ライティング・ハイ

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2年半ぶりにインドを歩いて、ふと湧いてきたあの感覚  

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大学4年の時、インドに一人旅に行ったことがあった。

 

学生生活最後の休みとなると、人生の有給休暇と称される日本の大学生は、

「今しか学生を謳歌できない」

「今しか長期に海外旅行に行けない」

と思って、欧米だったり、アメリカだったりと友達と一緒に卒業旅行に行くものだ。

 

自分もなんだかんだ荒れるに荒れていた就職活動も終わり、最後の休みにどこか旅行に行こうと友達に誘われたりしていた。

 

だけど、そんなときは決まってこう答えていた。

「いや、俺は一人でインドに行くことにしたから、ちょっと無理だ」

 

周囲の人にキョトンとされた。

「え? なんでインドに行くの。しかも一人で!」

 

自分でも不思議なのだが、その当時の自分はなぜか

「インドに行かなければいけない!」と強迫観念的に思っていて、

就活が終わって、時間があくと、図書館にこもってインドについて調べていたりした。

インドのバックパッカー本とか伝説の旅行記「深夜特急」などを読んで、

「よしインドに行こう」と心に決め、海外旅行なんてほぼしたことがないのに、

インド行きの飛行機を買ってしまったのだ。

 

インドはカースト制度や宗教が根深くある不思議な国である。

特に自分は宗教や神秘的なものに興味がある方ではないが、

なぜかインドの奥深くにあるものに惹かれていた。

 

インドについて調べれば、調べるほど、なんかいろいろ悪い噂が見つかってくる。

女性が毎日のようにレイプ被害にあっているらしい……

街がめちゃくちゃ汚いらしい……

インドに行く観光客のほとんどが下痢をして、自国に戻っても一生治らない得体の知らない病原菌に感染するらしい……

普通に道の真中におじさんの遺体が転がっているらしい……

 

などなど、日本で検索していると

「この国に行っても大丈夫なのか?」

と思うような情報ばかり目に入ってくる。

 

「もうどうにでもなれ!」

そう思って、大学生だった自分は一人インドに飛び込むことにした。

 

初めてインドに行った時、自分はまだ社会人でもなく、22歳の世の中を知らない小僧だったこともあり、インドの街で見た光景があまりのも強烈すぎた。

 

バラナシの路地裏を歩いてゲストハウスに戻ろうとしても、

道の真中に牛がたむろっているわ、オレンジ色のお坊さんが大量に現れるわ、

野犬がいるわ、遅い夜道をバイクが爆走しているわ、牛の糞が転がっているわで、

日本の常識が一切通用しない環境にたじろいでしまった。

 

強烈なカルチャーショックにインドの旅に疲れを感じていた頃、とある日本人の尼さんと出会った。

 

そこは観光地である聖地バラナシから少し離れたサルナートという場所だった。

悟りを開いた仏陀が、教えを弟子たちに説いた場所と言われており、仏教発祥の地とされている。

 

朝から晩までクラクションが鳴り響く、騒がしいインドの街の外れに、その日本寺があった。

お寺の正門を入った瞬間、はっとするような感覚というか、一気に静寂に包まれる感じがしたのを今でも覚えている。

 

強烈なインド体験で旅疲れしていた私は、なんの縁かでそのお寺にたどり着き、

そこのお寺の尼さんにとてもお世話になった。

 

その方は日本とインドを行き来している、日本寺の住職さんだという。

少しの間だが、お話をさせて頂いたのだが、その人柄というか、とても優しい方で、私は夢中になっていろんなことをお話させて頂いた。

 

インドの旅から2年半近く経つが、そのサルナートに住む日本寺の住職さんのことがどうしても忘れられなかった。

 

社会に出て、いろんなことを経験する中で、もう一度インドに行ったらどんなことを感じるのだろう。そして、もう一度、住職さんにお会いしたいと思い、お盆休みを利用して、再びインドに飛び込むことにした。

 

二度目のインドである。

同じ国、同じ場所に2回来るのだから、相当私はインドが馴染んでいるのか……

 

空港から出た瞬間、鼻に感じるインド独特の匂いに懐かしさを感じつつ、

ヒンドゥー教の聖地バラナシに再び向かうことにした。

 

学生の頃はデリーからバラナシまで24時間近くかけて電車で移動していたが、

(そのうち8時間近くは荒野のど真ん中で停車する謎の遅延だった……)

今回は社会人ということもあり、短期間しか時間がなかったため、飛行機で移動することにした。

電車だと尋常じゃないくらい長く感じたデリー〜バラナシ間だが、飛行機だと1時間ほどであっという間に着いてしまう。

 

バラナシのゲストハウスで何泊かした後、思い出深いサルナートに向かうことにした。

人混みと牛で溢れかえっているバラナシからリキシャーで1時間半ほどで、その場所にたどり着いた。

リキシャーのおっちゃんに「日本寺」に行きたいというと、親切にもお寺の真ん前で降ろしてくれた。

 

2年半ぶりに見た日本寺は、やはりその場所では周囲の騒がしさから外れ、静寂に包まれていた。

 

以前に来た時は小さかったお寺の管理人の子どもたちは、すっかり大きくなっていた。

「こんにちは」

と日本の管理人の方に挨拶をし、住職さんはいらっしゃらないかと伺ったところ、今はちょうど日本に帰国してしまっているという。

聞いたところによると住職さんは最近、猛烈に忙しく、インドと日本を行ったり、来たりしているという。

 

「せっかくこんなところまで来ていただいたのに、申し訳ない」

 

私は残念に思いつつも

「ま、いつかまた会えるときに会えるか」と思うことにした。

 

せっかく来たことだし、参拝しようと思い、祀られている神様に参拝することにした。

お賽銭を入れて、手を合わせた。

頭の中では何も考えなかった。

だけど、自然と「旅で出会った人たちが無事、幸せでありますように」

と心の声でつぶやいていた。

 

自分でも驚いた。

日本でお参りするときなどは、決まって自分のことばかりをお祈りしたりしていたのだが、なぜかこの時は、自分の周りで出会った人たちのことを思って、

祈りしていたのだ。

 

相手のことを思って、何かを思いやるということは初めてだったのかもしれない。

自然とそんな声が心のそこから湧いて出た。

 

その時は、住職さんとお会いすることが出来なかったが、インドでいろんな人に助けられ、バラナシのゲストハウスの方から日本にいる住職さんの連絡先を伺うことが奇跡的に出来た。

本当に奇跡的だ。

 

日本に帰ってからも、あの時、ふと感じた、人を思いやる感覚……

それがどうしても忘れられない。

 

よく考えてみたら、日本にいるときの私はいつも自分のことばかり考えていたような気がする。

営業成績を伸ばしたいだとか、自分は忙しく仕事しているのだから、

電車の中で座りたい人がいても、自分が座っていても文句ないだろうとか、

いつもいつも、自分、自分と考えていた。

 

インドでふと感じた、人のことを思う気持ち……

その時、感じた清々しさというか、新鮮な心の感覚、

それってとても大切なことなのだと思う。

 

日本に戻ったら、街の中に牛とかはいない。

ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗って会社に通って、もとの日常に戻っていく。

 

だけど、インドの奥深くにあるお寺で、

あの時に感じた、あの感覚は忘れては行けない気がする。