マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」を見て、落語家の立川談志師匠が言っていた言葉を思い出した
「沈黙だけは絶対に観に行きたい」
とある映画好きの集まりに参加した際、多くの人がこう言っていた。
「今年最初の映画は沈黙がいい」
「絶対に観に行きたい」
映画通の人ほどマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」に期待しているようだった。
「あの予告編みたらすぐ観に行きたくなったんだよ」
と多くの人が予告編の出来の良さを褒めただえていたのだ。
私は正直いうと「沈黙」にそこまで期待しているわけではなかった。
マーティン・スコセッシ監督の映画はほとんど見ていた。
「タクシードライバー」や「ウルフ・オブ・ウォールストリート」までほぼ全作品見ていたのだ。
個人的には「レイジングブル」が一番好きだ。
大好きな監督であるのは間違いないのだが、どこか自分の価値観と合わない気がしているのも事実だった。
自分はスティーブン・スピルバーグの「ジュラシックパーク」のように、
王道の映画が好きなところがある。大衆向きの映画が好きなのだ。
マーティン・スコセッシ監督の映画はどっちかというと芸術系の映画だ。
深い人間ドラマを描いた映画が多いのだ。
もちろん、私もマーティン・スコセッシ監督の映画は大好きだったが、芸術に対する感性が疎い私には少し遠い世界にいる映画監督のように感じている部分もあった。
いつも登場人物に感情移入しづらいのだ。
たいていの主人公はいつもブチ切れている。
(たぶん、スコセッシ自体がそう言う人なのだと思う)
深い人間ドラマを描く人だが、どうしても自分の価値観と合わない気がしていたのだ。
「どうしても沈黙は見てみたい」
多くの映画好きの人がそう言っていたので、私は予告編をもう一度しっかり見てみることにした。
「おおお……」
と思った。
それは公開前のロングバージョンの予告編だった。
私が以前に見ていた「沈黙」の予告編は短いバージョンだった。
短いバージョンは正直、そこまで心を動かされなかった
しかし、今回見たロングバージョンの「沈黙」の予告編に私はかなり心を動かされてしまった。
窪塚洋介の演技力や人間の深さを描いた名作のような気がしたのだ。
「踏み絵」を拒んだ人々を焼くシーンなど心にぐさっと刺さる描写があった。
すごい、深い話だ……
と思った。
窪塚洋介など多くの日本人俳優が起用されたということで話題になっていた沈黙。
私は公開されて3日後に見に行ってみることにした。
日曜日の昼だったせいもあって、映画館は満杯だった。
どこの席も埋まっているのである。
私は前日にチケット予約しておいてよかったなと思いながら、席につき、上映が始まるのを待っていた。
周囲を見渡してみると明らかに年配の方が多かった気がする。
ほとんどが30代以上の人だった。
20代の人はほとんどいなかったと思う。
やはり、マーティン・スコセッシの映画となると年配の方に人気なのかなと思った。
「君の名は。」の時は、10代から20代でいっぱいだったのに……
上映が始まる。
スクリーンが暗くなると同時に、鳥のさえずりが聞こえてきた。
自然の音が聞こえてくるのだ。
スクリーンに映し出されている暗闇の中、音に耳をすましていると、いつの間にか物語が始まっていた。
映画を見ている間、どこか自然の中に放り込まれた感覚があった。
日本人が古来から自然とともに生きた民族と言われている。
自然の中に神を崇めていたのだ。
その精神を監督はしっかりと理解し、表現しようとしていたのかもしれない。
私は自然の中に放り込まれながら、その映画を見ていたと思う。
大自然と共に暮らす日本人の祖先はこんな暮らしをしていたのか……
そして、宗教というものに疎い、日本人は新たに入ってきたキリスト教に対し、こんな仕打ちをしたのか……と思いながら映画を見ていた。
映画が終わると私は呆然としてしまった。
エンドロールに流れる鳥のさえずりに耳をすませながら、私は自然の中に身を委ねていたのかもしれない。
映画が終わる。
席を立ち上がると私は思わず、立ちくらみがした。
ものすごい集中力でこの映画を見てしまったのだ。
あまりにも深い内容で私の器では理解しきれなかったのだ。
人間の信仰とは何か?
人間の営みとは何か?
人として生きていく中で、信じるものについての深い、深い物語りだったのだ。
正直に言うと……
今の私では理解しきれなかった。
どうしても感覚的に理解しきれない部分が多かったのだ。
キリスト教圏に疎い私には、欧米人が抱えている宗教への問いを理解することができなかったのだ。
まだ、理解することができなかったと言った方がいいかもしれない。
もっと社会に出て、いろんな挫折や経験をしてからこの映画を見直すと、
また新たな感性で見ることができるかもしれないと思った。
それほどまでに深い内容の映画だったのだ。
今の私には手に負えない……
そう思ってしまった。
私は「沈黙」の内容をもっと深く知りたいと思い、映画ならこの人にお任せの
町山智浩さんの解説を聞いて、もっと「沈黙」について深く考えることにした。
自分の力だけでは、映画を理解することができなかったのだ。
私のように宗教という問題に疎い人間には、深い人間ドラマを理解しきれなかったのだ。
私は映画評論家の町山智浩さんの解説を聞き、この映画が作られた背景がわかってきた。
そうだったのか……
マーティン・スコセッシはそういうことを描きたかったのか。
スコセッシ監督は子供の頃、カトリックの神父になろうと神学校に進学しようと考えていたらしい。しかし、試験に落ちてしまうのだ。
15歳のスコセッシ監督には人間の性欲や欲望を全て捨てて、神に仕えることができなかったという。
普通、15歳くらいの男の子だったら女性に興味を持つだろう。
しかし、神に仕えようと思ったらその欲望も捨てなければならない。
スコセッシ監督は自分の性欲と神への信仰心に板ばさみにされ、悩み苦しんだという。
女性に興味を持ってしまう自分に気付くたびに、教会へ懺悔しに行っていたらしい。
結局、神学校に進むことができず、大好きだった映画の道を歩むことにする。
原作者の遠藤周作も同じような人なのだ。
カトリックを信仰しようとするも酒好きの影響であまりきちんと信仰できなかったという。
そして、彼は長崎で、キリストが描かれた「踏み絵」を踏むことを拒み、死んでいった
殉教者たちの話を聞き、どうしても彼らを神に仕えた高貴な人とは思えなかったという。
生きていたいという誘惑に負け、「踏み絵」を踏んだ人を救いたいと思ったのだ。
人間はそんなに強い生き物じゃない。弱い生き物だ。
人間の弱さを描き、弱さに負けてしまった人々を救いたいと考えたのだった。
映画「沈黙」は「人間の弱さとは何か?」という問いを描いた映画なのだと思う。
ものすごく深い内容なのだ。
宗教的な映画のように感じていたが、宗教を超えて、それ以上に
もっと深い内容の映画なのだと思う。
私は町山智浩さんの解説を聞いてあることを思い出していた。
自分の弱さに苦しみ、もがいていた頃、私は立川談志師匠の落語に興味を持ったことを……
「落語とは人間の業の肯定である。覚えてときな!」
立川談志は弟子に向かってこう語っていたという。
「忠臣蔵は47人の家来が敵討ちに行って、主君の無念を晴らす物語だ。しかし、当時赤穂藩には300人以上の家来がいたんだ。253人は怖くなって、どこかに逃げちゃったんだな。普通だったら、敵討ちに行った47人の美談を人々は語るだろうよ。
だけどな、人間はそんなに強い生き物じゃないんだ。弱い生き物なんだ。
落語はそんな逃げちゃった253人の家来を主人公にする」
私は新卒で入った会社を辞め、世の中をさまよい歩いていた時に立川談志のこの言葉を聞いた。
勤勉に生きること。汗水垂らして働くこと……それが良しとされる中で私は生きていたと思う。「会社に入ったら3年は働け」という教えもあった。
しかし、私は新卒で入ったテレビ番組制作会社を数ヶ月で辞めてしまったのだ。
あまりにもブラックだったこともあり、辞めると言った記憶がないほどノイローゼになっていた。1日30分しか寝れなかったのだ。
同期の中では過酷な労働環境にも耐えて、頑張っている人もいた。
しかし、私は逃げてしまった。
自分の弱さに負けてしまったのだ。
そんな時に立川談志の落語に出会った。
「人間は寝たい時には寝ちゃダメだとわかってても、つい寝てしまう。酒を飲みたい時には、いけないとわかっていてもついつい飲んでしまう。宿題を早くやればいいものも、ついサボってしまう。先生は努力が大切だというが、努力しても皆偉くなるなら誰も苦労しない。落語はそんな弱い人間を認めてあげるんだ。
落語とは、人間の業の肯定である。覚えときな!」
その言葉を聞いた時、私は感動してしまった。
自分の弱さを痛感し、浮足立ってさまよい歩いていた自分をどれだけ救ってくれたことか。
学校の先生は、努力することが大切だ、清く、正しく、生きることが大切だというが、
世の中に出たら努力ではどうにもならない現実にぶち当たることがよくある。
そんな時に、それでもいいんだと思えるようなものが人には必要な気がするのだ。
映画「沈黙」も人間の業というものを肯定してあげる物語だったと思う。
生きていたいという誘惑に負け、「踏み絵」を踏んでしまった人たちが主人公の物語なのだ。
きっと彼らは自分の弱さに苦しみ、生きている間ずっと、自分の罪の意識に苛まれていただろう。
そんな自分の弱さに苦しみ、もがいている人々を救ってあげる物語でもあるのだ。
私は10年ぐらいたったら、もう一度「沈黙」を見直してみたいと思う。
その時、この映画を見て自分はどう感じるのだろう?
人間の弱さを描いたこの映画を見てどう感じるのだろうか?
私は会社を辞め、もがき苦しみながらもこうして何とかやってきた。
ライティングというものに出会い、このように毎日文章を書いているのだが、
今もなお自分の弱さにもがき苦しんでいる人が世の中にはたくさんいると思う。
そんな人たちには映画「沈黙」はある種の救いになるのかもしれない。
自分の弱さを認めてくれる存在になるのかもしれない。
私はいつか、そんな人の弱さを肯定してあげるような深い人間ドラマを描くことができたらなと思っている。