同世代で活躍している人を見て嫉妬心を感じてしまう、あなたへ
私はその日、テレビを見ることができなかった。
いつもお世話になっている同世代のライターさんが注目されて、30分間の特集番組が放送される日のことだった。
番組の詳細が公開されると同時に私の周りにはいろんな反応があった。
「おめでとう」
「すごい!!!」
「絶対見るね」
私ももちろん、おめでたいことだと思った。
その人も私と同い年で24歳だ。
24歳の若さでテレビで30分間の密着ドキュメンタリーを組んでもらえることなんて、まずないだろう。
本当に才能がある方なのだ。
私も単純に「凄い! おめでとうございます」と驚きが隠せないと同時に、心の奥底でモヤモヤしたものを感じていたのかもしれない。
放送当日になり、私は前もって夜の予定を空けていたので、リアルタイムで番組を見れるようにしたいた。
録画予約もしておいた。
時刻を見たら、放送予定の23時だ。
テレビをつけよう。
最初の4分しか見れなかった……
見ていて辛くなってしまったのだ。
この人は注目されていて、力強いのに、何で私はこんなにも弱いのだろうか。
私は劣等感に苛まれて、結局テレビを見ることができなかった。
その人がものすごい努力をしてきているのは知っている。
誰よりも文章を書いて、いろんなことに挑戦しているのは知っている。
テレビ局の人から注目されるのもわかる。
だけど私はテレビをつけることができなかった。
なぜ、同じ年に生まれたのに、こんなにも差がついてしまったのだろう。
私はその時、フリーターのプー太郎だった。
大学受験も失敗し、浪人してかろうじて大学には入れた。
就活も失敗し、逃げるようにテレビ制作会社に入った。
しかし、あまりにもブラックな環境のため、結局私は逃げ出してしまった。
私は今、24歳だ。24歳にもかかわらず社会人経験がほとんどない。
中学の同級生など、ストレートで進学していたら社会人歴2年〜6年以上になるはずだ。
しかし、私は今だにアルバイト経験しかほとんどない。
同い年でも自分はフリーターのプー太郎で、一方テレビに注目されている人もいる。
私はそんな人を見て、焦っていた。
何で自分は何をやってもうまくいかないのだろうか。
同世代で活躍している人を見ると、劣等感に苛まれ、私は後ろめたい気持ちになってしまった。
自分はもっと凄い人間のはずだ。
誰か認めてくれる人がいるはずだ。
そんなことを思っていたのかもしれない。
今思うと、私は嫉妬心を抱え込んでいたのだと思う。
私は、劣等感と嫉妬心に苛まれてテレビをつけることができなかったのだ。
会社を辞め、世の中をさまよっているうちにこうして文章を書くようになったのだが、それでも常に劣等感と嫉妬心が心の奥底ではあった。
あれだけ頑張って書いているのに何で自分の記事はPV数が伸びないのか?
自分よりバズっている記事を見ては私は後ろめたい気持ちになっていた。
自分の記事の方が面白いはずだ。
他人の記事を見て、私は心の奥底でそう思っていたのだと思う。
何で自分の記事はバズらないのか。
会社を辞め、同級生とも会わせる顔がなくなってしまった私は、書くことだけは大切にしようと思っていた。
しかし、書くことでさえも「自分は何を書いてもダメなんだ」と思ってしまった時期もあった。
他人の記事なんかよりも自分の記事の方が面白い。
そう心の奥底でそんなことを思っていたのだと思う。
私はその時、独りよがりの文章ばかりを書いていた。
同世代で活躍する人をSNSで見かけては劣等感を抱え、その嫉妬心のはけ口に文章を書いては書きまくっていたのだ。
そんな時、ふとこの本と出会った。
立川談春師匠の「赤めだか」だ。
私は会社を辞めて、世の中をさまよい歩いている時に落語に興味を持った。
「落語とは人間の業の肯定である」
立川流の創始者である立川談志はいたるところでこう語っている。
「人間は寝たい時には寝ちゃダメだとわかってても、つい寝てしまう。酒を飲みたい時には、いけないとわかっていてもついつい飲んでしまう。宿題を早くやればいいものも、ついサボってしまう。先生は努力が大切だというが、努力しても皆偉くなるなら誰も苦労しない。落語はそんな弱い人間を認めてあげるんだ。
落語とは、人間の業の肯定である。覚えときな!」
私は好きなことを仕事にしようと思い、映像制作の道に進んでいったが、結局辞めてしまった。自分の弱さを痛感し、家に閉じこもり身動きが取れなくなった時期もあった。
そんな時、どこのサイトか覚えてないが、ネットでこの文章の記事を読んだ。
私は涙が溢れそうになった。
清く正しく生きることが大切だ。
と先生は言うが……世の中そう甘くはない。
努力ではどうにもならないものを目の前にした時に、
「そんな自分でもいいんだよ」と教えてくれるものが必要なのだろう。
私はその時、この言葉にとても救われたような気がした。
私は遅くなったが、師匠のこの言葉が書かれた「赤めだか」を読んでみることにしてみた。
それは談志師匠の弟子である立川談春が書いたエッセイ集のようなものだ。
文章も落語家さんが書いたものだからだろうか。
どこか落語的でとても読みやすく、面白い。
もう本当にグイグイ読めるのだ。
私は夢中になって読んでいった。
そして、ある一節がグッと私の心に突き刺さった。
それは師匠が弟子の談春に嫉妬というものを教えてやる場面だ。
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。よく覚えておけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない」
私はハッとした。
自分に言い聞かされているような気がしたのだ。
私が同世代で活躍している人をテレビで見ることができなかった理由はそこにあったのだ。
私は理由を口で言うだけで、相手に並び抜くための行動を送っていなかったのだ。
自分にはこれが向いている。
これはできない……
様々な理由を並べていつも逃げているだけで、相手よりも無我夢中になって自分が好きなものと向き合っていなかったのだ。
自分は相手よりも努力してなかった。ただ、それだけなのだ。
同世代の人で活躍している人を見て、愚痴を言っている暇があったら、とにかく目の前のことに夢中になろう。
とにかく書こう。
そんなことを思った。
それから私は毎日、記事を書いたりして今までの倍は文章を書くということに向き合うようにしていった。
そうすると不思議なことに、嫉妬を感じずに、その録画しておいたテレビ番組を見ることができるようになったのだ。
やはり同世代で活躍し、テレビに映るような人たちは、自分なんかよりも1000倍努力しているのだろうと思う。
そんな人たちにも顔向けできるように、今はとにかく書きまくろう。
それしかないのだと思う。