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ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「ちゅらさん」の脚本に憧れて……

 

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19歳の終わり、私は大学受験を終え、数少ないギャップイヤーの期間を持て余していた。

ギャップイヤーというのは、高校から大学、大学から就職するまでに空いた期間のことだ。

大学入試は遅くとも2月の後半には終わるので、4月の始業式までの約一ヶ月間、空いた時間ができるのだ。

大学受験戦争を終えた多くの受験生たちは、そのギャップイヤーを利用し、海外旅行に出たり、運転免許を取りに行ったりして過ごしている。

 

今思うと、ギャップイヤーはとても貴重な時間だったと思う。

 

私は一浪して、なんとか無事大学受験を終えることができた。

入学するまでの約一ヶ月間、私は何をやっていたのかというと、教習所に通うのでもなく、海外旅行に出るのでもなく、ひたすら国会図書館にこもって、朝ドラの脚本を読んでいたのだ。

 

朝ドラというのは、ご存知の通り、約半年間、毎朝放送されているテレビドラマだ。

あまちゃん」「とと姉ちゃん」などがそれだ。

 

毎朝放送され、国民のほとんどがヒロインの成長を見守りながら、約半年間楽しめるようになっている。

 

毎朝15分が週に6回。

一週間で90分ドラマ。それが半年間続くのである。

製作陣はとてつもなく大変だと思う。

毎朝15分と思えば、短く感じるが、毎週90分ドラマが約半年間続くと思うと、過酷さがわかると思う。

 

私は大学に入学するギャップイヤーの時、なぜかその朝ドラの脚本をむしり取るようにして読んでいたのだ。

国会図書館に行き、ぶらぶらしていると、なぜか朝ドラの名作と言われている

ちゅらさん」が目に止まり、それを毎週4回は国会図書館に通って読んでいたのである。

 

朝ドラの脚本となると、とんでもなく分厚い本になる。

親指ほどの脚本が6冊分あったと思う。

その分厚い「ちゅらさん」の脚本を約一ヶ月かけて読んでいたのだ。

 

毎週、国会図書館に通っていると、真剣な顔つきで朝ドラの脚本を読んでいた私を見て、図書館のスタッフさんも困惑した表情をしていた。

 

昔から映画は好きだったが、脚本というものを見るのはその時が初めてだった。

昔から作文などを書くのが苦手で、映画を撮ってみたいという思いは昔からあったが、「自分には脚本はかけない」という潜在意識がどこかにあったのだと思う。

 

しかし、実物の脚本を読んでいるうちにその考えが変わってきた。

こんな面白い脚本を書いてみたい!

こんなに人の心に突き刺さる脚本を書きたい!

 

そんなことを思うようになったのだ。

ちゅらさん」の脚本を担当したのは、岡田恵和という売れっ子脚本家の方だ。

昔で行ったら「イグアナの娘」「南くんの恋人」などを担当した脚本家である。

 

ちゅらさん」の脚本を読んでいくうちに、文章からにじみ出る独特のリズム感。

セリフの間にある微妙な間「……」まで、書かれた脚本に私は夢中になってしまったのだ。

 

岡田さんの人柄が脚本にも滲み出ているのだろう。

役者さんが台詞を言いやすいように、一つ一つの台詞が愛情を持って書かれているのだ。

 

私はその「ちゅらさん」の脚本を読んだ後、実際にテレビドラマシリーズをレンタルで借りて、見てみることにした。

 

岡田恵和さんが書かれた文章がそのまま映像となって現れてくるのだ。

独特の台詞まわしも全て、きちんと役者さんに表現してもらっているのだ。

 

私はその時、驚いてしまった。

脚本家の仕事ってこんな風なんだ。

 

自分の頭の中に持っているイメージを、脚本という形にして、現場の人が映像にしていく。

私はものづくりの面白さをとても感じ取った。

 

 

 

私は大学に入ると同時に、猛烈に映画が撮りたくなって、ひたすら図書館にこもり脚本を書く日々を過ごしていた。

 

脚本術の本を読み漁り、実際にアウトプットするために、パソコンを使ってひたすら書いていったのだ。

これまで文章などを書くことはなかったが、自分で作り上げた脚本を、友人を集めて、一本の映画に仕上げていく作業はとても楽しかった。

 

自分の中にあったイメージが、目の前の役者さんを通じて形にされていくのだ。

多くの人と関わりながら一つの映画を作っていくのはとても刺激的だったのだ。

 

 

次はどんなものを描こう?

どんなストーリーを作ろう?

そんなことを毎日考えながら大学時代は過ごしていた。

 

しかし、一つだけずっと苦手意識を抱くことがあった。

それは、自分は他人を全く描けないということだ。

 

実際に小説でも脚本でも、ものを書いてみるとよくあることなのかもしれないが、私はとにかく他人を描くことが苦手だったのだ。

 

他人を主人公にしても、どうしても自分の考え方が入ってきてしまう。

主人公を同性の男にすると、セリフまわしから考え方まで自分とそっくりになってくるのだ。

 

脚本段階ならまだしも、それを実際に映像にしてくると、自分の脚本の下手くそさが手に取るようにしてわかった。

 

70分間の映画を作ろうとしても、全く物語が進まず、退屈な時間だけが生まれてしまうのだ。

どうすれば主人公たちが物語上で前進し、見ている人も飽きない脚本が書けるのだろうか?

そんなことをずっと思い悩んでいた。

 

書いては撮って、書いては撮ってを繰り返しているうちに、いつしか就職活動の時期がきてしまう。

私は結局、自分には才能がないと思い、いつしか会社員になるという選択をしてしまった。

 

書いては撮って、書いては撮ってを繰り返し、映画祭に応募してみたが、どこにも通らなかった。

自分でもダメな部分はわかっているつもりだが、とにかく他人を書くのが苦手なのだ。

 

脚本家となると赤の他人である役者さんが喋るであろう台詞を書くのがメインの仕事になる。

小説は主人公たちの考えや状況描写を細かく書けるが、脚本となると人のセリフまわしがメインになってくる。

 

元来、人嫌いな私が、他人を描くことなんてできないと思ってしまったのだ。

結局、私は脚本を書き、映画監督になるという夢を諦めてしまう。

 

社会に出て、いろんな挫折を味わい、会社員を続けながらも、こうして毎日何かしらの文章を書いているということは、私はとにかく書くということが好きなのかもしれない。

 

書くのは好きだが、どうしても他人を描くフィクションとなると昔の思い出がよみがえり、躊躇してしまう自分がいるのだ。

 

自分には才能がない。

フィクションは書けない。

そう思っていた。

 

しかし、ずっと心の中であの高校から大学までのギャップイヤーの時に読んだ「ちゅらさん」のような脚本を書けるようになりたいという思いがあった。

 

 

そんな時、家の本棚にあったとある漫画の表紙が目に入った。

なぜか8年以上家の本棚に置いてある漫画だ。

 

落ちこぼれの高校生たちが東大合格を目指す大ヒットした漫画だ。

私はもちろん、東大などに入る学力もなくセンター試験の段階で見事弾かれたが、なぜかこの漫画は面白く受験勉強の合間に読んでいたのだ。

 

私は数年ぶりに見かけたその漫画の表紙を見て、なぜか心うたれてしまった。

受験当時は全く感じもしなかったところにピンと反応してしまったのだ。

 

そこにはこう書かれてあった。

「当たり前のことを当たり前にできるようになる。そうなるだけでも、相当な努力が必要だと思え!」

 

他人を描けず、脚本を書くのを諦めてしまった私は、ただ単に努力が足りなかっただけなのかもしれない。

 

自分を描くよりも他人を描く方が苦手なことはわかっている。

しかし、人の心に突き刺さるように脚本を書いてみたい。

それを映像にしてみたいという思いがずっとあった。

 

尊敬してやまない、とあるライターさんは、若い時は小説家を目指して、毎日1万6千字を書いていたという。原稿用紙40枚分だ。

半端ない量だ。

誰が読むわけでもなく、ただひたすらに自分の夢に向かって書き続けたという。

そこまでしても、夢が叶うかどうかもわからない世界だ。

 

「当たり前のことを当たり前にできる。そうなるだけでも相当な努力が必要」

呼吸するかのようにす〜とフィクションを書けるようになるにも、それ相応の努力が必要なのだろう。

私は大の人間嫌いということもあり、「他人が描けない」という自己嫌悪から、書くことをやめてしまったが、ただ単に努力が足りてなかっただけなのだ。

 

毎日、書いて、フィクションもしっかりと書けるようになりたい。

そうするにはとにかく量を書くしかないのだと思う。