ラオスには何もないと思っていたけども……
「微妙……」
約24時間におよぶバス移動の後に食べたラオス料理の味は、正直微妙だった。
なんか油っこい。
米が微妙。
ベトナムのハノイにある旅行代理店にルアンパバーン行きの国際バスの予定表を見てみたら驚いた。
「24時間もかかるの……」
ベトナムから国境を越えてラオスに入るには24時間のバス移動を耐えなくてはならないのだ。
しかし、ググってみるとラオス航空は数年に一回飛行機が落っこちているので、
国際バスで24時間かけていこうが、約1時間かけて飛行機でいこうが、どっちみち
ラオスへの道のりは命がけのようだ。
私は全くと言っていいほど金がなかったので、24時間かけてラオスまで国際バスで行くことにした。
人生最大の地獄のバス移動だった。
国際バスはクネクネしたラオスの山道を永遠に登っていくのだ。
24時間ジェットコースターに乗っているような感覚だった。
気持ち悪い……
私は乗り物酔いした。
早く着いてくれ……と思った。
こんなに苦しい思いをしているのだから、車窓から見る風景はさぞ、素敵だろうと思っていた。
しかし、
山しかないのだ。
本当に山しかないのだ。
1時間に一回、小さな農村が見えるくらいだった。
見るもの何もねえ……
ラオスに入ってからも特に特徴のある景色を見ることなく、日本から持ってきたウォークマンで音楽を聴いて、私は耐えしのいでいた。
夕方の17時過ぎにルアンパバーンについた。
ベトナムの宿を出たのが昨日の17時過ぎだったので、本当に24時間のバス移動だった。
ヘロヘロだった。
気持ち悪かった。
ベトナムで出会ったバックパッカーの方と一緒に同じ安宿に泊まることにした。
ニューヨークタイムズの「世界で住みたい街ランキング」でラオスの古都ルアンパバーンが一位になっていた。
今、欧米人にはラオスが人気の観光スポットなのだ。
ルアンパバーンの街並みを歩いていて、欧米人の観光客の姿を多く見かけた。
のほほんとしたこの街の風景に良い浸っているかのようだ。
私は早速ラオス飯を食べてみることにした。
東南アジアではまず、ハズレがないはずの焼き飯を注文した。
するとどうだ。
微妙なのだ。
具体的に言うと……
まずいのだ。
これまで数ヶ月、東南アジアを放浪してきたが、どこの国に言っても飯だけは基本的に美味しかった。
タイの屋台なんてきっと世界一美味しい。値段も安い。
ベトナムは、ホーチミンからハノイまで夜行バスで南北横断してきたが、どこの街に途中下車しても、その街のご当地グルメは最高に美味かった。
フォーなど1日2杯は食べていた。
東南アジアの料理は日本人の口に合っていると思う。
米から作られた麺であるフォーは絶対に日本人の口には合う。
ピリッとした辛さもあって最高にうまいのだ。
ご飯もチャーハンのように焼いたものなら、まずハズレがなかった。
ピリッとしていてうまい。
タイ米のパサパサ感がいい感じに効いていて香ばしい。
そのように行く先先で、その土地のご当地グルメを食い尽くしてきた私は、
飯に関しては評価が厳しくなっていたのかもしれない。
そうかもしれないが、どう考えても、
ラオスの飯はまずい!
脂っこ過ぎる。
ど田舎で採れた雑草から、無理やりチャーハンを作ってみました感がありすぎるのだ。
私は楽しみにしていたラオス飯にがっかりした。
しかも、ラオスに滞在している間、ずっとお腹の調子が悪かった。
下痢気味というわけではないが、明らか胃がラオスの飯を受けつけていないのだ。
脂っこさで腹の調子がすこぶる悪かった。
これまで、どこの国に行ってもお腹の調子だけは良かったのに。
私は日本人のバックパーカーと一緒に宿泊している宿に戻り、明日に備えることにした。
次の日、私たちは朝の5時には起きていた。
もう、太陽は昇っていた。
寝不足の目をパチパチさせながら、急いで身支度をする。
ルアンパバーンの名物、托鉢を見ようと思ったのだ。
ラオスは仏教徒の街だ。その古都ルアンパバーンには多くの寺院が密集している。
若い僧侶が寺院にこもり、修行をしているのだ。
その寺院にいる僧侶たちが毎朝、街を歩き回り、人々から食べ物をもらう行為が托鉢と呼ばれるものだ。由緒ある神聖な儀式なのだ。
私は、朝の5時のルアンパバーンの街を歩くことにした。
まだ早い時間にもかかわらず、通りは人で埋め尽くされていた。
ほとんどが欧米人だ。
道に座り込み、僧侶が来るのを待っているようだった。
私たちも道で僧侶が来るのを待つことにした。
数分後、僧侶たちの列が現れた。
子供の僧侶から、大人の僧侶まで長い列を作って、人々からお供えをもらっている。
皆、僧侶を目の前にすると、どこか神聖なものを崇めるかのようにお辞儀していった。
不思議な光景だった。
いつも集団で大騒ぎしていた欧米人の観光客も、この時だけは物静かにその出来事を見守っていた。
約40分ほどで托鉢は終わった。
僧侶たちは自分たちの寺院に帰っていった。
道に残された観光客は次々に自分たちが宿泊しているゲストハウスに帰っていく。
何だったんだろう、あの光景は……
私は妙な感覚に陥っていた。
不思議な光景だったのだ。
あの時、一瞬、ルアンパバーンにいる全ての人が繋がったような感覚があった。
私はそれから数日間、ルアンパバーンを探索した。
しかし、探索しようにも、探索する場所があまりない。
あるのはメコン川と街を一望できるプーシーの丘だけだ。
本当に何もない街だなと思った。
何もないことが特徴の街なのだ。
しかし、何もないということが欧米人には人気のようだった。
毎日のように飛び交うメール、常に仕事に支配されている社会人にとって、ラオスは
一旦世間から距離を置ける桃源郷なのだ。
ラオスにいる欧米人のは皆、どこか落ち着いた表情をしていた。
忙しい毎日から逃れて休息を楽しんでいるのだ。
私は何もないラオスというのに、正直満足できなかった。
これまでインドなどを旅してきたが、旅先で何か日常では体感できない出来事を探していたのだ。
日本に帰ってきた頃に、「実は、こんな出来事があってさ〜」と友人に自慢したかったのだ。
そんな武勇伝を語るために旅を続けているバックパッカーも多いのかもしれない。
私も飲み会のネタに困らないような旅先での武勇伝を探していただけなのかもしれない。
バックパッカーという響きに憧れて、旅人っぽいことをしていただけなのかもしれない。
そんな武勇伝を探し求めるバックパッカーだった私は、ラオスには満足できなかった。
刺激が足りなかった。
少し、不満を感じつつ、バンコクまでの国際バスに乗り、ラオスを後にした。
日本に帰ってからも、あのラオスで過ごした日々は何だったんだろうか?
とたまに思い出していた。
あの不思議な光景は……
あの僧侶たちは今頃何をしているのか?
そんな時だった、村上春樹のエッセイと出会ったのは。
いつものように本屋をうろついていると、村上春樹の著者で、斬新なタイトルなエッセイ本を見かけたのだ。
そのタイトルは
「ラオスにいったい何があるというんですか?」
だった。
それ、私が言いたいことだ!
と思った。
それそれ!
本当に「ラオスにいったい何があるというんですか?」だ。
私の答えは何もねえ〜だった。
本当に何もなかったのだ。
しかし、あの世界的なベストセラーなら何か感じ方も違っているのかもしれない。
毎年ノーベル文学賞にノミネートするような小説家なら言うことが違うかもしれない。
そう思って私は、この本を手にした。
完全にタイトルに惹かれたのだ。
村上春樹は大の旅好きだという。
「ノルウェイの森」がバカみたいに売れ、日本に居心地の悪さを感じたこともあって
90年代からこの人は海外で暮らすようになった。
外国文学に影響を受けていた村上春樹にとって、外国で生活する方が小説の執筆に落ち着いて取り込めるのかもしれない。
いつも海外にいるので、日本ではあまりお目にかけれない作家だ。
(本人は大のマスコミ嫌いなので、絶対日本のメディアには出てこない)
そんな彼がラオスの古都ルアンパバーンに仕事のついでに寄る機会があったという。
ハノイの空港でこれからラオスに向かう彼に向かって、ベトナム人にこう言われたそうだ。
「ラオスにいったい何があるというんですか?」
私はこの本を買ってすぐ読んでみた。
あっという間に読めてしまう。
私はその頃、村上春樹のエッセイにはまっていた。
独特な文体が苦手で昔は読めなかったが、村上春樹特有のリズム感と言い回しになれたら、頭にスッと入ってくるようになったのだ。
この独特なリズムが妙に心に響いて心地いい。
彼の本がベストセラーになるのもわかる気がする。
あの世界的なベストセラー作家だ。
きっとラオスについても、自分のような凡人には感じることができなかった、
何かを感じたはずだ。
斬新な切り口でラオスについて語ってくれるはずだと思って読んでみた。
しかしだ……
村上春樹もこの著書でこう語っている。
「ラオス何もねえ〜」
え、そうだよ。その通りだよ。
私もそう感じたよ。
私は笑ってしまった。あのベストセラー作家もラオスに行って、何もねえという感想を持ったことに笑ってしまったのだ。
そうなのだ。ラオスは何もないのだ。
しかし、さすが村上春樹だ。
この何もないラオスというものでも、人と違った目で物事を見ている。
「僕は寺院を巡っているうちに一つ気がついたことがある。それは普段、僕らはあまりきちんとものを見ていなかったんだなということだ」
私はハッとした。
そうか、そうだったのか。
ラオスで感じたものはそのことだったのかもしれない。
東京で暮らしていると、めまぐるしい毎日に、電車の車掌から見る景色をちゃんと見る暇すらない。スマホに飛んでくるメールに翻弄されて、頭を休める暇もない。
しかし、ルアンパバーンに行くと、自分が今みたい景色を見て、自分の目でものを見ることができる。というか、むしろ、その時間だけはたっぷりある。
一年に一回でもいいから、そのような時間を自分に作ってあげることは大切なのかもしれない。
一旦、日常から距離を置き、自分で見たい景色を自分の目で見る。
そのことが大切なのだ。
村上春樹自身もベトナム人に言われた「ラオスにいったい何があるというのですか?」
という質問に対し、明確な答えを持っていないという。
ラオスから持ち帰ったものは、ささやかなお土産の他に、いくつかの光景だけだ。
そこには音があり、光があり、肌触りがある。
私も「ラオスから持ち帰ったものとは何か?」
と聞かれた時の明確な答えを持っていない。
だけど、その人が見てきた光景は、その人自身を作っていくのだ。
将来、その光景が何に役立つのかわからない。
結局、大した役にも立たないかもしれない。
しかし、その積み重ねが自分自身を作っていくのだということをこの本から学んだ気がするのだ。
私はバックパッカーをやっていた頃、日本に持ち帰るための武勇伝を追い求めていた。
しかし、一番心に残り、その人自身を作るのはラオスで見た光景のように、
いつ、どこで役に立つかわからない景色なのかもしれない。
わかりやすい刺激を求めて観光名所にまわるのもいい。
しかし、自分の価値観を変えるような景色は、ありきたりな日常の風景の中に眠っているのかもしれない。