承認欲求に振舞わされていた私が見つけた、生きづらさを緩和させる唯一の方法
「承認欲求なんて消えてしまえ」
私はいつもそう思っていた。
フェイスブックなどに投稿したとき、「いいね」の数が増えれば嬉しいものだ。
しかし、いつしか「いいね」をもらうために投稿するネタを探して歩き回っている自分に気がつくのだ。
「いいね」がもらいたい。
誰かに承認してもらいたい。
そんな思いが、私の心の中であったのだと思う。
そのことに気がつくたびに私はこう思っていた。
「承認欲求なんて消えてしまえ」
とあるきっかけからライティングを学ぶようになり、こうして毎日書く習慣をつけてきたが、やはり、プロ級のバズを起こせるライターさんは世の中にいるものだ。
特に書く訓練をしていなくても、ば〜とバズを発生させることができるのだ。
そんな人たちがフェイスブックに記事を投稿するたびにあっという間に、「いいね」が100を超えていく。
やっぱり凄いや。
自分なんていくら頑張ってもバズを起こせない。
そんなことをいつも思ってしまうのだ。
その嫉妬心ともいうべき感情から、元来、大の負けず嫌いの私はこうして毎日書く習慣をつけてきたのだが、努力なんてしていても無駄なんじゃないかと思うことが何度もあった。
いくら書いたって、あの人には勝てるはずがない。
どんなに書いてもプロになれるわけがない。
やはり、プロ級のバズを起こされる人たちはすごい。
本能的というか、直感的にというか、感覚的に人に共感されるネタを探すのが超絶にうまいのだ。
はあちゅうなんて、世の中に対するアンテナの張り具合が絶妙にうますぎて、すごいと思ってしまう。
ものを書くことや何かものを作るという上では、世の中に対して常にアンテナを立て、面白い情報を集める習慣が欠かせないと思う。
そのアンテナを張り具合が、生まれつきうまい人がこの世にはいるのだ。
フェイスブックの「いいね」が100を超えてくる人たちなんて、その類の人なのかもしれない。
そんな人たちを見て、やはり何も特別な素質を持っていない私は、自分はやはり才能がない……と思い、へこんでいた。
自分なんて才能がない。
毎日書く意味がない。
そう思っても、満たされない承認欲求を追い求めていたのだろうか……
毎日書いて書いて書きまくってを繰り返していた。
よく考えれば、いつも私を突き動かしていたのは承認欲求だった。
あの人に勝ちたい……だから、努力する。
その繰り返しだ。
「この人には勝てない」
そう思うたびに私はスイッチを入れてがむしゃらに努力はしてきた。
しかし、いつも勝てなかった。
浴びるように映画を見て、映画を撮るまくっていた大学時代も、一人の彗星の如く現れた一人の天才肌の人を見て、スイッチが入り、死ぬほど映画を撮りまくるようになったのだ。
なんだこの感受性は……
痛々しいまでの青春の輝きや、痛みを描くその映画作家はあっという間に、プロになり、あっという間に小松菜奈主演で映画を撮ることになっていった。
この人に勝ちたい。
この人のような映画を作りたい。
そう思って、私はあの頃、浴びるように映画を見ては、脚本や物語構造を研究し、映画をアホみたいに撮りまくっていた。
あの人のような映画を作りたい。
その一心だったのかもしれない。
70分以上の長編映画も撮ってみた。
しかし、とてもじゃないが人に見せられる出来じゃなかった。
答えは簡単だった。つまらないのだ。
人の真似ばかりしていて、何の特別な物語もなく、ただ単につまらないセリフが延々と続くだけの映画だったのだ。
私は常に、何者かになりたい。
人とちょっと違ったクリエイティブな人間になりたいと心のそこで思っていた。
誰かに承認されたい。
その一心だった。
その承認欲求が空回りして、ただ自分が心動かされた映画をパロディと称して、真似てただ自己満足に浸るだけの映画を作り続けていたのだと思う。
誰かに承認されたい。
その思いだけで作られた映画なんて面白いわけがない。
70分間の映画も、40分を超えるゾンビ映画も、全て映画祭で賞を取ることはなかった。
自分なんて才能がない。
そう思った私はいつしか、就活の時が来て、自然と周囲の波に流されるかのように就活というものをしていった。
何度も感じていた……
自分にクリエイティブな才能がないのはわかってきている。
だけど、心のそこでは、どこか自分は才能があるのではないのか?
遅咲きになるのかもしれないという淡い期待を抱いている自分に気がついていた。
クリエイティブな才能がなくても、どうしても昔抱いた夢を諦めきれずに毎日こうして書くということを繰り返しているのだが、やはり現実は厳しいものだ。
どんなに自分ではいい記事だと思っても、周囲には大量のバズを発生される人がたくさんいた。
そんな人たちを見るたびに私の心の中で諦めの気持ちが芽生えてきた。
自分なんてどんなに努力しても勝てるわけがない。
そんなことを常に考えてしまうのだ。
毎日書いて、書いてを繰り返しても、こんな努力無駄なんじゃないか?
そう思っているうちに、5ヶ月過ぎていた。
すると、ある時、ふと気がついた。
これって自分自身の戦いなんじゃないのか?
私はいつも他人と見比べて、劣っている自分が悔しくて仕方がなかった。
いつもいつも他人と見比べてしまう癖が付いていたのだ。
誰かに承認されたい。
その思いだけで突き動かされていた。
だけど、社会人をやるようになり、忙しい毎日を過ごしていると、いつしか自分の中にある承認欲求は無くすことはできないということに気づき始めた。
どんなに承認欲求が肥大化してもなくすことは無理なのだ。
なくすのではなく、承認欲求がある自分を忘れることしかできないのだ。
誰かに承認されたいと空回りしていた自分は、いつしか承認されることよりも、自分自身に課したルールから負けないように努めることの大切さに気がつき始めた。
プロの小説やライターになる人たちはすごい。
まず、大量のバズを起こさせる記事を書けるのだ。
だけど、プロ級のライターとプロのライターの間には大きな溝があるという。
自分なんてプロでもなんでもないが、薄々その溝に感づいていた。
プロになれる人は、自分自身にだけは絶対負けないのだ。
何が何でもプロになってやるという気合いから、自分だけには負けないように努めるのだ。
往路として食っていく段階になると、一般の評価も大切だが、それ以上に自分自身に負けないということが大切になってくる気がする。
他人の評価は二の次だ。
大切なことは自分自身に負けないこと。
常に承認欲求に振り回されていた私は、いつしか自分にだけは負けないように努めることの大切さに気づき始めていた。
身の回りには自分より面白い記事を書ける人は何人もいる。
大量のバズを発生させられる人も何人もいる
天才肌のクリエイターのセンスで、あっという間にプロとして活躍する映像作家の人もいる。
そんな人たちを見るたびに、才能がない自分を感じていた。
しかし、大切なことは他人と見比べるのではなく、自分自身にだけは負けないように努めることなのではないのか?
何が何でも人を魅了するコンテンツクリエイターになんてやると決意した、自分自身に負けないことではないのか?
いつも他人と見比べて、承認欲求に振り回されていた私が見つけた答えがそれだった。
他人なんかどうでもいい。
世の中には自分より才能がある人なんてゴロゴロいる。
そんなこと、否が応でも気がついている。
それでも私は書きたい。
大切なことは自分自身に負けないこと。
そう言い聞かせて、今日も私はライティングに励んでいる。