ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「狂」としか言いようがない圧倒的な名演をこの目に見せつけられた。

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「この映画だけは絶対見たほうがいい」

先日、映画好きの方が集まる会に久しぶりに参加した時、いつもお世話になっている方からこんなことを言われた。

その方は大の映画好きで、お会いするたびについつい映画の話ばかりしてしまう。

 

「この映画だけは絶対に見たほうがいい。見なきゃだめだ!」

どこか好きな映画の波長が似ているその方がここまでおっしゃるなら、

さぞかし名作なのだろう。

 

その映画のタイトルは知っていた。

確かにトレーラーを見る限り、名作の予感が漂っていた。

 

ハリウッドの名俳優ゲイリー・オールドマン主演の

ウィンストン・チャーチル ヒットラーから世界を救った男」。

 

トレーラーを見たときに、なんだか面白そうだな……

機会があれば見に行かなきゃなと思っていた。

 

だけど、なんだかんだ4月、5月と仕事でバタバタしてしまい、見に行く時間を持て余していた。

 

すでに6月になってしまい、上映している映画館なんてもうないだろうな。

DVDが出たときに見ればいいや。

そう思い、見るのを半ば諦めていたのだ。

 

「この映画は絶対に見たほうがいい。本当に見たほうがいい!」

映画好きのその方に嫌という程熱く語られ、なんだか自分の心も動いてしまった。

 

今、都内の映画館でやっているところあるかな?

渋谷とかのミニシアターなら公開から2ヶ月以上経っても上映してそうである。

 

だが、調べてみると都内で上映している映画館は皆無だった。

そうだよな。二ヶ月以上前に公開した映画を上映してくれている映画館なんてないよな。

やっぱり映画じゃなくて、DVDで見ればいいや。

 

そう思い、映画館で見るのを諦めかけていた時、ふとネットに上がっていた

埼玉の映画館の公開情報に目をやった。

 

う、やっている?

 

大宮にあるイオンシネマだけが上映していたのだ。

 

自分が住んでいるのは調布市近辺である。

電車で大宮まで1時間以上かかる。

 

休日で移動するにはなかなかの距離である。

どうしようかな。

レンタルが始まるまで待つかな。

 

 

だけど、どうしてもこの映画は映画館で見なきゃいけない。

そんな直感が働いていた。

 

後世にも語り継がれるような名作はなるべくならテレビやPCの中ではなく、

眼の前に広がるスクリーン上で見たい。

というよりむしろ、なぜかわからないが、この映画だけは今、見なきゃ!

そんなことを感じたのだ。

 

大宮まで行くか。

 

そう思いたち、休日でのんびりする暇もなく、朝から電車に飛び乗り、埼玉県の大宮に向かうことにした。

 

新宿からだと40分くらいである。

最寄りの駅からイオンシネマまで15分以上歩いた。

(なぜ駅の近くにショッピング施設を作らないんだ!)

 

 

公開から二ヶ月以上経っているためか映画館の中はガラ空きである。

ほぼ、席に自分しか座っていない。

 

席に座り映画が始まるのを待つ。

 

映画が始まった。

オープニングでの国会の討論シーン。

ヒットラーの侵略からどうイギリス本土を守るべきか?

次の首相は誰にすべきか?

 

そんなことが議論されている中、カメラは天井から白熱した討論を繰り広げている議員たちにフォーカスしていく。

 

オープニングを見た瞬間、

「この映画は普通の映画じゃない!」

そう思った。

 

ワンカット、ワンカットの演出や作り込み具合が半端ないのだ。

議長の部屋に差し込んでくる朝焼けの光、一つ一つが徹底的に計算され尽くされていて、どうみても戦時中の1940年代のイギリスの光景にしか見えないのだ。

 

そして、主人公であるチャーチルが登場するシーン。

どっぶりと太った容姿に滑舌が悪く、タイピストを罵倒するシーン。

もはや演技には見えなかった。

 

チャーチル役をやっているのがゲイリー・オールドマンだとは知っていた。

特殊メイクが優れていて見た目がチャーチルそっくりなのがわかる。

だけど……

声も、仕草も、言動も、食べ方も、すべてチャーチルにしか見えないのだ。

 

圧倒されるような演技を見せつけられ、どこからどう見てもチャーチルがスクリーンの中を歩き回っているようにしか見えない。

 

こ、これが演技なのか。

気が狂ったまでに洗練され、昇華されている演技力に驚いてしまった。

 

これが、本物の名演なのか……

 

 

そして、物語は後半に続く。

史上最大のダンケルク撤退作戦を前に、政界で闘争を繰り広げるチャーチル……

 

この映画の原題は「darkest hour」という。

ナチスドイツが暴走を始め、ヨーロッパ全土に侵略戦争を仕掛けていた時、

アメリカも他国も無関心を装っていた。

1940年はイギリスだけがナチスに徹底抗戦を挑んでいたという。

 

フランスも陥落寸前で、本当にヒットラーが世界を征服するかもしれないという恐怖で覆われ、真っ暗闇の時期があった。

そんななかでもチャーチルだけは「最後まで戦え」と信念を貫き通していた。

 

いま現在の私たちは、連合国がナチスドイツに戦争で勝利し、第二次世界大戦終結することを知っている。

 

しかし、当時の人は海の向こうで、今にもヒットラーが本土に侵略をしかけてこないか不安で仕方がなかったと思う。

 

そんな恐怖に覆われ、暗闇の中でも自国の勝利を信じて、ある種の盲信で人々に鼓舞し続けていた人物がいた。

 

スクリーンの前で繰り広げられるチャーチルの演説を見ているうちに、気がついたらポロポロと涙がこぼれてきてしまっていた。

 

チャーチルにあったのは、異常なまでの負けず嫌いだったのかもしれない。

政界一の嫌われ者だったが、異常な負けず嫌いと自己の盲信だけで首相までのぼりつめたのかもしれない。

 

だけど、危機にひんしたときに見せた、信念としかいいようがない説得力。

国土が崩壊しても、何が何でも戦いに勝つことができるという、盲信が国民を動かしたのかもしれない。

 

 

結局何かをやり遂げる人は才能とかの前に、信念というか、ある種の盲信があるかないの違いかもしれないと、この映画を見ているうちに思ってしまった。

 

昔、ある人に自分はこう言われたことがある。

「人はなりたいと思った人になる」。

 

その方は25歳で単独でニューヨークに飛び込み、世界中で活躍する料理人になっていた。

何が何でも世界一のシェフになると単身で飛び込み、ハリウッドでも活躍する料理人になったという。

 

 

ニューヨークは夢追い人の街だ。

「プロのカメラマンになれると信じて疑わなかった人はプロのカメラマンになれたし、カメラだけでは食べていけないと思っていた人は結局、その通りになった」

そんなことを教えてくれた。

 

チャーチルが今なお、偉大なリーダーとして崇められているのはやはり信念というか、盲信があったからかもしれない。

 

何が何でも自分はこうなれる。

戦いに勝つことができると信じて疑わなかった盲信が人の心を動かしたのだ。

 

チャーチルの演説シーンを見ているうちに、自分は映画を見ているのかどうかもわからなくなってしまった。

 

なんだか映画の中で描かれていた物語以上のものを自分は受け取った気がするのだ。

 

 

 

「クリエイティブな仕事」があるのではない

 

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「なにかモノを作りたい欲求が溢れているんです」

そう目をキラキラしながら映画への情熱を語る人がいた。

 

その時、私は久々に映画好きの人が集まっている会に参加していた。

毎月開催されており、以前は毎月参加していたが、最近は仕事が忙しいのを理由に全く参加できてなかった。

 

久々の休日とその映画好きの会の日がかぶって、今日は参加することができた。

 

「久々だけど、行くか」

そう思って、足を運んだのだ。

毎月のように映画好きが集まるその会……

「これでもか!」というくらいマニアックな映画を語る人、

だれも知らないけど、とにかく好きでたまらない映画を語る人、

などなど若い世代から年配の方まで多くの人が集まってくる。

 

自分は大学時代にわりと多くの映画を見ていた。

授業をサボっては映画館に閉じこもり、一日6本くらいの映画を見ていた。

(映画の見すぎでTSUTAYAから年賀状が届いてしまったくらいだ)

 

 

わりと映画について詳しい方だと思っていたが、その会にいくと

周囲の人の映画への情熱と知識の量に圧倒されてしまう。

 

久々に楽しい会を過ごす中で、ある方が、自分が好きな映画について語り、

「最近、映画が撮りたくて仕方がない。モノをつくりたい欲求がすごい」

と熱く語っていた。

具体的に映画が作りたくて、行動に移しているらしいのだ。

 

その方の熱い目線を見ているとなんだか懐かしくなってしまった。

自分も昔はこんな感じだったんだなと思ってしまったのだ。

 

大学時代はアホみたいに映画を見て、アホみたいに映画を作っていた。

とにかく映画を見ていたか、映画を作っていたことしか記憶がないくらいだ。

 

どうしてもゾンビ映画を作りたいと思い、大学に10リットル以上の血糊をばらまいてゾンビ映画を作ったり、ヒーロー戦隊者の映画を作ったりで、

無我夢中になって映画を撮りまくっていた。

 

とにかく、なにか自分というものを表現したかったのかもしれない。

今思うと、大学生特有のエゴが爆発していたのか。

とにかく夢中になって映画を作りまくっていた。

 

自然と、映画の現場に興味を持ち、撮影所でアルバイトを始めた。

そして、その流れのままテレビ制作会社に就職して、映像の現場で働き始めた。

 

「やっと夢だったクリエイティブな世界に入れる!」

そう思って、胸をときめかせて映像業界に入ったが、なかなか現実は厳しかった。

 

2ヶ月以上休みがなく、5日寝ずに働いていたら体を壊してしまったのだ。

今思うと、自分が弱かっただけなのかもしれない。

好きなことなら続けられると思ったが現実は甘くなかった。

 

仕事を辞めてからしばらくフリーターをして、転職は出来た。

どうしても映画に関わる仕事がしたいと思い、

映画や業務用のカメラを扱う会社になんとか入れたのだ。

 

自分が感じたことだが、日本という社会は第二新卒に異常に厳しく、

一度失敗した人間にはとても冷たい目線が送られる。

そうした中で、運良く少しでも興味がある業界に入れたのはラッキーだった。

 

なんとか今は営業職ということでサラリーマンをやって、

毎日満員電車に格闘しながら会社に出社している。

 

一度、痛い挫折を味わったので、意地でも逃げ出せないと思い、誰よりも早めに出社して、毎日終電近くまで残って仕事している。

 

カメラという自分が興味を持っているものだからか、あまり仕事が辛いとは思わないが……

それでもなんだろうか。

少しずつ、少しずつ心の中でもやもやが広がっていった。

以前は自分が持っていたはずの何かが少しずつ損なっていく感じ。

 

きっと大学時代には何かを作りたいという欲求があったはずなのだ。

 

だけど、毎日の忙しさに没頭しているうちの、そのクリエイティブなものを感じる部分が明らかに消えていっていた。

 

「クリエイティブな仕事についている人は偉い」

「毎日、適当に働いているだけで決まった日に給料が出るサラリーマンはださい」

大学生の頃はそんなことを心のそこでは思っていた。

たぶん、サラリーマンになった今でもそんなことを少しは思っているのかもしれない。

 

映画好きの集まりが終わり、帰りの電車の中でふと本屋で見かけたある本を思い出していた。

それはカンヌで賞を取り、今話題になっている「万引き家族」の是枝監督のインタビュー本である。

 

本屋で見かけたときに、タイトルに惹きつけられたのだ。

「クリエイティブな仕事はどこにある?」

家に帰ってから本を読み直していた。

読み返してみると、いろいろと新たな発見があって、感じる部分があった。

 

あ、自分が最近悩んでいたものの答えってここにあったのかもしれない。

 

是枝監督はテレビマンユニオンという制作会社の出身である。

(たぶん、映像業界に勤めている方なら誰もが知っている会社だ)

 

そのテレビマンユニオンの社長に昔言われた言葉が今でも忘れないという。

 

「クリエイティブな仕事とクリエイティブでない仕事があるのではない。

その仕事をクリエイティブにこなす人とクリエイティブにこなせない人がいるだけだ」

 

若きアシスタントディレクター時代にそう社長に言われた是枝監督は、

今でもこの言葉が忘れられないという。

 

私はこの一説を読み直した時、はっとしてしまった。

 

自分はもともつクリエイティブな仕事に就きたいと思っていた。

だけど、今は冴えないサラリーマンをやっている。

 

たぶん、今でもクリエイティブなことをしたいという欲求はある。

一度、失敗してしまった分、そのことを口に出すのが怖くて仕方ない。

 

だけど、どんな仕事でも「クリエイティブにこなせるか、こなせないか」

の問題だけなのかもしれない。

 

エクセル入力の単純な作業でもクリエイティブにテキパキこなせる人はこなせるし、ダラダラと適当に済ませる人は適当に終わらせ、「仕事がつまらない」

と嘆いている。

 

もともと私はクリエイティブな仕事についている人が一番偉いと思っていた。

だけど、どんなに単純な労働でもテキパキとクリエイティブにこなしている人がいるのだ。

単純なゴミ掃除でも、「自分が担当しているトイレはこの駅で一番綺麗にしてみせる」と毎朝笑顔で清掃しているおばちゃんたちがいるのだ。

 

眼の前の仕事をクリエイティブにこなす……

 

そういった視点で自分の仕事を見直してみると、いろいろな発見があるのかもしれない。そんなことを思ったのだ。

 

 

「クリエイティブな仕事はどこにある?」

是枝裕和著 樋口景一著 

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%AF%BE%E8%AB%87-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%81%AA%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B-%E6%98%AF%E6%9E%9D-%E8%A3%95%E5%92%8C/dp/4331520285

一滴ずつだけど、バケツの水は溜まっていく  

 

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「最近、あまり写真撮っていないね?」

この頃、人に会うたびにこんなことを言われることが多かった。

 

「忙しくて写真取る暇がなくて……」

そんな言い訳をいっては、いつも言い逃れていた。

 

「いつも君の写真楽しみにしていたんだから、もっと撮ってね」

そう言ってくれる、お世話になっている方には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

 

そうだよな。写真撮らなきゃな。

そして、記事も書かないとな。

 

そう思っても、なかなか記事も更新できず、一ヶ月近く経ってしまった。

 

一年以上前のフリーター時代はアホみたいに時間を持て余していたせいか、

毎日1万字近くの文章を書いていた。

 

今はどうなのかと言うと、一ヶ月に2000字くらいになってしまった。

書けないという言い訳はしたくない。

だけど、パソコンを前にしても全く心が動かなくなってしまった。

 

なんか最近、何も心が動かなくなった気がする……

そんなことを薄々と感じていた。

 

土日になって、映画を見ることがたまにあるが、映画を見ても明らかに昔よりも

感動する比率が低くなったのだ。

 

面白い映画を見て、「面白いな〜」と思うことはあっても、

感動する映画を見て、涙を流すことが本当になくなった。

 

大学時代は授業をサボっては、図書館で映画をみて、一人隅っこで映画の世界観に浸って、号泣ばかりしていた。

(小説とか映画の世界観にすぐに浸ってしまう性格)

 

昔はなにか本を読んだり、映画を見たりしただけで、すぐに心が動かされていたが、社会人になってからは、不思議と心が動く機会が極端に少なくなっていった。

 

 

なんでだろうか。

なんか心がカサカサになっていく感覚。

そう薄々感じつつも毎日の忙しない日々に奮闘しているうちに、いつしか一ヶ月以上何も書かず、写真を撮らない日々を過ごしていた。

 

 

こないだ、仕事で都心を歩いているとき、不思議なことが起こった。

自分の仕事は業務用のカメラの営業で埼玉だったり、東北地方だったり、いろんな場所を飛び回る。

 

そういった業務用のカメラのニーズが有るお客様はたいていが自動車産業である。大きな工場は多くの場合、都心でなく地方にあるので、営業先まで車で一時間〜二時間かかるのが当たり前である。

 

私は普段、車の運転が大嫌いで、ほとんど運転などしなかった。

まさか、社会人になって、毎日こんな長距離を運転する羽目になるとは……

 

ま、仕事だから仕方ないと思い、1時間以上の時間を書けて関東を飛び回る毎日である。

その日は代々木で仕事があった。

 

都心の方にお客さんがいるケースは少ないが、本社の方とちょっとした打合せがあったのだ。

 

 

久しぶりに電車に乗るな……

そう思いながら電車に乗って、毎日忙しない山手線の代々木駅に降り立った。

線路沿いに歩いて目的地に向かっていると、ふと目の前の光景を見て、立ち止まってしまった。

 

そこはなんの変哲もない、線路沿いの風景だった。

だけど、妙に心が動いた。

まるで、糸の線がプチンと切れるかのように、バケツがどっと溢れかえったのかのようにして、気がついたら涙がポロポロ溢れていたのだ。

 

周りの人からは怪しまれた。

サラリーマンの人が道路のど真ん中で涙をポロポロ流しているのだ。

それは確かに怪しい。

 

なぜか、その時、涙が止まらず、気がついたら立ちすくんでいた。

なんの変哲もない線路沿いの風景だ。

 

それなのに、心の糸がプチンと切れたのか、どっと感情が溢れてしまった。

しばらく深呼吸していたら、その症状はおさまったが、この出来事は何だったのだろうかとしばらく考え込んでしまった。

 

最近はずっと仕事に熱中していた、わりと無理ばかりしていた。

朝8時から終電まで仕事ばかりである。

 

喋りが下手で、人とのコミュニケーションが大の苦手な自分は営業の仕事なんて出来っこないと思っていたが、実際に営業の仕事をやってみると、しっくりきている自分がいた。

なぜか、飛び込み営業が大の得意なのである。

上司からは「仕事ばかりしていないで、家で休め」

とよく怒られるが、容量が悪く仕事が遅い私は

「20代のうちに、なるべく仕事を覚えなきゃ」と思い、多少無理してでも仕事ばかりに取り組んでいた。

 

体力は持っても、心にガタが来ていたいのか……

 

ある日突然、感情が溢れかえってしまったみたいだ。

普段閉じていた感受性がどっと開くようにして、どっと涙が溢れてしまった。

 

あ、最近は多少無理していたんだな……

 

その日は普段以上に早めに帰ることにした。

 

 

昔、読んだ本でこんな一説があった。

 

「書くということは心のバケツが溢れかえるようなものだ。

何もしなくてもいい。普通に生きていただけでバケツの水は溜まっていく。

そして、それがいっぱいになった時、その一滴一滴が何であったのかを理解するんだ。どんな人間だって、それが訪れる瞬間が、人生の中に訪れる」

 

最近は仕事に雁字搦めになりすぎて、あまり心に余裕を持てなかったのかもしれない。

少し余裕を持つようになると、ちょっとだけど毎日黒く色ずんでいた満員電車の光景が、明るく色鮮やかに見える様になってきた。

 

自分にとって、そのバケツの一滴が何なのかはまだわからない。

だけど、いつか、その一滴、一滴が何だったのかに気がつく時が来るのだろうか?

 

そんなことを感じつつ、たぶん明日も満員電車のなかに飛び込んでいくのだろう……

「何を捨てて、何を捨てないか?」その判断基準は結局……

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「どんな写真が撮りたいんですか?」

度々、出会う人にこんなことを言われる。

 

そのたびに私は返答に困ってしまう。

自分は一体どんな写真を撮りたいのだろう?

どんなことをやりたいのだろう。

 

 

頭のなかにはあやふやだが、何かを伝えたいという思いはあった。

だけど、言葉にしようとしたら伝わらない何かがいつもあった。

 

自分は一体何がやりたいのか。

 

カメラを買って、写真を撮るようになってからもうすぐ一年が経つ。

その間にいろんな方々とあった。

 

本物のプロのカメラマンともあったし、プロ級に写真が撮るのがうまいアマチュアの方々ともいろんな人ともあった。

 

会社にいても「あいつはなんかいつもカメラを持ち歩いているし、写真の話ばかりする変なやつ」みたいな扱いになってしまっている。

 

自分が入社した会社はカメラを扱う会社だった。

もともと映画が大好きで、映画と関係した仕事がしたいと思い、映画用のカメラや業務用のカメラを扱う会社に入社した。

 

カメラが好きということもあって、超自己中な性格で、そこそこ社会不適合なところが若干あるかもしれないが、なんとか一年以上続けて働くことが出来ている。

 

よく考えれば、上司と会話するときもいつも、カメラの話しかしていない。

 

「今度の週末どこに写真を撮りに行くの?」

金曜日が近づくと毎回そんなことを聞かれる。

 

この一年近く、周囲に「カメラが好きだ!」と叫び続けたこともあって、

最近だと「写真を撮ってください」と個人宛にメッセージを送って頂けることもある。

本当にありがたいことだ。

 

とにかく何でもいいから撮って撮りまくることを続けてきた気がする。

なんでこんなに写真を撮っているのだろうか。

 

「で、結局どんなことを表現したいの? 君は何がしたいの?」

そんなことを年配の方に投げかけられたことがある。

 

自分は何がしたいのか?

どんなことを表現したいのか?

 

最近だとデジタル一眼カメラの性能もすごく上がって、プロとアマチュアの差が殆どなくなってきている。

自分みたいな素人の目でも、普通に会社員をしていて週末にカメラを持っている方が撮った写真でも、プロとほぼ同じにしか思えない。

 

一昔前だったらカメラといったら高級なもので選ばれた人しか手に出来なかった代物のはずだったが、今ではビックカメラでプロ級のカメラが簡単に変えてしまう時代だ。

 

Instagramではプロとかアマチュアと関係なく、鮮やかで彩りのあるキレイな写真でごった返している。

そんな写真で溢れかえっている現代の中で、Instagramを眺めているとどうしても考えてしまう。

 

自分はどんな写真を撮りたいんだろう?

何がやりたいんだろうか。

 

 

何かモヤモヤとしたものがずっと腹の底にはあった。

何か伝えたい事があるのに、何か表現したいことがあるのに、何を伝えたらいいのかわかないもどかしさ。

それが腹の底で煮えたぎり、仕事をしていてもずっと、もやもやが消えなかった。

 

そんな感じで一年が過ぎ、ゴールデンウィークの季節になった。

普段ゴールデンウィークといったら、どこ行っても混んでいるし、飛行機代もバカ高いため、家でずっと引きこもっているのが常だったが、今年はなぜか違った。

 

ずっと日本に閉じこもって、会社で仕事ばかりしていた影響か、異常に海外に飛び出してみたくなった。

 

今年は海外でもいくか。

そう思い、何も考えないまま香港行きの飛行機のチケットを買った。

学生時代は一人でバックパッカー旅行とか行っていたので、あまり躊躇はなかった。

 

泊まるところとかも決めなくても、なんとかなるっしょ。

そんな適当な考えで、とにかく海外に行こうと思い、チケットだけを買った。

 

香港と決めたのはただ単にフォトジェネティックなイメージが強かったからだ。

満島ひかりが香港の夜道を蝶のように舞い踊る「ラビリンス」というPVを見て、香港に興味を持ったことも理由にあった。

 

とにかく行ってみたらなんとかなるっしょ。

 

そんなノリと勢いだけで、とにかく現地に飛び込んでみた。

 

宿を予約しなかったことが災難だった。

 

「No bookingの人は泊められないな」

どこの安宿を行っても、同じことを言われる。

 

何、中国にもゴールデンウィークってあるの。

てか、ゴールデンウィークって日本だけじゃないの!

 

 

香港は中国の特別経済区域である。

中国の異常な経済成長の影響もあって、中国本土からの旅行客が急増しているという。

それに香港がイギリスから返還されてから今までに自由貿易が加速されて世界中の企業がアジアの拠点を香港に置いている。

そのため、年間何万人もの観光客が香港を訪れているという。

 

中国の暦では5月の初旬が休みという事もあって、安宿がどこも満席である。

 

マジか……

完全に学生時代のノリで、ひとまず安宿に飛び込めばどこでも簡単に泊められると思っていたが、大の誤算である。

 

結局、一泊200香港ドル(3千円くらい)の安宿の部類になるドミトリーに泊まることにした。

 

案の定、異常に汚かったけど。

夜中にインド人が騒いでいるけども……

朝起きたら足にムカデがのっていたけども……

 

ま、安宿だから仕方ないか。

そう思って、適当に気ままに香港を旅して回った。

 

行き先も特に決めなかった。

泊まった先は重慶大厦という香港の中心街では有名な安宿で、宿の前の大通りには地下鉄の駅もあり、大型のバスもとまる。

 

特に行き先も決めず、バスに飛び乗って、適当に香港を歩いて回った。

(バスの行き先が中国語で読めず、下りた先が何駅なのかわからなかったため、だいぶ道に迷ったが)

 

ずっとブラブラしていたこともあり、最終日が近づくに連れて、体調が結構、しんどくなっていた。

炎天下の中、ずっと外をぶらぶら歩いていたため、体調不良になってしまった。

 

せっかくだけど、今日は宿の近くでじっとしているか……

 

貴重なゴールデンウィークの休暇だったが、奇跡的に6日も海外に行けた。

最初からかっ飛ばして、いろいろ回りすぎたのだ。

 

宿の近くにあったカフェで本を読むことにした。

なぜかよくわからないが日本から村上春樹の本を持ってきていた。

空港に向かう途中でふと本屋に立ち寄ったとき、気になって買ってしまったものだ。

 

「職業としての小説家」

結構有名な本だから知っている人も多いかもしれない。

 

世界的な小説家村上春樹が思う存分、小説を書くことについてまとめた著書だ。

自分はそこまで村上春樹が好きということでもない。

 

有名な本はいちよ全部読んでいるけど、めちゃくちゃ好きかと言われたら、そうとも言えるし、そうではないとも言える。

だけど、この人の考え方、なんか面白いなと思い、気がついたら読んでしまう。

 

本を開けて、読んでいった。

何で香港まで遥々やってきて、カフェで本を読んでいるのかよくわからないが、

日本にいるときはずっと会社に閉じこもって仕事ばかりしているので、たまにはこういう何もしない時間というものは大切なのかもしれない。

 

 

気がついたら夢中になって読んでしまった。

完全に時が経つのを忘れてしまった。

 

そこにはオリジナルについて書かれた一節があった。

 

「大切なことは自分から何かをマイナスにしていくことです」

 

小説を書く上でどうしても問題になっていくオリジナリティの問題。

その問題にぶち当たったとき、村上春樹氏はこう考えたという。

 

「自分から何かをマイナスにしていくことです。何かモノを作るとき、とりあえず必要のないコンテンツを捨てていけば、頭の中はスッキリします」

 

それで何を捨てて、何を捨てないかを判断にする時、

「それをやっていて自分が本当に好きかどうか」を判断基準にするという。

 

この小説を書いていて自分が心から楽しいと思うのかどうか。

心がワクワクするかどうかを基準にして、小説を書き続けているという。

 

なぜかこの一説を読んで結構考えさせられてしまった。

 

写真が好きだと周囲に言い続けたこともあって、最近だとちょこちょこと

「写真を撮ってください」ということを言われることがある。

 

可愛い女の子の前に立って、そこそこの一眼カメラでピンぼけをして、写真を撮るのは簡単だ。

可愛い写真は案外撮れてしまう。

 

だけど、自分が撮りたいものってなんだろうと結構考えてしまっていた。

自分がいままで撮った中で一番心がワクワクしたもの。

 

それは可愛い表情とかではなくて、どこか悲しい切なさがあって、少しもの暗い写真だったりする。

 

キレイな美女が写っている写真というよりも、

本を読んでいる物静かな風景、そういったものの方が好きである。

 

何かこの本を読んだことによって、少し答えが出てきた気がする。

ずっと、目の前に霧がかかっていたが、そのもやもやとした霧も少しだけ晴れてきた気がするのだ。

 

 

「どんな写真を撮りたいのか」

自分はこうでこうですという正確な答えはすぐにうまく言葉に出てこないけど、

「どんな写真を撮るのが好きなのか?」という答えは出た気がする。

 

海外まで出てきたかいがあったのかよくわからないが、日本に閉じこもっていただけだと見えてこなかったものが、薄ぼんやりと見えてきた気がする。

 

 

自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ  

 

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「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」

フェイスブック上に流れてきた、とある詩を読んで衝撃が走った。

 

なんだこれ。

なんでこんなにぐさっと心に突き刺さるのか。

 

 

詩を見て、衝撃を受けたのは初めてだった。

きっと詩を読んだのも小学校の授業以来だ。

 

この詩を書いた作者は一体誰なのだろうか?

SNSで書き込みがあったのは、この詩を読んで衝撃を受けた誰かなのだろう。

 

フェイスブック上のページにはこの詩を読んだ衝撃や、自分の人生観が変えられた出来事などが詳細に書かれてあった。

 

私はこの詩を読んで、ただ心に重く突き刺さってしまった。

 

本当に今、自分が感じていたことがこの詩の中に入っていたのだ。

 

「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」

 

社会人になってから早くも二年くらいが経つ。

正確に言うと一年ちょっと前はラオスの山奥を放浪していたりしていたから、社会人歴は履歴書上では一年だ。

 

学生という特権階級的なポジションから外れて二年があっという間に立ってしまったが、毎日忙しない満員電車の中に揺られていると何か感じるべきものも消えていっている自分に気がつく。

 

以前は感じていたはずの何かが、何も感じなくなっているのだ。

 

朝の通勤ラッシュ時に人身事故などが起こって電車が止まっていると

「なんで、事故が起こるんだろよ。お客さんとの打ち合わせに遅刻しちゃうよ」とイライラして、思わずそう呟いている自分に驚くことがある。

 

あれ……昔の自分だったらこんなこと思わなかったんじゃないか?

 

割と昔から人の目線や挙動にとても敏感な節があって、些細な言動や表情で、「この人はきっと今はこう考えているんだろうな?」

と考えなくてもいいことをぐるぐる考えてしまい、無駄に精神エネルギーを使っていた。

 

過剰に周囲の反応に敏感だったのかもしれない。

飲み会などがあると昔からとてもグッタリとしていた。

 

自分の家の近所に事故などが発生すると、他人事には思えなくて、なぜか悲しくなってきて、泣いてしまうような子供だった。

 

きっと、人身事故が起こって、誰かがきっと悲しんでいるに違いない。

そんなことをいちいち感じてしまう子供だった。

 

 

だけど、最近は人身事故や社会の隅に追いやられた人を街の中で見かけても、申し訳ないのだが、何も感じないのだ。

 

あれ、何で何も感じなくなってしまったのだろう。

昔だったら、どこかで事故があっただけで、自分に起こったことのように悲しくなっていたのに……

 

今は目の前にある仕事を効率良くこなすことに必死で、悲しい出来事と遭遇しても本当に何も感じなくなってきたのだ。

 

あ、これがもしかしたら大人になるってことなのかもしれない。

 

社会的に責任がある立場になると、他人の悲しみにいちいち触れている時間もなくなってくる。

 

 

目の前の仕事に追われていると、どうしても視野が狭くなってきている自分に気がつくのだ。

 

きっと、このままではダメだな。

直感的にそう思い、土日が来るたびに映画館に駆け込んで、ひとまず一旦仕事スイッチをオフにするようにしている。

 

映画館に飛び込んで、映画を見て、無理やりでも心を動かす経験をしていないと、休みの日もぐるぐると「見積もりを書かなきゃ、仕事のスケジュールを立てなきゃ」とずっと仕事のことを考えてしまうのだ。

 

 

感受性って、本当にどんどん磨り減っていくんだな。

そんなことを最近はとても痛感していた。

 

もともと持っていた感じるという心がすり減っていく感覚がとにかく嫌で仕方がなかった。

 

そんな時にこの詩とふと出会ったのだ。

詩を見た瞬間、自分が今、ちょうど感じていることはこれじゃないか!

そう思った。

 

「自分の感受性くらい、自分で守れ! ばかものよ」

作者は茨木のり子という。

 

この作者の名前は正直言って知らなかった。

誰なんだろう。こんなにぐさっと心に突き刺さる詩を書く人は……

そう思ってしまった。

 

「自分の感受性くらい、自分で守れ……」

 

最近は、文章も書けてないと思っていた。

忙しい毎日ということを言い訳にして、書くことから逃げていたのだ。

 

フリーターをやっていた時は嫌というほど時間があり、なおかつ社会で生きていく中で不満に感じることも多かったのだろう。

ライティングというものにはまって、アホみたいに書きまくっていた気がする。

 

 

しかし、今はどうなのか。

社会人になったから時間が持てない。

だから仕方ない。

 

何も感じることもなくなったから書かなくてもいい。

 

そう思って書くことから逃げていた。

 

 

「自分の感受性くらい、自分で守れ! ばかものよ」

40年以上前に書かれた詩だが、今の自分にはとても突き刺さる言葉だった。

 

忙しさを理由にして、書くことから逃げていたのではないか?

書くということはやっぱり生きていくことに直結しているのかもしれない。

 

生きていたら、自然と人に伝えたいことが出てくる。

何かを感じて、書かずにはいられない状況が出てくる。

 

「自分の感受性くらい、自分で守れ! ばかものよ」

満員電車の中、スマホでこの詩を見かけたとき、自分に投げかけられているようで、思わず身震いがしてしまった。

 

 

 

 

「 自分の感受性くらい」 茨木のり子

https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E6%84%9F%E5%8F%97%E6%80%A7%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84-%E8%8C%A8%E6%9C%A8-%E3%81%AE%E3%82%8A%E5%AD%90/dp/4760218157

 

 

 

 

写真という名の鏡  

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「君は相手のことをしっかりと見ているのか?」

とあるプロカメラマンにあった時、こう言われた言葉が頭の中を反芻してならなかった。

 

「自分は何のために写真を撮るのか?」

「君は一体何になりたいのか?」

 

 

大学を卒業して早2年が経つ。

20歳の頃は人生なんて、まだまだこれからだという、どこか可能性に溢れているかのように思えていたけども、本当に月日が経つのは早い。

 

あっという間に時が流れて、25歳になった。

いろんな人が言っていた。

「21歳から時間の感覚が早くなって、20代なんてあっという間に終わっちゃうよ」

その言葉の意味がなんとなく最近わかってきた。

 

「君は一体どんな写真を撮りたいの?」

「相手の人のことをしっかりと捉えて写真を撮っているの?」

そうプロ中のプロカメラマンに言われた言葉がずっと頭に響き渡っている。

 

 

自分は一体どんな写真を撮りたいんだろう……

ましてや何になりたいんだろう……

 

思い返すと私は昔からとにかく「何者」かになりたくて仕方がなかった気がする。

とにかく「何者」かになりたくて、大学時代はアホみたいに映画を作り、

就活の時は何者かに近づけられそうな、クリエイティブな職業に憧れて、

広告代理店やテレビ局を受けまくっていた。

 

自分なら何者かになれる。

人と違って感受性にあふれている。

 

そんな自意識過剰な精神を持て余し、自分の周りの人にトゲを向けて、心のそこでは侮辱していたのだと思う。

 

自分なら何者かになれる。

ただ、そう信じていた。

 

そして、壊れた。

最初に入ったテレビ製作会社をすんなり、数ヶ月で辞め、海外を放浪しては空っぽになって日本に戻ってきた。

 

「君は何をしに海外まで行っていたの? ただ逃げたかっただけでしょ」

日本に帰ってくると多くの人にこんなことを言われた。

 

テレビの世界は過酷だってわかって入ったのに数ヶ月でやめるなんて……

 

転職活動の時は本当に苦労した。

新卒の時はちやほやされていたのに、自分の履歴書に書かれた経歴だけで

「こいつは数ヶ月で会社を辞める使えない人」というレッテルを貼られてしまうのだ。

 

面接の度に「なんで辞めたんですか?」と繰り返される質問の数々。

 

目の前にいる人を肩書きだけで判断する癖がある日本の風潮にうんざりしてしまい、本当に逃げたくなってしまった。

 

なんとか転職活動を続けて、やっと内定を出してくれる会社が現れた。

「4月まで待ってくれたなら、もう一度新卒と同じ扱いで採用してもいい」

そう言ってくれた今の会社にとても恩を感じてしまい、この一年はただがむしゃらに働いた。

 

大した営業成績も出せてないけど、誰よりも早く出社し、カタカタ仕事をしている。

 

毎日、終電近くの電車に乗って、疲れた表情で電車のつり革を眺めていると、

目の前にはいつもブツブツと嘆いているおじさんがいたりする。

 

みんなストレスを抱えながら必死に生きているのか。

そんなことを感じながら仕事に行く毎日だ。

 

大勢の人を吐き出すようにして開く電車のドアを眺めていると、

人生に本当に絶望していた自分でもこうやってなんとか生きていることに、驚いてぞっとしたりすることがある。

 

絶望して、死にかけていた当時、自分が見ていた一枚の写真……

 

「潜在能力を引き出せ」

ポカリスエットの広告で有名なとある若手写真家が撮った一枚の写真を見て、私はとにかくも魂が揺さぶられた。

 

全身全霊で踊り狂う高校生たちを捉えた写真。

その写真を見て、私はとにかくも圧倒的な生を感じてしまった。

 

あの写真を見てから心の中の空っぽだった部分に、何かが注がれるような何かを感じた。

 

あんな不思議な感覚になったのは初めてだった。

それから私は、たった一枚の写真を撮る写真家という人たちにとても興味を持った。

 

 

たった一枚の写真でも、人の人生を変えることがある。

絶望の中で見たあの一枚の写真が心に残り、兎にも角にも写真が撮りたくて仕方がなくなった。

 

とにかく写真家という人たちに会いに行きたくて仕方なかった。

今はいいことにSNSの時代である。

会いたいと思った人に会いに行ける時代でもある。

 

広告の写真を見て、このカメラマンに会わなきゃと思い、とにかく会いに行った。

プロだけでなくアマチュアで活躍しているカメラマンにも会いに行った。

 

いろんな人に会った。

 

「君は一体何になりたいの?」

自分は人から見ると空回りしているように見えるらしく、

そんなことをたまに投げかけられるが、正直な話、自分でも何になりたいのかはわからない。

 

だけど、今はとにかくいい写真が撮りたい。

自分だけしか撮れない写真を見つけたい。

そのことだけが全てだ。

 

写真は鏡に似ていると思う。

自分が相手をどう見ていたのか?

それが写真を通じてわかる。

 

相手が自分をどう見ていたのか?

写真を撮ってくれた相手が普段、自分をどう見ていたのかもわかる。

 

「君は相手のことをしっかりと見ているのか?」

「写真を通じて興味があるのは、相手との関係性だ」

そのようにプロカメラマンから言われた言葉の意味がちょっとずつだが分かってきた。

 

相手のことをしっかりと見つめているのか。

自分が撮りたいと思った絵と被写体の人が潜在的に自分をこう撮って欲しいと思っていた絵が合体した時の喜びが本当にたまらない。

 

そして、写真にしっかりと向き合うようになってから、自分がどれだけ小さな世界でしか物事を見ていなかったのかがわかった。

 

もともと人と話すのが本当に苦手で、飲み会とかに行くとぐったりとしてしまう性格だ。

休みの日なんて映画館に飛び込むくらいしかしてこなかった。

 

もっといろんな人と出会いたい。

もっと多くの人の写真を撮りたい。

 

そんなことを最近は強く思うようになった。

 

 

 

 

 

 

もし被写体になってくれる方がもしいらっしゃいましたら連絡お待ちしております。

jupiter4499kiku@gmail.com

 

 

 

社会の歯車に自分を合わせるということ

 

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「あ……これで自分も社会の歯車の一部分になるのか」

就活を終えた大学4年生の時、周囲にこんなことをいう人が多くいた。

 

よく考えると日本の大学生って人生で一番自由が効く期間だと思う。

映画館や美術館に行っても学生料金で入場できるし、休みは異常に長いし、

勉強の方は、理系は大変だけども、文系なら期末試験前にちょろっと勉強すれば留年することはまずない。

 

大学生ほど自由な人種はいないんじゃないか? 

と思うくらい自由である。

自分の知り合いは

「日本の大学生って人生の有給休暇だよね」と言っていたが、その通りだと思う。

自分もその4年間というぬるま湯に浸かり、のほほんと過ごしていた。

 

日本の大学は入学するのは大変だが、卒業するのは簡単だという。

 

その一方で海外の大学は入学が簡単で、卒業するのが大変らしい。

アメリカの大学生となると、卒業するために必死こいて勉強するという。

 

日本の大学生というぬるま湯にどっぷりと浸かっていた私は自由気ままな大学生活を楽しんでいたと思う。

 

授業がない日は一日中アルバイトをしていたり、映画ばかり見て過ごしたり、

社会人になった今考えると自由な時間がありすぎて、信じられないくらい暮らしをしていたと思う。

 

 

このぬるま湯にどっぷりと浸かっているせいか、いざ社会に出る四年生の時期になると「一生大学生をやっていたい」と思う人も出てくるのかもしれない。

 

自分も実はそうだった。

自由が効く時間が愛おしすぎて、社会に出ることが嫌で仕方がなかった。

 

「学歴があればいい就職先にたどり着ける」という誰が決めたのかわからない社会のレールに乗っかり、ずっとレールの上を歩いていただけなので、いざ自分の進路を決める段階になると何をすればいいのかわからなくなってしまった。

 

今思うと、どのレールに乗っかるのも、どんな選択をするもの全て自分の責任である。

 

だけど、当時の自分はとにかく社会のせいにして逃げ回っていた。

今まで自由気ままに過ごしていたけど、大学4年生という時期になるといきなり進路を決めろという。

一体、どうすればいいのか?

 

そんなことを思い、「こんな社会を作った大人たちが悪い」と思い、社会人になることから逃げていた。

 

フリーランスノマドワーカーという今はやりの自由な時間を使える仕事に就く勇気もなく、周囲に流されるように就活をして、自分もしっかりと社会の枠組みにはまるように努めていった。

 

大学を卒業して、就職先に選んだテレビ製作会社は、本当に申し訳ないけど、ただなんとなくで決めた。

昔から映画が大好きで、ちょっとでも映像に関われることに携わればいいと思い、選んだ場所だ。

「社会人になるのは嫌だけど、自分が好きなことだったら続けられるだろう」

そう思って決めたことだった。

 

本当に考え方が甘かった。

 

5日寝ずに働いて、ぶっ倒れてしまった。

辞表を提出した記憶がないほど、当時はノイローゼ状態になってしまい、気が付いたら会社を辞めてしまっていた。

 

一日中家で寝込み、社会との接点を一切無くした時期が続いていた。

当時は本当に死にたいと思っていた。

 

新卒で入った会社を数ヶ月で辞めてしまったという後ろめたさで、人と会うことですら怖くなってしまった。

 

なぜ、自分は社会とうまく折り合いがつけられないのか?

そう自問自答して、ずっと世の中を彷徨い歩いていた。

 

自分にふさわしい場所はどこなんだろうか?

 

当時そう感じていたこともあり、今ついている職場では、当時の恨みを晴らすべく死ぬほど働いていたりする。

 

「お前、いくらなんでも働きすぎじゃねぇか?」

と上司の人に何度も言われる。

 

「自分の居場所はどこなのか?」

 

1年前にそう悩み、ずっと世の中を彷徨い歩いていた自分を思い出したくなくて、今は仕事に没頭しているのかもしれない。

一年以上かけて、ちょっとずつ社会と折り合いがつけられるようになってきたが、今でもよく当時のことを思い出してしまう。

 

本当に今の世の中は価値観が多様すぎて、選択肢が多すぎて、自分というものをうまく周囲に合わせるのが難しくなってきている気がする。

 

SNSを開けば、同級生たちの幸福な姿が映し出され、他人と自分とを簡単に比較できてしまうので、強烈な嫉妬心を抱いたりしてしまう。

 

なんか便利にはなったんだけど、生きづらい世の中にもなった気もする。

 

そんな中で、ふとこの本と出会った。

暮しの手帖で編集長をやっていた松浦弥太郎さん著の「即答力」である。

本屋でふと見かけて、最初の一行がとても気に入ってしまい、即決で買ってしまった本だった。

 

「成功の反対は失敗ではなく、何もしないことだ」

 

著者の松浦弥太郎さんは若い時にアメリカを旅していたが、その時に強烈にこの言葉の意味を考えたという。

アメリカという社会は日本以上にコミニティーに入るのに、自己主張が必要となる。自分と社会と折り合いをつけるために、嫌でも自分の意思を周りに伝えていくことが必要になったという。

 

とにかく自分の殻を破って、コミニティーに入ったら世界が一気に広がった。

と著書には書かれてあった。

 

社会のニーズに合わせることは困難かもしれない。

それでも、少しずつ社会の歯車と自分の歯車を合わせて行った著者の努力がこの本の中には書かれてあった。

 

一週間ぐらいかけてこの本を少しずつ大切に読んでいったのだが、電車で読んでいると心が揺れ動く言葉がたくさん出てきた。

今でも自分がきちんと社会の歯車になって、きちんと動けているのかはわからない。

だけど、この本を読んでからどこか心の奥底がすっきりとした気がする。

昔の自分のように居場所を探し求めている人が読むのもいい。

社会と自分の歯車がうまく合わせられずにもがき苦しむ人が読むのもいい。

 

きっと自分と社会との接点について多くのことを考えさせるはずだ。

 

 

 

 

 

紹介したい本

「即答力」 松浦弥太郎