ライティング・ハイ

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「20世紀少年」の浦沢直樹先生から、凡人である私が天才肌に打ち勝つための努力の仕方を学んだ気がする

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「僕は天才肌の人間じゃない」

NHKのとあるドキュメンタリー番組で浦沢直樹先生はそう言っていた。

浦沢先生といえば、現代を代表する売れっ子漫画家の一人だ。

20代で「YAWARA」を書き、日本中に柔道ブームを巻き起こし、

「MONSTER」や「20世紀少年」といったメガヒット級の作品を連発していった。

 

テレビで「YAWARA」のテーマソングを聞いたことがある人も多いかもしれない。

私は知った時、驚いたのだが、実は「20世紀少年」と同じ浦沢先生の作品なのだ。

 

20代でいきなり国民的ヒットを飛ばし、その後もメガヒット級の漫画を連発している浦沢先生は私からしてみたら「天才」としか思いえないのだが、

本人は「全くの普通の人間だ」と言っていた。

 

私にはわからなかった。

これだけ売れっ子なのに、なぜ「普通の人間だ」と言えるのか?

 

浦沢先生は別の雑誌でこのようなことも述べていた。

「組み合わせただけだ。自分は天才肌じゃない」

 

組み合わせ?

私はこの部分を読んだ時、よくわからなかった。

 

しかし、ライティングを始めた今となって、私は身に染みてその重要性を感じるようになったのだ。

私みたいな才能のないものが、書く才能に溢れた人にどう打ち勝つのか?

その答えになるかもしれないものを浦沢先生から学んだ気がするのだ。

 

思えば、私は「何をしても勝てない天才」の人間に対して、トラウマ的なものがあるのかもしれない。

努力ではどうにもならないものを目の前にして硬直してしまった経験があるのだ……

 

「こいつらには勝てない」

私は高校の同級生を見て、しみじみとそう感じていた。私が進学することになったのは、東京都内ではそこそこ有名な進学校だった。

偏差値は70を超えるくらいの学校だ。小、中、高の一貫校であるため幼い頃から英才教育を受けて育った富裕層の生徒が多くいた。

私は中学時代は学年でもそこそこ上位の成績をキープできていた。

スポーツも何もできなかった私だが、勉強だけは努力すれば何とかなると思って、

がむしゃらに勉強していたのだ。

公立中学ということもあり、成績は上位に上がれた。

 

しかし、進学校となると話が違ってくる。

どんなに努力しても勝てないのだ。クラスにはIQ200近くの頭の回転がすこぶる早い優秀な生徒がいっぱいいて、あまり勉強をしなくてもテストで高得点をとれる人が溢れるくらいいたのだ。

 

優秀な人ほど部活動に打ち込み、忙しい合間に勉強して、常にテストでは高得点をキープしていた。全国模試を受けると、全国で5位以内に入る生徒が多くいたのだ。

それは公立で生まれ育った私には衝撃的なことだった。

この世界には宇宙人なみに頭のいい人がいることをはじめて知ったのだ。

 

私はそんな彼らを見て、自分の不甲斐なさを常に感じていた。

小・中・高の一貫校に高校から入学したため、元からいた生徒と上手く馴染めず、私は孤立していった。勉強しても上位にはなかなか入れなかった。

それでも私は自分なりの努力は続けていたと思う。

テスト前になると、図書館に引きこもり、数学の参考書を丸暗記するくらい真剣に取り組んだ。

 

学校での自分の居場所を求めるかのように、勉強に打ち込んでいったのかもしれない。

本来、私は学問が好きな学者タイプの人間でもあるみたいで、物事を考えることは

わりと昔から好きだった。

勉強をできる優秀な生徒ほど、授業の合間に、わかりずらかった問題をクラスメイトに

教えていた。

私にはそれが不思議だった。

先生の話を聞くより、クラスメイトのその子に話を聞く方がわかりやすいようで、

クラスメイトはその子の周囲にいつも集まっていた。

物事を噛み砕いて説明してくれるのだ。

本人も「人に教えることが最も良いアウトプット勉強法」だとわかってやっているのかもしれない。

 

私はそんな優秀な人を見て、ますます自分の殻に閉じこもっていった。

悔しかったのだ。

努力でこいつらを越してやると思っていたのだ。

 

しかし、どんなに努力しても勝てないものには勝てなかった。

天才肌の人間は容易に90点を超えてくるが、私はどんなに努力しても70点が限界だった。

 

「どうもがいても勉強では勝てない……」

そのことがわかってしまったのだ。

クラスから現役東大生が10名ほど出るような環境だった。

今思えば、将来日本を背負って立つような優秀な人材に早い段階で出会えたのは幸運だったと思う。

 

しかし、当時は彼らに対し、私は常に劣等感を抱えていた。

どんなに努力しても勝てない存在に気づいてしまったのだ。

 

私のような凡人には彼らのような天才肌の人には同じ土俵で戦っても勝てない。

こればかりは無理だと思った。

 

劣等感を常に感じていた。

「こいつらには何をやっても勝てない。自分は他のジャンルで勝負しなきゃ」

と思ったのだ。

 

その頃だった。私が映画に目覚めたのは……

「映画ならこいつらには勝てるかもしれない」

そう思って私は高校時代から人一倍、映画を見るようになった。

漫画やアニメなどのコンテンツを見るようになったのだ。

 

いつか人を感動させるものを作りたいという思いはなかった。

ただ、私は高校の同級生を超えたかったのだ。

映画などの芸術分野でなら勝てると思っていたのだ。

 

人一倍真剣になって映画や漫画、アニメを見ていった。

帰宅部であったので、時間だけはたっぷりあった。

貪り尽くすように本を読み、人を魅了するコンテンツとは何か? 

を自分なりに考えていった。

 

そんな時だった。

「20世紀少年」の映画化が話題になったのは……

 

今から9年ほど前に「20世紀少年」が映画化されるということで、話題になったのを

覚えている人も多いかもしれない。

唐沢寿明豊川悦司など豪華俳優が勢ぞろいだった。

私もそんな「20世紀少年」の話題にのって、原作漫画を読んでみることにした。

 

昭和を舞台にした話だろ……

平成生まれの自分がわかるはずがない。

そう思って私は「20世紀少年」を舐めていた。

 

「ALWAYS 三丁目の夕日」をみても、何も感動できなかった私である。

昭和の匂いというものがわからず、どうしても描かれている世界観に感情移入できなかったのだ。

面白いだろうが、そこまで感化されることもないと思っていた。

「20世紀少年」の単行本を目の前にして私が完全に舐めきっていたのだ。

 

本当に舐めていた……「20世紀少年」を。

 

単行本を1巻目を読み始めた。確か高校2年と時だったと思う。

 

う? と思った。

何かが違うぞ。

 

オープニングで謎の少女が出てくるあたりで壮大な物語は予想できていたが、

まだ物語自体何も始まっていないのだ。特に進展もないのだ。

 

私は続けて2巻、3巻と読み続けていった。

話の登場人物が多いせいか、いろんな場所に話が飛んでいた。

タイの話から東京のコンビニまで、いろんなところに話が飛んでいくのだ。

私はどんどん作者のペースに取り込まれていった。

 

話がどんどん壮大になっていき、漫画の世界に入り込んでしまったのだ。

5巻目から止まらなくなった。

高校生へと成長した主人公のカンナが、「ともだち」と立ち向かっていくあたりから

止まらなくなってしまったのだ。

 

早く続きを読みたい!

そう思って、本屋に駆け込んだのを覚えている。

4日くらいで全巻読み終えてしまった。

 

最終巻で「ともだち」の正体がわかり、物語が完結すると私は呆然と立ちすくんでしまっていた。

 

こんなに面白いものを作り上げた人間がいる。

そのことが衝撃的だった。

漫画としての質が高すぎて、私の脳みそは感化され、思考回路が停止していたのだ。

あまりにも面白すぎて、体が動けなくなるくらい呆然としてしまったのを覚えている。

 

 

こんなに面白い漫画がこの世にあるなんて思わなかった。

これほどまで面白い物語を作った人間がこの世にいることが信じられなかったのだ。

 

私は作者の浦沢直樹先生がとても気になってしまった。

どうやってあの壮大な物語を築き上げていったのだろうか?

どうすればこのような物語を書けるようになるのだろうか?

 

そう思い、お小遣いもほとんどなかったが、私は本屋で浦沢直樹先生が特集されている雑誌を買って、読んでみることにしてみた。

 

貪り尽くすように浦沢先生の創作秘話を読み解いていった。

あれほどまでに質の高い物語をどのようにして書いたのか気になって仕方がなかったのだ。

 

私は浦沢先生のアトリエの写真が載ったページにふと、目を落とした。

そこには本棚を背景に浦沢先生の仕事部屋を一望する写真が載っていた。

 

机に座る浦沢先生の後ろには大量の本が写っていた。

漫画の参考にする資料が保管されてあるのだろう。

 

浦沢先生が衝撃を受けたと言っていた「火の鳥」や「ブラックジャック」は棚の左上に綺麗にまとめて置いてあった。

やはり「漫画の神様」である手塚治虫先生の作品だけは大切に保管してあるのだろう。

 

私は浦沢先生の背後にあった、とある小説が気になっていた。

椅子に座ってもすぐに取り出せるような場所に置いてある分厚い本だった。

 

なんでこんなわかりやすい場所に置いてあるんだろう?

と私は疑問に思った。

 

なんだこの本は?

私はタイトルを調べてみることにした。

それはアメリカの人気ホラー作家が書いた代表作の一つだった。

浦沢先生はよく、この作家が好きだと公言していた。

 

大学の頃から夢中になって読んでいたらしい。

私はその本が気になってしまった。

浦沢先生に少なからず影響を与えた本なのだと思ったのだ。

 

近所にあった図書館へ行き、その本を調べてみた。

すると、本のあらすじを見て、私は驚いた。

「小学生の時の誓いを果たすため、かつての仲間との約束を思い出し、少年と少女たちは30年ぶりに再会する……」

 

これって「20世紀少年」に少なからず影響を与えてないか?

そう思ったのだ。

 

これを読んで、浦沢先生は未来と過去が交錯する壮大な物語を考えていったのではないか? と思えてしまったのだ。

思えば、浦沢先生のアトリエの写真もこの本だけが妙に目立った場所に置いてあった気がする。

 

もしかして先生は「この本に影響を受けて書いただけだよ」と伝えたかったのかもしれない。

私は天才クリエイターの創作熱意と遊び心を感じたような気がした。

 

浦沢先生はテレビなどでこう言っていた。

「メジャーとマイナーの組み合わせが大切だ」と。

 

浦沢先生はもともと漫画家になるつもりはなかったという。

5歳の頃から漫画は描き始めていたが、自分が好きな漫画がどれも売れていなく、

漫画を描き始めても貧乏が待っているだけだと思っていたらしい。

 

ひょんなことがきっかけで、編集者に浦沢先生が書いた原稿が目に止まり、漫画家としてデビューすることになったが、最初の頃は悪戦苦闘していたという。

 

自分が好きなマイナーな漫画が売れてないから、好きなことを書いてもヒットしない。

そう思い悩み、3日ほど徹夜してプロットを考えいった。

自分が好きなマイナーなものに、メジャーなスポ根漫画の要素を入れたら面白いんじゃないか? 

とあるとき気づき、柔道にスポ根を組み合わせる漫画を描いていった。

それが「YAWARA」だという。

 

メジャーなものとマイナーなものを組み合わせたら新しいものができる……

ハリウッドで映画化の話も進んでいた「MONSTER」という漫画も、

フランケンシュタイン」と海外ドラマの「逃亡者」の組み合わせをイメージしたという。

 

「20世紀少年」もきっと、あの人気作家の小説とあるものを組み合わせて作ったのかもしれない。

 

斬新なクリエイティブなアイデアは、既存のものの組み合わせなのだ。

 

0から1を作れる人もいるかもしれない。

手塚治虫先生や黒澤明監督はそれができる方だった。

何もないところから1を作れるのだ。

 

しかし、よほどの天才肌の人間じゃないと無理だと思う。

新しいアイデアを0から作るのは難しい。

結果的に何10年かに1度現れる天才肌のクリエイターに勝つには、

既存のものとものを組み合わせて新しいものを作っていくしかないのだと思う。

 

手塚治虫先生や黒澤明監督クラスの人じゃないと0から1を作り出すのは無理なのだ。

既存のものを組み合わせて新しいものを作っていく。

それが結果的に凡人が天才肌に打ち勝つ唯一の方法かもしれない。

 

私はその浦沢直樹先生の創作秘話が満載な雑誌を高校時代に読んでいてよかったなと思っている。

少なからず、私が抱えていた劣等感が解消されたような気がするのだ。

 

私は今、ライティングにはまっているが、やはり新しいネタのアイデアは既存のものの組み合わせなのかもしれない。パズルのようなものなのだ。

 

ライティングをしていると……

どうしてもこの人には勝てないと感じる時もいる。

やはりプロにも通じる天才肌の人たちは世の中にはたくさんいるのだ。

自分のような凡人タイプが勝てる相手ではないのかもしれない。

 

だけど、自分にあった努力の仕方があるのだと思う。

自分にしかできない戦い方がきっとあるのだ。

 

浦沢直樹先生は手塚治虫という天才肌のクリエイターに、自分なりの戦術で戦いを挑み、超えることはできなかったかもしれないが、多くの読者に届くような作品を作り上げていった。

 

私はそんな浦沢先生の姿に憧れを抱いている。

凡人である私はどんなに努力しても天才肌の人間には勝てないかもしれない。

しかし、自分なりの努力があるはずと信じて、今日も私はライティングに励んでいる。