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「努力しない人間は嫌いだ」……ある人に言われたこの言葉が脳裏に焼き付いて離れない

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ガタン、ゴトン。

金曜日の夜遅く、いつものように疲れた表情で満員電車に乗っていると、疲れた顔をしたサラリーマンが目に入る。

 

明らかに疲れているんだろうな。

 

パッと見ても明らかに目の色が暗く、疲れた表情の人たちが目に映ってくる。

自分も周囲からこんな風に見えているのだろうか。

 

 

今自分が就いている会社はカメラを扱う会社で、カメラ好きの私にとっては夢のような職場だ。

あまり、仕事に不満はない。

だけど、疲れた体で電車に乗っていると、どうしても心が濁ってきてしまう。

 

目の前にはストレスが溜まっているのか、何かとブツブツと仕事上の不満をつぶやいているおじさんがいる。

 

何で心が濁っている時は、世の中の負の部分ばかり目に入ってしまうのだろうか。

 

 

人混みに流され、めまいがしそうな時は

「あ、やばい」と自分でも気がつくようになってきた。

 

もともとハイパーマイナス志向な私は一度、ストレスが限界点まで達して、

駅で軽くパニック障害になったことがある。

 

その経験があってか、頭が真っ白になって脳がパニックになる時が自分でもわかるようになってきた。

 

「あっ、今日ちょっとやばいな」

そう思う時は、仕事に遅れそうになっても、駅のベンチで一休みすることにしている。

 

そうしないと、世の中の雑音ばかりが目に入ってきて、頭がパンクしてしまう。

 

仕事を始めて半年以上が経ち、ちょっとずつ満員電車に慣れてきた頃、同期の人がまた一人と辞めていった。

 

自分も一度会社を辞めて、転職した身のため、会社を辞める人の気持ちは痛いほどわかる。

自分は環境を変えて、なんとか自分なりに働ける職場にたどり着いた経験があるので、自分と合わない環境だったらすぐに次の場所に移動した方が個人的にはいいかとは思っている。

 

 

転職するにしても3年は続けなければいけないという風潮はある。

もちろんすぐに仕事がつまらないという理由で会社を辞めるのはどうかと思う。

 

だけど、どうしても職場が合わなく、辛い環境にいるなら、

そんな人が3年もその職場にいると、本当に死んでしまう。

 

 

夜遅くの満員電車に乗っていると、本当に仕事って不思議だなと思うようになった。

朝早くから夜遅くまで営業の仕事で飛び回っているが、自分でも驚くほど自分は営業の仕事にフィットしていた。

絶対サラリーマンなんて向いていないと学生時代の頃は思っていたが、実際に社会人をやるようになると、こんなにも社会って広いのかと思い、想像していた以上に仕事が楽しいのだ。

 

 

 

自分でもこんなに仕事にのめりこむ事になるとは思わなかった。

悪戦苦闘しながらも自分なりに何とかやっている。

 

疲れた体を抱えて、夜の電車の車窓を眺めているとどうしても脳裏から離れない景色があった。

 

心の奥底であの人に言われた言葉を今でも鮮明に思い出す……

 

 

 

 

「え? 24時間もかかるの」

ベトナムハノイにある偽物の旅行代理店で、私は騙されながらもラオス行きの国際バスのチケットを買った。

 

出発は夜の6時だが到着時刻が明らかにおかしい。

移動時間が24hと書かれている。

 

「今日の夜に出発して、明日の夜に着くの?」

「そうだよ! ラオスまで24時間かかるよ」

 

会社を辞めてしまい、無一文だった当時の私はベトナムからラオスに移動するための飛行機代を買う金など持っていなかった。

 

全財産2万円で残りの旅を続けなければならず、一泊3ドル(300円)の安宿を泊まり歩く旅を続けていた。

 

今思うと猿岩石も顔負けの超貧乏旅行である。

 

無論、飛行機代を買う金がなく、国際バスで移動することになったが、

とにかくこのバスが曲者である。

 

24時間かけてラオスの山道をひたすら突き進むのだ。

 

道中、何度も途中下車してはラオス人が何事もなかったかのように丸太や機材を持ってバスの中に乗り込んでくる。

トイレ休憩は森の中で済ませと言われるはで、24時間ラオスの山道を駆け上る地獄のバス移動である。

 

 

「し、死ぬ……」

ベトナムを出て3時間ほど経ち、私はすでに乗り物酔いを起こしていた。

バスに慣れているラオス人ですら、嘔吐する人がいるという。

 

24時間かけてジェットコースターに乗っているような感覚だ。

 

なんとか地獄のバス移動を耐え抜き、私がたどり着いたのはルアンパパーンという都市だった。

 

 

 

正直、ラオスって何があるのか知らなかった。

日本にいた頃はラオスっていう国がどこにあるのかも知らなかった。

 

何もかも捨ててバックパック一つでタイに飛び、そこからカンボジアベトナムを横断していると気がついたらその先にラオスという国があったから、訪れた国である。

 

フラフラになりながらもルアンパパーンからラオスを南に向かって旅を続け、首都でありビエンチャンという都市にたどり着いた。

 

私はいつものように安宿を探して、バス停近くにあるバックパッカーの宿を歩き回っていると、街で最下層の宿をなんとか見つけることができた。

 

シングルルームに泊まる金がなく、いつものようにドミトリーに泊まることにした。

 

ドミトリーに泊まると、世界中の旅人と同じ宿に泊まることになる。

6人一部屋のため、自分のスペースはないが、世界中の旅人と話ができるのは楽しい。

だけど、どうしてもドミトリーにもハズレがあり、たまに面倒くさい旅行客が泊まっていることがある。

 

今回は、どんな人と同じ宿なのか。

少し緊張しながら部屋に入り、荷物をベッドの下に置いていると、隣に怪しいおっちゃんがひょこんと話しかけてきた。

昼間から明らか酒に酔っている。

顔が真っ赤なまま、ニコッと汚い歯を見せながら私に話しかけてきた。

 

「アッ……アッ」

紙を見せながら、唸り声を上げている。

 

なんだこのおっちゃん。

おっちゃんが見せてきた紙を見てみると「Where are you from」と書かれていた。

私は「Japan」と紙に書くと、おっちゃんはニコッとして

「自分は昔、日本に住んでいた」と今度は日本語で紙に書いてきた。

 

 

 

このおっちゃん、英語と日本がわかるのか。

正直、驚いた。

それに明らか耳が聞こえていない。それなのに紙を使って、見事に意思疎通を取ってくるのだ。

 

 

 

 

おっちゃんと話していると不思議に思うことが度々あった。

紙に書いていないのに、私がつぶやいたことを理解し、紙に書いてコミュニケーションを取るのだ。

 

 

まさかこのおっちゃん……人の口の動きを読んで、話している内容を読み取っているんじゃ。

 

聞いてみると、ニコッとしながら「そうだ」と答えていた。

 

 

宿にいる他のバックパッカーとも仲良く話しているが、相手の口の動きを読みとって、コミュニケーションをしているのだ。

 

 

おっちゃんと話をしていると、今までどんな人生を歩んできたかをこと細かく教えてくれた。

おっちゃんは在日韓国人として生まれ、幼い頃に日本で育ち、子供の頃に病気で耳が聞こえなくなったという。しかし、死に物狂いの努力の末、独学で日本語と英語を学びに、アメリカに留学したという。

 

耳が不自由なのに、口の動きだけで日本語と英語を学んだのか。

中学から英語を学んだのに、未だにろくに英語を話せない自分が恥ずかしく思えた。

 

 

 

汚い歯を見せながらゲラゲラと笑い、今までおっちゃんが旅してきた国のことを教えてくれた。

韓国で焼き肉店を経営したのち、リタイアして、今は自由気ままに外国を旅して巡っているという。

 

「この国の風俗は良かった」

「タイの女にろくな奴はいない! ラオスの女は最高だ!」

 

基本的に風俗の話しかしないおっちゃんだが、どうも人間臭い人で

宿に来ていた世界中のバックパッカーと仲良く下ネタを話して盛り上がっていた。

 

 

 

 

タイ行きのバスのチケット買い、ラオス滞在が最終日となった夜。

私はおっちゃんに呼び出され、コンビニで缶ビールを飲むことになった。

 

同じ宿に泊まっていた日本人の旅人仲間とおっちゃんとの3人でゲラゲラと話しながら飲んでいると、目の前に物乞いをしている40歳ぐらいのおばさんが現れた。

ラオスなどの発展途上国ではよく見る光景である。

 

あ、また物乞いか。

普段、旅をしている間、物乞いと遭遇してもスルーしていた。

シカトしているといつしか消えていくからだ。

 

 

ゲラゲラと風俗などの下ネタを話して盛り上がっていたおっちゃんだが、

物乞いを見た瞬間、目つきがギロッとして、物乞いを睨めつけ、

「あっちへ行け!」と手を振り払った。

 

 

私はそんなおっちゃんの姿を見て、驚いてしまった。

いつもニコニコと下ネタばかり話していたおっちゃんだったが、この時は異様な目つきで物乞いを睨めつけていたのだ。

 

 

物乞いを追い払い、ボソッと紙に書いて私に示してきた。

 

「努力をしない人間は嫌いだ」

 

おっちゃんは書きなぐるようにして、こう書いていた。

 

「あの人たちは努力すれば仕事にありつける環境にいたのに、努力することを諦めて人から金をもらう物乞いになった。貧しさのせいにして、自分で物乞いの道を選んだんだ。人一倍努力すれば、どんな仕事にもありつけるのに。

私は耳が不自由に生まれたけど、人一倍努力してきた。努力しない人間を見るのは嫌いだ」

 

 

私はハッとしてしまった。

 

自分に言われた気がしたのだ。

仕事が辛いなどと言い訳をして、会社を辞め、海外に旅に出てきた。

だけど、結局私は逃げてきただけなのだ。

 

おっちゃんのように死に物狂いに努力もせず、逃げて逃げて、海外まで逃げてきただけなのだ。

 

 

次の日にはおっちゃんたちと別れを告げ、私はタイに向かった。

タイ、バンコクに数日滞在して日本行きの飛行機に乗った。

 

日本に帰り、なんとか悪戦苦闘しつつも転職活動を始めた。

新卒の時はあれだけちやほやされたのに、第二新卒の就活となるとこんなにも世間の目は厳しいものだとは思わなかった。

どこの会社を受けても

「なぜ会社を1年以内で辞めたのですか?」

「次の職場に行っても続けられるのですか?」

 

一度社会のレールから外れると「会社を数ヶ月で辞めた奴」というレッテルを貼られてしまい、相当苦しい思いをした。

 

しかし、ラオスのおっちゃんに言われた言葉を思い出し、なんとか転職先である今の会社を見つけることができた。

 

 

私は今、平日は毎晩遅くまで働き、満員電車に乗って家に帰っている。

 

真っ暗な車窓に映る東京の明かりを見ていると、時々あの言葉を思い出すことがある。

 

「努力しない人間は嫌いだ」

 

正直、「今日はやる気が起きないな〜」と思う時はある。

だけど、そんな時でもラオスの山奥で言われた言葉が脳裏に焼き付いて離れない。

 

「努力しない人間は嫌いだ」

 

どんな環境に行っても、どんな職場に行っても、その生き方を選んだのは自分自身なのかもしれない。

 

与えられた環境で、死に物狂いで努力してきたら、きっと見えてくる景色もあるのだろう。

 

満員電車の車窓を眺めていくうちに、時々私はそんなことを思う。