平成生まれのゆとり世代はみんな、実は「岡本太郎」を目指しているんじゃないの?
「また、こいつか……」
ツイッターをやっていると、週に2、3回はある職業の人からフォローを受け取ることがあると思う。
それは、ゆとり世代が生み出した新しい職業かもしれない。
自由を謳歌し、自分らしい生き方を常に模索する平成生まれのゆとり世代は、究極のところ、あるジャンルの職業にたどり着いた。
それは……
ノマドワーカーだ。
ツイッターをやっている人なら、皆一度は自称ノマドワーカーからフォローを受けたことがあるはずだ。
スマホ一台で簡単にできる。
時間も場所も気にせず、自由に仕事ができる。
就活なんて時間の無駄。僕は海外を旅しながら仕事しています。
など、本当にそれで食べていけているのかわからないが、プロフィール欄にはよく、こんなことが書かれてある。
インターネットの技術の発展により、オフィスで働く必要がなくなった現代を象徴する職業なのかもしれない。
しかし、全員が本当にノマド「遊牧民」となって自由気ままに生活できているのかは疑問である。
好きでもない仕事に時間を費やすのは、もったいない。
自由気ままに生きよう!
という風潮がどうもゆとり世代を中心に覆っているのだ。
(そういう私も、そんな自由気ままな仕事に憧れる一人だが……)
しかし、実際のところ世の中そんなにあまくない。
ノマドワーカーと言っても、毎回仕事がその人に入ってくるのは稀だ。
インターネットを駆使して、しっかりとその人しかできない仕事を確立していないと、あっという間に自称ノマドワーカーというフリーターとほぼ変わらない生き方になってしまうと思う。
ツイッターを使ってやたらとフォロワーばかりを増やしている人はどうもそんな自称ノマドワーカーを気取っている様な気がしてならない。
なんで、自分も含めゆとり世代は、自由気ままな生き方に憧れるのか?
私はずっと疑問に思っていた。
ありのままに生きよう。
自分らしくあろう。
と平成の教育で先生から言われ続けてきた果てがノマドワーカーなのだと私は思う。
インターネットが発達した現代なので、そう言った生き方も全然アリなのかもしれない。
しかし、なんだか私は違和感があった。
自由気ままに生きているだけでいいのか?
それ相応のものを背負う羽目になるのではないか?
私はそんなノマドという遊牧民を見ているといつもあの芸術家の姿を思い出していた。
それは岡本太郎だ。
「芸術は爆発だ」
このフレーズで有名な岡本太郎が亡くなって、もう20年以上経つ。
私は岡本太郎を知ったのは、渋谷駅にある「明日の神話」という絵がきっかけだった。
子供の頃から度々、渋谷駅にいくことがあったが、井の頭線のホームを出たところにある大きな壁画が、実は岡本太郎が描いたものだと知ったのは、中学に入ってからだった。
なんだこの胸にくるエネルギーは……
渋谷駅を利用するサラリーマンは毎朝こんなものを目にしながら通勤しているのか……
私はそう思っていた。
とにかく彼が残した絵から発せられるエネルギーが凄まじい。
血が飛び散るかのように、渋谷駅の壁に巨大な絵が飾られているのだ。
私は今だに多くの人を魅了する岡本太郎とは一体何者なのだろうかと思って、彼のアトリエや記念館を回ったことがあった。
岡本太郎記念館は、案外家の近所にある。
自転車で45分くらだ。
東京と神奈川の県境を越え、川崎の山を登ったところに岡本太郎記念館はあった。
私は初めて、その記念館を訪れた時は、衝撃的だった。
彼が残した絵に圧倒されてしまったのだ。
言語を超越した私の感性に、彼の絵がダイレクトに突き刺さった。
なんだこの世界観は……
私は彼の絵を見ながら気付いたら3時間以上、記念館の中に居座ってしまった。
記念館の隅に設置してある椅子に座り、私はずっと岡本太郎の世界観を堪能していた。
このエネルギーは一体……
血が飛び散るかのように、とてつもないエネルギーの塊が私の目の前にはあった。
私は記念館の中には、美大系の人だけでなく、一般のサラリーマンや主婦、子供達から様々な人がいることに驚いた。
10代から20代の人も多く見かけた。
ありとあらゆる人を魅了し続ける岡本太郎。
なぜ、多くの人は亡くなって20年以上経つのに、今だに彼の絵や生き方に感化されるのだろうか?
私はそんなことを思いながら、記念館を一人回っていた。
私は通路を渡ったところの柱に書かれてあった、ある文章がとても気になった。
どこかの作家が書いた文章かもしれない。
岡本太郎を表す一言が書かれてあったのだ。
「岡本太郎は金太郎飴のような存在だ。どこをどう切り取っても岡本太郎になるのだ」
私はなるほどなと思った。
実は、ゆとり世代のはじめ、多くの人を今でも岡本太郎の生き方に憧れる所以はそこにあるのかもなと思ったのだ。
彼はよく言っていた。
「絵描きやら現代芸術家と言ってその人の職業を区別するなんてくだらない。
私の職業をあえて言うなら……それは人間です」
社会の枠組みにはまり、職業を区別することに異議を唱えていた岡本太郎は本当に自由に自分の時間を使っていたのかもしれない。
ある時は、絵を描き……あと時は縄文土器を分析し、学会に発表し、ある時はカメラマンとなって写真を撮る。また、ある時はテレビのバラエティ番組に出演し、お茶の間の人気者になる。
職業の枠組みにはまらず、彼が溢れ持っていたエネルギーをありとあらゆる場所に向けて放っていたのだ。
社会の枠組みの中で毎日をすごす生き方に不満を覚える人が彼の生き方に憧れを抱くのはそこなのだと思う。
職業の枠にとらわれず、自分のエネルギーを自分が使いたい場所で使う。
そんな生き方に憧れるのだ。
実はノマドワーカーの原型は、50年くらい前に岡本太郎が実践していたのかもしれない。
岡本太郎は自由気ままに生きていたからと言っても、遊んでいたわけではない。
自分の肉体を削り取るほどの、自分の血肉を使って溢れ出るエネルギーを作品に注いでいたのだ。
あれほどのエネルギーを注がないと多くの人を惹きつける作品は作れないのだと思う。
平成生まれのゆとり世代の多くが、職業の枠にはまることなく、自由気ままに、自分らしく生きたいと望んでいる。
そんな社会の枠組みの中でもがき苦しむゆとり世代こそ、岡本太郎から学べることがあるのかもしれない。
自由に生きたいと言っても、岡本太郎ほどの覚悟とエネルギーがないといけないのだと思う。
彼は死に直面した時のゾクゾクと湧き上がる生の歓喜がたまらなく好きだと言っていた。
自分の血肉を削るまで、エネルギーを注げるものがあることが自由気ままに生きていい人間の証なのかもしれない。