ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

私が子供の頃からバイブルにしていた「NARUTO」を全巻売った理由

 

f:id:kiku9:20170216082307j:plain

 

「ナルトじゃん!」

私が東南アジアを旅していた頃、バンコクのデパートでナルトの看板を見かけたことがあった。

上の階にはアニメショップがあるようだ。

そこに行ってみると、多くのタイ人から欧米人がひしめき合っていてびっくりした記憶がある。

 

こんなに日本の漫画って人気あるの!

と私はびっくりしてしまった。

 

ナルトはもちろんのこと、日本のBL漫画からオタク系の漫画まで全て揃っていた。

単行本の表紙や中の吹き出しは全て英語に変更さえているが、絵は日本の漫画そのものだった。

 

日本のアニメの影響力の凄さを身にしみて痛感した。

 

東南アジアを回っている頃、ベトナムのゲストハウスの人に

「自分はジャパニーズだ」と答えると

やおい漫画は知っているか?」

と聞かれたことがあった。

 

やおい漫画ってなんだ? と思ってグーグルで調べてみると……なんとBL漫画のことである。

ベトナムまでBL漫画って浸透しているのか!

そのことにもびっくりしてしまった。

 

そんな日本のアニメ文化の凄さを痛感する旅でもあったが、旅の道中に出会った外国人から「好きな日本の漫画は何か?」と聞かれたら、私はすぐに

「ナルトです」と答えていた。

 

私たちゆとり世代の多くが、ナルト世代でもある。

ナルトを見て育ったようなものなのかもしれない。

同時代にワンピースもあったが、私の場合は圧倒的にナルトの方に夢中になっていった。

 

今でも第一巻を読んだ時の衝撃を覚えている。

確か、小3くらいの時に眼科で目の検診を受けるため、待合室で待機していた時、

暇だったので本屋で貴重なお小遣いを使って、ナルトの一巻目を買って読んだのだ。

 

テレビアニメの放送は見ていたので、ある程度内容は知っていたが、それでも衝撃的だった。

あの忍者の世界観に圧倒されてしまったのだ。

そして、「他者に認められたい」と願うナルトの姿に私は感情移入してしまっていた。

 

小学生だった頃の私にはほとんどお小遣いがなかったが、ちょっとずつお金を貯めて

ナルトの単行本を買っていった。

一巻、一巻と溜まっていき、小学生から大学までナルトを見て育っていった。

ナルトは完全に自分にとってバイブルのような存在になってしまったのだ。

 

自分のようなゆとり世代が、なぜナルトに夢中になったのか?

それは、SNS時代の台頭による承認欲求の表れが原因だと言われている。

木の葉の里に壊滅的被害を与えた九尾の妖狐を腹に封印され、ナルトは里の中で異端な存在だった。大人たちに無視され、居場所をなくしていた。

「火影になって自分の存在を認めさせてやる」という他者からの承認を求めて、もがくナルトの姿にSNS世代は感情移入してしまうのだ。

 

90年半ばから生まれた子供は、経済成長を遂げていた日本の姿を知らない。

生まれた時から不況だったので、社会がどん底の状態であることしか知らないのだ。

失われた20年とか言われている。

 

消費社会が行き詰まり、ものが溢れかえって、人々は生きているという実感が持てなくなった時代……

私は浮足立っていて、社会全体をさまよい歩いている感じが常にしていた。

そんな時代に生まれた子供たちは、他者からの承認でしか生きている実感を得られなくなってしまったのかもしれない。

 

私は小学生の頃から、常にクラスの隅っこにいるような子供だった。

クラスの中心的な存在に憧れていた。

昔から人とのコミュニケーションが大の苦手で、常に隅っこにいるような子供だったのだ。特にいじめられていたわけではなかったのに、何かが不安で、何かが嫌で仕方がなかった。

私は常に浮足立っていたと思う。

誰か自分の存在を認めてよ!

自分はここにいるよ。

と心の中で叫んでいたのだ。

 

中学の頃になると、心の中では反抗期のような状態になったが、先生に反抗的な態度をとることすらできなかった。

授業中も常にイライラしていたが、感情を表に出せなくて、常にフラストレーションが溜まっていたのだ。

自分の中に煮詰まった感情をどこに向けたらいいのかわからなかった。

授業はいちよ出るが、ほとんど頭の中に入ってこない。

腹の中に煮詰まった感情を吐き出す術を知らなかった私は、他者よりも上に行きたいという承認欲求が抑えられなくなり、勉強にのめり込んでいった。

 

ナルトのようにトップに立って、クラスのみんなから自分の存在を承認されたかったのだ。

中学3年の頃は勉強をしていた記憶しかない。

行きたい高校などとくになかったのに、私は勉強にのめり込み、模擬試験で一位をとることに夢中になっていた。

 

結果的に中学の卒業生の中で一番偏差値の高い進学校に入れることができた。

目標を達成できたのだ。勉強ではてっぺんに立つことができた。

しかし、そのてっぺんに立っても私の心は満たされなかった。

何かが違う……

生きている実感を持てず、もがいていたのかもしれない。

何かが苦しかった。他者から認められたかった。

 

そんな暗黒の中学時代も私はナルトを読んでいた。

ナルトを読んで、登場人物たちに感情移入していったのだ。

 

第十巻のロック・リー我愛羅戦には夢中になった。

人一倍の努力で体術のみを極めてきたロック・リーが、努力だけではどうにもならない敵とぶち当たり、葛藤する姿に私は泣いた。

「お前は努力の天才だ」

とガイ先生に言われるシーンにも泣いてしまった。

 

ガイ先生が言っていた「自分ルール」は今の私にも影響を与えている。

毎朝早めに起床して記事を書くという「自分ルール」を設けたのだ。

 

ちょっとでも朝の眠気に負けて、記事を書くことをサボってしまいそうになると

ガイ先生から怒られると思って、こうして毎朝記事を書いている。

 

高校時代に入り、進学校で落ちこぼれていた自分を救ったのもナルトだった。

周囲には天才児レベルの同級生たちだらけで、模試を受けたら全国5位以内の生徒がわんさかいた。

クラスから現役に東大合格する人が10人近くいる環境だったのだ。

そんな環境にいたためか、私はどんなに勉強しても努力ではどうにもならない現実を見て嫌気がさしていた。

そんな時、いつもナルトの言葉を思い出していた。

どんなに里の大人から嫌われようとも自分の存在を認めされることにもがき苦しむ

ナルトの姿が自分に重なって見えたのだ。

 

他人から認められたいというものが私の原動力にあったのかもしれない。

常に浮足立って、生きている実感が持てなかった私の学生時代を支えたのはナルトだった。

 

 

ナルトは私が大学生の頃に完結を迎えた。

最終話が載っているカラーページの少年ジャンプは本屋で買って、ずっと家に保管してある。

単行本も気がついたら全72巻揃えていた。

家の本棚のスペースのほとんどがナルトで埋まっていた。

 

そんな私の学生時代を支えたナルトだったが、私はつい最近、すべて売ることにしたのだった。

 

書くにはインプットが必要だ……

そう思って、2017年になった頃から私は毎日2000〜5000字の記事を書いては映画を浴びるように見て、本を浴びるように読んでいった。

毎日ブログ用の記事を書いているとよく思うのだが、アウトプットをしているとどうしてもネタが枯渇してくるものだ。

インプットが間に合わない……と焦ってしまう。

 

何よりも書く事……アウトプットが大事だと思い、アウトプット>インプットで今までやってきたが、どうしてもインプットが間に合わない。

 

どうすればいいのかと悩んでいる頃、本で溢れかえった自宅の本棚を見て思った。

私の頭の中はナルトでほとんどのスペースを埋め尽くされている……

 

本棚は頭の中の貯蔵庫みたいなものだ。

相手の脳の中を覗こうと思えば、その人の本棚を見てみるといいかもしれない。

どんな本を読んで、その人の人格が形成されていったのかすべてわかるのだ。

 

私の脳みその中が反映された本棚を見て、ほとんどのスペースがナルトで埋まっていることに気づき、このままではいけないと思ってしまった。

 

新しいインプットを頭の中に取り込むには、今まであったものを捨てなければならない。

仏教でいうと「断捨離」だ。

 

2017年は「書く」と私は決めていた。

毎日ブログ記事を書く事は自転車レースに参加しているようなものだ。

ギアが重すぎたら自転車を漕ぐのがつらくなり、ギアが軽すぎても平坦な道を漕ぐのがしんどくなる。

常に真ん中のギアくらいのペースがちょうどいい気がする。

毎日のように私の頭の中から出てくるアウトプット量にインプット量が比例していないと書くことがしんどくなってくる。

 

今からインプット量を増やすのではなく、もともと頭の中にあった余分なインプットを捨て去ればいいのではないか? 

そうすれば新鮮なインプットを新たに脳みその中に入れることができる。

そう考えて、私の脳の中にあった貯蔵庫を減らすことにしたのだ。

 

ナルトは何回も読み直した。

もう小学生の頃から擦り切れるくらい読んでいた。

ナルトVSペイン戦には燃えた。

 

ナルトを眺めているとありとあらゆる思い出が蘇ってきた。

そんなナルトだったが、私は意を決して、すべて売り払うことにした。

すでにあるものを捨て去らなければ、新しいものと出会えない。

そう思えたのだ。

 

家にあったでかい紙袋にナルト全72巻をまとめた。

めちゃくちゃ重かった。

試しに体重計で計ってみたら、10キロもあった。

 

これをどうやって古本屋に持って行くか?

車で運べばいいものの、私はかれこれ一年以上車の運転をしていない。

超がつくペーパードライバーだ。

 

こうなったら自転車で行きしかない。

そう思って私は自転車のカゴにナルト全72巻がはいった重さ10キロの紙袋を詰め込み、坂道を駆け下りて、古本屋に向かうことにした。

道中、何度も転びそうになった。

カゴが重すぎるのだ。

 

ナルト全巻を腕で抱え込み、私は古本屋を目指した。

私の学生時代を支えてくれたナルトだ。

道に落とすわけにはいかない。

約20分かけて古本屋にたどり着いた。

着いた時にはもうヘロヘロだった。

 

10キロもある紙袋をカウンターに運び、査定してもらうことにした。

さて、いくらになるか……

 

査定が終わり、カウンターに呼び出される。

金額を見て、驚いた。

 

ナルトでもこんな値段なんだ……

私が想定していた値段よりもはるかに安かったのだ。

ナルトは完結した今でも人気の漫画ではある。ブランドがあるとは思うが、売ってもこれくらいにしかならないとは……

 

私は古本屋業界に驚くと同時に、重さ10キロもある紙袋にナルトを詰め込んで、来た道を自転車で戻る勇気がなかったので、結局そのまま買い取ってもらうことにした。

 

古本屋を出てみると、バイブルにしていたナルトを全巻売り払い、清々しい気持ちになるかと思っていた……私は意外にも何も感じなかった。

あっけなく終わってしまった感があった。

 

家に帰り、今まで本棚にナルト全72巻が並べてあったスペースを見て、

私はやっと何か感慨深いものを感じた。

 

私はそのスペースにどう彩りを与えていくのか?

ナルトに変わる私のバイブルと言えるものが現れるのか。

 

ナルトをすべて売り払った今、私は毎日書き続けるアウトプットに追いつくため、

時間を見つけては本や映画などでインプットもしっかりと忘れずにやるようにしている。

 

頭の中にあったナルトのスペースを空けたためか、私は最近、道を歩いているだけで、新たなネタがぽんぽん浮かんでくるようになった。

まるで、仙人モードを手に入れたナルトのように、周囲から自然エネルギーをかき集めているような感じがするのだ。

無意識にインプットができるようになったのか?。

物事を見る目線が少し変わってきたような気がする。

 

大掃除の時に、年を越すために余分なものを捨てる断捨離を自分の親は大切にやっていた。

確かに新しいものと出会うためには今まであったものを捨て去らなければならないのかもしれない。

 

世界的な作家である村上春樹は、呼吸するように書くというスタンスを貫いているという。本人曰く、書かなきゃと思うと、書けなくなるらしい。

頭を空っぽにして、呼吸するように書いているのだ。

 

私も呼吸するかのように、もの書くということを体得したいと思う。

自然エネルギーからパワーをもらう仙人モードを会得したナルトように、身の回りにある些細なものにもアンテナを張って、常にインプットができるライターの目線を手に入れたいのだ。

 

世の中に出てくるクリエイターの人たちはどういったインプットとアウトプットをしているのか今の私にはまだわからない。

インターステラー」や「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン監督は一本の

映画を作るのに何千冊と本を読むらしい。

それだけのインプット量がないと、あれだけの濃厚な人間ドラマを描けないのだという。

どのみち、世界に通用するコンテンツを作るには膨大な読書量が必要なのだと思う。

本棚にあったナルトのスペースを空けることによって、新たにどんな本と出会えるのか? 

私は楽しみである。