ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

マッキンゼーのエリートが使う方眼ノートを見ていたら、スピルバーグ監督が25歳の若さで映画「激突!」を撮れた理由がわかった

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「読めない」

自分が書いたノートを見直してはいつもそう思っていた。

私はとにかく字が汚い。

その上、ノートに板書をまとめるのが下手くそだった。

 

高校受験や大学受験で予備校に通っている頃は、ノートで苦労した。

いくら頑張って先生の講義を聞いても、ノートにまとめきれなかったのだ。

 

黒板の板書がうまい先生ならまだしも、話は面白いけど、板書をほとんどしない先生に当たると私の脳みそはパニックを起こしていた。

授業内容をノートにまとめきれないからだ。

 

黒板に板書をしていく先生の授業は、板書をノートに書き写すだけでいい。

しかし、書き写すだけで自分の頭に入っているわけではない。

 

ノートはその人自身の思考回路を表すといわれている。

頭がいい人はとにかくノートを書くのがうまいのだ。

 

ノート作りは大人になってからも度々、私が抱える問題に浮上していた。

私が最初に入った会社も、上司の言うことをノートにまとめきれず、苦労した覚えがある。毎日のように、やるべきリストを指摘され、ノートにまとめていっても、どこから手をつけ、どのような時間配分で仕事に取り組むべきなのかわからないのだ。

 

3つ4つの仕事を頼まれても、要領が悪い私は、基本的に一つのことにしかできない。

取り組むべき仕事が山ほどあると、脳みその中でまとめきれず、パニックを起こしてしまうのだ。

 

物事をどうまとめていけばいいのだろう?

情報をどう整理してばいいのか? そう悩んでいた。

 

ある日、行きつけの本屋で本を立ち読みしていると、こんなタイトルの本が目に入った。

「頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?」

 

あっ! 

それは私が長年悩んでいたノートの作り方に、解決策を教えてくれる魔法の本のように思えた。

 

私はとにかく物事をまとめるのが苦手だった。

そんな自分を変えてくれるように思えたのだ。

 

私は早速、本を購入し、カフェにこもって読んでいくことにした。

 

なるほどな。

なるほどなと思った。

 

マッキンゼーで働く人は、入社すると一つの方眼ノートを渡されるらしい。

入社するとともに渡られるその一冊の方眼ノートの皆大切に使うという。

尋常じゃない量の仕事量を整理し、一つ一つ確実にこなすには、方眼ノートが欠かせないのだ。

 

なぜ、マッキンゼーやボスコンで働くトップエリートは方眼ノートを使うのか?

それは方眼ノートの方が情報をまとめやすいからだ。

縦横全て線で仕切られているため、「事実」「解釈」「結論」の三つの事象にまとめることができるのだ。

トップエリートたちは、仕事内容の「事実」や「解釈」だけでなく、自分が取るべき「結論」までノートに書き記すという。

 

ノートはその人の頭の中を記す、いわば「第二の脳」だ。

ノートを見れば、その人が仕事ができる人間か、できない人間かわかってしまう。

 

私は自分のノート作りを反省するとともに、その本の中に書いてあった、

あることが気になった。

それは映画用のストーリーボードでも使えるという、あることがまとめた箇所だった。

 

 

「10リットルの血糊をばらまく」

私はそう宣言して、ゾンビ映画作りに熱中していた。

学生時代には、私は自主映画サークルに所属していて、自主映画作りに熱中していた。多くの人を巻き込んでは映画を作っていた。

その中でも一番、思い出に残っているのは約4ヶ月以上かけて撮りきったゾンビ映画だった。

 

学生映画でホラーは難しいと言われている。

まず、血糊をばらまく場所がない。カメラの性質上、暗闇での撮影が困難でもある。

しかし、私はゾンビ映画を撮ってみたかったのだ。

子供の頃から映画が大好きで、映画小僧だった私は特にホラーパニック映画にはまっていた。

「エイリアン」や「羊たちの沈黙」は何回も見た。

そのような人々をハラハラドキドキさせるパニック映画を作ってみたかったのだ。

 

大学三年生の頃、学生生活最後に、私は以前からずっとやりたかったゾンビ映画に着手することにした。

脚本は「エイリアン2」の構造を分解して自分なりに組み立ってていった。

 

ゾンビメイクはどうしたかというと、ネットで調べて、自分なりのオリジナルメイクを作っていった。

意外とゾンビメイクは簡単にできるのだ。

ティッシュを頬につけ、アイシャドウを塗りつぶし、二重のりでミルフィーユ状に重ね合わせていくと、ゴワゴワした肌触りの焼きただれた跡のようなメイクができる。

 

そのゴワゴワしたティッシュの上にはちみつと食紅で作った血糊を塗れば、100円均一グッズだけで作ったゾンビメイクの完成である。

 

ゾンビの服はどうしたかというと、古着屋に飛び込んで30着ぐらい用意した。

 

いろんな人に声をかけ、約40人の方々の協力のもと、私はゾンビ映画を作っていった。ゾンビエキストラだけでも20人近くの人にお世話になった。

 

撮影を開始すると、私はとんでもないことを始めてしまったと後悔することになった。

まず、血糊の量が尋常じゃなかった。

 

ゾンビに襲われるシーンを撮るのに、役者のゾンビメイクだけでも1時間以上かかった。メイク用の血糊や撮影の時に使う血糊も合わせ、毎回1リットル以上の血糊が使われていた。

バケツ一杯分の血糊を撮影前に用意していたのだ。

 

撮影場所も利用時間が限られていたので、早撮りするしかなかった。

昼に撮影してしまうと、映画全体のトーンが崩れてしまうため、夜しか時間を使えなかった。ゾンビメイクの時間などを考慮すると、一回の撮影で使える時間はおよそ3時間だった。

そのわずか3時間のあいだに、数カット撮らなければならない。

 

私はどうすれば早撮りができるのか考えていった。

役者の顔アップだけ別日にとって、ゾンビの襲撃シーンだけを詰めて撮っていく方法なども考えた。

 

しかし、役者のスケジュール調整やメイクの準備など、監督としてやることが山ほどあり、私の頭はパンク状態だった。

撮影スケジュールをまとめて香盤表をきちんと作成できなかったのだ。

どうすれば、撮影スケジュールをパッとまとめて、きちんと映画全体を把握できるのだろうか? そう思っていた。

 

撮影が進むにつれ、いろんなところから苦情が出てきた。

まず、撮影で使わせていただいた施設から怒られてしまったのだ。

「君たちが使った後、床に残っていた赤い塗料はなんだ?」

と呼び出しをくらってしまった。

 

もちろん、その正体は食紅とはちみつで作った血糊である。

 

「え〜と、撮影スタッフの人で鼻血が止まらない者がいまして……」

そんなことを言って、私は言い逃れをしていた。

(今思うと、なんと無茶苦茶なことを言ったものか……)

 

ゾンビ映画の撮影が進むにつれ、私の脳みそはパンクしていった。

四六時中、映画のことを考えなければならないのだ。

どうしてもゾンビ映画を作ってみたい!

そう思っていたが、ここまで大変だとは思わなかった。

 

そんな時に私は一旦、思考をリセットするためにもある映画を見ることにした。

それは「激突!」だった。

 

「激突!」は天才スティーブン・スピルバーグ監督が25歳の若さで監督した

デビュー作に近い映画だ。

 

私は「激突!」をはじめて見たときは、本当にぶったまげた。

ただ、殺人トラックが追いかけてくるだけなのだ。

それなのに異常に怖い。

ありふれた日常が一変し、執拗に殺人トラックに命を狙われる平凡なサラリーマン

の死闘を描いた文句なしの傑作だった。

 

私は自分が作っていたゾンビ映画のサスペンス演出の参考にと思い、

「激突!」を見直すことにした。

 

やはり「激突!」は何度見ても面白い。

何度見ても、ハラハラドキドキする。

 

私はスピルバーグの音声解説が収録されている特典映像を見ていった。

それには若き日のスピルバーグがどのようにして「激突!」を撮っていったかが解説されてあった。

撮影当時、スピルバーグは「10日間で90分のテレビ映画を作れ!」と上司に言われたらしい。

90分の映画をわずか10日間で撮影しなければならないのである。

普通だったら1ヶ月はかけるところを、若さゆえに生意気と思われていたらしく、

「10日で撮れ!」とスタジオ側に言われてしまったのだ。

 

もちろん、その当時は反論するだけの力を持っていなかったスピルバーグは、無理だとわかっていても仕方なく、短時間で「激突!」を早撮りすることにしていった。

 

彼が真っ先にやったことは、ロケ中に泊まっていたモーテルの壁一面に地図を書き込むことだった。

殺人トラックとの死闘が繰り広げられるハイウェイ全体の地図を書き上げ、

どの場面でどのようなシーンを撮り、どう演出していくかを、パッと見ただけで全体が網羅できるように地図に書き込んでいったのだ。

 

撮影している中でも、何か問題が起こったら、毎回モーテルの壁一面に張り出された

地図に立ち返っていたという。

 

撮影すべき要点をまとめ、情報を整理した地図が当時25歳だったスピルバーグを支えたのだ。

 

私はこの音声解説を見ながら、自分のゾンビ映画作りにこの地図のやり方を活かしていった。自分の家の壁一面に今日撮るべきシーンをまとめた付箋を貼り、撮影プランをまとめた紙を貼り付けたのだ。

 

撮影が終わると同時にその付箋を剥がし、次はどのシーンを撮るべきなのか?

どういったシーンを撮るべきなのか? を考えていった。

 

私は常に全体像を見渡せるような壁紙を作っていった。

その効果もあり、撮影当日は以前よりもスムーズに進行できたと思う。

撮り忘れなどを減らし、要点をまとめながら撮影が進行できたのだ。

 

なんとか私は4ヶ月以上かけて約40分のゾンビ映画を撮り切ることができた。

途中、度重なる重圧と情報量で頭がパニックになり、死ぬかと思ったが、

「激突!」を撮った頃のスピルバーグがやっていた地図を参考にしながら、なんとか

撮影を終えることができたのだ。

 

 

私は「頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?」を読んでいたら、若き日のスピルバーグの姿を思い出していた。

彼は「10日間で撮り終えろ!」と言われ、早撮りするために、壁一面に地図を書き、撮影すべきシーンをまとめていったのだ。

パッと見ただけで全体像が一望できる地図を作っていったのだ。

それはマッキンゼーやボスコンで働くトップエリートたちが、度重なる情報から必要なものだけを取捨選択をして、すべてをパッと見ただけで情報を把握できる方眼ノートを大切に作っているのと同じなのだと思う。

 

トップクリエイターたちは、とにかく情報をまとめるのがうまいのだ。

それはコンサルや映画監督をはじめ、どのジャンルの人にも言えることだと思う。

 

情報を整理し、要点をまとめて、全体像を把握する。

それが世界に通じるコンテンツを作る鍵なのかもしれない。

私は多くの人を魅了するコンテンツを作れるクリエイターになりたいと思う。

そのためには、この本に書かれてあったように、情報を整理し、要点をまとめるノート作りを大切にしなければいけない。

そう思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書くことに悩んでいた私がクリント・イーストウッド監督の映画「ハドソン川の奇跡」を見て、毎日ブログ日記を始めた理由

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「書けない……」

それは今年に入ってからの最大の悩みだった。

去年の末からライティングの魅力に気づき、書くということにきちんと向き合い始めた私だが、どうしても毎日書いているとネタがなくなってくる。

 

家のパソコンの前で唸りながら、今週の締め切りの記事はどうしようかと考える毎日だ。

学生時代からインタビュー記事や書評は書いたことがあった。

しかし、その道で食べているプロ級のライターさんに混じって記事を書いていくのは、とてもハードな作業だった。

 

本当にプロレベルの記事が自分のフェイスブックのタイムラインに溢れているのだ。

クオリティが高すぎるのだ。

面白すぎる。

 

他人の文章を見ていくうちに、自分の記事のクオリティの低さを痛感し、私は書くことに自信を持てなくなってしまっていた。

 

自分のような空っぽな人間には書く才能がない。

書いても重みのないスカスカの文章だ……

 

そんな風な自己暗示にかかり、書くことがつらくなった時期もあった。

 

私はもともと本をまったく読めない子供だった。

親曰く、言葉を発するようになるのも遅かったらしい。

小学校の漢字の読み書きも覚えるのが遅かった。

 

明らかにプロ級のライターさんに比べたら、私は読解力も劣っていて、読書量も足りてなかった。

 

ほとんどの人は、好きな小説や本をきっかけに書くことに興味を持った方が多いと思う。

 

私の場合は違っていた。

映画をきっかけにして書くことに興味を持ったのだ。

 

 

「脚本なんて書けるわけがない」

 

高校生の時、私はそう思っていた。

その頃、帰宅部で暇な時間を持て余していた私は、ひたすら映画を見る毎日を過ごしていた。自分が入った高校は、現役東大生がクラスから10数人出てくるような進学校だった。

私は周囲のレベルについていけず、完全に落ちこぼれていたのだ。

 

「こいつらには勉強では勝てない」

 

そのことを早いうちから悟ったのだ。

東大や一橋に入り、社会のエリートコースを歩む人たちは高校の段階からすでに頭角を出している人が多かった。

自分のような凡人には、そんな天才肌の人たちに何をやっても勝てない。

どんなに努力しても、クラスにいた天才肌の人たちには勝てなかった。

彼らはテスト直前にちょろっと勉強するだけで、90点以上の点数を取れてしまうのだ。

私はというと一週間前から勉強しても60点しか取れなかった。

これは生まれつきのIQの問題もあるかもしれない。

本当にIQが高い人はいるのだ。宇宙人のような人間がいるのだ。

そんな人に対し、私のような凡人が立ち向かう術がなかった。

 

「勉強以外でこいつらに勝てるものを見つけなければ……」

私はそう直感的に思った。

そうしなければ劣等感を抱えていた自分のアイデンティティーを保てそうになかったのだ。

 

結局、私が選んだもの……

それは映画だった。

 

 

映画は子供の頃から大好きだった。

私が生まれ育った東京の調布市という環境は、ひと昔は「東洋のハリウッド」と呼ばれ、黒澤明などをはじめとした世界的な有名監督が撮影した、映画撮影所が密集している地帯だった。

自分の家の自転車で通える範囲内に4大撮影所のうち3つが集中していたのだ。

 

小学校の時には、撮影所の周りを見学し、私は映画の世界に思いを馳せていた。

そんな環境で生まれ育ったため、自然と映画に興味を持つようになったのだ。

 

それに私は文字の読み書きが極端に遅い子供だった。

本が全く読めなかったのだ。活字というものが苦手で、文字を追っていくと文章に酔ってきてしまうのだ。

映画なら映像だけで物事を表現してくれるので、頭の中に内容がす〜と入ってきた。

私は本を読めない代わりに映画の世界に夢中になったのだ。

 

「映画だけは誰にも負けないようにしよう」

そう思い、高校生の頃から私は浴びるように映画を見ていった。

大学生になると自主映画制作も始めた。

映画を作るためのインプットとしても映画を見るようになっていった。

 

アルフレッド・ヒッチコックスティーブン・スピルバーグジョン・フォード

デヴィッド・リーンなど巨匠が作った映画を見ては映画のことを研究していった。

 

映画は好きだったが苦手意識を持っていたものもあった。

 

それは脚本だ。

 

私は読み書きが苦手な子供だった。

だから脚本も書けるわけがないと思っていたのだ。

大学受験のセンター試験も国語の偏差値は40も行ってなかった気がする。

ほとんど数学などの理数系科目でカバーしたようなものだ。

 

ああだこうだ言っても脚本が書けないと自分の映画も作れないので、

私は図書館にこもって脚本関連の本を読み漁っていった。

 

歴代の朝ドラや宮藤官九郎の脚本を読み、自分なりの書き方を研究していった。

その時読んだ本には衝撃を受けた。

「SAVE THE CATの法則」という本だ。

ハリウッドの第一線で活躍しているプロのシナリオライターがまとめたヒット映画の

法則は私には衝撃的な内容だったのだ。

 

なぜ「タイタニック」に人々は涙するのか?

ダイ・ハード」がなぜあれだけヒットしたのか?

 

「バック・トゥザ・フューチャー」のヒットの法則など、目からウロコのような内容が書かれていたのだ。

私は夢中になってその本を読んでいった。

面白い。

面白すぎるのだ。

 

私は本に書かれてあった売れる脚本構造をもとにして、自分の映画を作っていった。

プロットをまとめ、友達に見せていく中で反応が良かったものを脚本としてまとめていったのだ。

 

実際に何時間もかけて脚本を書いているうちに自分はふと、あることに気づいた。

 

脚本が書けるのだ。

スラスラ書けるのだ。

 

ずっと脚本に苦手意識を持っていた。

読書が大っ嫌いで、作文もほとんど書けなかった。

そんな私だったが、脚本を書いているうちに、書くことが好きな自分を知ったのだ。

頭の中にあるイメージを紙の上にまとめていくのが好きだったのだ。

自分だけの物語が形になって現れてくる様がたまらなく好きだった。

 

私はそれから脚本を大量に書いては、自主映画作りにのめり込むようになっていった。

ゾンビ映画からヒーローの特撮映画まで撮った。

 

脚本を書いては撮って、また書いては撮るという生活を3年ほど続けた。

 

するとおかしなことに気づいた。

苦手だった本もスラスラ読めるようになっていたのだ。

脚本を書いて、自分の中のイメージを吐き出しているうちに、読解力が身についたのか

活字に抵抗がなくなったのだ。

 

私は書くことから多くのことを学んだと思う。

書くことを通じて、自分の身の回りの世界観が変わっていった。

 

大学を卒業して、就職に失敗し、転職活動などを経て、私には少し時間的な余裕ができた。

今のうちに書くということにきちんと向き合ってみよう。

そう思って私はとあるライティング講座に通ってみることにしたのだ。

 

通っているうちに私は打ちひしがれてしまった。

プロ級のライターさんが書いた記事があまりにも面白すぎて、自信をなくしてしまったのだ。

その講座にはありとあやゆる職業の方が集まっていた。

ナースから普通の会社員まで、多くの人が集まり、切磋琢磨してライティングに励んでいた。まるで現代によみがえったトキワ荘のような空間だった。

 

私は書くということに夢中になると同時に、恐くもなってしまった。

自分の才能のなさに気づくのが恐くなったのだ。

 

書けば書くほど、他人の目線が気になって身動きが取れなくなってしまった。

 

そんな時にふとクリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を見た。

2009年に起きたUSエアウェイズの不時着水事故は多くの人も知っていると思う。

 

離陸した直後にバードアタックをくらい、両エンジンが止まった飛行機は、機長の的確な判断によって、ハドソン川に無事着水できたのだ。

 

着水はとてつもなく危険な行為らしい。ほとんどの飛行機は着水に失敗し、多くの犠牲者を出していた。緊急の時しか認められないのだ。

 

USエアウェイズの不時着水事故では、乗客と乗組員全員が無事だったのだ。

機内にいた全員が無事生還したのだ。

人々はその出来事を「ハドソン川の奇跡」と呼んでいた。

 

私はその映画を見ていくうちにある言葉が気になっていた。

 

ある言葉とは。

 

「ヒューマンファクター」だ。

 

日本語にすると「人的要因」と訳される。

組織やシステムを安全に保つために人間側の要因も考えなければならないという意味で使われる言葉だ。

 

シミュレーションの結果、ハドソン川に不時着水しなくても、近辺にあった飛行場まで飛べたということが判明し、機長と副操縦士は裁判にかけられることになる。

 

その時にトム・ハンクス演じた機長が事故調査員に語ったのが

「ヒューマンファクター」という言葉だった。

 

バードアタックから着水までわずか200秒足らずだった。

一歩間違えれば、マンハッタンのビルの中に飛行機が突っ込むことになっていたのだ。

機長と副操縦士は近辺にある2つの飛行場に向かうことなく、独断でハドソン川に着水することを決断した。

 

決断までにかかった時間はわずか30秒。

事故調査員のシミュレーションでは、この30秒という「人的要因」が抜けていたのだ。

 

離陸直後の低い高度での、両エンジン停止という状態は想定されてなく訓練も受けていない。

想定外の事態に直面した時、機長は長年の勘と判断で、わずか30秒足らずでハドソン川に向かうことを決断をしたのだ。

 

(もしあの時、ハドソン川に向かず、近辺の飛行場に向かっていたら、マンハッタン島の真ん中で墜落していたことが後の調査ではわかってきた)

 

機長の何100回というフライト経験と長年の勘から出たとっさの判断だった。

職人技なのだ。

 

この映画を監督したクリント・イーストウッドもこの機長の職人技に惚れ込んで映画を監督したのかもしれない。

 

クリント・イーストウッド監督は「ハリウッド1の早撮り」と称されている。

撮影するスピードがとてつもなく早い。

1カット撮ったらすぐに次のシーンに行くため、ほとんど無駄がない。

 

それは現在86歳のクリント・イーストウッドだから成せる技だと言われている。

その道で60年以上現役で活躍しているため、照明やカメラの位置など全て把握できているのだ。まるで職人のよう映画を撮っていく。

 

長年の経験が積み重なり、どんなシーンが来ても素早くカメラ位置を固定し、撮影することができるのだ。

 

何回も失敗し、何度も挫折しそうになった長年の経験があって、やっと職人技の領域に達することができるのだ。

 

それはライティングにおいても通じることだと思った。

才能がある人は確かにいる。

特に努力してなくても、あっという間に小説家デビューし、プロの物書きになれる人もいる。

 

自分のような才能がない人間には到底かなわないことかもしれない。

しかし、ハドソン川への不時着を成功させた機長のように、何度も練習し、何度も挫折する中で蓄積された経験から、プロとしての職人の技が身につけられるのだと思う。

 

私はこれから書くということにきちんと向き合いたいと思う。

 

それなら書くしかないのだ。

書いて、書いて、書きまくるうちにその道のプロにきっとなれるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界を震撼させたエドワード・スノーデン事件のことを考えると、私はどうしても「キャプテン・アメリカ」のことを考えてしまう

 

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「世界を信じた、純粋な裏切り者」

彼はよく、こう称されていた。

米国最大の秘密を暴いた男。

彼のことを犯罪者と呼ぶ人もいれば、英雄と称する人もいる。

 

彼の名はエドワード・スノーデン

NSA(米国国家安全保障局)で勤務していた彼は、政府が国民を監視していたという事実をメディアで暴露し、大論争になったニュースは多くの人の目にも触れたと思う。

 

私もそのニュースは知っていた。

しかし、パッと身近な話題には思えなかったのだ。

政府が、人々の通話利用やインタネット利用状況を全て把握できるということに脅威を感じつつも、へ〜と思ってスルーしていた気がする。

 

政府が国民を監視できる状態。

それが危険なことなのか? これが人々が望む安全なのか? 

政府がやっていることは正義なのか?

 

それを国民に判断してほしいと思い、スノーデンはこの事実を暴露したという。

私はその問題に対し、きちんと考えてこなかった。

しかし、今の時代の正義と悪の問題をきちんと考えなければいけないと思わされた

一本の映画があったのだ。

それはあたかも子ども向けのコミックを手がけていたマーベルの作品だった。

 

 

アベンジャーズの続編でしょ!」

私はそんな思っていた。その映画はノーマークだった。

アメリカの正義を貫いた男「キャプテン・アメリカ」の最新作は当時、米国内で

大大大ヒットしていた。

アメコミ映画の傑作と称されていた。

 

私は正直に言うとアメコミ映画が大の苦手なのだ。

数年前にメガヒットした「スパイダーマン」も特殊能力を身につけた主人公に感情移入できず、物語から置いてけぼりにされてしまったことがある。

 

ウルトラマン」などの超人シリーズがどうも子供の頃から苦手なのだ。

こんな超人能力あるわけがない!

こんな人がいるわけない。

と子供のくせにそんな目線で映画を見ていたのを覚えている。

 

マーベルの最新作も同じようなものだと思っていた。

確かに「アイアンマン」や「アベンジャーズ」はめちゃくちゃ面白い。

 

「日本人よ! これが映画だ」

というキャッチコピーで日本人の心をワシ掴みにして、メガヒットしていた。

私も純粋に面白いと思った。

 

ヒーローが集結して一つの強大な敵に立ち向かっていく姿は純粋に燃えた。

アベンジャーズかっけえー」と思って映画を見ていた。

 

しかし、それの続きに当たる「キャプテン・アメリカ」シリーズはどうも見る気がしなかったのだ。

いつでも観れると思って、先のばしにしていた。

 

そんな時にふと、いつも楽しみにしている映画評論家の町山智浩さんのラジオを聴いていると、町山さんがやたらと声をあげて大絶賛している映画があった。

それが「キャプテン・アメリカ」の最新作だったのだ。

 

 

「こんな政治色が強い映画は見たことがない!」

町山さんはそう語っていた。

 

「アメコミ映画なんだけど、とても政治色が強いんです」

 

私は何のことかよくわからなかった。

あの「キャプテン・アメリカ」が政治色が強い?

子ども向けのエンターテイメント作品だろと思っていたのだ。

 

「映画全体が今のアメリカを象徴しているんです。オバマ政権の裏であったことを映画を使って痛烈に表現してて、見ててぶったまげました」

と語る町山さんの声に動かされて、私はその「キャプテン・アメリカ」の最新作を

ブルーレイで借りてみることにした。

その時はレンタルビデオ屋でも最新作扱いだった。

私は基本的に映画を借りる時は最新作のものを借りない。

数ヶ月すれば準新作扱いに降りて、値段が3分の2ほど安くなるからだ。

 

私はその町山さんが大絶賛していた映画を見てみることにしたのだ。

 

映画が始まる。

う?

この映画何なんだ?

 

誰が敵なんだ? と正直思ってしまった。

キャプテン・アメリカは悪の組織ではなく、なぜかアメリカ国家自体と戦っているのだ。

私は何だか壮大な物語に圧倒され、じ〜と見続けてしまった。

 

私は町山さんが問題としていた、とあるビルが映るシーンになった。

「あ!!!!」

 

本当だ。

あのビルが写っている。

世界を震撼させ、アメリカ国民が怒った政治スキャンダルが発生したビルがもろに画面に映っているのだ。

私はその瞬間、製作者の意図がわかった。

なぜ、こんなに善と悪の構造が複雑な映画を作ったのか?

子ども向けのエンターテイメント作品でなぜ、こんなにも高度な物語を作ったのか?

 

明らかにこの映画は「大統領の陰謀」をイメージして作られている。

あのウォーターゲート事件が起こったビルを映し出し、しかもキャプテン・アメリカが所属するグループのリーダーが「大統領の陰謀」で主演をしていたロバート・レッドフォードである。

 

 

キャプテンアメリカ」の最新作は、政府が国民を監視している事実を暴いたウォーターゲート事件を基にして作られているのだ。

 

しかも、この映画が公開されたのは2014年だが、その一年前にも世界を震撼させ、同じように政府の陰謀を暴いた重大事件が起こっていたのだ。

 

それがエドワード・スノーデン事件だった。

 

明らかに「キャプテンアメリカ」の最新作は、この二つの事件をモチーフにして映画が作られているのだ。

政府による国民の監視……その事実を知った時、キャプテン・アメリカがとった行動に

私は思わず唸らされてしまった。

 

どっちが正義で悪なのか?

そんな分かりやすい話ではないのだ。

 

町山さんはこう解説していた。

「これはオバマ政権の裏で起こった事実を基にして作られた映画なのです」と。

 

ブッシュ大統領の政策と反して、オバマ大統領は「戦争をしない政治」を心がけていた。実際にオバマ大統領の任期の間は一度もアメリカは戦争をしなかった。

 

しかし、その背後で多くの人々の命が犠牲になっていた。

テロリストと思われる人物をインターネットや携帯の通話記録からあぶり出し、

ドローンという無人偵察機で標的に接近して、ゲームのようにボタンひとつでミサイルを撃っていたという。

コンピューターの画面越しにテロリストを抹殺できていたのだ。

 

これはテロリストがテロを起こす前にする正当防衛だという声もあったが、

ドローンによる無人爆撃機の影響で、2000人近くの罪のない人も巻き沿いを食らっていて、行きすぎた正義だという声も多かったという。

 

テロリストがテロを起こすと数万人が犠牲になる。

しかし、テロを起こす前に無人爆撃機で抹殺すれば2000人の犠牲で済む。

何が正義で悪なのか? 

簡単に言える問題ではないと思う。

 

エドワード・スノーデンはテロリストと思われる人物をあぶり出すために全世界中の

個人情報を把握できるようなプログラムを作っていた。

これは行きすぎた正義なのか? それとも悪なのか? 

そのことを国民に問いたかったとTEDなのど公演で語っている。

自分がしてきたことに罪の意識を感じ、政府は正義を貫いているのか疑問を感じていたという。

 

キャプテン・アメリカ」の最新作もこの正義と悪の問題を描いた、とても政治色のある深い正義と悪の物語だったのだ。

 

国民の情報をすべて監視し、ピンポイントで爆撃が可能な巨大空母が稼働する前に、

キャプテン・アメリカは「これがアメリカ国家の正義なのか?」と感じ、国家に戦いを挑むことになる。

 

そこにあるのは正義なのか? 悪なのか?

そのことを問う映画なのだ。

 

ドストエフスキーが言ったように、善と悪は時代によって変わるのだ。

今の時代ではエドワード・スノーデンは国家に反逆した犯罪者という扱いになる。

ロシアに亡命し、アメリカに帰ってくることは難しいだろう。

 

しかし、数十年たったら、国家の陰謀を暴いた英雄という扱いになるのかもしれない。

 

キャプテン・アメリカ」も政府がしていることに疑問を感じ、戦いを挑むことになるのだが、彼は反逆罪扱いにされ、政府から追われる羽目になる。

 

私はこの「キャプテン・アメリカ」シリーズを見て、本当に度肝抜かれた。

現代の問題をここまで物語に込めた映画はあったのだろうか?

エンターテイメント作品を通じて、今現実に起こっている世界の問題をきちんと大人や子供達に問いかける映画なのだ。

 

とある文化人はこう言っていた。

「世界を変えていくのは宗教でも政治でもない。文化だ! 

今の大統領のことは数10年も経てば誰も覚えていない。だけど、ビートルズの曲は

100年後の人も聞いているだろう」

 

本当に世界を変えていくのは文化なのかもしれない。

 

最近、スノーデン事件を題材にした映画「スノーデン」が公開された。

間違いなく大傑作だと思う。

監督はあのオリバー・ストーン

できるだけ観客にわかりやすいように事実を追っていく構造になっている。

「スノーデン」も間違いなく現代社会に蔓延る個人情報の問題を描いた傑作映画だった。

しかし、それ以上にエンターテイメントを使って、現代に蔓延る正義と悪を問う深い

映画があるのだ。

 

キャプテン・アメリカ ウィンターソルジャー」

 

今の時代だからこそ、より多くの人が見なければいけない映画なのかもしれない。

情報が多様化して、何が正義で悪なのか判断がしづらい時代だからこそ、自分たちの頭できちんと考えなければいけないと思わされる映画なのだ。

メディア関係者の人ではなくても、是非一度はきちんと見てみて欲しい映画だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自己表現しなきゃという思いで苦しむのは、砂漠で塩水を飲むようなものだからです」と村上春樹は言った

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「今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現しなきゃという強迫観念に覆われているからです。それはある種の呪いです。そう簡単にできるものじゃありません。砂漠で塩水を飲むように、飲めば飲むほど喉が渇きます」

 

作家の村上春樹が言っていた言葉だ。

私はこの言葉に妙に打たれてしまった。

なぜなら私も自己表現しなきゃという思いで苦しんできた人だからである。

 

今、ツイッターフェイスブックなどのSNSが世界を覆っている。

多くの人がツイッターに投稿するために、あえておしゃれなカフェに行ったり、友達と飲みに行ったりする人も多い気がする。

自分はこんなでリア充な生活をしているとアピールしなきゃという強迫観念に近いものがあるのかもしれない。

 

私自身、ツイッターをやっていた頃、そんな強迫観念に突き動かされていた。

もっと自分を表現しなきゃ。

もっと私を見てくれ。

 

そんな強迫観念に踊らされていたのだ。

何も持っていない空っぽの自分が耐えられなかった。

自分は何か持っているはずだ。だから行動しなきゃ。

もっと自分を表現しなきゃという思いに駆られていたのだと思う。

 

しかし、村上春樹が言ったように自己表現はそんなにうまくできるものではない。

ツイッターに投稿するために、旅に出たり、変わった出来事を追い求めていくと……

空っぽな自分に嫌気がさしてくるものだ。

自己を表現すればするほど空っぽな自分に気づいてくるのだ。

中身がスカスカになってくる。

 

「書く」という行為もそんなところがあるのかもしれない。

私は今、毎日ブログ記事などを書くようにしているが、どうしても書くのがつらいと感じる時がある。

書けば書くほど、アイデアがスカスカになって、掘っても掘っても湧き出てこないのだ。

まるで砂漠で塩水を飲むように、すればするほど喉が乾く。

プロのブロガーさんは本当にすごいなと思う。

 

村上春樹は「書く」という行為は思った以上に体力が必要なため、毎日走っているという。

書くために走る。走るために書くという生活を30年近く続けている。

 

私は本当にそんな作家さんを尊敬している。

何10年も走り続けるかのごとく、書き続けるのはたとえ売れなくても、とんでもなく

凄いことだと思う。

 

私は大学生の頃から自己表現しなきゃという思いに苦しんできた。

自主映画を撮ったり、こうして記事を書いたり、何かものを作ることが好きなのは確かだが、つらくなることがあるのも事実だ。

 

なぜ、村上春樹はずっと書き続けることができるのか?

自己表現という呪いに苦しんできた私は常々そう疑問に思っていた。

 

 

「次の駅は千駄ヶ谷千駄ヶ谷

私はとある晴れた日に、千駄ヶ谷駅に降り立っていた。

新宿からわずか2駅の大都会の片隅にある街だが、思っていた以上にのほほんとしている。

近くに明治神宮があるためか、樹木に覆われた緑豊かな通りが続いている。

私は目的の場所まで歩いて行くことにした。

通りを歩いて行くと、若き日の村上春樹がジャズバーを経営していた場所が見えた。

今はもう別の店になっているが、20代の村上春樹はこの土地で暮らしていたのかと思うと、なんだか感慨深くなった。

その時、私は村上春樹ファンおなじみのとある神社を目指していた。

 

 

私が村上春樹に興味を持ったのは就活を終えた時期だった。

 

人に認められたい。

もっと自分は大きな会社に行けるはずだ。

自分はクリエイティブな何かを持っているという自己暗示にかられ、大手企業ばかり受けては、落とされていった。

テレビ局や大手広告代理店など、マスコミ中心に受けて行ったが、ほぼ全て落とされた。

なぜだ? なんで自分は受からないんだ!

自分の不甲斐なさに苦しむと同時に、私は雁字搦めになっていた。

そんな時にふと「ノルウェイの森」を読んだのだ。

 

なぜか家にずっと置いてあった「ノルウェイの森」。

赤と緑の装飾になっていてアンティークのような本だ。

私はこれまで何度もトライしてみたが「ノルウェイの森」が読めなかった。

中学や高校の時も試してみたが、独特の文体に酔ってきて、字を追うのが難しいのだ。

いつか読んでみようとは思っていたが、これまでずっと最後まで読み通すことができなかった。

 

しかし、不思議なことに就活を終えた段階になると、村上春樹独特の文体が心に染み渡るようになり、す〜と読めるようになったのだ。

 

自分が成長したせいなのか、なぜか読めるようになったのだ。

私はそれから村上文学にはまっていった。

「1Q84」「海辺のカフカ」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

初期の作品もほとんど読んだ。

 

就活で失敗し、社会というものの残酷さを知った時、私は村上春樹の小説が心に染み渡ったのだ。自己表現しなきゃと雁字搦めになっていた自分にとっては救いになるような小説だった。

 

 

私は村上春樹ファンおなじみの、千駄ヶ谷にある、とある神社にたどり着いた。

最近、人間関係や書くということに苦しむことがある時に、よくこの神社を訪れる。

神社の境内の中には平日の昼過ぎにもかかわらず、多くの人がいた。

 

仕事の合間の休憩に来ているサラリーマン。

子供を連れたお母さん。

家族で神社を訪れる人など、いろんな人がこの神社を訪れていた。

境内の近くにある公園で子供達が遊んでいた。

どこかしら子供達の遊び声が響き渡っている。

 

地域と密着したとても親しみの持てる神社なのだ。

私はこの神社に来るといつもほっこりとした気持ちになる。

中央にある大木を見ていると、なんだか心が落ち着いてくるのだ。

 

「僕の文学は千駄ヶ谷から始まった」

村上春樹はどこかの本で書いていた。

昔から千駄ヶ谷に残っているこの大木を眺めながら、何か感じることがあったのだろうか。

よくこの大木について本に書いてあった。

 

この神社に惚れ込んだ作家は他にもいた。

新海誠だ。

昔、千駄ヶ谷の近くに住んでいたらしく、よくこの神社を訪れていたという。

(映画「君の名は。」の滝くんが暮らしていたのも、千駄ヶ谷周辺だ)

 

会社勤めしながら、忙しい合間を縫って、深夜遅くまで一人アニメーションを作っていたという新海監督も、この大木を見て何か感じることがあったのだろうか。

 

この神社はありとあらゆるクリエイターを吸い寄せる不思議な魅力があるのかもしれない。人を惹きつけるパワースポットなのだ。

 

私はこの神社の境内に佇んでいると、心が洗われていくようで、すっきりとした心持ちになってくる。

地域と密着した、とても親しみの持てる場所なのだ。

まったく気取ってないのだ。

 

村上春樹の小説もこの神社のように、無理に気取ってなく、とても親しみの持てる小説のように感じる。

無理に自己表現しなきゃという思いにかられてない。

す〜と心に染み渡ってくるのだ。

 

気取らなくていい。

そんなことをこの神社は教えてくれる。

 

私は「書く」ということに悩んだら、最近よくこの神社を訪れるようになった。

自己表現しなきゃと思っていた自分を救ってくれた神社でもあるのだ。

 

確かに砂漠で塩水を飲むように、やればやるほどつらくなることもあるかもしれない。しかし、私はこの神社のように、親しみの持てる文章を書けるようになりたいと思う。

 

思い返せば、今日は村上春樹の新刊が発売になる日だ。

この千駄ヶ谷の神社に魅了された彼が書き上げた最新作は一体どんな小説なのか?

きっと、この神社のようにどこか親しみの持てる小説なのだろう。

 

今日の夜にでも買ってみるとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴッドファーザーpart3」を見て、思い込みに縛られていた自分の世界の見方が変わりました

 

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ゴッドファーザーはpart2までが傑作!」

私はそう思っていました。

 

どんな映画好きの人に聞いても

「part3はないわ〜」

ゴッドファーザーpart1とpart2は完璧! その次は微妙」

と言っていたのです。

ネット上の評価を見ても、part3だけは異常に評判が悪いのです。

 

あの松本人志もラジオで

「最近、ゴッドファーザーを見直したんだけど……part2までは完璧やな。

part3はないわ〜」と言っていました。

 

特定の年代層で映画通の方なら、まず間違いなく、子供の頃に「ゴッドファーザー」シリーズに心惹かれた人が多いかと思います。

 

私は大学の頃に「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」を見て衝撃を受けた一人です。

総合芸術である映画で、あれほどの人間ドラマに満ちた映画はないと思いました。

フランシス・フォード・コッポラ監督の才能の凄さにしびれました。

 

しかし、そんな中でも「ゴッドファーザーpart3」だけは見てなかったのです。

それだけは見る気がしませんでした。

 

なぜ、見てなかったかというと……

周囲の評判がすこぶる悪いからです。

前作がこけてしまい、しぶしぶ金のためにコッポラ監督がpart3を撮ったなどという

憶測が飛び交い、映画ファンからの評判は明らかにpart3は悪い。

 

私はpart3は見なくてもいいやと思っていました。

part3を見ても、あまりいいことはないと思って、躊躇していました。

 

ゴッドファーザーシリーズを見てから3年の月日が経った今……

とあるきっかけで「ゴッドファーザー」を全作品見直してみることにしたのです。

 

 

それはとある本屋に行った時です。

プロのライターでもある本屋の店主さんが「ゴッドファーザー」がすこぶる大好きで、一本の本を書き終えたら、エネルギーをチャージするかのごとく、ゴッドファーザー三部作を全部見直すそうなのです。

 

「寝るよりもゴッドファーザーを全部見直す方がいい!」

そう言っていました。

 

ゴッドファーザー好きの人の多くが、年に何回か三部作全てを見直すそうなのです。

ゴッドファーザーはビジネス書でもあり、人生の啓蒙書である」

そんな声を私は多く聞きました。

 

公開されて40年以上経った今でも、多くの人を魅了し続けるゴッドファーザーとは

何なんだ? と思い、私は三部作全て見てみることにしたのです。

 

まだ見ていないpart3まで全てレンタルして一気に見てみることにしました。

 

一本3時間半くらいの長編が三本あるので、土日の休みの日を使って、見ることにしました。長編映画なので一本見ると1日つぶれてしまいます。

 

それでも私は見なきゃと思ったのです。

自称映画オタクでもある自分がゴッドファーザーを全作品見ていないというのはどうかと思ったのです。

 

part1とpart2は文句なしの名作です。

特に無邪気な青年だったマイケルが初めて殺人を犯すシーンなど、映画史に残る名場面だと思います。

イタリアマフィアを通じて、深い深い人間愛を描いた作品でもあるのです。

 

私は約3年ぶりにゴッドファーザーの世界観に酔いつぶれて、その世界に浸っていると、問題のpart3にたどり着きました。

 

「つまらない……」と評判のpart3です。

 

たぶん寝るかもしれない。3時間無駄にするかもしれない。

そう思い、私は途中でブルーレイの再生を止める覚悟もしていました。

眠気が襲ってきたら、途中でも見るのをやめてしまおうと思っていたのです。

 

私はデッキにpart3のブルーレイを入れ、再生を始めました。

 

オープニングではあの有名なテーマソングが流れてきます。

「TheGodfather」というタイトルバックとともに映画が始まりました。

 

私はこのタイトルバックが好きでした。

傀儡の紐で引っ張られたタイトルの文字が浮かび上がってきて、社会を裏で動かしている人たちを暗示させています。

ゴッドファーザーシリーズは実話をもとに脚本が作られたと言われているので、怖いけどニューヨークのリトルイタリーの裏側ではこんな人間ドラマが毎日繰り返されているのでしょうか。

 

映画は毎度おなじみのパーティーの場面になりました。

コッポラ監督曰く、黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」を参考にしていったと言います。

華やかなパーティーを通じて、登場人物の姿を全て説明していく表現は毎度のことお見事です。

改めて世界の黒澤明の影響力の凄さを身に染みて感じるとともに、この映画も社会を裏であらつる悪い奴の話だな〜と思っていると、物語はどんどん展開していきました。

 

私はあることに気づきました。

あることに……

 

3年近く気づくことなかった、あることに気づいたのです。

 

それは自分は「ゴッドファーザーpart3」を一番面白がって見ていることでした。

正直に言うと……全三部作見た中でpart3が一番面白いと感じました。

 

自分の感性が間違っているのかもしれません。

しかし、私はpart3の登場人物たちが一番魅力的に思えたのです。

 

世界を動かすまでの力を手に入れたマイケルは、金や権力で世の中を動かしていきます。

頂点までたどり着いた彼は、結局のところ……悲劇な結末が待っているのです。

トップに立とうが、底辺で暮らそうが、その人自身の価値観の問題なんだなと思いました。

 

社会は目に見えない階級で区切られていると思います。

年収が1000万を超える仕事についている人もいれば、そうでない人もいます。

 

肩書きという名の予防線を求めて、学生はみんな高学歴な大学を目指します。

早稲田や慶応を出た方が、年収1000万を超えるような仕事につける可能性が高いからです。

 

偏差値が高い大学ほど、豊かな人生を送れる。

人の上に立って、エリートの道を歩める。

そう私も思っていました。

 

しかし、社会に出ていろんな挫折を味わい、多くの経験を積んでいく中で、私は思いました。

「人生を楽しんでいる人ほど、肩書きに縛られていない」と。

 

就活を終えた学生のほとんどが、

「あいつ出版社受かったから仲良くしたほうがいい」

「テレビ局受かった人見かけたよ。学生のうちから仲良くなっておこう」

と言って、突然、内定が出た会社名で人を判断し、接するようになっていきます。

 

今まで、普通に接していた人でも、会社名という肩書きで人を見るようになるのです。

 

「あいつ博報堂受かったから、今のうちから仲良くしたほうがいい」

と今まで、特に親しくなかった人でも、突然話しかけるようになるのです。

 

私はそんな就活を終えた学生に一言言ってみたい。

「そんなことをしても意味がない」と。

 

民放キー局に受かろうが、どんな大手企業に受かろうが20代で会社を動かすような仕事をできるようになることはまずありえないと思います。

博報堂電通と言っても社員が7000人いるのです。

その中で働くようになったら、大学の中ではスーパーエリートでも、会社の中でも優秀な人とは限りません。

 

受かった会社名のブランドに惹かれて、今から人脈を作ろうと無理に仲良くする時間があったら、旅に出るなり自分の好きなことをした方がいいと思います。

 

楽しく生き、人の上に立つような人間は、肩書きなどで人を見たりしないのです。

自分のやりたいことをやっているだけなのです。

 

私自身、周囲の情報に踊らされて、肩書きを追い求めて生きていました。

大学受験では自分の偏差値を低さを無視して、早稲田や慶応など有名大学ばかり受けていました。

就活試験でも、大手企業ばかり受けて、肩書きを追い求めていました。

「あいつ、あの企業に入ったんだよ」

「やっぱり、すげーな」

と大学の同級生から言われたかっただけだと思います。

 

肩書きという名の鎧の下には何があるのでしょうか?

 

私は周囲の情報に踊らされて、肩書きを追い求めていた自分を

ゴッドファーザーpart3」を見ているうちに思い出しました。

 

トップに立とうが、どんな生き方をしようが、自分自身の問題なのかもしれません。

肩書きに縛られ、エリートの道を進むのが幸せだという人もいれば、

田舎で農業をやることが幸せだという人もいます。

 

世界を動かすまでの頂点に立ったマイケルは、最後悲惨な結末を迎えます。

私は肩書きに縛られて生きてきた可哀想な人間の最後を表現しているように思いました。

 

周囲の情報に踊らされた思い込みがこの世界にどれだけあるのでしょうか?

 

肩書きに守られている間は安心だという思い込みが日本の社会を覆っているような気がしています。

現実は高度経済成長が止まった今、肩書きに縛られていても会社は守ってくれません。

大手企業でも経営が赤字になったらどうなるかわかりません。

 

私は常に周囲の情報に踊らされて生きてきました。

思い込みだけで世界を見ていたのです。

 

ゴッドファーザーpart3」ではそんな人間の哀れさなどを表現していたと思います。

頂点に立った人間でも、最後は哀れな結末を迎えます。

世界を動かすまでの権力を握ったマイケルも、所詮ただの一人の人間だったのです。

ゴッドファーザーという肩書きの下には、ただの哀れな人がいただけなのです。

 

ゴッドファーザー」三部作は映画史に残る名作であるのは確かだと思います。

 

私は周囲の情報に惑わされた思い込みから、part3はつまらないと思っていました。

しかし、実際のところはそんなことないと思います。

もちろん人によって感じ方も違ってくると思いますが、自分は三作品の中でpart3が

一番好きでした。

 

思い込みで判断するのではなく、自分の価値観で物事をみようと思ったのです。

人生においても思い込みからくる肩書きなど忘れて、自分の価値観で人をみようと思いました。

 

自分にとって「ゴッドファーザーpart3」は、肩書きで物事を判断していた自分を戒める映画でもあったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ADをやりながら狂ったように書評を書いていると、「かくかくしかじか」の東村アキコが漫画家として売れた理由もわかった

 

 

村上隆から記事がシェアされているよ」

つい最近、このような連絡が私のところに来た。

 

私は驚いた。

村上隆? あの世界的なアーティストの人か?

 

どうやら私が昔書いた村上隆さんの本についての書評記事が本人の目に留まり、記事をシェアしてくれていたようだ。

 

世界的なアーティストが記事をシェアしたので、PV数は急速に伸びていた。

村上隆さん曰く、記事に載っている美女の姿に惚れて、シェアしてくれていたようだが……

私はそれでも嬉しかった。少しでも世界的なアーティストの目に私が書いた記事が目に留まってくれただけで嬉しかったのだ。

記事には村上隆さんの本を持った美女が写っているが、本人はその写真を見て

モテキが来た!!!!」と喜んでいるようだった。

 

私は笑ってしまったが、それでも嬉しかったのだ。

あの頃、暗闇の中でもがいていた自分が救われたかのように思えたのだ。

度重なる残業の中、貴重な睡眠時間を削ってまで書いていた記事が巡るにめぐって

ノルウェーにいる村上隆さん本人の目に届いたのだ。

 

私はその記事を書いていた頃のことを思い出していた。

ADをやりながら死に物狂いで記事を書いていたあの頃を……

 

私が新卒で入った会社はとあるテレビ番組制作会社だった。

子供の頃から映画が好きで、大学時代は映画ばかりを見て、自主映画を作りまくっていた。

7本の自主映画を作った。その中には約4ヶ月以上かけた70分の長編映画もあった。

映画を作るのは自主映画制作でもとても大変だった。

撮影スタッフだけで、カメラ、照明、音声、編集と少なくとも5人以上集めなければならない。それに加え、役者やエキストラの数を含めたらどんなに短い映画でも10人以上の協力が欠かせない。

 

私は映画作りがたまらなく好きだったのだと思う。

多くの人と関わりながら自分の頭の中にあるイメージを形にしていくのがたまらなく

好きだったのだ。

 

人とのコミュニケーションが苦手だった私だが、映画を作っている時だけはきちんと人と接せられた。映画を作らないと溺れて死んでしまうんじゃないかというくらい、映画の世界にのめり込んでいったのだ。

 

大学時代、授業をサボっては図書館にこもって映画ばかりを見ていた。

年間350本以上の映画を見ていたと思う。

今思うと、だいぶ気持ち悪い。

 

一介の映画人になったかのように映画を見て、人々を魅了するコンテンツについて研究していったのだ。図書館にこもり、脚本についての本を読み漁っては、破綻した脚本ばかりを書いて、友達に反応をうかがっていたのだ。

 

ものを作る人でいたい。

私はその思うようになっていた。

 

しかし、就職活動の時期になると、私は社会の荒波に巻き込まれ、何がしたいのかわからなくなってしまった。

今までずっと飲んで遊んでばかりいた人たちが、いきなりスーツを着て敬語を喋りだすようになるのだ。日本の就活に嫌悪感を抱くとともに、私は流れに巻き込まれるかのようにして就活をすることにした。

ノマドワーカーやフリーランスといった自由に働ける仕事に就こう! という風潮があったが、何も持ってない私がフリーランスとして食っていける自信がなかったのだ。

 

どこに向かえばいいのかわからず、仕方なく就活していたと思う。

学生時代に死ぬほど映像制作をしていたので、そっちの分野の会社も受けてみた。

テレビ局から広告代理店、映画会社までマスコミ関連の企業を30社以上受けまくった。

 

ほぼ全て落ちた。

 

なぜだ! なんで自分は落ちるんだ。

大学時代は誰よりも努力していたつもりだった。

誰よりも映画を見て、人を魅了する脚本構造やコンテンツについて勉強していたつもりだった。

しかし、そんな知識は大手の映画会社は求めていなかった。

 

大学の同級生は次々と大手企業に就職していった。

 

なんであいつらは受かって、私は落ちるのか?

そのことで随分悩んだ。

 

選ばれる人と選ばれない人との違いは何なのだろうか?

 

私は結局、たまたま受けたテレビ制作会社に内定をいただき、就活を終えることはできた。

しかし、釈然としない自分がいた。

このままでいいのかと思い悩んだ。

 

結局、社会のレールに乗っかり、私は就職することにした。

自分が入ったテレビ業界は思った以上に過酷な世界だった。

度重なる残業、深夜まで続くテープの編集作業に私の精神はおかしくなっていた。

こんなはずじゃなかった。そう思えて仕方がなかった。

 

会社の窓から見える六本木ヒルズを眺めては、あそこで働いている人たちのことを想像していた。ヒルズで働いている人は選ばれた人たちなのだ。

きっと彼らの年収は1000万を超えているだろう。

それに比べ、選ばれなかった私はこうして深夜まで続く残業に耐えながら、

地べたに寝そべっているのだ。床で寝るしかないのだ。

 

私は深夜、光り輝く六本木ヒルズを見ているうちに悲しくなってしまった。

なぜ、自分は選ばれなかったのか……

あの時、面接官に「君面白いね!」と気に入られれば、テレビ局やら映画会社に入って、楽しくバリバリ仕事をしていたのかもしれない。そういう人生が待っていたのかもしれない。

そう思い、やりきれない気持ちでいっぱいだった。

 

その頃、私は一寸の光を求めるかのように書評記事を書いていた。

大学時代からインタビュー記事の執筆などを友人に頼まれ、書いたことはあった。

書評メディアを新しく作るからライターとしてものを書いてくれと頼まれたのだ。

 

私は学生時代にも書いてはいたが、社会人になってからも「本の書評記事を書きたい」と編集長に頼んで書かせてもらうことにしたのだ。

書くといっても時間は本当になかった。

平均睡眠時間は30分くらいの時もあった。4日家に帰れなかった。

 

人間しっかりと睡眠時間が取れないと頭がおかしくなるものだ。

常に立ちくらみがして、私の体重は2ヶ月で8キロも減少していた。

 

それでも私は貴重な睡眠時間を削り、毎日寝る前の10分を使って記事を書いていった。

本は始発の電車の中で読んでいた。眠気に耐えながら本をかじるように読んでいたのを覚えている。

 

書かなきゃ!

そう思っていたのだ。

ほとんど寝ながら書いていたかもしれない。

それでも書かなきゃ! と思ったのだ。

 

何かにとりつかれたかのように私は記事を書いていたのだと思う。

気が狂うようにしてものを書いていた。

 

その時書いていたのが、村上隆の本についての書評記事だった。

切羽詰った状況の中、名もなきADが書いた文章が世界的なアーティストの目に触れた。私はそのことがとても嬉しかった。

 

それと同時に私はなぜ、あの時書いた記事が本人の目まで届いたのか不思議だった。

 

私は結局、会社を辞める決断をしてしまった。今になってADをやっていた頃に寝る間を惜しんで書いていた記事を見直すと、なぜこれがバズったのかよくわからなかった。

当時はライティングの勉強もしていなく、文の構成も無茶苦茶なのだ。

 

なぜ、あの時書いた記事はバズって本人のところに届いたのだろう?

 

その答えが最近「かくかくしかじか」という漫画を読んでわかった。

 

「とにかく書け!」

と私のライティングの師匠のような人からこう言われた。

 

毎日2000字の記事は書こうと決めて、2017年になってから毎日書き続けていたのだが、どうしてもネタのストックが足りず、書き続けるのがつらくなってしまった

時期があった。

書けないという悩みを師匠に相談してみたら

「書く量が足りてないから書けないんだ。倍の量を書け! 自分は20代の時、1日に1万6千字を書いていたよ」

と言われた。

 

1万6千字……

原稿用紙40枚分だ……

 

師匠の凄さに圧倒されると同時にもっと書かなきゃと私は思ったのだった。

 

その頃に東村アキコの「かくかくしかじか」という漫画を私は読んだ。

東村アキコの漫画はよくドラマや映画にもなっている。

売れっ子作家の一人だ。

そんな東村アキコが10代の頃に出会った絵の師匠の「先生」との交流を描いたのが

「かくかくしかじか」という漫画だった。

先生はジャージを着て、竹刀片手に絵画教室にくる生徒をビシバシ叩いていたという。

 

東村アキコ曰く、全くの実話だという。

絵の先生なのにジャージ着て竹刀を持って特訓されたという。

 

絵が描ける人間を育てるという先生の熱意が届いたのか、弟子の東村アキコはあっという間に売れっ子漫画家の一人になった。

しかし、すぐにデビューできたわけではなかった。

24歳までずっとOLをしていたのだ。

毎日、会社にかかってくる電話を取っていると

「なんで私はこんなところにいるんだ! 漫画家になるんじゃなかったのか!」

と思うようになり、深夜まで一人家で黙々と漫画を描くようになったのだ。

 

「パッションで描け!!!!」

と定規も引かずに漫画を書きまくったらしい。

それが編集者の目に留まり、漫画家としてデビューすることになったのだ。

 

私もテレビ制作会社で働いていた時はパッションで書いたのかもしれない。

人間切羽詰った状況に追い込まれると異様な「熱意」が発生するものだ。

私はあの頃「熱意」を込めて記事を書いていたのか……

 

それが巡るにめぐって村上隆本人の元に届いたのだ。

東村アキコも、もし美術大学を卒業して、普通のOLをやらなかったら漫画家になることもなかったのかもしれない。極限状態に追い込まれず、何も行動をしなかったのかもしれない。

極限状態に追い込まれて初めて漫画を描くようになったのだ。

 

私もADをやりながら狂ったように記事を書いていた頃の感じを忘れてはいけないのだと思う。

あの頃はただの地獄だった。暗闇の中をもがき苦しみながら歩いていた。

だけど、今思い返すとその時の経験が今の自分を作っているのだ。

 

私はこれからも書き続けるつもりだ。

「かくかくしかじか」のような物語を作れるようになるまで。

 

 

 

 

 

 

 

マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」を見て、落語家の立川談志師匠が言っていた言葉を思い出した

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「沈黙だけは絶対に観に行きたい」

とある映画好きの集まりに参加した際、多くの人がこう言っていた。

 

「今年最初の映画は沈黙がいい」

「絶対に観に行きたい」

映画通の人ほどマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」に期待しているようだった。

「あの予告編みたらすぐ観に行きたくなったんだよ」

と多くの人が予告編の出来の良さを褒めただえていたのだ。

 

私は正直いうと「沈黙」にそこまで期待しているわけではなかった。

マーティン・スコセッシ監督の映画はほとんど見ていた。

タクシードライバー」や「ウルフ・オブ・ウォールストリート」までほぼ全作品見ていたのだ。

個人的には「レイジングブル」が一番好きだ。

 

大好きな監督であるのは間違いないのだが、どこか自分の価値観と合わない気がしているのも事実だった。

 

自分はスティーブン・スピルバーグの「ジュラシックパーク」のように、

王道の映画が好きなところがある。大衆向きの映画が好きなのだ。

マーティン・スコセッシ監督の映画はどっちかというと芸術系の映画だ。

深い人間ドラマを描いた映画が多いのだ。

 

もちろん、私もマーティン・スコセッシ監督の映画は大好きだったが、芸術に対する感性が疎い私には少し遠い世界にいる映画監督のように感じている部分もあった。

 

いつも登場人物に感情移入しづらいのだ。

たいていの主人公はいつもブチ切れている。

(たぶん、スコセッシ自体がそう言う人なのだと思う)

深い人間ドラマを描く人だが、どうしても自分の価値観と合わない気がしていたのだ。

 

 

「どうしても沈黙は見てみたい」

多くの映画好きの人がそう言っていたので、私は予告編をもう一度しっかり見てみることにした。

 

「おおお……」

と思った。

 

それは公開前のロングバージョンの予告編だった。

私が以前に見ていた「沈黙」の予告編は短いバージョンだった。

短いバージョンは正直、そこまで心を動かされなかった

しかし、今回見たロングバージョンの「沈黙」の予告編に私はかなり心を動かされてしまった。

窪塚洋介の演技力や人間の深さを描いた名作のような気がしたのだ。

「踏み絵」を拒んだ人々を焼くシーンなど心にぐさっと刺さる描写があった。

 

すごい、深い話だ……

と思った。

 

窪塚洋介など多くの日本人俳優が起用されたということで話題になっていた沈黙。

私は公開されて3日後に見に行ってみることにした。

 

日曜日の昼だったせいもあって、映画館は満杯だった。

どこの席も埋まっているのである。

私は前日にチケット予約しておいてよかったなと思いながら、席につき、上映が始まるのを待っていた。

周囲を見渡してみると明らかに年配の方が多かった気がする。

ほとんどが30代以上の人だった。

20代の人はほとんどいなかったと思う。

 

やはり、マーティン・スコセッシの映画となると年配の方に人気なのかなと思った。

君の名は。」の時は、10代から20代でいっぱいだったのに……

 

上映が始まる。

スクリーンが暗くなると同時に、鳥のさえずりが聞こえてきた。

自然の音が聞こえてくるのだ。

スクリーンに映し出されている暗闇の中、音に耳をすましていると、いつの間にか物語が始まっていた。

 

映画を見ている間、どこか自然の中に放り込まれた感覚があった。

日本人が古来から自然とともに生きた民族と言われている。

自然の中に神を崇めていたのだ。

その精神を監督はしっかりと理解し、表現しようとしていたのかもしれない。

 

私は自然の中に放り込まれながら、その映画を見ていたと思う。

大自然と共に暮らす日本人の祖先はこんな暮らしをしていたのか……

そして、宗教というものに疎い、日本人は新たに入ってきたキリスト教に対し、こんな仕打ちをしたのか……と思いながら映画を見ていた。

 

 

映画が終わると私は呆然としてしまった。

エンドロールに流れる鳥のさえずりに耳をすませながら、私は自然の中に身を委ねていたのかもしれない。

映画が終わる。

席を立ち上がると私は思わず、立ちくらみがした。

 

ものすごい集中力でこの映画を見てしまったのだ。

あまりにも深い内容で私の器では理解しきれなかったのだ。

 

人間の信仰とは何か?

人間の営みとは何か?

 

人として生きていく中で、信じるものについての深い、深い物語りだったのだ。

 

正直に言うと……

今の私では理解しきれなかった。

 

どうしても感覚的に理解しきれない部分が多かったのだ。

キリスト教圏に疎い私には、欧米人が抱えている宗教への問いを理解することができなかったのだ。

まだ、理解することができなかったと言った方がいいかもしれない。

もっと社会に出て、いろんな挫折や経験をしてからこの映画を見直すと、

また新たな感性で見ることができるかもしれないと思った。

 

それほどまでに深い内容の映画だったのだ。

今の私には手に負えない……

そう思ってしまった。

 

私は「沈黙」の内容をもっと深く知りたいと思い、映画ならこの人にお任せの

町山智浩さんの解説を聞いて、もっと「沈黙」について深く考えることにした。

自分の力だけでは、映画を理解することができなかったのだ。

私のように宗教という問題に疎い人間には、深い人間ドラマを理解しきれなかったのだ。

 

私は映画評論家の町山智浩さんの解説を聞き、この映画が作られた背景がわかってきた。

 

そうだったのか……

マーティン・スコセッシはそういうことを描きたかったのか。

 

スコセッシ監督は子供の頃、カトリックの神父になろうと神学校に進学しようと考えていたらしい。しかし、試験に落ちてしまうのだ。

15歳のスコセッシ監督には人間の性欲や欲望を全て捨てて、神に仕えることができなかったという。

 

普通、15歳くらいの男の子だったら女性に興味を持つだろう。

しかし、神に仕えようと思ったらその欲望も捨てなければならない。

 

スコセッシ監督は自分の性欲と神への信仰心に板ばさみにされ、悩み苦しんだという。

女性に興味を持ってしまう自分に気付くたびに、教会へ懺悔しに行っていたらしい。

結局、神学校に進むことができず、大好きだった映画の道を歩むことにする。

 

原作者の遠藤周作も同じような人なのだ。

カトリックを信仰しようとするも酒好きの影響であまりきちんと信仰できなかったという。

そして、彼は長崎で、キリストが描かれた「踏み絵」を踏むことを拒み、死んでいった

殉教者たちの話を聞き、どうしても彼らを神に仕えた高貴な人とは思えなかったという。

 

生きていたいという誘惑に負け、「踏み絵」を踏んだ人を救いたいと思ったのだ。

人間はそんなに強い生き物じゃない。弱い生き物だ。

人間の弱さを描き、弱さに負けてしまった人々を救いたいと考えたのだった。

 

映画「沈黙」は「人間の弱さとは何か?」という問いを描いた映画なのだと思う。

 

ものすごく深い内容なのだ。

宗教的な映画のように感じていたが、宗教を超えて、それ以上に

もっと深い内容の映画なのだと思う。

 

私は町山智浩さんの解説を聞いてあることを思い出していた。

自分の弱さに苦しみ、もがいていた頃、私は立川談志師匠の落語に興味を持ったことを……

 

 

 

 

「落語とは人間の業の肯定である。覚えてときな!」

立川談志は弟子に向かってこう語っていたという。

 

忠臣蔵は47人の家来が敵討ちに行って、主君の無念を晴らす物語だ。しかし、当時赤穂藩には300人以上の家来がいたんだ。253人は怖くなって、どこかに逃げちゃったんだな。普通だったら、敵討ちに行った47人の美談を人々は語るだろうよ。

だけどな、人間はそんなに強い生き物じゃないんだ。弱い生き物なんだ。

落語はそんな逃げちゃった253人の家来を主人公にする」

 

私は新卒で入った会社を辞め、世の中をさまよい歩いていた時に立川談志のこの言葉を聞いた。

勤勉に生きること。汗水垂らして働くこと……それが良しとされる中で私は生きていたと思う。「会社に入ったら3年は働け」という教えもあった。

しかし、私は新卒で入ったテレビ番組制作会社を数ヶ月で辞めてしまったのだ。

あまりにもブラックだったこともあり、辞めると言った記憶がないほどノイローゼになっていた。1日30分しか寝れなかったのだ。

同期の中では過酷な労働環境にも耐えて、頑張っている人もいた。

 

しかし、私は逃げてしまった。

自分の弱さに負けてしまったのだ。

 

そんな時に立川談志の落語に出会った。

 

「人間は寝たい時には寝ちゃダメだとわかってても、つい寝てしまう。酒を飲みたい時には、いけないとわかっていてもついつい飲んでしまう。宿題を早くやればいいものも、ついサボってしまう。先生は努力が大切だというが、努力しても皆偉くなるなら誰も苦労しない。落語はそんな弱い人間を認めてあげるんだ。

落語とは、人間の業の肯定である。覚えときな!」

 

その言葉を聞いた時、私は感動してしまった。

自分の弱さを痛感し、浮足立ってさまよい歩いていた自分をどれだけ救ってくれたことか。

 

学校の先生は、努力することが大切だ、清く、正しく、生きることが大切だというが、

世の中に出たら努力ではどうにもならない現実にぶち当たることがよくある。

 

そんな時に、それでもいいんだと思えるようなものが人には必要な気がするのだ。

 

映画「沈黙」も人間の業というものを肯定してあげる物語だったと思う。

 

生きていたいという誘惑に負け、「踏み絵」を踏んでしまった人たちが主人公の物語なのだ。

きっと彼らは自分の弱さに苦しみ、生きている間ずっと、自分の罪の意識に苛まれていただろう。

そんな自分の弱さに苦しみ、もがいている人々を救ってあげる物語でもあるのだ。

 

私は10年ぐらいたったら、もう一度「沈黙」を見直してみたいと思う。

その時、この映画を見て自分はどう感じるのだろう?

人間の弱さを描いたこの映画を見てどう感じるのだろうか?

 

私は会社を辞め、もがき苦しみながらもこうして何とかやってきた。

ライティングというものに出会い、このように毎日文章を書いているのだが、

今もなお自分の弱さにもがき苦しんでいる人が世の中にはたくさんいると思う。

 

そんな人たちには映画「沈黙」はある種の救いになるのかもしれない。

自分の弱さを認めてくれる存在になるのかもしれない。

 

私はいつか、そんな人の弱さを肯定してあげるような深い人間ドラマを描くことができたらなと思っている。