ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

特別になりたいが消えたら、大切なものが見えてくる

 

特別になりたい。

そんなこと考えてはいけないと思っても、私の心からその感情だけは拭いきれなかった。

人よりも上に立ちたい。

周囲に自慢できる職業に就きたい。

 

そう思い、就活の時は意味もなく大手企業ばかり受けて、落とされまくっていた。

自分は特別な何かを持っている。

人と違ってクリエイティブな素質があるはずだ。

そう思い、信じて行動してきたと思う。

 

私が熱中していたのは、自主映画だった。

とにかく昔から映画狂(フランス人的に言うとシネフィル)で、浴びるように映画を見ては、アホみたいに自主映画を作ってりしていた。

 

特別になりたい。

その感情が私の映画作りを後押ししていたのだと思う。

私は大学の映画サークルに所属していたが、その環境では自分から「こんな映画撮りたいです!」と周囲に宣言すると、「お! あいつまた何か面白そうなことはじめたぞ」

「何か自主映画作りって楽しそうだね」といつも暇している大学生が好んで私のところに集まってきた。

 

私は何10人という人を会議室に呼んで、

こんな映画が作りたい。

こんな世界観を表現したい! と鼻高々に説明していたと思う。

今思うと、だいぶ痛い意識高い系の大学生だった。

 

映画を作っている時だけは自分らしくいられる。

そう思い、信じていた私は映画作りにのめり込んでいった。

作れば作るほど、「なんだか経済学部に変わったことやっている奴がいるぞ」

と評判が立ち、自分の周りには人が集まってきた。

 

今度はこんな映画を作りたい。

こんな世界を描きたい。

私は大学の図書館に一日中こもって、一介の映画監督になったつもりで、脚本執筆にとりかかっていた。

自分の夢は映画監督になること。

そう思っては、そう信じていた。

 

だけど、どうしてもプロの世界には行く自信がなかった。

家の近所に映画撮影所があり、アルバイトの関係で、よくCM撮影には出入りしていたが、実際の映像の世界は、かなり過酷でブラックであることは身にしみてわかっていた。

アルバイトの身分にもかかわらず、30時間労働なんてざらにあった。

まだ、撮影所のアルバイトなら給料はしっかりとしているが、フリーランスの人の現場に行くと、丸3日拘束された上で給料は3000円だったりすることはよくあった。

 

フリーランスの世界では当たり前のことらしい)

 

特に役に立たず、照明をいじれるだけの私のような身分で3000円もらえるだけでもありがたいとは思ったが、この世界で生きていくのは正直厳しいなと思っていた。

 

しかし、どうしても自分の夢は諦めきれなかった。

自分の夢は映画監督になること。

そう思い、私はなおさら大学での自主映画作りに熱中していった。

 

自主映画なら、自分が出した企画で自分の好きなように撮影ができる。

プロの世界では、隅っこの方でただ30時間じっと突っ立っているだけの役立たずだったが、大学の自主映画サークルでは、私は好きなように自由に映画を作れたのだ。

 

自分がしたいように作れて、多分私は鼻高々だったのだろう。

 

そのまま映画の世界に飛び込もうかな。

そう思い、行動していたが、挫折してしまう。

新卒で入った番組制作会社があまりにも過酷で、ぶっ倒れてしまったのだ。

会社を辞めてから大好きだった映画も見れなくなってしまった。

 

あれだけ過酷だとわかっていたのに、何でそんな世界に飛び込んでしまったのか。

 

私は今ならわかる。

叶うつもりもない夢に翻弄され、空回りしていたのだ。

本気で映画監督になりたいと思っていたわけではなかったのだと思う。

私はただ、人よりも上に立ち、特別な人間でありたかったのだ。

 

映画監督というちょっぴりクリエイティブで何者かになれる職業に憧れて、空回りしていたのだ。

 

数ヶ月ニートを続けて、なんとか転職先を見つけ、社会復帰できたが、今でも思ってはいけないとわかってても、どうしても考えてしまう。

 

特別になりたい。

人と違った自分でありたい。

そんなこと考えてはいけないと思っていても、どうしても考えてしまうのだ。

 

そんな時、とあるきっかけで、本当の現場で活躍するプロの映画監督にちょっとお会いする機会があった。その方は、綾瀬はるか主演の映画と撮っていたりと、わりと業界では有名な方だ。

 

私が憧れていた本物のプロの映画監督である。

長年、私が憧れていた職業である。

実際にお会いすると、聞きたいことが山ほど出てくるだろう。

やっぱりそっちの世界に行きたいと考えてしまうだろう。

そう思っていた。

 

しかし、実際に会ってみると、全く違っていた。

私は何も感じなかったのだ。

 

あれだけ憧れていた職業なのに、実際にその世界で活躍する人と会っても何も感じなかったのだ。

 

私はふと、その時思った。

映画監督になりたいと思っていたのは、幻だったのかもしれない。

やはり、私はただ、特別になりたかっただけなのだ。

 

そのことに気がついたら、少しづつ自分がやるべきことも見えてきた気がする。

特別になりたいという感情に邪魔されて、本来自分がやりたいと思っていたことが見えなかったのだ。

 

 

今でも私は心のそこから、これがしたい。

あれがしたいと自信を持って言えるものはあまりない。

 

それでも、叶えるつもりのない夢に惑わされて、社会の枠組みにはまることを拒み、他人を侮辱していたあの頃の自分より、だいぶ生きるのは楽になった気がする。

 

特別になりたいという感情が消えると、自分にとっての大切なことが見えてくる。

私がやりたかったこと。

それはものを書くことだったのかもしれないと最近は思うようになった。

頭の中にあるイメージを形にしていく作業が死ぬほど好きなのだ。

今でも、たまに特別になりたいと思ってしまう時はあるかもしれない。

だけど、あの頃に比べると、だいぶ自分がやりたいことが見えてきた気がする。