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「桐島、部活やめるってよ」を読んで、私が一本のゾンビ映画を撮った理由

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「自分って空っぽだな」

 

私が高校生だった頃、常に感じていたことだった。

授業中、わけがわかんない相対性理論の公式を真剣に解説している先生がいるにもかかわらず、私はいつも窓から外の景色を眺めていた。

 

部活は入っていなかった。帰宅部だ。

 

帰宅部と言ったら、自由を謳歌するリア充の塊みたいな印象があったが、実際、帰宅部をやってみると、ただの暇人のようなだった気がする。

 

家に帰っても何もやることがないのだ。

バスケ部や陸上部の人々は、最終下校時間まで、ずっと部活動に打ち込んでいた。

そんな人たちを見て、正直、羨ましく思っていた。

 

夢中になれるものがあっていいなと思っていた。

 

私が通っていたのは、都内でもそこそこ知られた進学校だった。

 

中学2年の終わりに友人に勧められて塾に通い始め、思いの外、そこでの授業が面白く、私は勉強にハマっていった。

 

中学1年まで全く勉強をしていなかった私がである。

本当に全く勉強をしてこなかった。

 

学校が大っ嫌いだったのだ。

 

小学校の頃は本を年間一冊も読んでいない子供だったので、漢字が大の苦手だった。

中学生にもかかわらず、小3レベルの漢字すらわからない状態だった。

 

そんな私でも高校受験を前に、周囲に流されるように仕方なく塾に通い始めることにした。

 

塾の先生は、はじめの授業でこう言っていた。

 

「知らないっていうことは恥だと思う。大人になってからも漢字を読めないのは恥だ」

 

わかってるよ!

そんなことわかってるよ! と思った。

 

しかし、塾に通い始めているうちに数学と理科に興味を持っている自分に気がついた。化学の記号などを見ているのが楽しいのだ。

数学も案外やってみると楽しいのだ。

 

私は意外にも勉強が好きだった自分を見つけた。

そんなに周囲に比べて頭がいい方ではなかったが、必死に勉強した。

英単語もノートにびっしり書いて覚えていた。

 

友人からは「お前ノートに単語書きすぎだろ」と言われたりした。

しかし、人一倍理解が遅い私は、人の倍はノートに英単語を書かないと覚えられなかったのだ。

頭に入らなかったのだ。

 

人一倍勉強し、偏差値もどんどん上がっていった。

しかし、国語だけは相変わらず苦手だった。

 

塾の先生に国語が伸び悩んでいると相談すると、

「ひたすら過去問を解いて、傾向になれるしかない」というアドバイスをもらった。

 

私はひたすら勉強した。

特に行きたい高校はなかった。

 

 

しかし、どんどん偏差値が伸びていくのが快感だったのだ。

テストの結果が出ると塾の友達と見せ合い、自慢しあった。

 

「すごいなお前」

と言われた。

 

嬉しかった。

そして、偏差値が上がり、レベルの高いクラスに移ることになった。

そこは都内でも有数の進学校を目指すクラスだ。

早稲田や慶応の付属校を狙う人たちが多かった。

 

そこでの授業のレベルは高かった。

私は必死にしがみついていった。

 

そして、他人を見下し始めた。

 

進学校クラスでない、人たちは自分より下だと心のそこで思っていたのだと思う。

塾の友人との会話は少なくなっていった。

 

しかし、そんなことどうでもいい。

自分は偏差値の高い学校に行くと思って勉強していた。

ただ、他人を見下したかったのかもしれない。

 

私は結局、都内でも有数の進学校に入ることができた。

そこは男子校だった。

 

中学まで公立で進んでいた私にとって、男子校は未知の世界だった。

まあ、いいや。

中学の同級生の中で一番レベルの高い学校に入れたんだからと思っていた。

私は鼻高々だったのだ。

 

 

入学式当日、私は驚いた。

本当に男子しかいないのだ。

 

学校の体育館に集められた生徒は全員暑苦しく見えた。

 

しかも、校長先生の話が始まるまで、野球部の集団が体育館の隅っこで腕立て伏せをしているのだ。

めっちゃ体育系やないかい! と思った。

 

話が始まるまで、体育館でシャトルランをしている生徒もいるのだ。

 

自由すぎる。

男子校は自由すぎる。

女子がいないだけでこんなにも違うのかと思った。

 

男子校出身の人ならわかると思うが、学校は女子がいないと崩壊するのだ。

抑制力になる存在がいないのだ。

 

年頃の男子だけが集まると、ろくなことにならない。

 

学校生活が始まり、昼休みに弁当を食べていると、目の前にパンツ一丁の男が疾走していたりするのだ。

その男はなぜかパンツ一丁で職員室を駆け抜けていった。

 

図書館で本を読んでいると、必死になって顔面をコピーしている生徒も見かけた。

 

なぜ、顔面をコピーする必要があるのだ?

 

そいつは必死になってコピー機に顔面を突っ込んでいた。

お前は何がしたいんだ?

 

 

掃除の時間中、机を掃除をしていると、中から女性用の下着が出てきたりもした。

 

ここは男子校だぞ!

何で女性用のブラジャーがあるんだよ!

 

もう、ツッコミ始めたらきりがないほど、意味がわからない出来事が頻発していた。

今思うと、なかなか楽しい経験だったとは思う。

 

しかし、当時高校生だった私は学校が苦手だった。

学校になじめなかったのだ。

 

塾に通っていた頃は、いつも上位の成績をキープできた。

しかし、私が入ったのは進学校である。

自分よりも頭がいい人はうじゃうじゃいるのだ。

 

テスト前も落第しないように、そこそこ勉強した。

しかし、いつも部活に明け暮れている野球部の連中の方が圧倒的に勉強ができるのだ。

 

あれだけ忙しい毎日を送っていて、いつ勉強する暇があるんだ? と思った。

部活動をやっている人たちはとにかく集中力があるのだ。

 

今日はこれをやる。

今はやらないとメリハリをつけて勉強ができる。

 

それに比べて、帰宅部の私はダラダラ勉強していた。

成績も落ちていった。

 

クラスにもなじめなくなった。

 

私は昔から集団行動がどうも苦手で、サッカーや野球などのチームスポーツは向いてなかった。

入学当初は部活に入ろうともしたが、結局なじめず、部活には入らなかった。

 

私は帰宅部になった。

暇だった。

 

家に帰ってもやることがない。

 

学校の授業に出ても、先生の話についていけない。

クラスにも友達ができず、どんどん孤立していった。

 

つらかった。

あれだけ頑張って勉強して、他人を見下していたのに、今度は自分が他人から見下される番になったのだ。

自意識過剰かもしれないが、当時の私はそう思っていた。

明らか、スクールカーストの最下層にいる私は生きている価値がないように思えていたのだ。

 

そんな高校生活を過ごし、大学受験が近づいてきた。

昔から自意識過剰で、勉強ができる方だと思い上がっていた自分は、

周りに流されるように、偏差値の高い学校ばかりを受けた。

 

ろくに勉強もしていなかったのに。

もちろん、ほとんど落ちた。

 

忙しい毎日を過ごしていた体育会系の部活に入っていた人たちは、次々と有名校に受かっていった。

 

クラスで現役東大生が数名出ていた。

 

なんで、部活動に打ち込んで、勉強もできるんだと思った。

好きなことに好きなだけやっている人が本当に羨ましかった。

 

自分は空っぽなんだなと思った。

 

私は一浪して結局、そこそこの大学に進学することにした。

 

大学に入る前に私は一つのことを誓った。

好きなことを好きなだけやろうと。

 

 

高校みたいに空っぽである自分が嫌だったのだ。

好きなことを真剣に取組んでいる人が羨ましかったのだ。

 

私が好きだったこと……それは映画だった。

高校時代も帰宅部で、死ぬほど時間だけはあったので、映画はよく見ていた。

スティーブン・スピルバーグスタンリー・キューブリックから昔の巨匠まで多くの映画を見た。

 

大学に入ったら映画を撮ろうと思っていた。

私は大学に入って早々、自主映画にのめり込んでいった。

映画サークルに所属し、無我夢中になって映画を作っていった。

 

自主映画一本作るにも、多くの人の協力が必要だ。

カメラ、音声、編集など10分の短編を作るのに、キャストも含めて最低は10人は必要になる。

 

私は図書館にこもって映画の本を読みあさり、無我夢中になて脚本を書いていった。

できた脚本を友人に見せ、反応をうかがったりした。

 

評判がいい脚本はすぐに撮影に踏み切っていった。

多くの人と関わりながら一本の映画を作るのが楽しかったのだ。

あたかも一介の映画人のように思っていたのかもしれない。

 

無我夢中になって、映画に取り組んでいると仲間もできてきた。

映画祭などに参加していると、自分と同じような趣味を持った友人もできてきた。

 

大学3年までに6本は映画を作ったと思う。

70分の長編映画もあった。

 

しかし、とてもじゃないが人に見せられるできではなかったと思う。

 

自分が作る映画は面白いに決まっている。

自分は人とは違うクリエイティブな素質があると思っていたのだ。

 

そんな奴が作った映画は面白いわけがない。

 

大学一年の頃に出会った映画サークルの仲間は次々プロになっていった。

才能を認められ、プロの世界に引っこ抜かれたのだ。

 

私も大学生のうちに頭角を出すと意気込んでいた。

 

しかし、3年生を前にして、何をしたらいいのかわからなくなった。

 

家に閉じこもって映画ばかり見ていた。

映画を見ては映画の世界に引きこもった。

 

また高校の時と一緒だ。

所詮、自分は空っぽなんだと思った。

 

才能なんてないんだと思った。

 

そんな時だった、映画「桐島、部活やめるってよ」を見たのは。

 

CMでは話題にはなっていたが、私はレンタルが開始されるまで見ていなかったのだ。

 

私はその映画を見てみることにした。

どうせやることもなく暇だったのだ。

 

一回目見た時は、正直何が何だかわからなかった。

 

誰の物語なんだと思ったのだ。

演出が下手くそというわけではない。

 

しかし、私は5人以上登場する登場人物の誰に感情移入すればいいのかわからなかったのだ。

 

なんかモヤモヤするなと思った。

学校のスクールカーストを題材にしたこの映画は、多くの人に高校時代を思い出させると思う。

 

私も初め見た時は、自分の高校時代を思い出し、つらかった。

 

しかし、なぜかこの映画に惹かれた。

原作の小説を読んでみたいと思ったのだ。

 

本屋に行き、朝井リョウ原作の「桐島、部活やめるってよ」を読んだ。

すると、だいぶ物語の内容が見えてきた。

 

そうか!

映画だとよくわからなかったのは、登場人物の心情が聞こえなかったからだった。

 

映画を見た時に私は、ラストシーンの屋上でヒロキ君が前田君の前で涙を流す理由がわからなかった。

 

しかし、小説版を見てわかった。

 

ヒロキ君は勉強もスポーツもできる優等生だった。

スクールカーストの最上位だ。

 

しかし、本人は夢中になれるものが何もなかった。

ずっと、虚無の中を生きていたのである。

 

そんな時にクラスでは根暗だが、無我夢中に自分の好きなものを作っている前田君を目の前にして羨ましく思えたのだ。

 

自分より光って見えたのだ。

 

 

才能なんて、どんでもいい。

自分が好きなことに真剣に向き合っている人はやはり輝いている。

 

そんなことをこの小説と映画は教えてくれた気がする。

 

私が好きなもの、それは映画だった。

私もずっとゾンビ映画を撮ってみたいと思っていたのだ。

 

ジョージAロメロなどのようなゾンビ映画を作ってみたかったのだ。

 

実際、作ってみるか。

 

そう思って私は早速、脚本を書き始めた。

 

私はそれから約半年間ゾンビ映画作りに熱中した。

トータル10リットルの血糊をばらまいた。

 

撮影場所の施設の人から三回も呼び出され

「君たちが使った後に残っている赤い塗料は何か?」

と聞かれたら

「スタッフの一人が鼻血が止まらなくて」

と言って、ごまかしたりした。

(本当ははちみつと食紅を混ぜて作った血糊である)

 

10リットルの血糊をばら撒き、いろんな人には迷惑をかけた。

女の子にはブチ切れられた。

(今思うとすいません……)

 

しかし、私はどうしても撮り切りたかったのだ。

何がなんでもゾンビ映画を撮りたかったのだ。

 

総じて20人近くのゾンビエキストラの方に協力してもらった。

大量の古着を集めて、血糊をぶっかけ、ネットでゾンビメイクについて研究した。

 

エキストラの方には、撮影当日、ビニールシートの前で寝っ転がってもらい、

上から血糊をぶっかけてゾンビを作った。

 

ドンチャン騒ぎだった。

 

大学では、夜な夜な、何か怪しい活動をしている連中がいるという噂が広まったりした。

 

私は無我夢中になってゾンビ映画を作っていた。

 

結局、4ヶ月以上かけてゾンビ映画を撮り終えた。

 

その後、私は周囲に流されるように就活して、大学を卒業した。

今思うと、自分にあのゾンビ映画は何をもたらしたかはわからない。

 

結局、どこの映画祭にも通らなかった。

しかし、今も無我夢中になってゾンビ映画に取り組んでいた日々をたまに思い出す。

 

あの時、私はもしかして「ひかり」に見えたのかもしれない。

目の前のことに無我夢中になって光って見えたのかもしれない。

 

私は今、色々あってフリーターのプー太郎である。

最近、企業した友人やプロのライターとして活躍している人と出会う機会があった。

やはり彼らは輝いて見えた。

 

プロの小説家を目指して無我夢中になって文章に取り組んでいる人を見ると

やはり輝いて見える。

 

彼らは好きなことを好きなだけやっているのだ。

ただ、思う存分好きなことをやって、目の前のことに無我夢中になっているのだ。

 

才能なんてどうでもいい!

石ころ食ったっていい!

好きなことを好きなだけやっているのだ。

 

やっぱりそんな人を見ると私は「ひかり」に見える。

 

私もそんな「ひかり」になりたいと思う。

 

小説家を目指したり、若くして企業すると人を

「なに、上から目線になって調子に乗ってんの?」

と彼らを馬鹿にする人もいるだろう。

上に行こうとする人を引きずり降ろそうとする人もいる。

 

しかし、目の前のことに夢中になっている人はそんな雑音はどうでもいいのだ。

「ひかり」を放つ人たちはそんな雑音は聞いていないのだ。

 

やはり私もそんな「ひかり」になりたい。