「潜在能力を引き出せ!」
「潜在能力を引き出せ!」
この写真と出会ったのは、去年の8月だった。
ポカリスエットのCMのキャッチコピー……「潜在能力を引き出せ!」
青空の下でひたすらに無我夢中になって踊り狂う高校生たちの姿を追ったCMをご存知の方も多いかもしれない。
ただひたすらに踊り狂う10代の高校生たちの姿は真剣そのもの。
渋谷の東急東横線に向かう地下通路一面に、この写真が貼ってあり、一度目にして、脳裏にこびりついて離れなかった。
なんだこの写真は……
どこか未来を見つめるその真剣な眼差しに私はドキッとしてしまった。
なんだこれ!
こんな写真を撮った人がいるのか……
電車の中に乗っていても、ポカリスエットのキャッチコピーと高校生たちの姿を追った写真がいたるところに飾られてあった。
なんだろう……なんでこの写真に自分はこんなに惹かれるのか?
写真に惹かれたのは初めての経験だった。
学生時代にアホみたいに自主映画を撮っていた経験から、カメラや写真には興味は持っていたが、とりわけ写真に夢中になることはあまりなかった。
これまで写真を見て、心が惹かれた瞬間なんてなかった。
しかし、このポカリスエットの写真だけは違った。
電車の中で高校生たちの真剣な眼差しが映し出された写真を見たとき、私はおもわず涙がこぼれそうになっていたのだ。
そのとき、私はプー太郎のフリーターだった。
大好きだった映画に関わることをしたいと思い、テレビ番組制作の世界に入ったものの、あまりにも過酷な環境で精神的におかしくなり、会社自体をやめてしまい、ただ闇雲に世の中を彷徨い歩いていた。
当時は、本当に何をやってもダメだった。
仕事をしても数ヶ月を辞め、精神的に気が狂っていたせいか、仕事自体が怖くなってしまったのだ。
アルバイトですら怖くなり、応募すらできなかった。
どこに向かって歩けばいいんだ……
完全に自信をなくしてしまい、アルバイトですら怖くなった私は、本当に死ぬ寸前まで追い込まれていた気がする。
本当に気が狂っていたと思う。
なんとか一ヶ月以上かけて気持ちを整理して、転職活動を始めるもなかなかうまくいかなかった。
日本では一度社会のレールから外れてしまった人間にはとても厳しいのだ。
そんな時にいつものように電車に乗って、ハローワークに相談に向かっている矢先、
この写真がふと目に入ったのだ。
なんだろう、この感じ。
なんで、この写真にこんなにも心が動かされるのか……
たぶん、写真に興味を持ったのはこの体験がきっかけの一つだったのかもしれない。
たった一枚の写真を見ただけで、こんなにも感情が動かされるのは初めてだったのだ。
こんな写真をいつか撮りたい。
そう思い、転職活動を続け、なんとか内定を頂ける会社を見つけることができた。
アルバイトも少しずつ始めていき、ちょっとずつ社会復帰をすることができた。
その中でもずっとずっと心の片隅にはこの写真の存在があった。
「潜在能力を引き出せ!」
こんな写真が撮りたい一心で、アルバイトを続け、内定先の会社で働くようになり、
8ヶ月以上コツコツとお金を貯め、ようやく念願の一眼カメラを変えた。
ソニーのα7ⅱという機種でレンズやら付属品も含め、約20万円かかった。
カメラを手にするようになってから、いろんなプロカメラマンや写真が好きな人たちと出会った。
自分の勝手な解釈かもしれないが、カメラが好きだという人はどこか子供っぽい人が多い気がする。
自分の身の回りのことにとても好奇心旺盛でいるので、カメラを手に取ると写真が撮りたくなってたまらなくなるのだ。
どこか子供の頃に芽生えていた好奇心旺盛な心を忘れずに大人になった人が多い気がするのだ。
そんなちょっぴり子供っぽいカメラ好きの人たちと話すのはたまらなく楽しい。
カメラを手にしていると身の回りの景色が本当に綺麗に思える。
たとえ曇りの日でも、雨の日でも、通勤電車に乗って毎日見ている街の光景も、
毎日違って見え、どの景色もとても愛おしく思えるのだ。
こんなに世界は彩りで溢れているのか。
カメラを手にするようになってから私の物事を見る目はどこか変わっていった気がする。
そんな時、ふとこんな誘いがあった。
「劇団のオーディションの風景を撮ってくれませんか?」
オーディション風景の写真を撮ってもらい、その写真の写り具合も審査の基準にしたいというのだ。
なんだか面白そうだな。
そう思って私は早速、オーディションの撮影をすべくカメラを持って、会場となっている池袋に向かうことにした。
池袋に向かう電車の中でふと、思った。
「あ……望遠レンズ持っていない!!!」
やっとの事で、お金を貯めてカメラを手にしたばかりの私には、レンズを買う予算などなかったのだ。
ソニーの純正レンズとなると安くて10万円相当が当たり前である。
私が持っているのは20ミリ〜75ミリの標準レンズぐらいだった。
オーディションの撮影となると、どう考えても距離を離したところで撮影になるよな。
役者の人に近づいて撮影なんて出来ないよな……
やばい、望遠レンズ……必要じゃん。
山手線に乗っている時にそのことに気がついた私は早速、途中下車して、中古のレンズを多く扱っている中野のカメラ屋さんに直行することにした。
中古のレンズなら……なんとか買えるかもしれない。
店に入り、ソニーのレンズコーナーを見て、驚愕した。
中古でも5万やら10万するのである。
望遠レンズってこんなに高いの……
財布の中を見てみるとみごとに五千円しか入っていない。
やばい、どうもがいても買えない。
カードで買うしかないのか。
いや、それでもこの金欠状態で、低収入のサラリーマンをやっている私には、今すぐに10万もするレンズを買う予算などあるわけがない。
どうしよう……
本当に困った。
すると思い出した。
オールドレンズがあるではないか!
ソニーのα7ⅱというカメラがセンサーサイズが大きく、フィルム時代に使われていた中古のオールドレンズとの相性が抜群にいいということを聞いたことがあった。
中古品でしかもフィルム時代のレンズとなると、一気に値段は安くなる。
私は急いで、オールドレンズが飾られている売り場に駆け込んで行った。
売り場の店員さんに事情を説明すると
「ならば、m42のレンズがいいと思いますよ」
m42ってなんだ? と思ったが、ひとまず店員さんの助言に任せて、レンズを試着させてもらうことにした。
m42という20年近く前に使われていた望遠レンズが奥から出てきた。
こんなに古いレンズで使えるのか?
正直、私は半信半疑だったが、マウントアダプターを付けて、望遠レンズを装着した。
すると、驚いた。
くっきりと見えるのだ。
しかも値段を見て、驚いた。
千円である。
千円でこの解像度!
速攻で購入を決定し、急いで会場となっている池袋に向かう。
なんとかこれで会場でも撮影できるぞ。
きっと、オーディションに来る人たちは本気で臨んでくる。
そんな本気の目をした人たちに「レンズが合わなくて、うまく撮れませんでした」
では話にはならない。
本気で挑んで来る人たちに、本気で写真を撮らなきゃ。
プロでもなんでもないカメラを始めて二ヶ月ほどの私だったが、その気持ちだけは大切にしようと思ったのだった。
会場に着くと、オーディションの順番を待っている参加者で溢れかえっていた。
しかも会場を見ると、参加者がいるスペースとカメラマン用のスペースがかなり離れている。
あぁ……望遠レンズ買ってよかった。
そう思っていると、早速オーディションの本番が始まった。
参加者の人たちが自己アピールをしていく。
それに合わせてカメラマン達が参加者たちの姿を写真に捉えていく。
どちらも本気である。
オーディションに参加する人たちは10代から幅広い層の方々が集まっていた。
地方の方から上京し、本気で役者を目指していると語る19歳の子もいた。
そんな彼等の本気度がこもった演技を間近で見て、私は軽くパニックである。
マニュアルフォーカスで撮影する望遠レンズが超難しいのだ。
普段なら、標準レンズを使っているので、カメラのオートフォーカスで機械任せにピントを合わせていたが、オールドレンズを使うとなると、オート機能は使えない。
すべて手動で操作することになるのだ。
それに私が一目惚れして買ったレンズは200ミリの望遠レンズだ。
200ミリとなると10メートルほど離れた場所でも顔アップが映るくらいの画角だ。
それだけ離れた場所で、しかも手動でピントを合わせるとなると、もはや職人技だ。
しかも役者さんたちは皆本気なので、演技の時間になると動き回る。
動いている役者さんたちにピントを合わせるとなると、もう大変だ。
やばい、ピントが追えない!
だけど、ここはできる限りのことをやるしかない。
カメラマン用の撮影スペースも限られていたため、ポジションを変えられるスペースはほとんどなかった。
それでもピントを合わせるべく、繊細に注意しながらファインダー越しに参加者たちを見つめていった。
目にピントを合わせるべく、悪戦苦闘するうちにふと、私が衝撃を受けたあの写真を思い出していた。
あ!
これ……今から私が撮ろうとしているのは、あのポカリスエットの写真だ。
「潜在能力を引き出せ!」
アルバイトもろくにできず、世の中をただ呆然と歩き回っていた時に出会った写真。
あの写真に一目惚れして、私はカメラを買ったのだ。
あんな写真をいつか撮れるようになりたいと痛烈に感じたのだ。
あの時に感じた感情を、ファインダー越しに役者さんたちを見つめているうちに思い出していた。
本気で夢を追いかけている人の目は、いつも綺麗だ。
デジタルが主流のなか、手動でしかピントを合わせられない望遠レンズを使って、役者さんたちの目にピントを合わせている時に、ふとそんなことを感じた。
どの人も目が本気なのだ。
輝いているのだ。
もちろん、オーディションなので結果が全てだと思う。
受かる人もいれば、落ちる人もいる。
だけど、演技をしている役者さんたちの目はみんな輝いていた。
その瞬間だけ、目がキラキラしていたのだ。
私は今、25歳だ。
25歳ともなると、ある程度世の中の仕組みもわかり、自分が将来なれる選択肢も限られてきていると感じる。
さすがに今更サッカー選手になりたいと言っても小学生の頃から代表選手ぐらいになっていないと無理だ。
だけど、その本人が本気でなりたいと思ったら、意外と目の前に壁などないのかもしれない。
自分が心から大切にしたいと思っているものに無我夢中で取り組んでいる人たちを見て、ふとそんなことを思った。
私は結局、一度自分の夢を諦めてしまった人間だ。
映画が撮りたいと言って、そう言った業界に飛び込んだものの、結局諦めてしまった。
社会の歯車の一部になって生きて行くことを選んだ人間だ。
だけど、やっぱり夢を追いかけている人たちに猛烈に憧れる。
夢を追いかけている人たちの目はいつ見ても綺麗なのだ。
きっと、自分が思い描いている未来を見つめているのかもしれない。
夢を追いかけても叶えられる人もいれば、叶えられない人もいる。
オーディションの結果も受かる人もいれば、落ちる人もいる。
だけど、無我夢中に自分の好きなものを追いかけている人たちは素敵だと思う。
自分もそんな人でありたい。
オーディションに挑む人たちを見ているうちに、ふとそんなことを感じた。