ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

仕事にやりがいを求める就活生ほど、一度は「落語」を見た方がいいのかもしれない

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「仕事をやっていく上でのやりがいは何ですか?」

就活生が企業説明会で必ずと言っていいくらいする質問だ。

そんな質問をされた時、人事担当者はいつも困惑しながら

「お客様と一対一で相談に乗れることですかね」

など、マニュアル的なことを言って話題をそらしていた。

 

私が就活をしている時、企業説明会で嫌という程「仕事のやりがいは何ですか?」

という質問をする人を見てきた。

 

大学が発行する就活手帳にも、企業説明会で質問すべきリストで、堂々一位に

「仕事のやりがいを聞く」というものがあった。

 

仕事のやりがいって何なんだろう?

 

私は妙な違和感を覚えながらも、なぜだか企業説明会では誰かが人事に

「仕事のやりがいは何ですか?」と聞かなきゃいけない風潮があったため、

積極的に私も「やりがい」を聞いていたと思う。

 

私は就活時、やりがいや生きがいを求めていた。

それは他の就活生のほとんどに当てはまることだと思う。

 

やりがいがある仕事に就きたい!

自分がのびのびと活躍できる仕事に就きたい!

 

そんなことを思っていたのだ。

 

先日、とある就活イベントに手伝いで参加した際、就活生に

「1社目の企業で3年以上働く予定の人?」という質問したら、

20人近くいたのにも関わらず、誰も手を挙げなかったことに私は驚いた。

 

みんな3年以内に転職する予定なのである。

「1社目は自分のスキルを高めて、スキルアップのために3年経ったら転職するつもりです」

「自分の能力をのびのびと発揮できる会社を探し続けて、3年経ったら転職します」

そんなことを言っている就活生が多かったのだ。

 

3年で辞めるつもりなら、なんで30社以上エントリーして就活してるんだ?

就活なんてする必要がないだろ?

と言う人もいるかもしれない。

 

しかし、ゆとり世代の自分には「3年で辞める!」と言う就活生たちの気持ちも嫌という程、理解できる。

みんな仕事に生きがいを求めるのだ。

自分の能力がのびのびと発揮できる場所を探し求めているのだ。

 

私も就活をやっていた時はそうだった。

自分がやりたいことや理想を追い求め、なんかカッコイイという理由でマスコミばかり受けていた。

親の世代の人たちは皆、「仕事にやりがいなんてないよ」と言っていた。

確かにそうなのかもしれない。

企業説明会では「就活生に仕事のやりがいを聞かれた時の対象法」に沿って、人事は、会社で働く上でのやりがいをマニュアル通りに言っているだけなのかもしれない。

 

それでも私はきっと自分が働く上でのやりがいがあるはずだと思って就活をしていた。

自分がのびのびと働ける環境があるはずだと思っていたのだ。

 

そして、失敗した。

30社以上落ちたのだ。

 

なんとか制作会社に内定をもらい就活を終えることができた。

私は大学時代に自主映画を撮っていたため、制作会社ならなんとかやっていけるのではと思っていた。

多くの人と関わりながら一本の映画を作る映像制作はとても好きだった。

自分のやりがいはこれだと思ったのだ。

 

しかし、自分の好きなことを仕事にしてみて、私は後悔した。

好きだからこそ、自分の理想とのギャップに苦しいのだ。

毎晩4時過ぎまで続く作業に、毎日寝不足になり、意識が朦朧としたまま会社をさまよっていた。

明け方の4時まで作業して、翌朝の6時から別の仕事が始まるような生活が毎日続いていた。私はどんどんノイローゼになっていった。

同期は次々と辞めていった。

 

こんなはずじゃなかった。

私はそう思った。

 

私は一度無意識にも人身事故を起こしそうになり、さすがにヤバイと自分でも思い、仕事を辞めてしまった。上司に辞めると言った記憶がないほど精神的におかしくなっていた。

 

会社を辞めて、家に引きこもっていた。

なぜ、私はこんなにも弱い人間なのだろうか?

自分は生きる意味があるのだろうか?

 

大学の同級生は定期的に集まって仕事の愚痴などを発散していた。

そんな姿をSNSで見かけ、私はSNSを見れなくなってしまった。

同級生は今も仕事を頑張ってやっている。

それなのに私はなんで会社を辞め、家で引きこもっているのか?

私はそんな罪悪感に苦しんでいた。

 

 

そんな時に立川談志師匠の落語と出会った。

ネットか何かで師匠が語る落語論のページを見たのだ。

私はそのページを見た瞬間、驚いた。

自分が悩み、もがいていたことが落語で全て表現されていたのだ。

 

「落語とは人間の業の肯定である」

談志師匠はいたるところで、落語についてこう語っていた。

 

「人間は寝たい時には寝ちゃダメだとわかってても、つい寝てしまう。酒を飲みたい時には、いけないとわかっていてもついつい飲んでしまう。宿題を早くやればいいものも、ついサボってしまう。先生は努力が大切だというが、努力しても皆偉くなるなら誰も苦労しない。落語はそんな弱い人間を認めてあげるんだ。

落語とは、人間の業の肯定である。覚えときな!」

 

 

 

 

世の中には努力ではどうにもならないことがある。

一生懸命努力したって勝てない人がいる。

学校の先生は清く正しく、生きがいを持って生きることが大切だというが、実際のところ、そう上手くいかない。

 

「そんな自分でもいいんだよ」

と言ってくれるものが人間には必要なのだと思う。

 

私はその落語の「人間の業の肯定」と言うものの奥深さを知り、感動してしまった。

それだ!

こういうことを言ってもらいたかったんだ!

そう思ったのだ。

 

そこから私は談志師匠の本をむさぼるかのように読んでいった。

 

「働くなんぞ、大したことじゃない。人生に意義なんぞもつとろくなことはない」

談志師匠は著者でもこう語っている。

 

その通りなのかもしれない。

自分の人生に生きがいを求めても、大した意味がないのかもしれない。

人間なんて究極のところ、生まれて、食って、子供産んで、あとは死ぬだけである。

 

芸能の世界で活躍しているビートたけし立川談志は、やりがいを求めて芸の道に進んでいったというよりかは、目の前にあった自分が好きな芸の道をやっていたら、気づいたらテレビに出るようになっていたというだけなのだ。

 

生きがいや人生の意義を求めても時間の無駄なのかもしれない。

そんなことを考える暇があったら、とりあえず目の前のことにがむしゃらに向かっていればいいのでは? と最近は思うようになった。

 

大学を卒業し、社会に出ても私は今だに自分が何をしたいのかわからない。

自分の生きがいって何なのか? と思う。

 

しかし、目の前のことをコツコツやっていけばいいのではないか。

コツコツ積み重ねてきたことが蓄積され、いつか実りあるものになるではないか。

仕事や人生にやりがいを求める時間があったら、とにかく今、自分が好きなライティングということに向き合おう。

そんなことを思うのだ。