのが遅い私が見つけた不器用という名の武器
私はとにかく昔から不器用な方の人間だった。
何をやるにしても人一倍時間がかかるのだ。
大学受験も一年間浪人してやっと入れたし、テスト勉強もいつも人の倍はしないとダメだった。
「真面目だな」
大学のテスト前になると、いつもノートの書き込みをチェックしている私を見て、友人はそうつぶやいていた。
真面目なのではない……
こうでもしないと確実に単位を落とすからやっているのだ。
何をやるにしても人の倍は時間がかかる私は、とにかくテスト前になると必死だった。
不器用すぎて、効率がいい勉強法がわからなかったのだ。
アルバイトも悪戦苦闘した記憶しかない。
とある飲食店でアルバイトをした時、とにかくレジ打ちができず、私はいつも怒られていた。
「何でこんなこともできないの!」
そう怒鳴られては、私は自分の不器用さを痛感していた。
1万円を打とうとしても、0を何個打てばいいかわからず、いつもパニックになっていたのだ。
土日の混雑している時間帯に私がレジを打つと、いつも客から罵声が飛んできた。
「何やってんだ!」
私は客から怒鳴られるたびに「すいません」と謝るしかなかった。
営業時間が終わるたびに、私は店の裏に呼び出され店長に叱られていた。
「もうちょっと仕事を覚えていってもらわないと困るんだけどな」
「はい、すいません」
私は飲食店のアルバイトをやっていた時、何度すいませんと謝ったかわからないほど、謝り続けていた。
世の中の大半の仕事が接客業だ。
何をやるにしても不器用だった私は技術系の仕事ならできるんじゃないかと思い、プログラミングを独学で勉強し始めた時があった。
レジ打ちすらできなかった私だ。
社会に出て生き残っていくには、パソコンを使いこなすしかない。
そう思い、無料プログラミングツールを使って、勉強を始めてみた。
一ヶ月で挫折してしまった。
コンピューター言語があまりにも難解で、不器用すぎてプログラムを覚えることができなかったのだ。
よく考えれば、私は大のパソコン音痴だ。
ワードやエクセルすら使いこなすことができないのに、javaなどのコンピューター言語を理解することなどできるはずがない。
20代前半であまりにも不器用な私はどの職業に就けばいいのかさっぱりわからなくなっていた。
人一倍不器用で要領が悪い自分が嫌で仕方がなかった。
どうしたらいいのかさっぱりわからなかったのだ。
社会に出た時、はじめはとあるテレビ関係の制作会社に入ることにした。
そこでは、まぁこれでもかというくらい怒鳴られ続けた。
「何でお前はこんなこともできね〜んだ」
「何をやっても時間がかかるな」
テレビの世界はとにかくスピード勝負の世界だ。
24時間テレビは放送されているため、毎日のようにネタを探し、ロケをしなければならない。
仕事が遅い人間はほっとかれる。
私の同期はとにかく仕事ができる奴で、ぱっぱと資料をまとめていくが、
私は同期の三倍の遅さで資料を作っていた。
「何でこうも同期で差が出るんだろうか」
私はいつも同期と比べられていた。
とにかく仕事ができない自分が嫌で仕方がなかった。
要領がよく、器用な人間はすぐに組織の色に染まるのがうまいと思う。
私はこの組織の中に入るということが昔からとにかく苦手で、どの職場に行っても馴染めずにノイローゼ気味になっている自分がいた。
自分が不器用なのが悪い。
もっと社会と適合できるようにならなきゃダメだ。
そんなことを思っていた。
社会に出ては挫折し、転職をしてようやく今の会社に入ることができたが、そこでも私は不器用さを醸し出していた。
同期の中でも人一倍、日報を書くのが遅いのだ。
次々と同期が帰っていくのか、私だけが夜遅くまで会社に残り、仕事を続けていた。
何でみんなテキパキ仕事ができるのだろう。
いつも不器用で仕事ができない自分を呪っていた。
子供の頃から不器用すぎる自分が嫌で仕方なかったのだ。
そんな時、とある記事を読んだ。
確かフェイスブックなどで流れてきた記事だ。
最近は、こうして毎日不器用ながらもライティングに励むようにしているのだが、アウトプット最優先の日々を送っているせいか、やたらと興味深い記事が目に入ってくるようになった。
電車の中に乗ってもつり革の広告が気になり、いろいろ記事のネタを考えてしまうのだ。その日はいつものように自分一人だけ居残り残業をし、疲れたまま電車に乗ってスマホをいじっている時にふと、この記事が目にはいった。
それは糸井重里さんとライフネット生命の出口治明さんが対談した記事だった。
イノベーターの資質というタイトルだ。
二人はジョージ・バナード・ショーというおじさんの言葉を借りて、こんなことを言っていた。
「素人だから世界を変えられる。器用な人は世界のことがよく見えるので、そっちに自分を合わせちゃう」
私はハッとした。
合理的な人間は、自分を世界に適応させることが上手いが、非合理的な人間は自分に世界を適応させようと、粘るらしいのだ。
あらゆる進歩はこの非合理的な人間に頼ってきたということが二人の対談でちらほら語られていた。
よく考えたら、こうして毎日記事を書くのも私が不器用な人間だからできているのかもしれない。不器用だからこそ世界にハマることができず、人と違った角度でしか物事を見ることできないのだ。
これまで私は不器用で鈍い自分にいつも嫌気がさしていたが、この記事を読んで少し救われた気がした。
不器用であるからこそ、器用な人にはできないことにも気づける。
社会にうまく染まれないからこそ、周囲を変えていこうという気持ちが芽生えるのだ。
私は今でも人一倍不器用で、仕事を覚えるのも時間がかかる。
しかし、一歩一歩進めばいいのではないかと思えた。
少しずつ仕事を覚えていったら、器用な人間には気づけないことにも気づき、周囲を変えていく力も付いてくるのかもしれない。
そんなことを思いながら、今日も満員電車の中に飛び込んでいくことにした。