ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

ひとと関わらなければ、ひとに輪郭は生まれない  

 

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「君は思い込みが強すぎる」

ある日、突然職場の上司にこんなことを言われた。

 

自分が担当しているお客さんに挨拶に行った時、

「仕事が忙しそうで、全く相手にされなかった」と報告した時だった。

 

「あの人はそんな無責任な方じゃないよ。君がその人をそういう人だって思い込んでいただけじゃないの? 君は思い込みが強すぎる」

 

その言葉を言われた時にハッとしてしまった自分がいた。

確かにその通りである。

 

自分が子供の頃から悩んでいた部分を的確に指摘されて、えぐり取られた感じ……

 

 

自分は昔から人と関わるのが苦手だった。

小学生の頃から、どこかクラスメイトと馴染めない自分がいるのには気がついていた。

自分の考えがあるのに、うまく言葉にして吐き出せない感触。

ずっとモヤモヤを抱えて、じっとしていられなかった。

 

いつからだろうか。

クラスの隅っこでうずくまっているうちに、授業中も昼休みもただひたすら時がすぎるのを待つようになっていた。

 

「人と関わるのは面倒だ。だから自分の世界に引きこもっていればいい」

そう思い、部活動もろくにせず、学校が終わると一目散に家に帰っていた。

 

団体行動を取ろうにも、うまく出来なかった。

中高と野球とかバスケをやってみようと、部活の体験入学などをやってみたが、

みなで同じ方向に走る……

団体でプレーをするということにどうしても馴染めない自分がいた。

 

なぜか団体行動をしようとしても、どっと精神的に疲れてしまい、ぐったりとしてしまうのだ。

 

「なんで自分はこんなにも人と関われないのだろう」

とそんなことを思い、いつしか自分の殻に閉じこもるようになった。

 

周囲の心ある人間にも目に見えない膜を貼り、自分の枠の中に入ってくるのを拒絶するようになった。

 

「君は人に対する思い込みが強すぎる」

そう上司に言われた時、自分の人生の中での人間関係の問題がすべて露呈してしまった気がする。

 

人と関わるのは苦手だ。

だから、周囲にバリアーを張って、自分が傷つくのを避けている。

そんなことは自分でもわかっている。

だけど、どうしても人の性格はなかなか変わらない。

 

いつしか、人と会っても、ちょっとした仕草だけで

「あ、この人はこういう人なんだな」

「いま一瞬、目を背けたから、この人はきっと自分に興味が無いんだな」

 

ちょっとした仕草や行動だけを読み取って、その人を判断してしまうようになった。

初対面の人と5分くらい話して、相手のことをすべて理解するのは不可能だろう。

目を背けたりする行動も、その人の性格の氷山の一角にすぎないのかもしれない。

だけど、思い込みが激しい自分はちょっとした仕草を読み取るだけで、

「あ、この人はこういう人なんだな」と思い込む。

 

いつも仕事に疲れてしまい、家に帰る時には、ぐったりときてしまう。

「あ、今日もうまくいかなかったな」

 

そんなことを思っている時、いつものように本屋に立ち止まった。

ふと、目に入った本が気になった。

 

「臆病な詩人 街へ出る」

高校生詩人として一世を風靡したしじんの文月悠光が書いたエッセイ集である。

なにげなくページを捲っていると、ふと目に入った言葉が突き刺さった。

 

なんだこのエッセイ。

 

表紙の写真がとても好きだった。

臆病な詩人が光る街に出ていく感じ。

その物語が一枚の写真に写りだされていた。

 

気がついたら、レジで会計を済ませていた。

 

 

いつものように満員電車に揺られながら本を読み進めた。

高校生にして最年少で中原中也賞を取ったJK詩人。

そんなJK詩人もいつしか大学を卒業して、大人となって東京に出てくる。

 

社会から自分がどう見られているのか?

自分が社会から何を求められているのか?

 

高校生の頃から周囲から詩人というレッテルを貼られ、悩み苦しみながらも

懸命に言葉を継ぐっていく。

 

ありふれた日常に潜む、かすかな光を言葉にまとめていく。

そんな姿勢に心が惹かれてしまった。

 

そして、ある一説が目に焼き付いて離れなかった。

知り合いの作家が亡くなった際に自分に投げかけられた言葉。

それが一つの文章になっていた。

 

「ひとと関わらなければ、ひとに輪郭は生まれない」

 

恋愛も人間関係もすべて片思いからはじまる。

一方に好かれていても、自分の感情が相手を忘れてしまうこともある。

変動する自分の心を知ってほしい。だけど、相手を忘れたくない。

 

そんな矛盾に満ちた恋愛や人間関係のすべてがこの言葉に置き換えられている気がした。

 

恋愛も人間関係も、相手をよく知ろうとすればするほど、傷つく。

だけど、相手のことを知ろうとすればするほど、

いつしか相手との思い出が自分自身のかけらになっていく。

自分自身に輪郭が生まれていく。

 

 

なんだか、この一行の言葉に救われる思いがした。

 

人間関係は正直、面倒である。

自分のような「自分の世界に酔い浸りがちな」性格には、きっと辛い部分もある。

 

だけど、この言葉にある通り、

「ひとと関わらなければ、ひとに輪郭は生まれない」のだ。

 

いつも「人が嫌い」と言って、逃げていた自分がいる。

だけど、この言葉と出会ってから、どこか前を向いて人と関わらないとなと思うようになった。