「何かに消費されている」と感じる人こそ、写真家奥山由之さんの写真展には行った方がいいのかもしれない
「なんだこの写真は……」
電車の壁にプリントされた一枚の広告写真を見て、私は思わず立ちすくんでしまった。
青空の下で一本のポカリスエットが宙を舞っている写真。
フィルム特有の色合いで描かれた一枚の写真に私は度肝抜かれた。
とにかく写真を見ただけで、心にドシンと何か重たいものがのしかかってきたのだ。
電車のつり革を見ていると、その写真以外にもポカリスエットの写真が多くプリントされていた。
ポカリスエットの広告である「潜在能力を引き出せ」というキャッチコピーを聞いたことがある方は多いかもしれない。
渋谷の駅前で展示されていた青く塗られた高校生たちの写真を一度は目にした人も多いと思う。
写真家、奥山由之さん。
現在26歳の若手写真家だ。
私が今25歳だから、同世代でこんなにすごい人がいるのかと驚いてしまった。
彼の写真を初めて目にした頃、相当私の精神状態は病んでいたらしく、電車に乗っている時も目がまばらな状態で生きているのか死んでいるのかわかならい状態だった。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、海外を放浪しては日本に帰ってきて、何を目標にして、どっちの方向を向いて走っていけばいいのかわからなかった。
会社を数ヶ月で辞めたという強烈な劣等感からか、同級生たちが投稿しているSNSなども見れなくなった。
何かに消費されている。
ずっと心の奥底でそんな感覚があったと思う。
消費社会が進み、皆同じような服を着て、ツイッターやインスタグラムにアップするために、あえて人と違った行動を取る。
バブルが崩壊して、消費社会の成れの果てに人の欲求は「生き方」が商品になったという。
自分らしく生きよう。自分らしさを発揮できる仕事に就こう。
私が92年生まれのゆとり教育にどっぷりと浸かっていた世代の世界、何かやたらと「自分らしく生きよう」というフレーズを耳にするようになった気がする。
自分らしさって一体なんだ?
私も「人と違ってこんなことができる」
「自分にはこんな才能がある」と思い込みたかっただけなのかもしれない。
誰かに「君には少し違った素質を持っている」と言って欲しかったのだろうか。
就活ではどこかクリエイティブでかっこいい雰囲気のある広告代理店やマスコミ関係の会社を受けまくっていた。
結局全て落ちたが。
ゆとり世代に生まれて、どうしてもこの「自分らしさ」という呪縛に苛まれ、
私はどうも身動きが取れなくなってしまったらしい。
会社を数ヶ月で辞めたという劣等感も重なって、去年は相当精神的に滅入っていた。
そんな時、青空のもとに舞い上がったポカリスエットの写真を見かけた。
普段、写真などあまり見たことがなかったのに、なぜか強烈にその写真に私は惹かれた。
青いプールを舞う高校生たちが強烈に「今を生きている」ように感じたのだ。
普段、呼吸をして生きている感情など忘れてしまいがちだが、この写真を見たときだけは強烈に「今を生きている」という感覚が蘇る。
あの写真との出会いから一年が経った今、私は今でもその写真がずっと心に残っていた。
転職先で毎日忙しい日々を送っていても、ずっと頭の片隅でその日に見た青空のポカリスエットの写真が脳裏に焼き付いて離れなかった。
そんな時、奥山さんが個展を開くという話を聞いた。
これは行くしかない。
そう思い、浜松町で行なわれている奥山さんの写真展に足を運ぶことにした。
エレベーターで展示会の階にあがった瞬間、驚いた。
ものすごい人混みなのだ。
写真展といったら、人がまばらに入場しているだけだと思っていたが、
とにかく人で溢れかえっているのだ。
しかも、男性女性、お年寄りの方から学生まで、いろんな層の人で混み合っていた。
え? 奥山さんって今26歳だよね。
自分とほとんど変わらない年齢でここまですごい個展を開く人がいるとは……
人で混み合っている中、展示されている写真を一つ一つ見ていった。
奥山さんが得意とする広告用の写真とは別に、田舎の田園風景を撮った写真、プールで泳いでいるスーツ姿の人、赤と街灯が印象に残るカフェの椅子。
写真一枚一枚を見ていくうちに「今、この瞬間を生きている」という感覚が蘇ってきた。
ただただ、私は圧倒されてしまった。
とてつもないものを見せつけられた感覚。
頭の中の感受性が過剰反応したのか、なんだか体調が悪くなってしまい、椅子に座って休むくらいだった。
ただただ、圧倒されてしまった。
26歳というほぼ私と同い年の人にこんなにも心を動かされるなんて……
呆然としたまま一時間近く写真展の椅子に座っていると、少しずつ気分が落ち着いてきた。
こんなに写真を見ただけで心が動かされたのは初めてだった。
自分がポカリスエットの写真に心底惹かれていた理由。
それは強烈に「今、この瞬間を生きる」という瞬間を切り取られていたからだと思う。
SNSの台頭で消費社会が進み、
どうしても自分が「何かに消費されている」という感覚がどこかにあった。
地面に浮き足立って歩いていて、生きている感覚が持てずにいる自分がいた気がする。
そんな中で奥山さんの写真を見ていると強烈に「今、この瞬間を生きている」という感覚が蘇ってくるのだ。
毎日の仕事に疲れはて、何のために自分の時間を使っているのかわからなくなった人が見に行くのもいい。
自分らしさを追い求め、SNSで自分の居場所を探している人が行くのもいい。
きっと26歳という若さで強烈な「生」を表現している奥山さんの写真を見れば、
どこか心の響くものがあるのだと思う。
最後に帰り道にトイレに入ったら、ばったり奥山さんと遭遇したけども、
ものすごく忙しそうにしていて声をかけられなかったのが心残りだ。