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大の読書嫌いだった私が、「村上隆の五百羅漢図展」に行って読書に目覚めた理由

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「本を読みなさい!」

子供の頃、私はよく母親にそう怒られていた。

 

本を読む子は頭がいい。

ゲームをする暇があったら本を読もう。

そんな迷信が小学校には蔓延っていたと思う。

 

「みんな本を読もう」

そうどこかのお偉いさんの主張に流され、小学校では毎日、朝読書という時間が設けられていた。

本を読んで、読破したページを紙に書いて、先生に提出するのだ。

読書量が少ないと先生から注意された。

 

私はこの朝読書という時間が嫌で嫌で仕方なく、いつも適当にページ数を偽って、紙を提出していた。

子供の頃、私は全く本が読めない子供だったのだ。

文字の読み書きがどうも苦手で、文章を読んでいるとなんだか頭が痛くなってくるのだ。

それに加え、親や学校の先生から「本を読め!」と圧力がかかると……

ひねくれ者の私は「なんで言いなりになって本を読まなきゃならんのだ!」

と反抗的な態度をとり、頑として本を読もうとしなかった。

 

小学生の頃は、年に一冊本をかろうじて読むくらいだったと思う。

そんな読書嫌いだった私だが、中学生の頃になるとさすがに「本を読まなきゃまずい」と思うようになった。

それは、中学2年生にして小学生レベルの漢字が読めなかったからだ。

 

国語の時間が苦痛でしかなかった。

先生に当てられ、教科書の文を読み上げるときには、いつも隣の人に漢字を聞いて、ふりがなを書いていたものだ。

 

漢字を読み間違えると、クラスの中で失笑が起き、私は恥ずかしい思いをしていた。

 

もっと、本を読んでおけばよかった……

中学になって、私はようやく本を読んでこなかったことに後悔し始めていた。

 

 

しかし、もう時はすでに遅かった。

 

小学生の頃から読書のストックがある人は、やはり勉強もできていた。

ほぼ読書歴0年の私にはそんな読書経験がある人に勝てる余地はなかったのだ。

 

私だって過去の名作を一度は読んでみたいと思ったりしたことがある。

しかし、全く読書経験がない私にとって、そう言った古典的な名作の文章は頭に頭痛が走り、どうしても読破することができなかったのだ。

 

私はずっと読書できる人に憧れを抱いていた。

しかし、漢字や本を読むことにどうしても抵抗があり、長らく本を読むことを半ば諦めていた。

 

どうせ本を読まなくても生きていけるし。

代わりに映画をみればいいや!

そう思い、私は高校から大学の頃は、映画ばかり見まくっていた。

 

映画なら映像だけでシーンを表現してくれるので、大の読書嫌いの私でも頭の中に物語がす〜と入ってくることができた。

 

もう本を読むことはないんだろうな……

本を読まなくても生きていけるし。

心の中でそう思っていたのだと思う。

 

ずっと、読書だけはどうしても好きになれなかったのだ。

 

そんな私だったが、大学生の終わりに転機が訪れた。

 

村上隆の絵画展?」

 

私はフェイスブックに流れてきたその投稿を見て、村上隆が作り上げた絵画の世界にとても興味が湧いてきていた。

 

その世界的な芸術家の名前は知っていた。

アニメやフィギュアの世界観を海外で広め、世界的にも名前が知られている芸術家だ。

テレビでよくインタビューされているのを見たことがあった。

 

私はその頃、やたらと絵画というものに憧れていて、貧乏学生の身分にもかかわらず、六本木にあるレインブラントの絵画展や、岡本太郎の絵画展に何度か足を運んでいた。

 

村上隆の絵画展か……一度は見てみたいな。

そう思った私は六本木で開催されていた「村上隆の五百羅漢図展」に行ってみることにした。

 

入り口から驚きの連続だった。

まず、入場して目に入ったのは、これだった。

 

 

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なんだこれは……

やはり、芸術家は変な人が多いのか……

 

私は村上隆の世界観に圧倒されながらも、会場を回って行った。

そこには仏教や禅の境地が表現されている世界が広がっていた。

 

アニメや日本の仏教が合わさり、独特な世界観に圧倒されながらも私は一つ一つの作品を眺めて行った。

 

すごい……

私は世界的な芸術家村上隆の世界観に圧倒されつつ、約2時間近く、椅子に座って全長15メートル近くある五百羅漢図展を眺めていた。

 

そこには仏教とアニメ文化が合わさった世界観があった。

周囲には外国人の観光客も大勢いて、とても独特な雰囲気が醸し出されている。

 

私はその巨大な絵を描いた村上隆のエネルギーに圧倒されてしまった。

この絵を描くのに、何日間かかったのだろう?

 

 

出口付近には絵画展に向けた打ち合わせ風景や、創作秘話がまとめられたスペースがあった。

そこを見て、私は驚いてしまった。

この絵画展に提出する絵を描くのに集めた膨大な量の資料が展示されてあったのだ。

日本画の資料や、禅についての本、日本古来から伝わる神話。

 

ありとあらゆる資料や本が展示されてあったのだ。

村上隆本人は、この絵画展に向けて、スタッフとともに、日本全国から仏教日本画の資料を集め、そのインプットをもとにあの巨大な絵を描いていったらしいのだ。

 

 

一枚の絵を描くのにも、その背景にはこれだけのインプット量が必要なのか……

 

 

絵といったら、芸術家の感性や個性がにじみ出ていて、好き勝手に描いていると思っていたが、そうではなかったのだ。

村上隆ほどの世界的な芸術家となると、絵をひとつ描くのにもその背景に膨大な資料や本のインプット量があるのだ。

 

そのインプットの土壌から、あのような海外の人をも魅了する作品を作り上げていっているのだと思う。

 

画家にも読書が必要なのか。

世界的なクリエイターはみんな読書しているんだ。

 

ダークナイト」や「インセプション」で有名なクリストファー・ノーラン監督は、一つの映画を作るのに1000冊ぐらいの本を読むという。

それだけのインプット量がないと人を魅了する映画を作ることができないのだ。

 

私は村上隆の五百羅漢図展に行って、読書の大切さを身にしみて感じた。

一つの絵を描くのにも、その背景には膨大な読書とインプット量があるのだ。

 

絵画、映画、ビジネスマン……どんな道に進もうが、その分野でトップになる人は読書をしている。

給料の1割は本に費やせという教えがある通り、

年収1000万クラスの人でも、年に100万円分の本を読まないと、その年収分のパフォーマンスができていないという。

30代やら40代でその業界で頭角を現し始めるのは、みんな10代から20代で膨大な読書というインプット量をこなしてきた人たちなのだと思う。

 

やはり、どんな道に行こうが、結局読書というものが大切なのだ。

 

私は、いつか多くの人を魅了するクリエイターになりたいと思う。

そのためにも今は読書をしなければならない……

そんなことを感じながら、絵画展を後にしたのだった。