負の感情という名のアレルギー
「人生、マイナスの出来事もあれば、プラスの出来事もある。
プラスの振り幅が大きい分、マイナスの振り幅も大きくなる。プラスマイナス0だ」
誰かがテレビで言っていた言葉だ。
いいこともあれば悪いこともあるという言い伝えが日本にはあると思う。
芸能人として華やかな世界で生きている人は大抵、若い時は壮絶な体験をしているらしい。
明石家さんまなどテレビでは絶対見せないが、相当つらい幼少期を経験していたようだ。それがエネルギーになってしゃべりまくっているのか……
しかし、私は何か腑に落ちないでいた。
どんな人にも、いいことがあれば、その分悪いこともあると聞くけど、本当にそうか?
ずっと幸運に恵まれ続けている人もこの世のいるはずなのだ。
どんな人も負の出来事は経験したくはないはず。
私もできればマイナスの出来事をできれば経験したくないとずっと思っていた。
「大凶……」
2016年の元旦に、私が引いたおみくじに書かれていた言葉だった。
昨年、私は24歳で、本厄だった。
本厄であると同時におみくじで大凶を引いたのだった。
最悪だ……もう2016年終わってしまえ……
そう思った。
おみくじにはこう書かれてあった。
「ただひたすら困難が続く、黙ってたえよ」
神様ももうちょっといいアドバイスをくれたらいいのに……
黙って絶えよって……
私はがっかりしながら、おみくじをひもに結んだのを覚えている。
やはり、神様はしっかりと見ているようだ。私の2016年の運勢は本当に大凶だった。
年を越した瞬間から凶の嵐なのだ。
まず、一月しょっぱなから好きな女の子にフラれ、2月には京都の寺にこもって修行、
3月にはインド放浪、4月からテレビの世界で働き出すも、あまりにもブラックで死にかけた。
テレビの世界でもっと働いていればなよかったと今でもたまに思う。
新卒で入った会社は、結局、私は数ヶ月でやめてしまった。
度重なる寝不足で精神的におかしくなり、人身事故まで引き起こしそうになった。
貴重な休みの時にあった中学の同級生には
「お前目が死んでるぞ」と言われた。
確かに入社して2ヶ月ほどで私の体重は8キロも減少していたのだ。
1日30分睡眠の中、昼飯すら食う暇がなかった。
さすがに8キロも体重が減ると、人間の体は悲鳴を上げてくるものだ。
常にフラフラになりながら、いつも私は始発の電車で家に帰っていた。
「もうそんな仕事すぐに辞めたほうがいい」
そう同級生には言われた。
「どんな仕事も3年は続けろ」
世間的にはそう言われてきている。
しかし、私は結局数ヶ月で会社を辞めてしまった。
辞めると言った記憶すらない。
気づいたら辞めることになっていた。
転職活動の時は本当に苦労した。
一度社会からドロップアウトした人間には、日本社会はとても厳しいのだ。
私は一気に負け犬になったような気がしていた。
電車に乗っていても、周囲の人間から負け犬というレッテルを貼られて見られているような気がしていたのだ。
転職の面接も新卒の時以上に落ちた。
会社を数ヶ月で辞めただけで使えない人間と思われてしまうのだ。
社会の底辺をのたまって歩いているうちにどんどん負の感情が蓄積されていっていた。
仕事を数ヶ月で辞めたということが私の人生最大のコンプレックスにもなっていたのだ。
もっときちんと働いていれば、人と面と向かって話せるようになっていたのに……
と思っていた。
自分の中に湧き上がる負の感情のはけ口が見つからないまま私はのたまり歩いていた。
エネルギーはあるのにそのはけ口が見つからない……
体はそれに反応してか帯状疱疹が出てきた。
それは負のエネルギーを抱えた人間のアレルギー反応みたいなものかもしれない。
アレルギーは、自分の体に入った異物を取りのぞくために、免疫が敏感に反応しすぎて自分の体ですら傷つけてしまう反応だ。
精神的におかしくなっていた時、自分の体は負のエネルギーをどこかに発散しようとしていたのかもしれない。帯状疱疹が出てきたのはそのエネルギーをはけ出そうとして、自分の体ですら傷つけていた証拠だった。
社会の中を歩きながら、なんとか転職を終えた今、あの出来事は一体なんだったのか? と思う時がある。
私の人生で一番過酷で負に満ちた2016年だった。
しかし、今だから言えるのは、その出来事は少なからず私のエネルギーにもなっていたということだ。
最悪の2016年も後半に差し掛かった頃、私はひょんなことでライティングの楽しさに気づいた。
プロとして活躍しているライターさんや小説家を目指して、寝る暇を惜しんで書いている人にも出会った。
私はそんな仕事をしながら睡眠時間を削って、ものを書くことに夢中になっている人が羨ましくて仕方がなかった。
やはり、きちんと働きながら書いている人の文章はどこか違っている。
ものを書くという決意や意思が文章にも滲み出ているのだ。
子育ての貴重な時間を削って、ものを書いている人の文章など、母性に満ち溢れていてそこらの小説家の文章よりも面白いのだ。
自分のような空っぽな人間に、ものなんて書けるわけがない……
そう思って私は悪戦苦闘していたが、ある出来事だけはスラスラと書けた。
その出来事とは……負に満ちた2016年だった。
楽しい出来事は文章にはしづらいが、辛い経験や過酷な思い出はそれ自体がエネルギーとなって私を後押ししてくれたのだ。
その出来事は、す〜と書けるのだ。
まだ24年しか生きていない、自分のような空っぽな人間が言うことではないかもしれなが、負の感情は少なからず、のちに自分を動かすエネルギーに変わるのだと思う。
人生プラスマイナスゼロではなく、マイナスの出来事がエネルギーになって自分の力でプラスに転換させていただけなのかもしれない。
「てっぺんにいる時も、下にいる時も、感情の振れ幅は一緒。真ん中で平凡に暮らしていることが一番つらい」
テレビでとあるミュージシャンが言っていた言葉だ。
彼女は売れるまでは壮絶な体験を経験し、売れた後にも大変な思いをしたようだ。
結局、プラスの出来事もマイナスの出来事もその人自身の感情を大きく揺れ動かしているだけなのかもしれない。
面白い文章を書く人は、少なくともその振れ幅が普通の人よりも大きいのだ。
そして何より、マイナスの出来事も楽しんでいるのだ。
つらいことがあっても、いつかそれがエネルギーに変わるとわかっているのかもしれない。
私はもうそろそろしたら、また働き出すことになる。
会社に入ったらまた大変な思いをするだろう。
満員電車に嫌気がさし、逃げ出したくなると思う。
しかし、その出来事すら自分を突き動かすものになるのかもしれない。
最近はありふれた日常の中にある、負の感情ですら愛おしく思う。
その出来事がたまって、いつかプロのライターさんのようなしっかりと地に足がついた文章が書けるようになっていたらと思っている。