ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

いい記事を書くために生き方を変えようとするならば、まずは「服装」を変えればいいと気がついた

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「いい文章を書けるようになるにはどうすればいいですか?」

私は一度、ハイパーバズを起こしているライターさんにこう問いかけたことがあった。

その人は、毎週のように1万字以上に記事を書いていき、あっという間に何万pvも達成できるような凄腕のライターさんだ。

 

私のような凡人には勝てるわけがなかった。

 

どうすればこんなに面白い記事を書けるのだろうか。

やはり才能なんだろうな。

そう思っていた。

 

「やっぱりあなたはすごいです。自分には逆立ちしてもかないません」

そう問いかけたところ、意外な言葉が返ってきた。

 

「あの……私とあなたとの差は特にありません」

え? である。

明らかに自分よりも才能があって、大量のバズを発生できるそのライターさんの言葉に驚愕受けた。

 

正直、差があってほしい。

才能という差があるから、自分は言い訳できると思ってしまった。

天才肌の人がいるから、自分のような凡人は、

「自分にはやっぱり才能がないんだ」

と言い訳できるのだ。

 

「いい文章を書くのに、もし差が出るとしたら……それは生き方ですかね」

 

 

生き方?

私は衝撃的だった。

生き方が文章に滲み出るのか。

 

確かにそんな気はずいぶん前からしていた。

私の周りにいるハイパーバズを起こせる人たちは皆、生き方が面白い人たちばかりだ。

誰よりも個性的で、その個性が文章にも滲み出ている気がする。

 

自分も個性的であらなきゃ。

そう思い、自分なりに行動はしているものの、面白い記事ってなんなんだ?

人を惹きつけるネタってなんだ?

と思ってしまう毎日だ。

 

生き方が面白い人が書く文章は確かに面白いと思う。

 

ブログなどをやっていると身にしみてわかるのだが、やはり生き方が面白い人が書くブロウが毎回面白い。

 

キングコングの西野さんなんてその代表例だろう。

 

生き方を変えよう。

面白い記事を書くためには生き方が重要だ。

そう思っていた。

 

しかし、生き方を変えようにもそう簡単にはいかない。

25年間生きていく中で、染み込んできた私の性格を変えようにも、そう変えられるものではないと思う。

 

 

生き方?

それって考えてみると、とても奥深くて難しい。

 

「お前が考えていることはいつも意味がわからない。自分なりの生き方を考え続けても意味ないじゃん!」

そう大学時代の友人に言われたことがあった。

 

私はその頃、本当に自分の生き方っていうものがわからなかったのだと思う。

なんだかよく分からないが、自分なりの生きがいを追い求めて、

「就活なんてしない」と豪語していたものの、あっという間に就活の時期が近づいて、周囲の荒波に巻き込まれるかのように就活というものをしていった。

 

就活は自分にとってとてつもないトラウマだ。

 

今までは、自分が世界の中心だと思っていた節もあったのだろう。

自分はいつか何者かになれる。

人よりも上に立ち、年収のいい人生を歩める。

そうどこか心のそこで思っていたのだ。

 

自分みたいなちょこっとクリエイティブな人間は、電通やら博報堂のクリエイターの人が拾ってくれる。

「君の考え方は独特で面白い」

と誰かが言ってくれるのを待っていたのだ。

 

 

で、結局、電通博報堂も落っこちたのだ。

 

自分の生き方ってなんだろう?

自分の生きがいってなんだろう?

そうずっと思い悩んでいた。

 

就活を通じて、自分は世界の中心ではないとわかった私は、それから少しずつ、変わってきたつもりだが、今でも自分なりの生き方ってなんだ? と思い悩む節がある。

 

 

自分の仕事が今だによくわかならない。

 

 

 

「仕事に生きがいなんて求めても無駄だ」

そう、大人はよく言うが、確かにその通りなのかもしれない。

 

仕事は仕事。

趣味は趣味と振り分けた方が上手くいく人が多いと思う。

 

だけど、私は今だに自分が夢中になれる仕事ってなんなのだろうか?

自分なりの生き方ってなんなのだろうか?

そう思ってしまうのだった。

 

だから、そのハイパーなライターさんから言われた言葉が妙に頭にこびりついた。

「いい記事を書けるようになりたかったら重要なのは、生き方ですかね」

 

確かにその通りだ。

だけど、生き方なんて今更変えられるのか?

そう思ってしまうのだ。

 

 

そんな時、いつものようにネットで記事のネタを探している時に、ふと、服装についての記事を見かけた。

 

 

人は見た目が9割

 

そうよく言われている。

話す内容よりも見た目からくる印象の方が人の記憶には残りやすいのだ。

 

そのため、トップエリートの人ほど、自分の見た目を重視しているという。

服装が重要なことは私もわかっていた。

だけど、服と飯には全く昔から興味がわかないのだ。

 

 

服なんて別になんだっていいだろうと昔から思ってしまうのだ。

 

その記事はこう書いてあった。

 

「その人の服こそ、その人自身の生き方が反映されている」

 

私はハッとしてしまった。

確かにその通りだ。

 

なんの服を選んだか?

 

その選択の一つ一つがその人自身の個性を表しているという。

そして、その服からこそ、その人自身の生き方が滲み出ているのだ。

 

貧しくても生き生きと毎日を全力で生きている人は、服装にもそれが滲み出てくる。

お金をかければいいってもんじゃないが、古着でもキチンとした明るい色の服を着ているのだ。

 

会社を起こして、これから軌道に乗り始めている人が着るリクルートスーツもキチンとしたものを着ている。

会社に毎日いやいや通っている人が着るスーツは、どこかヨレヨレだったりする。

 

服こそ、その人自身の生き方が最も反映されるものだ。

 

私はこれまで、いい記事を書くために人よりも個性的なことをしなきゃいけないもんだと思っていた。

お金をかけて趣味に投じる。

もっと人よりも個性的な生き方をしなきゃいけない。

そう思っていた。

 

しかし、無理して自分の生き方を変えようとすればするほど、苦しくなるものだ。

生き方を変えるのではなく、まずは服から変えればいいんじゃないか?

その人自身の生き方が最も反映してくる服をまず変えていけば、ちょっとずつだが、何かが変わってくるような感じがするのだ。

 

今だに全く服には興味が持てないのだが、服選びってとても重要だなと最近は思うようになった。

 

今度の休みの日には、どこか服を買いにでも行くか。

そう考えた週明けだった。