ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

松本人志の手ぶらの美学に憧れて

 

「手ぶれでさっと帰る美学に憧れてて、この仕事しているようなところあるんですよ」

とある番組で松本人志羽生善治のニュースに、このようにコメントしていた。

 

手ぶらでやってきて、さっと仕事だけして帰る。

そんな仕事の姿勢に彼は憧れているのだという。

 

羽生棋士は何も持たず、長時間にわたって将棋をさし、一試合で体重が2キロも痩せてしまうことがあるらしい。

一つの手を考えるのに、3〜4通りから何100通りの手を考えて、一つ一つ将棋を指していく。凄まじいくらい集中力を必要とする職業なのだ。

 

すごい一手を思いついた時には、身体中が震えてしまうのだと言う。

そんな手ぶれでさっと仕事をしていく姿勢について松本人志が話していて

奥深いな〜と私は思った。

 

松本人志はよくお笑いについて言っているのだが、

彼は自宅からロケに入る間、基本的には全く何も考えてないで来ているという。

何も考えない方がうまくいくらしい。

自宅では基本ゲームばかりしているようだ。

 

あれだけの売れっ子芸人さんだから、本人ならではのお笑いの努力をしているかもしれない。

しかし、基本的にロケが始まるまで、仕事のスイッチが切り替わらないという。

頭を空っぽにして、手ぶらでやってきて、さっと笑いをとって、帰っていくのだ。

 

私は昔からお笑い芸人ほど難しい仕事はないと思っていた。

人を感動させることよりも、笑わせる方がはるかに難しいのだ。

お涙頂戴の感動話は意外と簡単にできてしまうと思う。

 

私も学生時代、アホみたいに自主映画を作っていたため、そこはなんとなくわかる。

脚本などを書いていくとお涙頂戴のスイッチって意外と作れてしまうものだ。

死んだ親戚の言葉や、両親の結婚秘話など、誰だって自分にしか語れない感動秘話を持っているはずだと思う。

 

人を感動させるメソッドは案外簡単なものだったりする。

しかし、人を笑わせるのだけは難しい。

絶妙なタイミングでさっと笑いをとっていく必要があるのだ。

それにみんな一人一人笑いのツボが違うはずで、場の空気に合わせて笑いも変えていかなければならない。

 

よく考えれば、私も友人と話をしている時に何度か感じたことがあるのだが……

人を笑わせようと思った時はその場のノリっで直感的に喋った方がうまくいく場合が多い。

笑いのネタをどう伝えようか、どの流れで話そうかとあれこれ考えているよりも、

その場のノリでさっと喋った方がうまく伝わるのだ。

 

頭を空っぽにして、その場のノリと直感でさっとしゃべる。

何かクリエイティブな作業をする時は、その何も考えずに、頭を空っぽにした状態というのがとても大切な気がしている。

 

私が記事のネタをパッと思いつくのは……たいてい風呂に入っている時なのだ。

頭を空っぽにして、湯船に浸かっている時が一番ネタが思いつきやすい。

 

この絶妙に頭を空っぽにして、何も考えないという感覚はとても大切な気がするのだ。

 

松本人志もあえて何も考えず、手ぶらで仕事場に来て、さっと笑いを生み出して、帰って行っている。

私はそんな松本人志の仕事の姿勢をカッコよく思う。

 

また嵐の二宮くんも同じような手ぶらの美学を持っていると思う。

確か、情熱大陸を見ていて知ったのだが、

彼は基本的にロケ中だろうが、撮影中だろうが、どこに行こうがゲームばかりしている。ゲームしながら会議の話を聞いていたりするのだ。

 

ドラマの撮影中なども、とくに台本を見直すこともなく、ずっとゲームをしているのだ。それなのにいざ本番になると誰よりもカッコよく仕事をビシッと決めていく。

 

クリント・イーストウッドの映画にも出たような俳優だ。

アカデミー賞の席にも呼ばれたことがあるアイドルだ。

 

そんな彼だが、基本、仕事場ではゲームしているのだ。

「ゲームしている方が集中できる」

と本人は言っていた。会議もゲームしながら聞いた方が頭に入ってくるらしいのだ。

私はその情熱大陸を見た時も不思議に思っていた。

 

なんで台本などを読み解くことなく、その場のノリでさっと仕事ができるのか不思議でならなかったのだ。

やはりクリエイティブな職業は、あれこれ考えて努力するよりも、その場のノリと直感でさっと決めていく方がうまくいくのかもしれない。

嵐の二宮くんもまた、手ぶらの美学を極めた人物なような気がする。

 

私にはライティングの師匠と言える人がいるのだが、その師匠は会議をしながらパソコンで5000字の記事をさっと書いたりする。

その記事がまためちゃくちゃ面白いのだ。

 

なんでこんなことができるのか私には理解しがたいのだが、師匠曰く

頭の回路を別にしているらしいのだ。

脳の左の部分で会議して、右の部分を使って、ライティングをしているのだ。

師匠もまたライティングにおける手ぶらの美学を極めた一人なのだと思う。

 

私はそんな手ぶらの美学にとても憧れるのだ。

パソコンの前に座り、ささっとその場で記事を書いて投稿する。

手ぶらでやってきて、さっと仕事をして帰っていく。

 

そんな姿勢がカッコいいと思う。そして、そうなりたいと思う。

手ぶらでやってきて、さっと仕事をしていく職人技はどうやったら身につくのか?

なぜ、松本人志も嵐の二宮くんも基本、何も考えずに仕事場にくるのに華麗にバシッと決められるのか?

たぶん、才能という部分もあるのかもしれない。

しかし、頭の中を空っぽにして、余裕のそぶりでさっと仕事を決めるのは、

やはり手ぶらで何も持たずにやってくるからという理由が大きい気がする。

 

何も武器を持たず、手ぶらでいるので、仕方なくその場にあるもので、ささっと調理していくのだ。

どの道のプロになる人にも、そんな手ぶらの美学というものが必要なのかもしれない。

手ぶらでやってきて、長年の経験からくる直感で、その場でささっと仕事をこなす。

そんな職人技に私は猛烈に憧れを抱いている。

 

どうすればそんな職人技を手に入れられるのか?

何も才能がない私にはその領域まで到達できるのか……まだわからない。

しかし、ライティングの師匠は言っていた。

「とにかく書け」

 

書いて書いて書いているうちに、長年の経験がストックされてきて、

手ぶらでも書けるようになるのかもしれない。

 

あれこれ考えている暇があったら、ひとまず書こう。

そんなことを考えて私は毎日のブログを始めた節がある。

いつか私も手ぶらの美学を極めた一人になれるのだと信じて。