伝えたいときに伝えたい言葉が出てこないもの哀しさ
「この人には会わなきゃ」
直感的にそう思った。
どこだったかよく覚えていないけど、駅の掲示板に貼られていて今話題のドラマの広告用写真を見て、衝撃が走ったのを覚えている。
なんだこの写真は。
世の中に絶望していた少女の眼差し。
なぜだかわからないけど、自分が心の奥底で抱いていたもの全てを目の前で表現されている気がした。
この写真を撮った人は誰なんだろう。
そんなことを思いながら、日々を過ごしていると、人間の思考回路って不思議なもので、注意がいっているものには自然と目に入るようにできているらしい。
普段はフェイスブックのタイムラインはあまり見ないのだけど、
終電近くの電車の中で、仕事で疲れ切ってクタクタのまま、ふとタイムラインを眺めていると、その写真のことが書かれた記事があった。
この写真を撮った人は一体誰なのだろうか?
ただ、興味本位でその記事を読んでいった。
その方はもちろんのことプロのカメラマンである。
それもプロ中のプロのカメラマンである。
多分、日本でいるカメラマンの中だと本当にトップ10に入る凄い人なのだろうと思う。
自分みたいな写真のど素人が見ても「この人が撮る写真、凄い!」
と衝撃が走ってしまった。
何かの縁で、つい先日この写真を撮ったカメラマンさんとイベントでお会いする機会があった。
「とにかく、この写真を撮った人に会いたい」
ただ、その一心だった。
昔から、何も考えずに「とにかく飛び込んでみよ」精神で育ってきたこともあり、
ひとまずイベントに飛び込んで見ることにした。
正直、本人と会うまでは緊張しすぎて、近くのコンビニのトイレに数分こもっていたりしたが、カメラマンさん本人を目の前にすると、なぜだか緊張の糸がほぐれてす〜と会話ができてしまった。
やっぱりプロのカメラマンさんだから、人を惹きつける不思議な魅力があるのか?
周りに集まってくる人も独特で、普段だと出会えないような刺激的な人ばかりだった。
不思議な空気の中、会話が進んでいった。
普段、私は全く人と話すのが苦手である。
人がいっぱいいる場所、特に飲み会などにいると会話の流れについていけず、
疲れ切ってしまう。
ちょっと対人恐怖症みたいな部分がある。
だけど、そのカメラマンさんを目の前にするとなぜかよく分からないが、普段頭の中で考えていることがどっと溢れてきて、止まらなくなってしまった。
言葉が溢れてきてしまうのだ。
だけど、きちんとした文脈になっていない。
頭の中にある思いとか考えをきちんと目の前の相手に伝えたいのに、
整理しきれていないことが自分でもわかった。
モヤモヤのまま、とにかく日頃自分が考え、感じていることを相手に向けて喋って行く感じ。
自分でも伝えたいが湧いてくるのに、きちんとした文脈で伝えきれず、目の前で言葉が滑り落ちていくのがわかった。
あまり、きちんと物事を考えきれてないんだな。
そんなことを感じている時、「君の写真見せて」と言われた。
恥ずかしながら、パニックになりとっさにスマホに保存してあった自分が撮った写真を数枚見せた。
反応は案の定薄かった気がする。
そうだよな。
プロ中のプロカメラマンの方に自分の拙い写真を見てもらっただけ幸運と思った方がいい。
自分の才能のなさを痛感するとともに、「とにかく人を撮る方がいい」と伝えてくれたそのカメラマンさんはこんなことを言っていた。
「自分が相手をどう見て、相手とどんな関係であるのか?」
日本だと、可愛い女の子を背景が真っ白でボケが決まっている、
可愛らしい写真を撮ることが好まれたりする。
それはそれで一つの正解なのだけども、同じような写真が大量に溢れかえっている。
なんか正しいような違うような感覚が前からあった。
「自分が相手をどう見て、どんな風に相手を見ているのか?
相手の奥底まできちんと理解していないといい写真は撮れない」
そんなことをカメラマンさんは言っていた。
自分が今まで、どれだけ浅はかな写真を撮っていたのかを痛感してしまった。
普通に可愛い子が目の前にいたら、85mmの単焦点を解放にして、背景をぼかして撮影すれば、それっぽい可愛い写真は撮れる。
だけど、可愛いだけで、ただ目の前に広がるSNSの洪水に消費されていくだけの写真になってしまう。
「自分が相手をどう見て、相手とどんな関係なのか?」
それは写真に自然と現れてくるのだという。
なんだかんだ6時間以上お話しさせていただいた。
ヘロヘロになりながら家に着く前に、紹介していただいたアニー・リーボヴィッツのドキュメンタリー映画をTSUTAYAでレンタルした。
お恥ずかしながら現代写真家のアニー・リーボヴィッツを知らなかった。
完全に勉強不足だ。
夜中に偉大な写真家のドキュメンタリー映画を観ていると、アニー・リーボヴィッツという伝説の写真家のエネルギーに圧倒されてしまった。
とにかく写真が死ぬほど好きなことが画面から伝わってくるのだ。
「あ、自分ってこんなに写真を好きになれるのだろうか?」
そんなことを感じながら映画を見ていくと、カメラに向かってこんなコメントを述べている箇所が印象に残ってしまった。
いい写真を撮る秘訣に関して、アニー・リーボヴィッツはこう述べていた。
「私は相手の懐深くまで潜り込んで、写真を撮る」
とにかく、相手のことを深く深く理解しようとするのだという。
昨日、衝撃を受けたプロカメラマンさんにお会いしたのだが、その時言われた言葉を思い出した。
「相手のことをきちんと理解しているのか?」
まだ、頭の中が多分整理しきれていない気もするが、とにかくその時感じたことを言葉に残そうと今必死になって文章を書いている。
私がプロ中のプロカメラマンさんと実際にお会いして学んだのは、いい写真の構図でもなく、プロのカメラマンになる方法でもなかった。
「人ときちんと目を見てコミュニケーションをしているのか?」
そんなことを学んだ気がする。
普段人と話をしていても、
「この人はこういう職業についているから、こういう人だ」
「この人は一瞬、目を離したからきっと自分の話に興味がないんだろう」
と勝手に第一印象や相手のしぐさが気になってしまい、自分の思い込みによって相手を判断してしまう。
物事を自分の目線だけで勝手に決め付ける癖って自然と写真とかにも現れてくるのだろう。
相手のことをきちんと理解しているのか?
自分がどれだけ人ときちんと向き合っているのか?
そのことってとても大切なのだと思う。
この人を見て、こう感じた。
こういうことを周りの人に伝えたい。
伝えたいことがあるのに伝えたい言葉が出てこなくて、悔しい思いをしたことが何度もある。
何か人に伝えたいことがあるのに、それが何なのかわからずにモヤモヤとした気持ちがずっとあった。
だけど、そのカメラマンさんと会ってから少しその霧も晴れた気がする。