ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

生まれた瞬間から、ビルから飛び降りている

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「なんか単調だな」

毎日、ありふれた日常を過ごしているといつしかそう思ってしまう。

 

子供の頃には色鮮やかに見えていた都会の景色も、毎日見慣れてきてしまうと単調なコンクリートの塊のように見えて、何の新鮮味も帯びてこない。

 

昔は家から最寄りの駅まで歩くだけでも大冒険だった。

道端には花が咲いていたり、空を見上げると面白い形をした雲を見かけたりする。

石ころが転がっているとひっくり返って、裏に虫がくっついてないか確認したいしていた。

 

しかし、大人になるに連れて、ありふれた日常にある新鮮な景色を観ていく余裕もなくなっていった。

 

駅に向かう道中も、忙しない毎日に没頭するあまり、周囲も気にせず一直線に目的地まで向かってしまう。

 

慣れというのは本当に怖いことかもしれない。

毎日、同じ景色を見て、、同じような道を歩いていると、何も新鮮味を感じなくなってしまう。

 

そんな自分が嫌で、いつしかカメラを持つようになった。

会社に向かう途中もカメラを持って歩くことで、どんなに忙しくても、

ありふれた日常に潜む一瞬の輝きを捉えるように意識を変えてみた。

 

すると、面白いことが起こった。

毎日の出社時間が楽しみになったのだ。

朝の渋谷にこんなにゴミがあるなんて思わなかった。

スクランブル交差点の真ん中に光が差し込んでくる瞬間があるなんて思わなかった。

 

 

カメラを持つことで、少しずつ、少しずつだが目の前に広がっていたモノクロの世界も色味がかかってきた。

 

毎日、同じ時間で同じ電車に乗って、周囲と同じような顔をしながら会社にむかう。そんな単調な毎日に少しでも新鮮味を感じようとした自分なりの工夫だった。

 

だけど、ちょっとずつカメラを持ち歩くことに慣れてき始めた頃、また、恐ろしい慣れというものが襲いかかってきた。

カメラを持ち歩くことで、新しく見えてきた景色も、仕事量が膨大になるに連れて、

見つめている余裕がなくなってしまったのだ。

 

最近だと、カメラはいちよバックにしまっているが、撮っている余裕がなくなってしまった。

こんなんでいいのだろうか。

今は、仕事に集中しなければならない。

だけど、何か心の奥底から大切なものが消えていく感触が常にあった。

 

「凍」

ずっと、気になっていた本のタイトルだった。

作家はノンフィクション作家の沢木耕太郎氏である。

この著者の「深夜特急」を読んで、感化されすぎて、自分は東南アジアに疾走してしまった。そんな感じに多大な影響を受けた作家さんだ。

 

社会を鋭く見つめ、その中にある素材から絵が浮かぶような描写力で言葉をつなげていく。

そんな沢木氏の姿に憧れるとともに、こんな文章は自分には書けないと思えてしまうくらい高嶺の花のような存在の作家さんである。

 

 

そんな沢木氏が世界最強のクライマーと呼ばれる山野井氏とその妻の登山夫婦を追いかけたノンフィクション本があった。

それが「凍」である。

 

ずっと、この本が気になっていた。

自分はあまり登山とか運動とかは得意ではないし、興味もあまりない。

 

だけど、孤高に美しいチベット氷壁に命を削ってまでも挑んでいくこの登山家夫婦の物語がなぜかずっと気になっていた。

 

ブックオフで見かけ、つい手をのばしてしまった。

読み始めると止まらなくなった。

 

標高8000メートルを超えると、人間には致死レベルの領域だという。

エベレストの他に8000メートルを超える山は世界に数箇所あるが、多くのクライマーは極地法という方法で登ることになる。

ベースキャンプから出発して、徐々に荷物を荷揚げしてキャンプを設置していき、最後の何人かで登頂を目指す。軍隊のような手法で山頂を目指すのだ。

 

 

だが、この本で描かれている山野井夫婦は違った。

ベースキャンプから単独で頂上を目指すアルパイン・スタイルと呼ばれる登山家なのだ。もちろん、ベースキャンプを出発すると、そこからはアシストしてくれる人はいない。

雪崩にぶつかっても、道に迷っても、自分の経験と感覚を研ぎ澄ませて、対処していくしかない。

一歩間違えれば、命を落としかねない危険な登山でもある。

 

この本では、なぜ夫婦が命を削ってまでも孤高の山に挑んでいくのかが書かれている。

 

そこには少し普通の人には理解しきれない感覚もある。

なぜ、指を凍傷ですべて失っても、再び山に登ってしまうのか。

山に魅せられ、虜になった夫婦の物語がそこにはあった。

 

仕事の合間も通勤の時間も全て使って私はこの本に読みふけってしまった。

命を削ってまでも、自分の好きなことに向き合っているこの夫婦に魅了されてしまったのだ。

 

 

ヒマラヤの難峰ギャチュウカンと呼ばれる氷壁にアタックした夫婦。

そこで事故が起こってしまう。

 

美しい大自然の中、猛烈に吹き荒れる吹雪を前にして、一週間近く遭難してしまうのだ。

「生きて帰れるのか」

登る途中で何度もそう思った。

 

引き返そうと思えば、出来たはずだが、指を失うことになってもどうしても山に魅せられ、頂上を目指してしまう。

 

なんか孤高の精神というか、普通の人とはかけ離れた精神力に私は圧倒されてしまった。

 

命からがら下山することに成功するも、その代償は大きかった。

奥さんは18本の指を切断することになり、山野井氏も多くの指を切断することになる。

だけど、とくに奥さんの方はあまりショックがないという。

自分が好きなことをやって、体を傷つけたのだから仕方ないと思って、また山に登ってしまうのだ。

18本の指を失ってまでもこう考えたという。

「戻らないのは仕方ない。大事なのはこの手でどのように生きたかだ」

 

 

人は生まれた瞬間から、ビルから飛び降りているとどこかで聞いたことがある。

いつの日か地面にぶつかって、命が尽きるのだ。

 

ビルから飛び降りている時間の中で、その人がどう生きていくのか。

 

山野井夫婦のように自分の寿命を削ることになっても、自分が愛してやまない登山を続ける人もいる。

毎日、単調な日々を過ごして、地面にぶつかるのを待っている人もいる。

 

 

この本を読んでから、毎日を全力で生きなきゃなと思い、力が湧いてきた。

ありふれた日常に潜む、輝かしい一瞬もしっかりと見つめていたい。

そんなことをふと思うのだ。

 

 

今日も忙しない一日になりそうである。

そんな日々でも私は満員電車の中に飛び込んでいく。