ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「大人になってしまった自分」に、言い聞かせるように……  

f:id:kiku9:20190109234203j:plain

 

 

「大人になってしまったな」

最近、つくづくこんなことをよく考えるようになった。

社会人になって、毎日会社に通勤していると、ある日突然

「あれ、俺って結構社会人きちんとやっているじゃん」

そんなことを思うようになった。

 

学生時代はあれだけ、

「自分は社会人に向いてない」と大きな声で喚いて、人とちょっと違った職種

(クリエイターやらノマドワーカー)に憧れていたりした。

 

朝の満員電車の中では疲れた表情のサラリーマンがひしめき合っているのを高校生の頃から見ていて、「死んでもサラリーマンなんかやりたくない」と思っていた。

 

しかし、そんなことを言っていられるのもせいぜい学生の頃までで、気が付いたら、社会の枠にしっかりとはまらなきゃいけない時期が近づいてくるものだ。

あれだけ「サラリーマンなんてやりたくない」と思っていたが、一人で社会に立ち向かう勇気も持てず、周りに流されるかのようにして、会社員になることを選んだ。

 

結構、長い間フリーターのプー太郎をしていたせいか、仕事を始めてみると、

「案外、仕事って面白いんだな」と思った。

見積もり一つ作るにも、最初の頃はだいぶ苦戦していたが、徐々に回数をこなすうちに慣れてきた。

 

悪戦苦闘しながら二年近く会社員生活を過ごしているうちにある日、突然ふと思った。

「あれ、案外自分っ社会人できているな……」と。

まだまだ、未熟だと思うが、少しだけ大人になった自分に驚いたりする。

 

そして、「大人になってしまったんだな」と物悲しくなる。

 

学生の頃は無我夢中になって、何かに取り組んだり、

無駄な時間を過ごしては、映画を見て号泣したり、日常の些細な出来事にも妙に感動してしまい、胸をときめかせていたことが多かった気がする。

 

しかし、大人になっていくに連れて、そういった感性がどうしても擦り切れていく。

 

毎日、通学の際に見えていた夕焼けに昔は妙に感動していた。

今では毎日、営業先から夕焼けを見ても、「あ、もう夕方だ。会社に戻ってから見積を作らなきゃ」と焦るだけの時間になっている。

 

「大人になるってこういうことなのか……」

自分の中では少し成長したと思う反面、何か大切なものを失っていく感覚がずっとあった。

 

昔は明け方まで友達と馬鹿騒ぎをしたり、アホみたいな自主映画を作ってはどんちゃん騒ぎをしたりしていたのに、あの頃の無我夢中になっていたものってなんだっけ。

 

自立しなきゃ。

自分でお金を稼がなきゃ。

 

社会の枠に染まっていくうちに何かを失っていく感覚がどうしてもあった。

 

そうだ、旅に出よう。

そう、ふと思った。

 

思い立ったら早かった。

昔から旅が好きで、割と社会人になってからも海外にふらっといったりすることがあったが、久々に国内を一人旅しようと思った。

 

正直、少しの間だけでも自分のいる身の回りの世界から離れられればどこでも良かった。

 

自分が選んだ場所は伊豆大島だった。

東京から船で二時間ほど。

 

都心から100キロしか離れていない離島だ。

以前から離島に興味があり、正月休みを利用して、久々に一人旅に出ることにした。

 

東京から2時間ちょっと。

竹芝フェリー乗り場からあっという間に大島に着いた。

 

着いた途端、「あ、本当に離島だ」

と思った。周囲360度海で囲まれている。

 

それに島で一番大きな街である元町港付近も、お土産屋やお食事処がちょこっとあるだけで、コンビニ一つなかった。

 

バスも1時間に一本くらいしかなく、レンタカーもレンタサイクルも予約せず、何も計画を立てずにひとまず島に来てしまったため、到着した瞬間、困ってしまった。

 

スマホで予約した宿までの距離を見ると徒歩1時間ほどの距離だ。

これはもう歩いてしまえ。

そう思いたち、12月末の海風で凍えるような寒さに耐えながら大島を一人歩くことにした。

一時間ほど歩いて宿に辿り着いた。

 

夕方の5時過ぎだったため、宿の近くにあった港町でごはんでも食べようと思い、街を探索するが

「飯屋がねぇ」

お腹がなる中、寒さに耐えて必死にご飯が食べられる処を探したが、全く空いていなかった。

あとから知ったのだが、大島では5時過ぎになるとほぼすべての食堂が閉まってしまうらしいのだ。

コンビニは島に一見もなく、小さめのスーパーが島に3,4件あるだけである。

 

旅行者はみな東京にいる間にカップラーメンを買って、宿に持ち込んでいるのだ。

 

初日は完全に乞食状態になってしまい、宿の人に頼んで、おでんをご自走になった。

泊まった宿は、ドミトリーのゲストハウスだった。

乞食状態でおでんを食べていると、となりに小さめのドローンを持った青年が座ってきた。

話を聞いてみると、自分より5歳年下の21歳で、三原山山頂からドローンで初日の出を撮影しに、大島にやってきたという。

 

今日は本番に向けて、ドローンを海辺で飛ばしたという。

ドローンの映像を見せてもらったが、まぁキレイなのだ。

こんなにドローンってキレイな映像が撮れるのか。

 

手のひらに載るくらいのドローンを見て、テクノロジーの進歩に驚くと同時に、

2019年の元旦から三原山の山頂からドローンを飛ばしに大島に来る無茶苦茶な若者になんだか昔の自分を思い出しているようで懐かしくなってしまった。

 

また、宿には島中を自転車で旅している高校生3人組と出会った。

この高校生も元旦の初日の出を三原山の山頂で見ようとしているらしい。

 

そして、己のプライドもあり、三原山火口までチャリで行こうとしているという。

 

無茶苦茶で個性豊かな人たちと宿をともにしているうちに、あっと言う間に時間が経った。

 

朝の4時に起床して、三原山山頂を目指した、自分とドローン小僧は山頂の入り口までレンタカーで行った。

自転車高校生は己のプライドもあり、チャリで山頂近くまで登っていった。

 

車で登れるのは山頂口までであり、そこから山頂まで徒歩で1時間ほど登ることになる。

朝5時の凍えるような山風に耐えながら、山頂を目指した。

途中、空を見上げて見ると満点の星空が見えた。

そして、目の前を見ていると、昨日まで自分がいたはずの東京が見えた。

 やはり、明け方の5時でも東京には多くの灯火が見えた。

普段、あの場所で自分は走り回っているんだなと考え深くなっていると、

気がついたら山頂に到着していた。

 

山頂で30分ほど待機していると、朝日が登ってきた。

カメラを持って待機していると人が集まってきた。

 

やはり山頂から初日の出を見ようとする人は多いらしい。

30年前に噴火した三原山だが、今でも火口からは湯気が出ていた。

 

山頂から日の出を眺め、ドローン小僧は張り切って、ドローンを飛ばしていた。

(いちよ法律上は問題ないとのこと)

 

日の出を眺め、無我夢中になって山を登っていくと頭が空っぽになってしまった。ただただ呆然としながら初日の出を見ていた。

 

思えば、普段自分はいろんな重荷を背負い過ぎていたのかもしれない。

給料が欲しい。もっと自由に働きたい。毎日残業だ。

などなど社会に染まっていくうちに何かを忘れていく。

 

無我夢中になって、三原山の山頂まで登っているうちに、何か心が少し晴れた気がした。

 

山頂から下山し、宿に戻って、風呂に入った。

風呂から出て、ちょっと遅い朝ごはんを食べていると、チャリバカ高校生軍団と宿に宿泊していた50代過ぎのおっちゃんが人生相談をしていた。

 

高校生軍団はひとまず大学に行こうと思うが、将来何の仕事に付きたいか判らないという。

「俺も30過ぎまで、自分が何に向いているかなんてわからなかったぞ」

そう自慢げにおっちゃん達は言っていた。

 

そういえば自分も高校生ぐらいのときは何がやりたいかなんて一ミリもわからなかったな……

というか26歳になっても未だに心の奥底から何がやりたいのかなんて、わからないよな。

 

眼の前に可能性が開かれている高校生たちを見ているうちに、なんだか羨ましくも思えてくるうちに、なんだか妙な感覚になった。

自分はずっと学生時代が過ぎて、大人になってしまったら、どこか人生が終わった感覚があった気がする。

ある程度の歳になったら、社会のレールに乗っていかなければならない。

学生の時のように無茶苦茶なことはしてはいけない。

可能性が開けているのは学生のうちだけ。

そんなことを思っていた。

 

だけど、それって自分の思い過ごしなのかもしれない。

実はそんなレールは存在してないのかもしれない。

眼の前に壁なんてないのかもしれない。

 

ふと、そんなことを思った。

 

一人旅に出ることは年末の大掃除に似ている。

余計なものを捨てて行って、最後に自分にとって必要なものだけを残していく作業。

 

少しずつ、少しずつ自分の心の中に溜まっていった膿を今回の旅で少しだけ落とせた気がする。

 

可能性が開けた高校生を見ているうちに、自分も負けてられないなと思った。

何かを本気でやりたい時に、目の前に壁が存在するなんてありえない。

 

自分の思い込みに過ぎない。

そんなことを強く感じた。