ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

アイドルに全く興味がなかった私が、欅坂46の「不協和音」だけは何度も聞いてしまう理由

 

f:id:kiku9:20170612063825j:plain

 

「会社員は我慢することが仕事だ」

とある社会人の先輩にこんなことを言われたことがある。

 

私はその時、確かに……と思った。

ストレスが溜まっても我慢するしかないよな……

 

私は一度、フリーターというものを経験して、社会に出た。

 

今、普通の会社に入ってサラリーマンをやっているが、一度フリーターというものを経験したおかげで、会社に雇われの身となるのがどれだけありがたいことか痛感できる。

 

とにかく年金や税金などの手続きが楽なのだ。

すべて会社の事務の人がやってくれるのだ。

フリーターをやっていた時など、一年に一度、確定申告を受けなければならないので、役所に何時間も待たされ、意味のわからない書類を大量に書く羽目になっていた。

 

それが、サラリーマンとして雇われの身となると、そんな手続きがなくなのだ。

税金の申告なども勝手に給料から引き落とされるので、いちいち役所に行かなくて済むのだ。

 

今の時代、フリーランスノマドワーカーとして生きていく人が多くいる。

しかし、手続きのことや社会的な負担を考えると、やはり普通の一般企業に入ってサラリーマンをやっている方が楽なのは確かだ。

 

事業に失敗しようが、雇われの身である以上は自分自身の全責任になることはない。

社会的な面で、ある程度は会社が守ってくれる。

 

 

一度、フリーターというプー太郎を経験したおかげで、会社から一ヶ月に給料が出ることのありがたさが嫌という程感じる。

何の仕事もできてないんですけど、もらっていいのですか?

と正直、感じてしまう。

 

 

雇われの身として、会社にありがたみをとても感じるが、その一方で、心の中にモヤモヤしたものをずっと抱えていた。

 

私は出社までのルートに渋谷駅があるので、よく山手線や井の頭線の連絡通路を通るのだが、そこに毎朝押し寄せるかのようにして、同じ格好をしたサラリーマンたちを見るたびに、いつもなんだかモヤモヤした気持ちを感じてしまう。

  

同じ格好、同じような顔、没個性の表情のまま、スーツを着たサラリーマンたちは人混みを嗅ぎ分けるようにして、満員電車の中に吸い込まれるかのように、乗車していき、ホームに吐き出されていく。

 

私は昔から人混みの中が極度に苦手なため、いつも満員電車に乗っている時は、本を読んで、人が視界に映るのを無理やり遮断して、駅に着くのを我慢している。

 

そうしなければ、耐えられないのだ。

 

みんな同じ方向を向いて、同じような格好で、同じようなビルに入っていく姿を見ていると、なんだか気分が滅入ってくる。

 

自分が生きているのか死んでるのかわからなくなる感覚。

毎朝、通勤ラッシュの時間に、人混みに紛れて渋谷駅を歩いていると、自分が生きている実感が持てなくなってくる。

 

 

「みんな会社に不満があっても耐えているんだよ。だから、金曜日になると飲み屋で愚痴を言うんだ」

 

集団で働くとなるとどうしても人間関係の問題がネックになってくると思う。

会社に苦手な人が一人ぐらいいるのが当然だと思う。

 

私が今、働いている会社は特に嫌な先輩などもいなく、自分にとってはとても働きやすい環境だ。

 

だけど、どうしてもモヤモヤが膨れ上がっていく気がする。

多分、3年や長い年月働いていくと忘れていくであろう、この違和感。

だけど、この違和感が忘れてしまうくらい、会社という組織に馴染むのもなんだか違う気がする。

 

 

このモヤモヤを忘れたくて、私は最近やたらとカメラを持って走り回っているのかもしれない。

 

毎朝、押し寄せるかのようにしてホームを歩くサラリーマンたちを見ていると、どうしてもシャッターを押したくなる。

今、目の前にある光景を切り取りたくなるのだ。

 

なんで自分はこんな光景を切り取りたくなるのだろう。

 

 

カメラはもともと好きだった。

映画が大好きで、映画用のカメラを扱う会社に入社するほど、カメラが好きなのだ。

 

だけど、自分がいったい何でカメラに魅了され、写真を撮っているのかがわからなかった。

 

なんで自分はカメラを手に持ってしまうのだろう。

社会人をやって、会社には特に不満はないはず。

だけど、どうしても忘れちゃいけない感覚がある気がしてならなかった。

 

なんだろう、この違和感。

 

そんな時、このPVを見かけた。

私は昔からアイドルにはあまり興味を持てなかった。

 

なんかどうも苦手だった。

明るすぎるというか、純粋すぎるというか。

 

ももクロやらAKBのことはもちろん知っていたが、あまり興味を持つことができなかった。

知り合いの中には、ももクロの大ファンの人が多くいた。

そんな人たちはみんなアイドルのことを喋り出すと止まらなくので、私は全く話についていけず、いつもぽかんとしていた。

 

アイドルにハマるってなんだ? と正直思って、アイドルというやらにあまり関心が持てなかったのだ。

 

だけど、このPVを初めて見たとき、全身に衝撃が走った。

確か新曲のCMの一部をどっかで見たのだと思う。

 

PVのサビの部分を聴いた瞬間、衝撃が走った。

 

 

なんだこのダンス!!!

とにかく激しすぎる。

 

アイドルがやる踊りじゃないだろ! 

と思うくらい、激しい。

独特な世界観を醸し出している。

 

え? 今のアイドルってこんなにレベル高いのか!

 

私が衝撃を受けたPVは欅坂の「不協和音」である。

多分、初めてこのPVを見た人の多くが度肝抜かれたと思う。

 

youtu.be

 

なんじゃこれ!!!!

激しい! 速い!

 

15歳やそこらの少女たちが全力で踊り狂い、大人たちを圧巻しているのだ。

全身から「狂」が滲み出ている。

 

 

今のアイドルってこんなにレベル高いの……と思ってしまった。

私はこの独創的な世界に魅了され、YOUTUBEで動画を漁っていると、この「不協和音」の振り付けを手がけたダンサーの人の動画を見かけた。

 

あ! この人が振り付けを考えてたんだ。

私はこの振り付けを作ったダンサーの人を知っていた。

昔、情熱大陸で見たことがあったのだ。

ニューヨークの舞台で活躍し、あのマドンナにも才能を認められた天才ダンサーTAKAHIROさん。

 

18歳でダンスを始め、独学でダンスを一から学んでいったという。

社会人を一通り経験したのちに、24歳でニューヨークへ単独で飛び込み、ダンサーの世界に入っていった人物だ。

 

情熱大陸で見たとき、多分自分は16歳ぐらいだったと思うが、とても感動したのを覚えていた。

 

この人があの独創的な振り付けを考えていたのか……

 

TAKAHIROさんが欅坂のPVの振り付けをすべて担当しているという。

この世界的なダンサーはいたるところで欅坂の子たちのことについて、いろんな思いを熱く語っていた。

「あの子たちは本物のアーティストです!」

 

歌詞の世界観を表現するために、みっちり話し合いを行い、欅坂のメンバーと一緒にあの独特な振り付けを作り上げていっているという。

まるで感性のぶつけ合いのように話し合いをしているらしい。

 

若い感性と自分の感性がぶつかり合って、新しいものが生まれていく。

多分、この瞬間がたまらなく楽しのだろう。

私は、生き生きと欅坂のことを語るTAKAHIROさんのインタビューを聞いていくうちに、そんなことを感じてしまった。

 

「テーマにしているのは「集団の中にある個」です。周りが群れをなしてルールを作っていても、それには乗っかりたくない少女たちの悲鳴を踊りで表現しています。彼女たちの才能に感化されて、自分はこれまで以上にダンスに夢中ですよ」

 

欅坂のことを語るTAKAHIROさん目はとてもキラキラしていた。

この人たちがあのPVを作っているのか……

 

日本のトップクリエイターが本気を出して、アイドルのPVを作っているのである。

そりゃ、話題にもなるわと思ってしまった。

 

TAKAHIROさんは欅坂の10代そこいらのメンバーについて、誰一人子供扱いしていない。

一人のアーティストとして扱っている。

欅坂のことを語る時の目はとても生き生きとしていて、なおかつ真剣な眼差しだ。

 

 

 

「本気の人たちが目の前にいる。私はそんな人たちに賭けていきたい」

 

 

24歳の時、ニューヨークに単独で飛び込み、世界で認められたダンサーのTAKAHIROさんは熱くこうを語っていた。

 

なんで私はこのPVに魅了されたのか?

この言葉を聞いて、なんとなくわかった気がする。

 

TAKAHIROさんをはじめ、世界を魅了するクリエイターが、本気の少女たちに向かって、本気で振り付けをつけているのだ。

 

とにかくメンバーが異常なほど、本気なのだ。

 

本気で何かを作り上げようとしている人たちは、たとえ15歳でも全身から異常な熱気を漂わせている気がする。

私はこの異常な「狂」にまで到達したあの独特な世界観がたまらなく好きなのだと思う。

 

全身から異常なまでの「狂」を漂わせているあの踊り。

15歳やそこらの年齢でも「覚悟」の度合いが違うのだ。

 

 

私がカメラに見せられるようになった理由はそこにあったのかもしれない。

何かに異常なまでに打ち込む人の姿をカメラで捉えたいという思いが腹の中にある気がするのだ。

劇団のオーディションの撮影をした時も、受かるかわからないオーディションに挑む役者の人たちの目は、みんな真剣そのものだった。

 

何かに全力で打ち込んでいる人の目は、異常に輝いている。

 

 

 

たとえ、年収1000万円を超えていても、毎日疲れた顔で会社に出社している社会人もいる。

だけど、トイレの掃除でも、どんな些細な仕事でも、真剣に与えられた仕事に取り組んでいる人がこの世にはたくさんいる。

多分、私は毎朝、通勤ラッシュの渋谷駅でそんな人の姿を見たいのだ。

どんなに後ろめたい仕事でも、家族のため、会社のため、自分の夢のために、「覚悟」を持って目の前のことに取り組んでいる人たちの姿を見たいのだ。

 

 

私はそんな人たちの姿を写真で撮りたいのだと思う。

なんだか15歳やそこらの女の子から私はたくさん感化されてしまったみたいだ。

 

あの異常なまでに激しい踊りの中にある「狂」が人の心を動かしているのかもしれない。