ライティング・ハイ

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「人を愛するということを大切にしてください」とYUKIは言った

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「人を愛するということを大切にしてください」

歌手のYUKIがラジオの中でリスナーに向けて言っていた言葉だった。

 

私はとくにYUKIのファンというわけではなかった。

だけど、一時期YUKIのラジオの音源をよく聞いていた頃があった。

母性の塊みたいな彼女の言葉に強く心を動かされたのだ。

 

JUDY AND MARY時代から音楽業界の第一線で25年近く活躍している人だからか……

彼女がいうことは一言一言が奥深くて、考えさせられるのだ。

 

YOUTUBEでラジオを聴いている中で、とある生きづらさを抱えていたリスナーへYUKIが語っていた言葉がずっと私の脳裏にこびりついているのだ。

 

「人を愛するということを大切にしてください」

YUKIは何度もそのことを話していた。

それだけを背負ってアーティストとして、自分は人の前で歌ってきたのだと。

 

 

はじめその言葉を聞いた時はよく意味がわからなかった。

なんで人のために生きなきゃならんのだ?

人を愛するということを大切にしなきゃならんのだ?

という風にしか捉えられなかったのかもしれない。

 

しかし、ライティングを始めた今ならYUKIがラジオで語っていたその言葉の意味がとてもよくわかる。

 

あるがままに生きたくても周囲の目線がそうさせない……

私はずっとどこか心の中で「生きづらさ」を抱えていた。

 

就活の時はとくに入りたい企業でもないのに、名のある大手企業ばかりを受けていた。

ただ「あいつ、あの会社に受かったんだって」と大学の同級生に自慢したかっただけだ。

就活アドバイザーの人は「自分の軸を大切にしろ」とよく言っていた。

 

自分の軸っていったいなんだ?

とくにやりたいことが明確にあったわけではない。

しかし、周囲が就活をするから自然とその流れで就活をしていただけだ。

 

私はずっと浮足立っていたと思う。

しっかりとした価値観がなくて、地に足がついていなかったのだ。

 

ずっと平均台の上を歩いて生きてきたため、突然社会の大きな海に放り込まれても

どこに向かって泳いでいいかわからなかった。

 

中学から高校、大学までずっと平均台の上を歩いてきた気がする。

高校受験も大学受験もそこそこ勉強はしていた。

元来、勉強することはそこそこ好きなタイプの人間だったので、受験勉強はわりとしっかりとやっていた。

しかし、勉強のモチベーションは常に「同級生より上に立ちたい」だった。

 

私は人とのコミュニケーションがとても苦手でクラスの隅っこに常にいるような生徒だった。クラスの中心的な華のある人を羨ましく思っていた。

 

あんなコミュニケーション能力を身に付けたい。

あいつらを見返したい。

どこかクラスの中で、「自分は他人より何か特別なものを持っている」という上から目線で人を見て、見下していたと思う。

 

とくに偏差値が高くないのに、有名大学ばかり受けていた。

 

就活の時も「自分は周囲の人間とは違う何かを持っているはずだ」と心のそこでは思っていて他人を見下していたのだ。

そんな浮足立って、他人を見下している奴を雇ってくれる会社があるわけがない。

ほとんどの企業が落っこちた。

 

私はずっと自分の軸がないことがコンプレックスだった。

体育会系の人や田舎から東京に来た人たちはどこか地に足がついて生きている気がしていて羨ましかった。

しっかりと自分の価値観を持っていて、自分ができることと社会が求めていることを把握し、社会という大きな海をうまいこと渡っているような気がしていた。

 

私はといえば、ずっと浮足立っていてどこに向かっていけばいいのかわからなかったのだ。

毎日のように飛んでくるお祈りメール(不採用通知)にうんざりし、頭がパンクしそうだった。

とくに何がしたいのかわからなかったのだ。

 

あるがままに生きよう。

自分らしさを認めてもらえる会社に入ろうという風潮が耐えられなかった。

 

あるがままっていったい何なんだ?

自分らしさっていったい何なんだ?

 

92年生まれのゆとり世代である私がずっと抱いていた疑問だった。

あるがままに生きようとみんな言うけども、あるがままって何なんだ?

と思っていたのだ。

 

あるがままの心を持とう……

しっかりとした自分の軸を持たない自分にとって、そんな社会の風潮は苦痛でしかなかった。

 

夢を持って生きよう……自分らしく生きよう……というゆとりの教育を受けてきたなかで、突然社会に出る手前になると社会の枠にうまくはまることを強要されるのだ。

 

何が何だかわからなくなってしまった。

学校で言っていたことと違うじゃんと思ったのだ。

社会は自分らしく生きている人間を求めているのではない。

社会のいうことをきちんと聞く人を求めているのだ。

 

私は自分が小学校から言われてきた価値観と社会が求めている価値観とのギャップに挟まれ、身動きが取れなくなっていた。

 

そんな時だっただろうか。

自分の軸をしっかりと持っている人たちのラジオの声を聞くようになったのは。

 

今の時代、ほとんどの人がラジオを聞かなくなってしまった。

しかし、自分の好きなアーティストや芸能人の考えや声をもっと聞きたいと思ったら

その人のラジオを聴くのがベストなのだと思う。

 

ビートたけし爆笑問題伊集院光の深夜ラジオをよく聴いていた。

芸能界の第一線で活躍している人たちの価値観や考え方は本当に面白い。

多くのリスナーを惹きつけるような喋りをしてくれるので2時間ずっと聴いていられるのだ。

 

そんな感じに深夜ラジオをよく聴くようになってからYUKIの言葉に出会った。

 

私はもともと、そんなにYUKIの根強いファンではなかった。

しかし、44歳であの美貌は凄すぎるだろとは思っていたけども……

 

確か、YUKI論という公開ラジオ収録で音楽ジャーナリストの人たちが

アーティストとしてのYUKI、母親としてのYUKIの凄さを思う存分語っていた番組を聴いて、私はとてもYUKIに興味を持ったのだ。

 

「バンドとしてあれだけ売れて、ソロになっても売れ続けている人はYUKI以外にいない」

そのように音楽ジャーナリストの人は語っていた。

確かにそうだと思った。

音楽に疎い私でもJUDY AND MARYというバンドは知っていた。

私が子供だった頃、YUKIがテレビでよく歌っていたのを覚えている。

ソロ活動になってもまだ活躍し続けているのだ。

 

 

あまり知られていないがYUKIは自分の幼い子供を亡くしている。

幼児性麻痺か何かの原因不明の突然死だった。確か昔ニュースにもなっていた気もする。

普通の人だったら幼い子供を亡くした時、悲しみのあまり動けなくなるだろう。

その頃YUKIに取材のアポを取っていたその音楽ジャーナリストは、

気を使って取材は中止を打診した。しかし、本人の口から

「取材は続けてください」

と言われたという。

子供を亡くしてわずか3日目のことだった。

 

そのアーティスト精神や彼女の力強さに音楽ジャーナリストの人は驚いたという。

なんだこの精神的な強さは……と感じたのだ。

 

私はその話を聞いた時に、なぜこの人はこんなにも力強く生きられるのか?

しっかりと地に足をついて人前に立って、歌い続けることができるのか? 

と思った。

そして、あの母性溢れる歌声は何なんだ。

 

YUKIの魅力と力強さに気づき、YOUTUBEにアップされていたYUKIのラジオを暇な時によく私は聴いていたのだ。

 

会社を辞めてしまい、世の中をさまよい歩いき、私はひょんなことがきっかけで

ライティングの魅力に気づきはじめた頃だった。

「とにかく書け! 書き続ければ人生が変わってくる」

とある人に言われこともあり、こうして書き続けているのだが、

今まではずっとワードファイルに保存して自分だけが見れるような状態にしているだけだった。

 

書いた内容を人には見せたくなかったのだ。

しかし、そのように自分のためだけに書き続けていたら、どんどん自分の殻に閉じこもった文章を書くようになってきてしまった。

2017年は毎日2000字〜5000字の記事を書くと決めていたが、どんどん自分の殻にこもった文章を書くようになって、書くのがつらくなってきてしまったのだ。

 

 

このままじゃダメだ。

そう思ってブログに記事をアップし、無理やりでも人に見せるよな形にしていった。

そうすると不思議に書くのが楽になったのだ。

 

無理やりでも人に見せる前提で書き始めたらすんなりと書けるようになったのだ。

今までのように自己満足のために記事を書いているのでなく、人に見せるための記事を書くようにしたら、一気に気持ちが楽になったのだ。

 

人をどう楽しませようか? という視点になった途端、書くのが楽しくなった。

その時にYUKIが言っていた言葉の意味がようやくわかった。

 

 

「人を愛するということを大切にしてください。多くの人は、自分は幸せになりたいというけれども、自分の幸せを願うよりも、相手の幸せを願ってください」

そうYUKIが言っていたことがやっとわかったのだ。

 

 

あるがままに生きたい。

自分らしく生きたい……

そんなことを言って「生きづらさ」を感じているのは、自分のことしか考えていない

証拠だったのだ。

 

相手をどう楽しませるか? という視点に変わっていったら「生きづらさ」など感じなくなるのだ。

 

自分のことなんてどうでもよくて、まず目の前にいる人をどう楽しませるか?

ということを考えるのが大切なのだ。

 

就活の時にあるがままに生きられなくてつらい……と感じていたのは

自分のことしか考えていなかったからだと思う。

もしあの時、相手の面接官をどう楽しませようか? 

仕事の合間に面接をして疲れている面接官にどうリラックスして楽しんでもらうか? という考えが自分にあったらあんなにも就活で苦しむことがなかったのかもしれない。

 

相手をどう楽しませるか? 

そのことを考えるのが大切なのだ。

 

もし、昔の自分のように、社会に対しどこか「生きづらさ」を抱え込んでいる人がいたらYUKIの言葉を思い出すのがいいのかもしれない。

 

「人を愛するということを大切にしてください」

 

私はライティングを通じて、その大切さに気づけたが、どんな職業でも当てはまるのかもしれない。飲食業なら、目の前のお客さんをどう楽しませるか?

営業なら、お得意さんをどう楽しませながら会話できるか? 

そんな視点を持つことが「生きづらさ」を少しでも緩和させる秘訣なのだと思う。

なんだか自己啓発本みたいなことを書いてしまい申し訳ない。

 

しかし、相手をどう楽しませるか? という視点が常に浮足立って「生きづらさ」を

抱え込んでいた私を救ってくれたのは事実だった。

 

私はYUKIのあの言葉を忘れないためにも書き続けるつもりだ。

いつかご本人に感謝の言葉を伝えられたがいいが。