常にネガティブ思考で死にたがっていた私が見つけた、唯一の生きる術
「何で世界はこんなにも汚いんだ」
私は常にそんなことを思っていた。
小学生の頃から大のネガティブ思考で、クラスの隅っこにいるような暗い生徒だったと思う。ネガティブである方が生きるのが楽だと思っていた節もあった。
ものごとポジティブに考えていると、現実にうまくいかなかった時に、相当へこむ。
ならば、最初からネガティブに考えていた方が、うまくいかなかった時の精神的ダメージも減らすことができる。
常にネガティブに世界を捉えることで、自分が傷つくのを拒んでいたのだと思う。
高校受験の時もそうだった。
最初からこんな学校に受かるわけないと思い、受験して、もし万が一落ちていた時も自分が傷つくのを拒んでいたのだ。
マイナス思考であればあるほど、自分が傷つかない。
そんな風に自分を傷つけない防衛手段の一環として、ものごとをマイナスで捉える癖がついてしまったのだ。
そのせいか、普通に暮らしていてもマイナスな出来事しか頭に入ってこなくなっていた。
街を歩いても、世の中の汚い部分などに目がいって、常に生きづらさを感じていた。
何でこうも世界は汚いんだ……
そんなことを幼少期から常に思っていた。
クラスの中心的な明るい性格の人たちを見て、私は心のそこから羨ましく思っていた。
周りを明るくする太陽のような存在。そんな彼らが羨ましかったのだ。
私は常にネガティブオーラを発し、周囲を暗い気持ちにさせる存在のように思えていた。
何で自分っていつもこうなのだろう。
なぜ、明るく振る舞えないのだろう。
中学の頃になると、自分の感覚が研ぎ澄まされ、世の中の情報に翻弄されて身動きが取れなくなってしまった。
数週間家に引きこもり、じっとしていたのだ。
世の中の情報を見たくない。人を見たくない。
そんなことを思っていた。
自ら真っ暗闇の中に、閉じこもることを選んだのだ。
人と接していると、相手が自分のことをどう感じているのかが異常に気になってしまい、他者とのコミュニケーションもうまく取れなくなってしまった。
私はそんな風にして自分で作りあげた殻の中に閉じこもっていのだ。
家から出て、世の中を見渡しても、人間の汚い部分だけが目に入ってきた。
電車に乗っても、怒鳴り散らしている客や、今にも死にそうな目つきでホームを見つめている人が目に映ってきた。
私は当時、本当に今にも死にそうだったが、なんとか24歳まで生きてきた気がする。
私のネガティブオーラを発している体が致命的になったのは就職活動の時だった。
面接ではみんな同じスーツを着て、同じような顔つきで、同じような話をしていた。
そんな中で内定を出す人と、落とす人を分ける差は、体から発せられる雰囲気だと思う。
常にポジティブ思考で周囲を明るくさせるような人たちは、たった5分間話しただけでも面接官は「あっ、こいつ使えそうだな。職場を明るくしてくれそうだな」と思うものだ。
私のようなネガティブ思考の人はやはり就活ではとても苦労した。
ほとんどの企業が落ちた。
社会に出てからも常に自分は必要とされていないような気がしていて、浮足立っていたと思う。何をやってもうまくいかない。仕事ができない。
私は限界に来ていた。
結局、何か救いを求めるかのようにアジアを放浪してみたりした。
沢木耕太郎の「深夜特急」の世界に憧れてバックパック一つで海外を放浪してみた。
海外には自分のような日本にどこか生きづらさを抱える旅人がいっぱいいた。
大概が30歳手前で会社を辞め、世界一周の旅に出た人たちだった。
そんな彼らは生き生きとしていた。
足に刺青を入れている、とある旅人はこう言っていた。
「私は足に刺青を入れている。ただ、自分らしくいたかっただけだ。だけど、日本の社会では刺青を入れている自分のような人間を受け入れてくれる場所はなかった」
足に刺青があると言う理由だけで、就職するのも苦労して彼は結局海外に逃げてきたという。タイやベトナムでは刺青があるだけでその人自身を判断することはない。
彼は本当の自由を手に入れたようで生き生きとしていた。
大学を休学して世界一周の旅に出ている人もいた。
彼はとても生き生きと英語での会話を楽しんでいた。
私はそんな日本に居場所を見いだせなかった旅人の中なら居心地の良さを感じられると思っていた。
しかし、そんなことはなかった。
私はどこか海外に行っても他者とうまくコミュニケーションを取れない自分に苦しんでいたと思う。ゲストハウスでも、同じドミトリー仲間と話をせず、じっと自分の殻にこもっていたのだ。
どうしても外人ともうまくしゃべることができなかった。
英語が苦手だということもあったが、笑顔でにこやかにコミュニケーションをとることができなかったのだ。
結局、海外でも自分の居場所を見いだせずに日本に帰ってきた。
アルバイト先を転々としていた。常に暗い自分に嫌気がさして店長は
「君は何しに海外まで行ってきたの?」
と言われたりもした。
私も何しに行っていたんだろう……と思ってしまった。
旅は麻薬に近いと思う。旅している時は自分がかっこいいと思ってしまうのだ。
新しい刺激を求めて海外に行くのはいいが、海外に救いを求めに行っても自分自身は何も変わらないんだなということがわかった。
私は海外に行っても居場所を見いだせなかった。
どこに向かって歩けばいいのかわからなかったのだ。
そんな時に、ライティングと出会った。
とあるライティング教室にたどり着き、きちんとライティングについて学んでいった。
昔から自主映画などを作っていたので、脚本の書き方などには自信があった。
しかし、プロのライターや小説家を目指している人たちの間で書いていると、自分の文章の拙さを痛感した。
ちくしょうを思って、私は毎週のように記事を書いて投稿していった。
書いて書いて書きまくっているうちに、書くことが好きな自分に気づいた。
あれ? なんでこんなに書いているのだろう……
心のバケツの中に溢れかえっていた感情がどっと溢れ出るように私は書いていた。
言葉があふれ出て止まらなくなったのだ。
そして、書いているうちに以前ほど、世界を悲観的に捉えてない自分に気づいた。
毎週のように記事を書いていると、嫌でも身の回りからネタを探すようになる。
常に世の中の隅々にアンテナを張っているので、自分が見たい情報だけが頭に入ってくるのだ。
私は記事を書くとき、人様に見せるものだからきちんとポジティブに終わらなきゃと思って書いていた。
すると、不思議と世の中のポジティブな部分だけが頭に入ってくるようになったのだ。
そして、思った。
世界をどう切り取るかは自分自身の問題に過ぎないんだなと。
その人自身がマイナス思考で、常に居心地の悪さを感じていれば、社会もそう見えてくるだけなのだ。
日本社会はつまらないと思っている人にとって、日本の社会はそういうものなのだ。
いつだって世の中と自分との関係を作るのは自分自身なのだと思う。
世の中をネガティブに切り取れば、ネガティブに見えるし、ポジティブに切り取ればポジティブに見えてくる。
ただ、それだけなのだ。
ライティングの魅力に気づいた私は、以前ほど世の中を悲観的に見ていないことに気づけた。
これからも私は、社会の中でがむしゃらに生きていくためにも、自分の感情を書くということを大切にしなければいけない。
そんなことを思うのだ。