人間関係に悩んでいた私が、ポートレート写真を通じて見えてきた世界
「人間関係のストライクゾーンが狭すぎる」
大学時代から仲良くしていた友人からこんなことを言われたことがある。
私はただ呆然としながら、友人の話を聞いていた。
「周囲の人の可能性を捨てないほうがいいよ。あまり気が合わないなと思うような人でもきちんと話をすれば、きっと自分と共感するようなところが一つや二つ出てくる」
その友人はどうも人脈の作り方を本能的に心得ているらしく、いつも周囲には人が集まってきていた。
彼の周りにいるといつもわくわくする上、笑いが絶えないのだ。
「どんな人間関係でもいい具合に壁を作らない方がいい」
そんなことを面と向かって飲み会の時に言われた。
私は彼の言い分がごもっともすぎて何も言い返せなかったのを覚えている。
確かに……その通りだ。
私は昔からハイパーネガティブな性格のためか、人と話しているとぐったりと疲れてしまうことがある。
ちょっとした目線の動きを気にして
「あ! この人言葉ではこう言っているけど、本心ではこう思っているな」
「目線を今外したから、この人自分にあまり興味ないな」
特に考えなくてもいいことを頭の中でぐるぐる考えてしまう性格からか、
飲み会の席ではいつもぐったりとしてしまっていた。
人がいっぱい集まり、話をしている飲み会がどうも苦手なのだ。
飲み会は楽しい場のはずなのに、昔から終わった後には異常な後悔と焦燥感に見舞われる。
「あの時、こんな話題を振られたのに、何も答えられなかった」
人とコミュニケーションを取るのが、昔から大の苦手なため、
どうしても飲み会というものに苦手意識があり、あまり参加をする方ではなかった。
いっそ、自分の殻に閉じこもってしまえ。
そう思い、家にこもっていた時期もあった。
ちょっと話をしただけで、目線の動きを見ただけで、この人はきっとこう言う人なんだと決めつける癖があり、身動きが取れなくなってしまったのだ。
今思うと、自分のプライドが高すぎるため、他人を侮辱してなんとか自分を保っていたのだと思う。
高すぎるプライドと自尊心が邪魔をし、私の心はズタズタになっていた。
大学時代の友人で、いつも周囲に笑いが絶えない彼は、とにかく人間が好きだったのだと思う。
人が好きでたまらなく、どんな人でもコミュニケーションが取れるのだ。
そんな彼を羨ましく思うと同時に、大の人間嫌いだった私にはどんな人ともコミュニケーションを取るのは無理なんだと諦める気持ちもあった。
どうしたら人を好きになれるのだろう。
どうしたら人とうまくコミュニケーションを取れるようになるのだろう。
そう悩んでいる時、ふとある人からこんなことを言われた。
「カメラを始めたらコミュ力を鍛えられますよ。とにかくモテますよ」
え? そうなの。カメラってコミュ力を鍛えられるの。
私は不思議だった。
カメラ=コミュニケーション能力がどうも結びつかなかったのだ。
プロのカメラマンであるその人はこう言っていた。
「モデルさんを目の前にして、いい表情を引き出そうと思ったら、一番必要な能力はコミュ力です。毎日、モデルさんのいい表情を引き出そうと悪戦苦闘していると自然とコミュニケーション能力がつきますよ」
私は驚いてしまった。
昔から大の映画好きで、カメラには昔から興味があった。
カメラは好きだったが、モデルさんを撮影するようなことはあまり触れる機会がなかった。
社会に出て、いろんな挫折を味わっていく中で、気がついたら写真を始めたくて、始めたくて仕方がなくなってしまった。
「カメラを始めれば世の中の景色が変わってくる」
そんな言葉を信じて、約8ヶ月かけてお金を貯めて、念願の一眼カメラを買った。
カメラを始めてから、カメラなしの生活ができなくなってしまった。
毎日通勤のために駅に向かっていると、朝日が差し込むこぼれ日があまりにも美しく、シャッターを切らずにはいられなくなった。
世の中にはこんなに光が溢れているのか。
ありふれた日常がとても愛おしく思えてくるのだ。
カメラを持ち始めて、数ヶ月が経った頃、周囲に「カメラが好きだ、好きだ」と叫んでいたおかげて、土日の時にモデルさんを撮る簡単なアルバイトをするようになった。
大の人間嫌いだった私が、モデルさんを撮るようになるとは自分でも驚きである。
とにかくカメラが好きで、写真が好きで、撮りまくっていると気がついたら自分の周りにはカメラ好きの人が集まってきた。
どうしたらいい表情を引き出せるのか?
どうすれば人の心に響く写真が撮れるのか?
そんなことを思い、悪戦苦闘しながら写真を撮っているとある時、こんなことに気がついた。
「これって自分が相手をどう見ているのかによって、出来上がる写真も違ってくるんじゃないか?」
初対面であった人に「この人は優しそうだな」と思ったら、気がついたら優しそうな写真になっているのだ。
印象が「ちょっと暗そうな人だな」と思ったら、気がついたら写真も暗い印象のものになるのだ。
自分が相手をどう見ているのかが出来上がった写真にも影響されてくる。
よく考えれば、自分が今までに出会ったプロのフォトグラファーさんは皆、とにかく心が純粋で綺麗な人が多かった。
きっと、初めて会うような人でも、人の悪い部分ではなく、良い部分を見つめようとして、良い部分だけを切り取るのだ。
とにかくポジティブな部分を切り取って、写真という形にしていくのだ。
所詮、人とのコミュニケーションって自分が相手をどう見るかの問題なのだと思う。
相手を「きっと陰で悪口を言う人だ」とマイナスの面を見れば、その相手はそう見えてしまうだけなのだ。
「きっとこの人はこんな素晴らしい一面を持っている」
とポジティブな部分を見つけようとする人は、素晴らしい表情を写真に切り取っていくし、世の中も社会もプラスの部分を切り取っていくのだ。
写真を始めてからそのことにようやく気がつけた。
私は今まで人と話していても悪い部分を気にしてしまい、うまく人とコミュニケーションを取ることができなかった。
だけど、やっぱり人を惹きつけるような人は、一生懸命人の良い部分を見つけようとするのだ。
どんな人でも良い部分を持っていることを知っているのだ。
満員電車に乗っていて、目の前には疲れた表情のサラリーマンが座っていても、
最近は「このサラリーマン、辛そうに仕事しているな」と愚痴るのではなく、
「家族のために毎晩遅くまで仕事しているんだな」と良い面を見つけるようになってきた。
世の中も切り取り方次第で、どうにでも変わるのかもしれない。
どんな人でも物事をどう見るかによって、見方も生き方も変わってくるのだ。
社会はつまらないと思っている人にとって、社会はそういうものでしかないのだと思う。
たとえ汚い掃除の仕事でも、「人のためになる仕事だ」と思っている人にとって、その仕事はやりがいのある立派な仕事になるのだ。
悪戦苦闘しながらもポートレート写真を撮っているうちに、私は多くのことを学んでいたのかもしれない。
「努力しない人間は嫌いだ」……ある人に言われたこの言葉が脳裏に焼き付いて離れない
ガタン、ゴトン。
金曜日の夜遅く、いつものように疲れた表情で満員電車に乗っていると、疲れた顔をしたサラリーマンが目に入る。
明らかに疲れているんだろうな。
パッと見ても明らかに目の色が暗く、疲れた表情の人たちが目に映ってくる。
自分も周囲からこんな風に見えているのだろうか。
今自分が就いている会社はカメラを扱う会社で、カメラ好きの私にとっては夢のような職場だ。
あまり、仕事に不満はない。
だけど、疲れた体で電車に乗っていると、どうしても心が濁ってきてしまう。
目の前にはストレスが溜まっているのか、何かとブツブツと仕事上の不満をつぶやいているおじさんがいる。
何で心が濁っている時は、世の中の負の部分ばかり目に入ってしまうのだろうか。
人混みに流され、めまいがしそうな時は
「あ、やばい」と自分でも気がつくようになってきた。
もともとハイパーマイナス志向な私は一度、ストレスが限界点まで達して、
駅で軽くパニック障害になったことがある。
その経験があってか、頭が真っ白になって脳がパニックになる時が自分でもわかるようになってきた。
「あっ、今日ちょっとやばいな」
そう思う時は、仕事に遅れそうになっても、駅のベンチで一休みすることにしている。
そうしないと、世の中の雑音ばかりが目に入ってきて、頭がパンクしてしまう。
仕事を始めて半年以上が経ち、ちょっとずつ満員電車に慣れてきた頃、同期の人がまた一人と辞めていった。
自分も一度会社を辞めて、転職した身のため、会社を辞める人の気持ちは痛いほどわかる。
自分は環境を変えて、なんとか自分なりに働ける職場にたどり着いた経験があるので、自分と合わない環境だったらすぐに次の場所に移動した方が個人的にはいいかとは思っている。
転職するにしても3年は続けなければいけないという風潮はある。
もちろんすぐに仕事がつまらないという理由で会社を辞めるのはどうかと思う。
だけど、どうしても職場が合わなく、辛い環境にいるなら、
そんな人が3年もその職場にいると、本当に死んでしまう。
夜遅くの満員電車に乗っていると、本当に仕事って不思議だなと思うようになった。
朝早くから夜遅くまで営業の仕事で飛び回っているが、自分でも驚くほど自分は営業の仕事にフィットしていた。
絶対サラリーマンなんて向いていないと学生時代の頃は思っていたが、実際に社会人をやるようになると、こんなにも社会って広いのかと思い、想像していた以上に仕事が楽しいのだ。
自分でもこんなに仕事にのめりこむ事になるとは思わなかった。
悪戦苦闘しながらも自分なりに何とかやっている。
疲れた体を抱えて、夜の電車の車窓を眺めているとどうしても脳裏から離れない景色があった。
心の奥底であの人に言われた言葉を今でも鮮明に思い出す……
「え? 24時間もかかるの」
ベトナムのハノイにある偽物の旅行代理店で、私は騙されながらもラオス行きの国際バスのチケットを買った。
出発は夜の6時だが到着時刻が明らかにおかしい。
移動時間が24hと書かれている。
「今日の夜に出発して、明日の夜に着くの?」
「そうだよ! ラオスまで24時間かかるよ」
会社を辞めてしまい、無一文だった当時の私はベトナムからラオスに移動するための飛行機代を買う金など持っていなかった。
全財産2万円で残りの旅を続けなければならず、一泊3ドル(300円)の安宿を泊まり歩く旅を続けていた。
今思うと猿岩石も顔負けの超貧乏旅行である。
無論、飛行機代を買う金がなく、国際バスで移動することになったが、
とにかくこのバスが曲者である。
24時間かけてラオスの山道をひたすら突き進むのだ。
道中、何度も途中下車してはラオス人が何事もなかったかのように丸太や機材を持ってバスの中に乗り込んでくる。
トイレ休憩は森の中で済ませと言われるはで、24時間ラオスの山道を駆け上る地獄のバス移動である。
「し、死ぬ……」
ベトナムを出て3時間ほど経ち、私はすでに乗り物酔いを起こしていた。
バスに慣れているラオス人ですら、嘔吐する人がいるという。
24時間かけてジェットコースターに乗っているような感覚だ。
なんとか地獄のバス移動を耐え抜き、私がたどり着いたのはルアンパパーンという都市だった。
正直、ラオスって何があるのか知らなかった。
日本にいた頃はラオスっていう国がどこにあるのかも知らなかった。
何もかも捨ててバックパック一つでタイに飛び、そこからカンボジア、ベトナムを横断していると気がついたらその先にラオスという国があったから、訪れた国である。
フラフラになりながらもルアンパパーンからラオスを南に向かって旅を続け、首都でありビエンチャンという都市にたどり着いた。
私はいつものように安宿を探して、バス停近くにあるバックパッカーの宿を歩き回っていると、街で最下層の宿をなんとか見つけることができた。
シングルルームに泊まる金がなく、いつものようにドミトリーに泊まることにした。
ドミトリーに泊まると、世界中の旅人と同じ宿に泊まることになる。
6人一部屋のため、自分のスペースはないが、世界中の旅人と話ができるのは楽しい。
だけど、どうしてもドミトリーにもハズレがあり、たまに面倒くさい旅行客が泊まっていることがある。
今回は、どんな人と同じ宿なのか。
少し緊張しながら部屋に入り、荷物をベッドの下に置いていると、隣に怪しいおっちゃんがひょこんと話しかけてきた。
昼間から明らか酒に酔っている。
顔が真っ赤なまま、ニコッと汚い歯を見せながら私に話しかけてきた。
「アッ……アッ」
紙を見せながら、唸り声を上げている。
なんだこのおっちゃん。
おっちゃんが見せてきた紙を見てみると「Where are you from」と書かれていた。
私は「Japan」と紙に書くと、おっちゃんはニコッとして
「自分は昔、日本に住んでいた」と今度は日本語で紙に書いてきた。
このおっちゃん、英語と日本がわかるのか。
正直、驚いた。
それに明らか耳が聞こえていない。それなのに紙を使って、見事に意思疎通を取ってくるのだ。
おっちゃんと話していると不思議に思うことが度々あった。
紙に書いていないのに、私がつぶやいたことを理解し、紙に書いてコミュニケーションを取るのだ。
まさかこのおっちゃん……人の口の動きを読んで、話している内容を読み取っているんじゃ。
聞いてみると、ニコッとしながら「そうだ」と答えていた。
宿にいる他のバックパッカーとも仲良く話しているが、相手の口の動きを読みとって、コミュニケーションをしているのだ。
おっちゃんと話をしていると、今までどんな人生を歩んできたかをこと細かく教えてくれた。
おっちゃんは在日韓国人として生まれ、幼い頃に日本で育ち、子供の頃に病気で耳が聞こえなくなったという。しかし、死に物狂いの努力の末、独学で日本語と英語を学びに、アメリカに留学したという。
耳が不自由なのに、口の動きだけで日本語と英語を学んだのか。
中学から英語を学んだのに、未だにろくに英語を話せない自分が恥ずかしく思えた。
汚い歯を見せながらゲラゲラと笑い、今までおっちゃんが旅してきた国のことを教えてくれた。
韓国で焼き肉店を経営したのち、リタイアして、今は自由気ままに外国を旅して巡っているという。
「この国の風俗は良かった」
「タイの女にろくな奴はいない! ラオスの女は最高だ!」
基本的に風俗の話しかしないおっちゃんだが、どうも人間臭い人で
宿に来ていた世界中のバックパッカーと仲良く下ネタを話して盛り上がっていた。
タイ行きのバスのチケット買い、ラオス滞在が最終日となった夜。
私はおっちゃんに呼び出され、コンビニで缶ビールを飲むことになった。
同じ宿に泊まっていた日本人の旅人仲間とおっちゃんとの3人でゲラゲラと話しながら飲んでいると、目の前に物乞いをしている40歳ぐらいのおばさんが現れた。
あ、また物乞いか。
普段、旅をしている間、物乞いと遭遇してもスルーしていた。
シカトしているといつしか消えていくからだ。
ゲラゲラと風俗などの下ネタを話して盛り上がっていたおっちゃんだが、
物乞いを見た瞬間、目つきがギロッとして、物乞いを睨めつけ、
「あっちへ行け!」と手を振り払った。
私はそんなおっちゃんの姿を見て、驚いてしまった。
いつもニコニコと下ネタばかり話していたおっちゃんだったが、この時は異様な目つきで物乞いを睨めつけていたのだ。
物乞いを追い払い、ボソッと紙に書いて私に示してきた。
「努力をしない人間は嫌いだ」
おっちゃんは書きなぐるようにして、こう書いていた。
「あの人たちは努力すれば仕事にありつける環境にいたのに、努力することを諦めて人から金をもらう物乞いになった。貧しさのせいにして、自分で物乞いの道を選んだんだ。人一倍努力すれば、どんな仕事にもありつけるのに。
私は耳が不自由に生まれたけど、人一倍努力してきた。努力しない人間を見るのは嫌いだ」
私はハッとしてしまった。
自分に言われた気がしたのだ。
仕事が辛いなどと言い訳をして、会社を辞め、海外に旅に出てきた。
だけど、結局私は逃げてきただけなのだ。
おっちゃんのように死に物狂いに努力もせず、逃げて逃げて、海外まで逃げてきただけなのだ。
次の日にはおっちゃんたちと別れを告げ、私はタイに向かった。
タイ、バンコクに数日滞在して日本行きの飛行機に乗った。
日本に帰り、なんとか悪戦苦闘しつつも転職活動を始めた。
新卒の時はあれだけちやほやされたのに、第二新卒の就活となるとこんなにも世間の目は厳しいものだとは思わなかった。
どこの会社を受けても
「なぜ会社を1年以内で辞めたのですか?」
「次の職場に行っても続けられるのですか?」
一度社会のレールから外れると「会社を数ヶ月で辞めた奴」というレッテルを貼られてしまい、相当苦しい思いをした。
しかし、ラオスのおっちゃんに言われた言葉を思い出し、なんとか転職先である今の会社を見つけることができた。
私は今、平日は毎晩遅くまで働き、満員電車に乗って家に帰っている。
真っ暗な車窓に映る東京の明かりを見ていると、時々あの言葉を思い出すことがある。
「努力しない人間は嫌いだ」
正直、「今日はやる気が起きないな〜」と思う時はある。
だけど、そんな時でもラオスの山奥で言われた言葉が脳裏に焼き付いて離れない。
「努力しない人間は嫌いだ」
どんな環境に行っても、どんな職場に行っても、その生き方を選んだのは自分自身なのかもしれない。
与えられた環境で、死に物狂いで努力してきたら、きっと見えてくる景色もあるのだろう。
満員電車の車窓を眺めていくうちに、時々私はそんなことを思う。
人に発したものは自分に返ってくる
「人に発したものは自分に返ってくる」
PCの画面に打ち込まれている文字を読み、私はしばらく考え込んでしまった。
私が読んだのは、とある写真家が書いた文章だった。
「言葉であれ、態度であれ、人から発せられたあらゆる要素は壁に投げたボールのようにして、いつか必ず自分に返ってくる」
その方は26歳の写真家の方で、ポカリスエットなどの広告写真で有名な方だ。
写真家、奥山由之さん。
私は彼の写真展に行った際、あまりにも写真から湧き出てくる「生」のエネルギーに圧倒され、感化されすぎて体調が悪くなるくらい、いろんなものを吸収してしまった。
とにかく生きていくエネルギーが写真から滲み出てきているのだ。
写真に圧倒され、帰りの電車の中でも奥山さんのホームページに掲載されている写真を眺めていると、写真展の紹介の部分にこんな言葉が書かれてあった。
「人に発したものは自分に返ってくる」
私は呆然としながら彼が書いた文章を眺めていた。
とてもとても深く、感受性に潤いを与えるような優しい言葉で綴られていたのだ。
私は子供の頃からとにかくマイナスでしか世界を見れなかった。
人と話をしていても
「この人はこうで、こんな考え方をしているから自分とは合わない」
「この人は表ではこう言っているけど、裏ではきっとこんな風に思っている」
人と会話をしていても、ちょっとした言葉遣いや仕草から相手の感情の裏側を想定してしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。
「きっとこの人はこう思っているはずだ」
「一瞬目の動きがずれたから、この人は本心で喋ってない」
とにかく極度にまで人の目を気にしてしまうため、普通に生きているだけでも精神的にぐったりとしてしまう時が度々ある。
「あっ、やばい」
満員電車の中でふとそう思った時は、急いで途中下車して深呼吸をするようにしている。
もう誰とも話したくない。
そう思って、ずっと部屋に引きこもって自分の世界に閉じこもった時期もあった。
いつしか大学を卒業して社会人になっても、自分のマイナスでしか世界を見れない性格は治らなかった。
どうして自分はモノクロでしか世界を見れないのだろうか。
どうして人と同じように会話ができないのだろうか。
そう思い悩んでいる時期がずっと続き、ある日パチンと頭の中が鳴るようにして、電車の中に吸い込まれそうになった。
その時は過酷なテレビ制作の仕事をしていて、結構精神的に滅入っていたのかもしれない。
一旦全て捨ててしまおう。
そう思って、仕事も全部捨て、海外に旅に出た。
海外に旅に出れば、全てが変わる。
いつも人見知りで、世の中のマイナスの部分しか見れなかった自分のひねくれた性格を変えられる。
そう思っていた。
だけど、一ヶ月近く海外を放浪しても自分の中では何も変わらなかった。
いろんな刺激的な人と出会った。
ラオスの山奥で耳が不自由なのに英語と日本語と韓国語を理解するおっちゃん。
カメラの魅力を教えてくれた旅人。
タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと回っているうちにいろんな刺激的な人と出会った。
その出会いは自分にとっては宝物のような存在だ。
だけど、自分の中の何かが変わったという感触はどうしても得られなかった。
日本に戻り、アルバイトから始めて少しずつ社会復帰していったが、
目が死んだまま仕事している自分を見て、社員の人にこう言われた。
「君は海外を旅してきたっているけど、海外で何を得てきたの?」
私は何も返答出来なかった。
全てを捨ててまで旅に出たのに、何も変わらなかった。
外に刺激を求めているだけじゃいけないのか。
そう思っている時、ふとしたきっかけでライティングというものに出会った。
きっかけは単純なものだった。
友人から「面白い本屋があるから行ってみなよ」と言われ、ほぼニートだった私は暇つぶしもあって、その本屋へとたどり着いたのだ。
自分のライティングの師匠と呼べるその人に本屋で初めて会った時に言われた言葉がとても印象に残っている。
「とにかく書いてください。書けば人生が変わります。結論は書け! です」
書けば人生が変わるってどういうことだ?
その時は半信半疑だった。
常にマイナス志向で負のオーラを周囲に撒き散らしていた私は、特に何も考えずに書くということをはじめてみた。
はじめは一週間で2000字を書くのがやっとだった。
もともと映画が大好きで学生時代には死ぬほど映画を見たため、
頭の中の映像を文字にしていくことが意外と自分にはしっくりときていたのか、
とにかく書くのが楽しくて仕方がなかった。
もっと書きたいと思った。
自分の中にある感情を何かの形で人に伝えたい。
そう思い、去年の今頃は何かに取り憑かれたかのように書きまくっていた。
人に読んでもらう文章だから、無理にでもポジティブに終わられなきゃ。
そう思い、ハイパーネガティブ思考な性格の私だったが、ポジティブな素材を世の中から探していった。
毎日、毎日書いていると常にポジティブに世の中を見ようとする癖がついたのか、自分の周りに見える景色も変わって見えてきた。
「いつも文章読んでますよ」
「あっ。今度一緒に飲みましょうよ」
そんなことを少しずつ周囲から言われるようになっていった。
今までの自分の人生からすると大きな変化だった。
なぜか自分の周囲にポジティブな要素が滲み出てくるようになったのだ。
そして、ライティングというものに出会って一年が経った今、自分の周りに見える景色もだいぶ変化していった。
あ、やっぱり人に発したものは自分に返ってくるのか。
「言葉であれ、態度であれ、人から発せられたあらゆる要素は壁に投げたボールのようにして、いつか必ず自分に返ってくる」
去年の今頃、死んだ目をしていた当時の自分が、
この写真家の文章を読んでも意味がわからなかっただろう。
まだライティングを初めて1年しか経ってないが、この1年間私はポジティブな要素をなるべく世界から汲み取ろうと努力していた。
そして、ポジティブなものをなるべく周囲に発するようにしていたのだと思う。
プラスな要素を周囲に発するようにしていると、少しずつ少しずつだが、
ポジティブな気を発する人が周囲に集まってきたのだ。
常にマイナスでしか世界を見れず、負のオーラを周囲に発していた昔の私には信じられないことだった。
きっと当時の私は負を発していたため、海外で刺激的な人と出会ってもマイナスなものしか受け取れなかったのだ。
「人に発したものは自分に返ってくる」
そのことに気がつくまでに一年がかかってしまった。
きっとあの日言われた言葉がなかったら自分はどうなっていたんだろうかと思う。
「書けば人生が変わる」
少しずつだが、最近そのことがわかり始めてきた。
下記も参考に
「何かに消費されている」と感じる人こそ、写真家奥山由之さんの写真展には行った方がいいのかもしれない
「なんだこの写真は……」
電車の壁にプリントされた一枚の広告写真を見て、私は思わず立ちすくんでしまった。
青空の下で一本のポカリスエットが宙を舞っている写真。
フィルム特有の色合いで描かれた一枚の写真に私は度肝抜かれた。
とにかく写真を見ただけで、心にドシンと何か重たいものがのしかかってきたのだ。
電車のつり革を見ていると、その写真以外にもポカリスエットの写真が多くプリントされていた。
ポカリスエットの広告である「潜在能力を引き出せ」というキャッチコピーを聞いたことがある方は多いかもしれない。
渋谷の駅前で展示されていた青く塗られた高校生たちの写真を一度は目にした人も多いと思う。
写真家、奥山由之さん。
現在26歳の若手写真家だ。
私が今25歳だから、同世代でこんなにすごい人がいるのかと驚いてしまった。
彼の写真を初めて目にした頃、相当私の精神状態は病んでいたらしく、電車に乗っている時も目がまばらな状態で生きているのか死んでいるのかわかならい状態だった。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、海外を放浪しては日本に帰ってきて、何を目標にして、どっちの方向を向いて走っていけばいいのかわからなかった。
会社を数ヶ月で辞めたという強烈な劣等感からか、同級生たちが投稿しているSNSなども見れなくなった。
何かに消費されている。
ずっと心の奥底でそんな感覚があったと思う。
消費社会が進み、皆同じような服を着て、ツイッターやインスタグラムにアップするために、あえて人と違った行動を取る。
バブルが崩壊して、消費社会の成れの果てに人の欲求は「生き方」が商品になったという。
自分らしく生きよう。自分らしさを発揮できる仕事に就こう。
私が92年生まれのゆとり教育にどっぷりと浸かっていた世代の世界、何かやたらと「自分らしく生きよう」というフレーズを耳にするようになった気がする。
自分らしさって一体なんだ?
私も「人と違ってこんなことができる」
「自分にはこんな才能がある」と思い込みたかっただけなのかもしれない。
誰かに「君には少し違った素質を持っている」と言って欲しかったのだろうか。
就活ではどこかクリエイティブでかっこいい雰囲気のある広告代理店やマスコミ関係の会社を受けまくっていた。
結局全て落ちたが。
ゆとり世代に生まれて、どうしてもこの「自分らしさ」という呪縛に苛まれ、
私はどうも身動きが取れなくなってしまったらしい。
会社を数ヶ月で辞めたという劣等感も重なって、去年は相当精神的に滅入っていた。
そんな時、青空のもとに舞い上がったポカリスエットの写真を見かけた。
普段、写真などあまり見たことがなかったのに、なぜか強烈にその写真に私は惹かれた。
青いプールを舞う高校生たちが強烈に「今を生きている」ように感じたのだ。
普段、呼吸をして生きている感情など忘れてしまいがちだが、この写真を見たときだけは強烈に「今を生きている」という感覚が蘇る。
あの写真との出会いから一年が経った今、私は今でもその写真がずっと心に残っていた。
転職先で毎日忙しい日々を送っていても、ずっと頭の片隅でその日に見た青空のポカリスエットの写真が脳裏に焼き付いて離れなかった。
そんな時、奥山さんが個展を開くという話を聞いた。
これは行くしかない。
そう思い、浜松町で行なわれている奥山さんの写真展に足を運ぶことにした。
エレベーターで展示会の階にあがった瞬間、驚いた。
ものすごい人混みなのだ。
写真展といったら、人がまばらに入場しているだけだと思っていたが、
とにかく人で溢れかえっているのだ。
しかも、男性女性、お年寄りの方から学生まで、いろんな層の人で混み合っていた。
え? 奥山さんって今26歳だよね。
自分とほとんど変わらない年齢でここまですごい個展を開く人がいるとは……
人で混み合っている中、展示されている写真を一つ一つ見ていった。
奥山さんが得意とする広告用の写真とは別に、田舎の田園風景を撮った写真、プールで泳いでいるスーツ姿の人、赤と街灯が印象に残るカフェの椅子。
写真一枚一枚を見ていくうちに「今、この瞬間を生きている」という感覚が蘇ってきた。
ただただ、私は圧倒されてしまった。
とてつもないものを見せつけられた感覚。
頭の中の感受性が過剰反応したのか、なんだか体調が悪くなってしまい、椅子に座って休むくらいだった。
ただただ、圧倒されてしまった。
26歳というほぼ私と同い年の人にこんなにも心を動かされるなんて……
呆然としたまま一時間近く写真展の椅子に座っていると、少しずつ気分が落ち着いてきた。
こんなに写真を見ただけで心が動かされたのは初めてだった。
自分がポカリスエットの写真に心底惹かれていた理由。
それは強烈に「今、この瞬間を生きる」という瞬間を切り取られていたからだと思う。
SNSの台頭で消費社会が進み、
どうしても自分が「何かに消費されている」という感覚がどこかにあった。
地面に浮き足立って歩いていて、生きている感覚が持てずにいる自分がいた気がする。
そんな中で奥山さんの写真を見ていると強烈に「今、この瞬間を生きている」という感覚が蘇ってくるのだ。
毎日の仕事に疲れはて、何のために自分の時間を使っているのかわからなくなった人が見に行くのもいい。
自分らしさを追い求め、SNSで自分の居場所を探している人が行くのもいい。
きっと26歳という若さで強烈な「生」を表現している奥山さんの写真を見れば、
どこか心の響くものがあるのだと思う。
最後に帰り道にトイレに入ったら、ばったり奥山さんと遭遇したけども、
ものすごく忙しそうにしていて声をかけられなかったのが心残りだ。
10代の頃に映画「シンドラーのリスト」を観てから、どうしてもこの感情が拭いきれないでいる
「長いこと生きていると、その時、出会うべき人に出会える瞬間がある」
そんなことを昔、ある人に言われた
出会うのが早すぎてもダメ。
社会に出て、いろんな経験をしていく中で、少しずつバケツの水が溜まっていくかのようにして、自分の価値観も変わっていき、出会うべき人に出会う瞬間がある。
出会うべきものが人でも、物でもいい。
今まで積み上げてきたものが凝縮され、出会うべき時に出会えるものがある。
その時にはわからなくても、時間が経てば、きっと気づくこともある。
そんなことをある人に言われた。
自分の人生観を変えるような出会い?
それって一体なんなのだろうか。
大学を卒業して、まだ数年しか経っていなく、未だにそんな出会いがあるのかどうかもわからない。
だけど、自分の脳裏にずっと焼き付いて離れず、きっと無意識のうちに影響され続けている映画がある。
それは「シンドラーのリスト」という一本の映画だった。
始めて観たときは確か高校生だったと思う。
なぜかTSUTAYAに置かれていた映画のパッケージに惹かれ、手に取っていたのだ。
「シンドラーのリスト」を観たときのことを今でも覚えている。
3時間以上もある長い長い映画だったが、一瞬たりとも目を背けず、
じっと見続けてしまった。
全編モノクロの世界で表現されているこの映画に当時の私は相当感化されてしまったのだと思う。
とにかく見ていくうちに、画面から目が離せなかった。
目を離してしまうことが自分に許せなかった。
モノクロで表現されているこの映画は、人類史上唯を見ない大虐殺が起きた事実をこと細かく丁寧に描いていく。
ただ広い荒野の真ん中、静寂に包まれている時、一本の銃声が響きわたり、人が機械的に処理されていく様を見て、とても恐怖を感じた。
映画を見ているから怖くなったというよりも、この映画で見た景色が実際に起きたことに恐怖を感じたのだ。
当時のホロコーストを生き残った生存者たちの証言をもとに作り上げていったこの映画は、まるで記録映画のようにただ刻々と事実を捉えていく。
高校生だった私は、ただ目の前に広がっていたモノクロの世界を呆然としながら眺めていたのだと思う。
そこに描かれているのは、人間の恐ろしさであり、美しさでもあった気がする。
監督のスピルバーグと撮影監督を務めたヤヌス・カミンスキーが作り上げたモノクロの映像はどこか悲しみを奏でるように美しい響きが広がっている。
モノクロの世界に響き渡る悲しみの色合いと、大量虐殺が起きていく中でもユダヤ人を救うため、立ち上がったドイツ人の正義感が全編で美しいハーモニーを奏でているのだ。
モノクロの世界に広がる雪景色はとにかく美しい。
当時の真冬のドイツには、夜空から毎日のように雪が降ってきたという。
だけど、この雪は収容所の煙突から舞い上がっていた大量の灰だとわかった瞬間、なんとも言えない悲しみが心の奥底で湧き上がってくる。
未だにどうしてもこの映画だけは年に一回は見てしまう。
何度でも見てしまう。
全編モノクロの世界で表現されているこの記録映画のような物語に私は相当
かんかされてしまったのだろうか。
普段、街中で写真を撮ることが多いが、どうしてもこの映画を思い出してモノクロ写真を撮ってしまうのだ。
世の中に蔓延している違和感というものを、どうしてもモノクロの映像で切り取りたくなるのだ。
毎日のように忙しい日々を送っていると、日常に潜んでいる他人の悲しみなどを見ている暇などない。
人身事故が起きても、見て見ぬ振りをしてしまった方が楽である。
だけど、どうしても見て見ぬ振りができないでいる自分もいる。
何も感じずにいてもいいのか……
そんなことを、社会人をやっていてもふと思ってしまう。
10代の頃に出会ったこの映画は私の脳裏にとても焼き付いてしまったらしい。
全編モノクロで描かれたこの記録映画のような美しい物語は、大量虐殺が起こった悲しみと人間の怖さを伝えている。
当時のドイツの役人達がいかにして機械的にユダヤ人を処理していったのか。
そのことをしっかりと歴史に残している。
この映画は本当に人として一回は見なきゃいけない映画だと思う。
10代でこの映画と出会った私はその後も社会に潜む違和感というものに目を背けられなくなってしまった。
戦争が終わり、どんな世の中になっても、悲しみを抱えてモノクロの世界でしか社会を見られない人たちがいる。
そんなモノクロの世界でも、些細な一瞬でも色あざやかなカラーに見える光景があるのだと思う。
この映画を観てから私はずっと、オスカー・シンドラーの心を変えた、赤い服の少女の面影を探しているのかもしれない。
全てがモノクロに見えていた当時の私を変えた、あるひとつのフィルムカメラ
「とにかく全部捨てよう」
そう決心してすぐ私は東南アジア行きのチケットを買っていた。
もう何もかも捨ててしまえ。
無理やり自分を押し殺して生きていくことに疲れ果て、私の心は限界に来ていた。
他人の目が気になる。
仕事を辞めてしまった自分に居場所なんてない。
当時の私は相当、精神的に滅入っていたと思う。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、劣等感で人とも全く会えなくなった。
ツイッターやフェイスブックに流れてくる同級生たちの投稿をみつけては、家に閉じこもりニート生活をしていた私は劣等感に苛まれ、身動きが取れなくなっていた。
やりたいことなんてない。
人とも話したくない。
今思えば、人生どん底の日々である。
ずっと家に閉じこもり、死んだ目をしたまま天井を見上げていると、ふと思い立った。
「いったん、全て捨ててしまおう」
私が唯一選択したことは、日本をいったん離れ、海外に行くことだった。
とにかく今、自分の置かれている状況から離れたかったのだ。
世界がモノクロにしか見えなかった私は、とにかく逃げることで必死だった。
このままでは死んでしまう。
とにかく日本から離れよう。
昔から日本に暮らしていたが、どうしても馴染めないと感じている自分がいた。
小学校の頃から、右習えの教育を習い、大多数の意見に流され、気がついたら
自分の居場所がどこにもないように感じていた。
何でこんなに生きづらいのか。
小学校の頃からどこか違和感を感じていたが、社会人になってからがピークだった。
あっ、だめだ。このままじゃ死んじゃう。
自分の中に湧き上がっていた黒い感情がプクプクと湧き上がり、徐々に心に浸透していった。
満員電車の中で軽くパニック障害になり、動悸が激しくなって、あわゆく人身事故を起こしかけたこともある。
とにかく全部捨てよう。
その一心で、私は逃げるようにして東南アジアの旅に出た。
タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと回っていくうちに多くの刺激的な旅人と出会った。
カンボジアで一人ゲストハウス経営を始めた女性。
一輪車に乗って世界一周をしている旅人。
世界中の薬草を探している研究者。
耳が聞こえないのに韓国語と、日本語、英語を理解するスケベなおっちゃん。
いろんな価値観と出会った。
日本にいた時には、会社という小さな世界でしか物事を見れていなかったが、いったん外の世界に行けば、ものすごく大きな世界が眼の前には広がっていた。
自分は今までどれだけ小さな世界を見ていたんだろうか。
そのことに気がつき始めた頃、ある一人の旅人と出会った。
その方はベトナムからラオスを旅しているうちに、なぜか不思議な縁に導かれるかのようにして、行くところ所で再会していった。
最初はベトナムのフエという街のゲストハウスで偶然出会った。
その後もラオスに向かう国際バス(ラオスの断崖絶壁を24時間にわたって突き進む……地獄のバス移動)の時もなぜか不思議と再会した。
ラオスの旅をしているうちにその人がいつも抱えていたフィルムカメラが気になって仕方がなかった。
旅人がみんな行くような絶景を訪れても決してシャッターを切らないのだ。
なんでだろうと思っていた。
その旅人が大切に持っていたのは古びたフィルムカメラだった。
「みんなスマホで簡単に絶景を写真に撮るけど、国に帰ってその写真を見ることなんてあまり無い。本当にいいと思った瞬間だけシャッターを切ればいい」
当時の私はカメラに疎く、あまり言っていることがピンとこなかったが、日本に帰ってからもその方が言っていた言葉がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。
「カメラを始めれば世界の見方が変わる。君は絶対カメラは始めた方がいいよ」
日本に帰ってから、転職活動を始め、徐々に社会復帰をしていった。
気がついたら再びサラリーマンをやって、社会の歯車の中に染まっていた。
別に仕事に不満があるわけではない。むしろ今の仕事先は好きである。
だけど忙しい毎日を送る中で、ふと何か忘れてはいけない感情があるような気がしてならなかった。
満員電車から吐き出されるようにして、人でごった返している渋谷の街を歩き、目の前の世界がモノクロにしか見えなかった私が、どうしても見たかった景色が眼の前にある気がするのだ。
気がついたら私はカメラを買っていた。
約8ヶ月かけて徐々にお金を貯めて購入した。
カメラを始めてから驚いたことがあった。
今まで自分が見ていたモノクロの世界が色あざやかに見えるのだ。
普段乗っている満員電車の中でも、ささいな日の光でさえ美しく感じられ、涙が溢れてくるようになった。
そうか。
あの人が言っていたことは、こういうことだったのか。
気がついたら私はカメラに夢中になっていた。
数日前、フェイスブックのつながりで私はその旅人と再び再会した。
新宿の居酒屋で飲みながら、当時の旅のことを話しているうちにとても懐かしい気分になった。
「あのラオスの山奥で出会ったスケベなおっちゃん、今何やっているんだろうか?」
「あの24時間のバス移動は本当に命がけだった……」などなど。
ふと眼の前に座る旅人にこんなことを言われた。
「本当に君、顔色が変わったね。だいぶ話しやすくなった」
私はへ? という感じだった。
聞くところによると海外にいた頃の私は相当精神的にやばかったらしい。
常に死んだ目で街を徘徊していたようなのだ。
そんなに変わったものなのか?
自分にはよくわからない。
だけど他人の目からしたら相当変わったらしい。
気がついたらカメラの話になっていた。
旅人がいつも大切に抱えているライカのカメラを見せていただいた。
カメラファンにはたまらない人気のブランドだ。
50年以上前のモデルでも全く色あせない。
私はライカを見せてもらっているうちに、ふと気がついた。
フィルムカメラはファインダー越しでしか世界を見れないんだ。
私が普段使っているソニーのα7Ⅱというデジタル一眼カメラは、液晶モニター越しに目の前の世界を見ている。撮った写真もすぐに液晶モニターで確認できる。
しかし、ライカなどのフィルムカメラはファインダー越しでしか世界を切り取れないのだ。
小さなファインダーの中を覗いているうちに私は不思議な気分になった。
あ、カメラってルビンの壺なのかもしれない。
ルビンの壺は見る人の見方によって、壺にも見えるし、人にも見える。
カメラのファインダー越しに見えるありふれた日常の世界も、見る人によって見方がだいぶ違ってくる。
たとえ些細な日常でも、人によって大切な一瞬の写真にもなり得るし、つまらない写真にもなり得る。
仕事なども同じなのかもしれない。
サラリーマン人生はつまらないと思っている人にとって、会社勤めはつまらないものでしかないのだ。
社会は理不尽だと思っている人にとって、社会がそう見えるだけなのだ。
身の回りにある光景も、切り取り方次第でだいぶ見えてくる世界も変わってくる。
私はカメラを始めてからちょっとずつ、そのことに気がついていたのかもしれない。
どんな些細な景色でも、見る人の捉え方によって最高の絶景にもなり得る。
きっと絵になる景色はいろんなところに転がっているのだ。
私は死にそうになりながらも海外を放浪し、カメラと出会ってから、ちょっとずつ見えてくる景色があったのかもしれない。
ファインダー越しに見える世界をどう切り取るかは自分次第。
ある人には色褪せたモノクロに見えるだろうし、ある人には色あざやかなカラフルにも見える。
きっと、どのように世界を切り取るかを決めるのはいつも自分自身なのだ。
そのことに気がつくまで、結構な時間がかかってしまった。
カメラを通じて、私は相当多くのことを学んでいたのかもしれない。
社会人になってずっと「空虚感」を抱えている人がいたら……
「なんでこんなに頑張っているんだろう」
ふと満員電車の中で思い立った。
終電近くの満員電車の中は、いつも人でごった返している。
大抵は疲れた顔をしたサラリーマンで埋めつくされている。
仕事のイライラが溜まっているのだろうか。
何か仕事上の話をボソボソと呟いているスーツ姿のおじさんたちもいる。
終電近くの電車に乗るとき、私はいつも本を読んで周囲の光景をシャットアウトするようにしている。
そうしないと負のオーラを出しきっている疲れた表情の人たちが気になってしまい、自分も影響され精神的に疲れてしまうのだ。
別に仕事に不満があるわけではない。
入社して半年以上たち、徐々に仕事の大変さもわかるようになって、ちょっとずつだが社会人としての第一歩を踏み出してきている気はする。
残業が多くても、以前にやっていたテレビ局のADの仕事よりかは苦ではない。
フリーターの時代が長かったせいか、仕事があるだけでありがたく思えてきて、仕事を楽しんでやれている。
だけど、時々思ってしまう。
「どうして自分はこんなに頑張っているのだろうか」
社会人をやって初めて気がついたことなのだが、
一つの会社の中でもこまめに働いている人もいれば、
適当に言われたことだけをやって定時に帰ってしまう人もいる。
そのことにだいぶ驚いた。
会社の中でもこんなにも働き方の違いがあるのか……
部署によってもだいぶ違ってくる。
忙しい部署に配属になると、死ぬほど忙しく残業の嵐になる。
その一方、暇な部署に配属されると、周囲の上司もみんな定時に帰っていくので、夕方過ぎになるとみんな消えていく。
サラリーマンとなると基本的に残業しようが定時に帰ろうが給料は一緒だ。
費用対効果を考えると言われたことだけをやって定時にさっと帰ってしまう方が楽だ。
だけど、どうしも自分は……
もっと働きたい。
もっと一人前になって、きちんと働けるようになりたい。
そう思って、毎日夜遅くまで残業して、自分のペースで仕事してしまう。
別に仕事や残業に不満があるわけではないが、どうしても心の奥でモヤモヤとした黒いものがあった。
なんだろう。
この違和感は。
仕事に夢中になってがむしゃらに営業先を走り回っても、どうしても違和感を抱いてしまうのだった。
高校生の頃はみんな開かれた将来に向けて、胸をときめかせていた気がする。
「ミュージシャンになりたい」
「アーティストになりたい」
そんな夢を周囲に語り、大学に進むなり、専門学校に進むなりして自分の進路に向かって飛び出していった。
だけど、大人になり、徐々に社会の現実というものに気がつき始めると、
夢を語る人も周囲から消えていった。
「あいつ写真家になるって言っていたのに今何やってんだろう?」
「役者になるって言って学校を辞めたあいつ、まだアルバイト生活らしいよ」
そんな声をちらほらと聞く。
そういえば大風呂敷を広げてそんなこと言っていた人がいたな……
と傍観者の目線になっている自分に気がつき、自分に対して嫌気がさしてくる。
自分も一度は将来に対し夢を抱いていた時期があった。
映像に関わる仕事がしたいと思い、実際に撮影現場を訪れたりして自分の夢の仕事に近付こうとしていた。
だけど、やっぱり実際の現実は厳しい。
いつしか高校時代に思い描いていた職業から遠ざかり、今は会社員になって働く日々を送っている。
別に仕事に不満があるわけではない。
だけど、どうしても高校時代の自分が今の自分を見るとどう思うのか?
そんなことを思ってしまう。
どこかずっと「空虚感」というものを抱えながら生きている感じ。
その「空虚感」を忘れるためにも今は仕事に熱中している感じがするのだ。
そんな時にこの本と出会った。
今の自分じゃなきゃ出会えなかった本かもしれない。
「光と写真について書かれた最高の小説があります。読んでみてください」
数回しか直接お会いする機会がなかったが、その人の仕事への考え方や生き方に共感してしまい、何度かやりとりさせていただいている方が自分にはいる。
その方はいろいろ苦労されて今は起業して会社の社長をされている。
多分、行動すれば人生が開かれることを知っているのだろう。
今は海外で起業することを目標に人生の階段を猛スピードで駆け上がっているみたいだ。
「光と写真について書かれた小説?」
一体どんな本なのだろうかと思った。
ひとまず本屋に駆け込むその本を手に取ってみた。
鮮やかな装丁にタイトルが書かれていた。
「砂に泳ぐ」
本の装丁を見た瞬間、直感的にこの本は読まなきゃと思った。
どうしても読んでみたい。
そう思ったのだ。
すぐにこの小説を買い、毎日の通勤時間の隙間に読み始めていった。
読み始めると止まらなくなってしまった。
なぜか気がついたら涙が出てきてしまうのだ。
この小説の主人公が会社経営をしている知り合いの方にも見えてくるし、自分にも重なって見えてきてしまうのだ。
何でこんなに感情移入してしまうのだろうか。
その小説の中にはやりがいを見つけられず生きづらさを抱えていたある女性が、写真を撮ることと出会い、一人の女性として成長し、自立するまでの物語が描かれてあった。
少しずつ少しずつ、迷いながらも自分の道を切り開いていき、
最終的にはフォトグラファーになる主人公は力強くこんなことを言っていた。
「心が動いた時、その時の風景や空気、その向こうにあるかもしれない物語を切り取りたい」
仕事に対し、空虚感を抱えながらも力強く自分の道を見つけていった主人公の女性を見ているうちに涙が溢れてきてしまった。
遠回りしてきても、少しずつ自分の道を見つけていけばいい。
そんなことを感じるのだ。
忙しい毎日を送る中でも、目の前のことに無我夢中になっていたら、きっといつか道は開かれるのではないか。
そんなことをこの小説を読んでいくうちに感じた。
きっと、これからも「空虚感」に思い悩む時、この小説のページを自分は開いているのだと思う。
読む時期によって感じ方も違ってくるのだろう。
今だに自分が本当に何がしたいのか、さっぱりわからない。
だけど目の前のことに真剣に取り組んでいれば、きっと数年後には何か見えてくる景色があるのだろうと思う。