実は、ブログを書き続けるには強烈な欲求不満が必要だと思っていた……
何歳まで映画を撮り続けるつもりなんだろう……?
SF映画の金字塔の「エイリアン」の最新作の公開が迫ってきたリドリー・スコット監督のインタビューをラジオで聞いている時に、ふと思ってしまった。
「エイリアン」などのメガヒット映画を作り続けてきたリドリー・スコット監督は79歳だという。
79歳でまだバリバリの現役なのだ。
今年になってからも「エイリアン」シリーズと「ブレードランナー」シリーズを同時に二本走らせていて、まだまだリタイアするつもりはないようだ。
一体何歳まで映画を撮り続けるつもりなんだろうか?
60歳以上になっても、現役で活躍を続けている映画監督は数々いる。
「ジョーズ」「ジュラシックパーク」で有名なスピルバーグは69歳になった今でも、ほぼ毎年一本のペースで新作を撮り続けている。
日本では「沈黙」で知られているマーティンスコセッシ監督は、74歳になった今でもこれでもか! というほどの激しい乱行パーティーな映画を撮っていたりする。
(詳しくは「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見て)
70歳のじーちゃん達が今でもバリバリに現役で映画を撮り続けているなんて、どんだけエネルギッシュなんだよ! と思ってしまうのだ。
なんでこの人たちは今でも目を光らせながら人々を魅了し続ける映画を撮り続けられるのか?
よく考えてみたら、映画をはじめとした今のエンターテイメント業界は、若い人のエネルギーが希薄で、やたらと年寄りの人の方がエネルギッシュでアクティブだったりする。
何歳までになっても自分の夢を追いかけ続け、心の中にあるエネルギーの灯火を燃やし続けているのだ。
私はそんな年配の人たちを見ると
かっこいいな〜。
こんなじーさんになりたいなと思ってしまう。
なぜ、70歳を超えてもクリエイターとしてのエネルギーが有り余っているのか。
私はとても不思議だった。
私は全然クリエイティブな才能は持ってないが、大学時代には映画監督気取りして、自主映画を撮っていた時期があった。
自主映画と言っても撮影は死ぬほど大変だった。
約10分間の映像を作るのにも、カメラマン、照明、編集、役者など、最低でも10人くらいの協力が欠かせないのだ。
10分の映像を作るのにも撮影だけで三日はかかったりする。
プロのCMディレクターの人でも、15秒のCMを作るのに2、3日撮影したりすることもざらにある。
小道具や役者のスケジュール調整などの準備だけでも何ヶ月もかけ、いざ撮影となると27時間ぶっ通しで撮影したりすることもよくあることだ。
映像を作るのは、分かりやすく言うと漫画の一コマ一コマをカメラで録画していくようなものだ。1カット1カット撮影をしていくと、どうしても丸一日かかってしまう。
映像を作るとなるとそれだけ時間と手間がかかるのだ。
大学時代に素人ながらもそんな映像の世界の過酷さを経験したので、リドリー・スコットやスピルバーグが70歳過ぎてもバリバリ現役で映画を撮り続けているなんて、信じられないのだ。
あれだけエネルギーを必要とする映画作りを70歳を過ぎても続けているのだ。
凄すぎるだろ……
私は元々、ものを作ったりするのは割と好きな方だった。
だから社会人になった今でもこうしてブログを書いたりしているのだろう。
ものを作ったりしているとよく考えてしまうのだが、創作のエネルギーになったりするのは、欲求不満や強烈なコンプレックスだったりするのだと思う。
私の場合、就活で選ばれなかったこととか、社会人を1年目で挫折してしまったこととか……
こうした挫折経験や苦しみがある種の狂となってエネルギーへと生まれ変わって、書き続けるパワーになったりもする。
毎日ブログを書き続けている人の多くが、その強烈な怒りや不満が原動力になっているのかもしれない。
今自分が置かれている現状に満足できないために、不満をエネルギーにして書き続けている……
クリエイターを目指したことのある人なら一度は痛感したことがあるかもしれない。
割とものを作る上では、自分が幸せになってしまった途端、ものを作るエネルギーがなくなってしまうのだ。
今まで、欲求不安や社会に対する後ろめたさをエネルギーにして、ものを作ったり、ものを書いたりしていたために、自分が幸せになってしまうとエネルギーが湧かず、苦しくなってくるのだ。
私もそんな風にして、ものを作る上での動機を探していたことがあった。
欲求不安や承認欲求をバネにすれば、なんとか書き続けることはできる。
しかし、そんな心の強烈な怒りやモヤモヤは時とともに薄れていくものだ。
私のような平凡な家庭で生まれ育ち、何不自由なく過ごしてきた24歳のゆとり世代には、そんなモヤモヤをエネルギーにしてもすぐにエネルギー不足になるだけだった。
他人に求められない不安をエネルギーにしてもすぐにネタは枯渇する。
クリエイターになる人は、幼少期に大きなトラウマがあり、それをエネルギーにしていると思っていた。
あのしゃべりまくる明石家さんまも実は幼少期は割と悲惨である。
兄弟を火事で亡くしていたりするのだ。
その強烈なトラウマがエネルギーになって、あれだけ喋り続けられるのだろう。
映画監督のスピルバーグも、親の離婚とユダヤ人ということが強烈なコンプレックスになり、それがエネルギーへと生まれ変わっているのだ。
何10年もの間クリエイティブな最前線で活躍し続けている人は、強烈なトラウマを持っているのだと思う。
私のように平凡に生まれ育った人間にはものを作り続けるなんて無理なんだ……
そう思っていた。
毎日、書き続けても苦しくなるだけだ。
もっと強烈な怒りがこみ上げてこないといけないんだ。
そんなことを考えていたのだ。
すると、いつものようい休日にyoutubeを見て、時間をつぶしていた時、
ふと宮藤官九郎さんが出ていた番組が目に入った。
クドカンこと宮藤官九郎さんは「池袋ウエストゲートパーク」「あまちゃん」など、数多くの大ヒットドラマを手がけてきた売れっ子中の脚本家だ。
20年近く売れ続けているハイパークリエイターだと思う。
私はもともとクドカンさんの大ファンで、昔からよく彼のドラマを見ていた。
そんな宮藤官九郎さんが出ている番組には、高校時代に友人やら彼を知る、いろんな人がコメントしていた。
「宮藤くんが売れるのもわかる」
そう高校時代の友人の多くは語っていた。
どうやら宮藤官九郎さんは高校の時からもやんちゃで、文化祭などもステージ上に立って、一人で漫才を披露したりとだいぶ暴れまくっていたらしい。
「彼はどんなことよりも人を楽しませることが好きなんです。昔からそうでした。いつも人を笑わせてくれるんです。だから、売れ続けているんです」
私はそんな宮藤官九郎さんの高校時代のエピソードを聞いているうちに、創作の原動力を探している自分が恥ずかしくなった。
強烈な嫉妬や、怒りがエネルギーになっていると思っていたが、クリエイターとして売れ続けている人はそうではないのだ。
人一倍、目の前の人を楽しませることが好きなのだ。
目の前の人が笑い、楽しんでもらうことが死ぬほど好きな人が、ずっとものを作り続けられるのだ。
スピルバーグやリドリー・スコットは、幼少期のトラウマが創作のエネルギーになっているのは事実だろう。
しかし、それ以上に映画を見てきてくれる観客を楽しませることが死ぬほど好きなのだ。
観客の人に楽しんでもらうことが創作する上でのエネルギーになっているのだと思う。
私はものを書き続けるのは、強烈なトラウマや欲求不安が必要だと思っていた。
しかし、そんな怒りや不安は書き続けているうちにあっという間に消え、ネタ切れになるものだ。
ものを書く上でのネタを探して、こうした怒りや欲求不安を掘り下げていくよりも、
まずは目の前の読者をどう楽しませるのか?
このことを考えていくことが大切なのではなかろうか。
次はどう楽しませるか?
それを考え続けることが、ものを書く上での一番の原動力になるのかもしれない。
少し前の私のように毎日ブログを書くためのネタ探しで、自分の辛い過去や強烈な社会への不満を抱きかかえている人がいたら、少し立ち止まった方がいいかもしれない。
そうしたコンプレックスは、書く上でのエネルギーにはなるが、あっという間に消えて無くなってしまうものだ。
それ以上に目の前の人をどう楽しませるか?
人を楽しませることに喜びを感じられる人はものを作り続けられるし、書き続けられるのだと思う。
なんだかそのことに気がついたら、書くのがだいぶ楽になった気がする。
もっと人を楽しませるコンテンツは何なのだろうか?
もっと人に元気を与えるものは何なのだろうか?
そうしたことをもっともっと考えていきたいと思う。
まだまだ未熟な私は、人を惹きつけるコンテンツは作れていないと思うが、
それを考え続けることが、書き続ける上で一番大切なことな気がするのだ。