ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

クリント・イーストウッド監督の映画「15時17分パリ行き」を観て、極限までにシンプルな禅の境地を感じた  

 

 

 

クリント・イーストウッドの最新作」

3月頃に予告を観て、驚いた。

 

正直、まだ映画撮ってん?

と思ってしまった。

 

映画ファンなら誰もが知っているクリント・イーストウッド

「荒野の用心棒」などマカロニウエスタンシリーズを夢中になって観ていて人も多いかもしれない。

 

最近だとハリウッドの巨匠みたいな扱いになって映画監督としても有名になっている。

今年で88歳だという。

 

88歳でまだバリバリ映画を撮っているのか……

クリント・イーストウッドのエネルギーに驚くと同時に

正直、もう限界なんじゃないかとも思っていた。

 

映画監督はたいてい若さとともに感性も死んでいく感じがしていた。

大御所になったハリウッドの監督はたいてい、ベテランになってから自分が撮りたいと思う映画を撮るようになる。

 

若いときは大衆向けの面白い映画を作っていたので、業界で名前が知られて、自分の力で映画を仕切ることが出来るようになると、どこか自分の作家性重視の映画を作るようになる印象があった。

 

それはそれで面白いのだが、ファンとしてなんだかもったいない気もしていた。

黒沢明も正直、晩年は作家職が強くて、どうしても「七人の侍」や「羅生門」を手がけていた時代が個人的には一番、好きである。

 

スピルバーグも今の映画も充分好きだが「ジュラシックパーク」などの大衆娯楽映画を手がけていた時代が一番好きだ。

 

今頃になってクリント・イーストウッドの映画?

正直、88歳になったハイウッドきっての大御所監督の作品なんて、自分と感性が違っていて、あまり心に響きないと思っていた。

年齢も60歳以上違っている。

 

流石にあまり共感が持てる部分がないだろう。

そんなことを思って映画を観るのを躊躇している自分がいた。

 

15時17分、パリ行き」が公開された時も気にはなっていたが、あまり期待していなかった。

 

機会があったら観に行こうと思い、結局映画館に行かないまま、公開が終わってしまった。

 

予告編を見る限り、面白いだろうと思っていが、

わざわざ1800円もかけて映画館に行くのもな……

と思い、結局映画館に行かないまま時が経ってしまった。

 

先日、三連休の手前でTSUTAYAに訪問して、いつものように棚をぶらぶら歩いて週末に見る映画を探していた時、この映画のパッケージがふと目に入った。

 

あ、この映画結局観れてなかった。

せっかくの機会だし、観てみるか。

 

そんな軽い気持ちでパッケージを手に取り、家に帰って映画を観てみることにした。

 

オープニングショットからして、すごいなと思った。

 

さすが88歳のベテラン中のベテラン監督である。

ものすごい早撮りで有名な人である。

 

普通の現場なら平均8テイクは撮るところをこの監督はわずかワンテイクで撮ってしまうということは聞いていた。

 

その道60年以上の経験と、自身が俳優をやっていたことから、撮影現場の全てをコントロールできるのだという。

ものすごい早撮りだ。

 

映画を観ていうちに、「この監督はやっぱりすごいな」

と思ってしまった。

 

ワンカット、ワンカットがとにかく重厚なのだ。

光の撮り方からして、明らかに普通の監督が撮る絵と違っている。

 

何十年のベテランであり、職人である監督だからこそ撮れる絵がそこにはあった。

 

私は無我夢中になって物語の世界に惹き込まれていった。

 

そして、驚いた。

 

ずっと、ずっと映画を観ているうちに薄々気がついていたが、まさかと思った。

 

映画の登場人物が皆、実際の事件の現場に遭遇した方々だったのだ。

パリ行きの電車の中に偶然居合わせ、偶然乱射事件に遭遇した若者たちのヨーロッパ旅行が後半描かれていく。

 

正直、ストーリーの内容なんてなかった。

アメリカの田舎にいるごく普通の青年たちが旅行をする描写が続くだけである。

しかも、演じているのは役者ではなく本人である。

 

だけど、惹き込まれるのだ。

面白いのだ。

 

とくに物語性があるわけではないが、画面から伝わってくる職人技というか、スタッフたちの熱量に圧倒され、気がついたら夢中になって観てしまう。

 

なんで、こんなに物語に内容がないのに惹き込まれてしまうのだろう。

 

物語の最後には乱射事件から乗客を救ったことで、フランス政府から表彰される映像が流れてくる。

 

実際にテレビで流れていた映像に、今まで映画の中で写っていた本人たちが出てくる。

なんだかデジャブな感じがしてしまった。

しかも、乱射事件で、撃たれてしまった被害者の一人も、再び映画の中で同じシーンを再現されている。

 

イーストウッド監督のチャレンジ精神というかフロンティア精神に驚いてしまった。こんな映画普通撮らないだろう。

 

明らかに照明も使わず、自然光だけ撮っている。

役者もすべて素人を使っている。

 

物語も中盤は若者たちがヨーロッパ旅行で遊び呆けている描写が続くだけである。

 

だけど、観れてしまう。

 

どこか枯山水というか禅の境地に立たされるかのような、シンプルな映像が続くだけである。それでも観れてしまう。

 

私はこの映画を観ているうちに、昔京都の寺の住職さんから聞いた話を思い出していた。

 

大学生の頃、なぜかよくわからないが一時、禅について学ぼうと思い、

京都の寺で座禅修行したことがあった。

 

その時寺の住職さんはこんなことを言っていた。

「雑音を取り除いて、物事の本質を見抜く。それが禅というものです」

 

どんな分野でも長年その道を突く進めていくと、無意識のうちに本質が見抜けるようになるという。

無駄な部分を省いて、物事の本質が研ぎ澄まされていく。

 

禅に傾倒していたスティーブ・ジョブズはこの禅の精神に魅了され、

物事の本質的な部分に絞ったアップス製品を数多く作った。

 

iPhoneもそうだし、Macbookもそうである。

白い貝殻のようなかたちをしていても、とてもシンプルにまとまっていて、子供が触っても、無意識に動かせるようになっている。

 

そんな奥深く、深い禅の精神をこの映画を観ていくうちに感じてしまった。

 

その道60年以上の経験から、無駄なカットを極限まで削ぎ落とし、シンプルにまとめ上げていく。

本質的な部分を見抜き、しっかりと作品に仕上げていくクリント・イーストウッド監督の職人技を、映画を観ていくうちに感じてしまった。

 

何はともあれ、映画「15時17分パリ行き」。

改めてイーストウッド監督の凄さを感じされる映画だった。