「魔法少女まどかマギカ」を見て、弱さを抱えた自分のトラウマが、実は最大の武器にもなると気付かされた
私はこのアニメを舐めてかかっていた。
本当に舐めていた。
始まりは、とある人が書いた文章がきっかけだった。
「大人になってからもまどマギだけは見たほうがいい」
フェイスブックでシェアされていた記事を見たとき、私は何で大の大人が魔法少女もののアニメを見ているのだろう? と思っていた。
どう考えてもおかしいだろうと……
しかし、その記事はいろんな人にシェアされ、私のフェイスブックのタイムラインは一時期、まどマギ一色になったのだ。
「本当にまどマギだけは見たほうがいいですよ」
「大人がハマるアニメです」
そんなコメントがタイムラインで飛び交っていた。
何なんだ……まどかマギカって?
私はあまりアニメは得意ではなかった。
特にセカイ系と呼ばれるジャンルのアニメは大の苦手だった。
セカイを変えるだの何だので、話が壮大すぎてついていけなくなるのだ。
これまでにいちよ流行ったアニメは何となく見るようにはしてきた。
どれも面白いと思ったが、物語の展開についていけない自分がいたのだ。
どうしてもセカイ系のアニメとなると、難しい展開になって物語についていけなくなるのだ。
それにアニメファンが好きそうなアニメがどうも苦手だった。
画面の中で美少女の絵が出てきて、何だか現実逃避のためにアニメを見ている気がして、どうも違和感があったのだ。
日本のアニメは世界的に人気なのは知っていた。
私が以前、東南アジアでバックパッカーの旅をしていた際も
「やおい漫画って知ってるか?」
「ナルト面白いよな」
「日本の漫画大好きなんだよ」
などと、タイやベトナムのいろんな人に声をかけられた。
欧米から中東まで世界中の人々でごった返していた。
本当に日本のアニメって凄いんだな……
私はそう思った。
そんな出来事があったため、私は日本に帰ってきてからもなるべくアニメをチェックするようにはしていた。
日本が誇る世界に通じるコンテンツは、間違いなくアニメである。
「聲の形」なんて、アニメでこんなに重たい内容を描くなんて凄いと思った。
そして、観客層が皆、若い人からお年寄りの方まで幅広くいることに驚いた。
もう、オタクだけがアニメを見る時代じゃないんだ……と思った。
すべての老若男女にアニメは受け入れられているのだ。
2016年は日本のアニメの凄さを思い知る年でもあった気がする。
本当に日本のアニメは世界で受け入れられているのだ。
それでもだ!
それでも魔法少女が何だかよくわからないものと戦う「まどかマギカ」だけは、見る気がしなかった。
「プリキュア」や「セーラームーン」みたいな話だと思っていたのだ。
大の大人が魔法少女もののアニメを見て、号泣するなんておかしいと思ったのだ。
芸能界でも、おぎやはぎや東野幸治などがまどマギを大絶賛し、話題になっていた。
「まどマギは世界に通じるコンテンツです。クリエイターを目指す人なら一度は見なきゃいけない」そうテレビでコメントされていた。
まぁ、休みの日に2、3話ぐらいは見てみるかと思って、私はTSUTAYAに行き、
まどマギを2巻分だけレンタルしていった。
どうせ今までみたいに途中で飽きて、投げ出すと思ったのだ。
どんなアニメを見ても、登場人物が繰り広げる世界観に共感できず、挫折してしまっていたのだ。今回もどうせダメだと思ったのだ。
DVDデッキのスタートボタンを押し、再生を始めた。
最初の頃は普通の美少女もののアニメだった。
なんだかハズレだったかな。
私は正直、そう思った。
初っ端からアニメ独特の世界観に私はついていけなくなってしまったのだ。
前情報によると、どうやら3話目にトンデモナイことが起こるらしい。
3話まで待たなきゃならないのか……私はそう思っていた。
しかし、1、2話と見ている時、妙な胸騒ぎだけはあった。
なんだこのゾクゾクする感じは。
物語が進むにつれ、このアニメひょっとしたらトンデモナイものなんじゃないか?
美少女もののアニメだけとこれまでとは何かが違うのだ。
なんだこの胸騒ぎは……
そして、問題の3話になった。
後半のとある展開を見た瞬間、こう叫んでいた。
「なんじゃこりゃああぁぁぁ」
私はぶったまげてしまった。
なんという斬新な演出なんだろうか。
これ、どう考えても従来の魔法少女アニメとは全く違っていた。
凄い……
斬新すぎる。
私は急いで、TSUTAYAにもう一度行き、劇場版を含めて、残りの巻をすべてレンタルし、見ることにした。
物語が後半に進むにつれて、少女たちが抱える残酷な運命が明らかとなり、私の胸はチクチクと痛み出した。
魔法少女もののアニメを見ているのに、胸にトゲが刺さるようにチクチクと痛み出すのだ。
何だこの胸の痛みは。
何でこんなにも苦しいんだ。
結局、劇場版も含めてあっという間に見てしまったのだ。
こんなに面白いアニメがあったなんて……
私には衝撃的な内容だった。
明らかに傑作中の傑作アニメなのだ。
人間誰しもが持つ、心の穢れを描いたものすごく深いアニメなのだ。
昔から伝わる言い伝えには、必ずと言っていいほど、穢れが描かれてきた。
神聖で清らかなものほど、同時に穢れを身にまとっていると考えれてきたのだ。
キリスト教の聖書に出てくるマグダラのマリアも売春婦として描かれている。
日本古来から伝わる言い伝えの多くが清らかなものほど、穢れを浄化する存在として崇められてきた。
神社の巫女さんが、風俗嬢の起源と言われているのはそのためだ。
そんな人間本来が持つ心の穢れを描いたのが「まどかマギカ」だった。
神聖で清らかな存在だと思っていた魔法少女たちは、実は近いうちに残酷な運命が待っていることが明らかになっていくのだ。
なんという斬新なアニメなのだろうか。
中盤から自分たちが信じていた価値観がひっくり返っていくのだ。
私はこのアニメが作られた背景がとても気になった。
誰なんだ、この傑作アニメを作った人物は。
どんな人が作ったんだ。
アニメーターや監督の人たちが優秀なのだろう。
劇団イヌカレーの空間演出など、新しく斬新で凄かった。
アニメを作り上げたクリエイターの人たちの総力が結集され、あの斬新な演出が作られていったのだ。
そんな「まどマギ」を作り上げていった人の中でも私は脚本家の虚淵玄さんに注目してしまった。
あんなに面白い物語を書く人は一体どんな人なんだろうか? と思ったのだ。
私は「まどマギ」の脚本家である虚淵玄さんが出演した爆笑問題のラジオをYOUTUBEで聴いて見ることにした。
さすが、ラジオだ。
中々、普段では聞けないような深い話がいろいろ聞けた。
とてもフレンドリーで何でも話してくれる虚淵さんにリスナーの人からこんな声が出てきた。
「虚淵さんの作品の本当が、途中まで正義と信じていたものが、実は邪悪な存在だったと価値観が変わるような展開になるのですが、ご自身でも以前に価値観が変わるような経験があったのですか?」
という質問がきたのだ。
虚淵さんはこう答えていた。
「実は僕、強い左翼思想を持った父親に育てられたんですよ」
え? 左翼?
どんな環境で生まれ育ったんだ。
「父は本気でソ連はパラダイスだと思っていたんです。だけど、80年代後半になり、自分が信じていたソ連が、実は陰では残酷なこともやっていたということが明らかになって、結局、父は左翼的な思想を捨ててしまったんです。
幼少期にそんな父を見ていて、自分が信じたものが、崩れて去っていき、価値観がひっくり返るようなことを目の当たりにしたんです。それが自分の中に深く残っているのかもしれないですね」
私は虚淵さんの話を聴いているうちに、やはり傑作アニメを作るようなクリエイターの人たちは、自分の価値観がひっくり返るようなトラウマ的なことを経験しているんだなと思った。
虚淵さんにとって、自分の父親が信じていたものが崩れ去っていく姿は、目を覆いたくなるようなトラウマだったのかもしれない。
しかし、そのトラウマが創作のエネルギーになっているのも事実だ。
あの手塚治虫も、ものすごいトラウマを抱えていた持ち主だった。
彼は漫画の神様や天才と言われ、今でも数々の伝説を残す人だ。
連載を8本同時に抱え、タクシーの中だろうが、飛行機の中だろうが、漫画を書き続けていた。
なんで手塚治虫はそれほどまでに圧倒的な創作のエネルギーを持っていたのか?
それは学生時代に神戸大空襲と遭遇し、自分の目の前で焼夷弾が爆発するという九死に一生を得た経験をしているからだと思う。
あと一歩進んでいたら、自分の頭上に焼夷弾が当たり、即死していたのだ。
その経験が手塚治虫の脳裏に焼き付いていたらしい。
あの時、私は何かに生かされた……
そんな感覚が常に手塚治虫の心の中にあったと言われている。
自分の価値観が変わるような経験だったのだと思う。
それがあるから、あの圧倒的な創作エネルギーなのだ。
「ブラックジャック」や「火の鳥」などで描かれる人間の生き死にの様は、
すべて神戸大空襲での経験が大きく影響されているのだと思う。
私は虚淵さんや手塚先生ほど、自分の価値観がひっくり返るような経験をあまりしてきていない。
しかし、あえて言うなら大学4年の時にした就活が自分の価値観が変わるようなきっかけになったのかもしれない。
私は就活をしていた時、マスコミ中心に30社以上エントリーした。
そして、ほとんどの会社で落ちた。
なぜ、私はあの時、選ばれなかったのだろうか……
それが私にとって今でも引きずっているトラウマなのだと思う。
就活の時に、もし選ばれたら年収1000万コースの道を進む。
選ばれない人は年収300万コースに進む。
同じ大学を出ても、自分の人生をどこかの他人に振り分けられているような気がして、私はとても違和感を抱えながら就活をしていたと思う。
あの時、私は選ばれなかった。
私は結局、テレビ制作会社に入った。
ほぼ徹夜の24時間労働の中、私はテレビ局の食堂で昼ごはんを食べていると、
局員の新入社員たちが楽しそうに昼ごはんを食べている姿を見て、私はとても悔しい思いをしていた。
なぜ、同じ新入社員なのに、あの人たちは夜の19時に帰れて、自分は夜中の4時まで仕事をしているのか……
世の中、自分が入った会社によって、これほどまでに待遇も給料も違うとは思わなかったのだ。
私にとってその出来事が自分の価値観を変えるようなトラウマ的な体験だったのかもしれない。
私は結局、テレビの世界を諦めてしまった。
世の中をさまよい、なんとかライティングの魅力に気づいて、こうして書くということを始めてみたが、実際に人に見せるようなコンテンツを意識して書くようになると、自分のトラウマ体験が思いの外、役に立っていることに気づいた。
自分の弱さを知り、もがいていたトラウマ体験が書くエネルギーになっているのだと思う。
もがき苦しんでいたトラウマは、実はエネルギーにもなり得るのだ。
トラウマを抱えるような残酷な思い出は使い道によっては、前に進むためのエネルギーにもなり、自分自身を蝕む猛毒にもなるのだ。
私は「魔法少女まどかマギカ」を見て、クリエイターたちが抱える創作エネルギーの源を垣間見た気がする。
つらい出来事ほど、使い道によってエネルギーにもなる。
要は自分次第なのだ。
本当に「まどかマギカ」はいろんなことを考えさせられた。
大人になってからも一度は見た方がいいアニメなのだと思う。
自分の不甲斐なさを呪い、負の感情という猛毒に取り込まれていった少女たちを救うため、走り回ったまどかの存在を私は忘れてはいけないのかもしれない。