ライティング・ハイ

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「破線のマリス」を読んで、ふとしたきっかけでテレビ出演してしまった日のことを思い出す

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「テレビは簡単に人を殺せる」

そう先輩ディレクターが言っていた。

 

私は前職でテレビ番組制作会社に勤めていた。

毎日のように怒号が繰り返される環境で走り回り、精神的に滅入っていたのだが、先輩ディレクターが言ったこの言葉だけは異様に私の記憶にこびりついていた。

 

テレビ番組制作は多くの人が知っているようにだいぶブラックな世界だ。

24時間テレビが放送されているので、毎日毎日、放送に向けた映像素材を探さなくてはならない。

現場にいる人はみんなフラフラの状態で働いていた。

 

「ディレクターが早く編集してくれたら、家に帰って寝れるのに……」

私は5日間、家に帰れない日々が続いて精神的に滅入っていた。私がついた先輩ディレクターがものすごく編集にこだわる人で、何回も編集の直しを繰り返し、

「あれの素材持ってきて〜これも撮ってきて〜」などと真夜中の2時だろうが指示が飛んできて、一向に私は寝れる気配がなかった。

 

たかがテレビだ……そんなにこだわらなくてもいいのでは?

そんなことを思っていた。

 

私が深夜遅くまで一人会社に残り作業していると、先輩ディレクターがそっと私の隣に座ったことがあった。

「お疲れ!」

 

「お疲れ様です……」

私はその時、帰れない日々が続いていてノイローゼ状態だった。

クラクラだったのだ。

先輩ディレクターとたわいのない話をしているうちに、ふと真面目なトーンでこういった。

「テレビは簡単に人を殺せる。間違っても取材対象者を傷つけることはあってはならない。制作者は覚悟を持って仕事をしなきゃいけないんだ」

そう何度も言っていた。

よく考えたらテレビは時として殺人兵器にもなりうる。

若い人はテレビを見なくなったと言われていても何100万人の人が今もテレビを見ている。

変な思想を持ったディレクターが番組を作って、200万人以上が見ている視聴率5パーセントの時間帯に番組を流したら、視聴者は一方的にその思想の影響を受けることになるのだ。

私はディレクターの言葉からテレビ制作の難しさを身にしみて感じた。

 

結局、私は前職を辞めてしまうことになったが、先輩ディレクターが言っていたその言葉だけは頭にこびりついていた。

今でも街中で街頭インタビューしているテレビ関係者を見ていると、いつもその言葉を思い出す。

ずっと頭の片隅でマスコミによるテレビ報道の難しさを感じていた。

そんなこともあってか、気がついたら私の本棚にはこの本が置いてあった。

きっと、本屋で見かけて思わず買ってしまったのだろう。

いつ買ったか記憶すらないが、なぜか私の本棚に迷い込んでいたのだ。

 

破線のマリス

1997年に出版され、ベストセラーになった本だ。

知っている人も多いかもしれない。テレビによる虚偽報道の真相を描いたこの小説はミステリー小説として高い評価を受けているという。

 

私はこの小説のことを全く知らなかった。

しかし、あらすじや周りの評価を見ているうちに何かの拍子で買ってしまったのだろうと思う。

私はその小説を時間がある時に読んでみることにした。

それは報道の最前線で走り回るテレビディレクターと無実の罪にもかかわらず、報道の捏造によって社会から犯罪者のレッテルを貼られてしまった被害者との葛藤を描いたミステリー小説だ。

 

私はのめり込むようにして、その小説を読んでいった。

 

自分が見てきたテレビの世界がその中に書かれてあった。

「テレビは簡単に人を殺せる」

そう何度もディレクターが言っていた言葉を思い出していた。

本当にそうだ。テレビは簡単に人を傷つける殺人兵器にもなりうるのだ。

制作者が取材データの切り取る箇所を意図的に捏造すれば、違った内容に変更され放送することもできるのだ。

 

小説ではその切り取る部分……マリスの排除がキーポイントになってくる。

悪意の排除という意味だ。テレビ報道では何100万人という視聴者がいるので、制作者は悪意を排除しなければならない。

間違っても切り取る部分を間違って、意図的に悪意を持って放送することは許されないのだ。

 

制作者が意図してなくても、間違った部分が切り取られ、対象者を傷つけてしまうことも度々ある。

そんなマスコミ報道の難しさを描いた傑作小説だったのだ。

 

私はその小説を読んでいるうちに、マスコミの面白さを一番初めに体感した日のことを思い出していた。

自分の意図していない箇所が切り取られ、全国に自分の顔が流れてしまった日のことを……

 

 

私はその時、就活というものをしていた。

新宿に合同説明会があり、その帰り道のことだった。

「ちょっと時間いいですか?」

その人はでっかいカメラを抱えていて、明らか何時間も炎天下の中、この場所に立ち、就活生相手に取材しているテレビ局のスタッフさんだった。

 

どうやら3月解禁に移行され、7月の猛暑の中走り回っている就活生相手に、就活の服装について聞いて回っているらしいのだ。

ちょっと時間があれば、就活の服装やクールビズについて聞きたいのだという。

 

私はその日、時間があったのだと思う。

次の選考まで二時間ほど時間を持て余していた。

テレビに映るのは恥ずかしいな……ま、自分のコメントなんてカットされるだろうし、取材受けてみるのもいいか。

そんなことを思っていたのかもしれない。

私は結局、取材を受けることにした。

確か質問は5つほどで3分ほどで取材は終わった。

何個か就活生の服装について聞かれただけだった。

 

だけど、私はその時とても就活に対する憤りを感じていたため、結構暴言を吐いていた気がする。

「暑い中就活なんてさせるな!」

クールビズでいいと大人は言うが、キチンとした服装を着てないと面接で落とされる気がするから誰もクールビズの服なんて着ない!」

 

そんなことをテレビカメラに向かってぶちぎれたのだ。

7月まで内定ゼロで私はとても焦っていたのだと思う。

30社以上落ち、毎日のように飛び書く就活メールと不採用通知に嫌気がさし、イライラが絶頂だったのだ。

テレビディレクターの人はちょっと困った顔をしながら

「ありがとうございました」

と言った。

こんなんでいいのかな? 

と思ったが、私はその場を後にすることにした。

なんかストレス発散にテレビ取材を利用してしまった気がしたのだ。

 

 

何事もなくその後の面接も終わり、家に帰ってゆっくりしていると親戚からLINEが飛んできた。

 

「さっきテレビに映ってなかった?」

 

え?

テレビに映ってたの?

 

友人からも何件か問い合わせが来ていた。

「さっきニュースに映ってたよ」

 

私が映っていたとされる夕方のニュースを確認してみることにした。

見逃し配信をネットで見てみると、驚いた。

思いっきり私が映っていたのだ。

 

就活生の服装というコーナーで、夏のくそ蒸し暑い中、汗だくになって就活をしている私の姿が思いっきり全国放送で流れていたのだ。

 

 

適当に就活についてブチ切れていただけなのだ。

まさか全国ネットで流れるとは私は思ってもみなかった。

 

そして、あの場にいたディレクターのスゴ技を身にしみて感じた。

うまい具合に私のコメントが切り取られ、柔らかい印象になるように工夫されていたのだ。

穏やかにコメントされている箇所だけを切り取って、つなぎ合わせていたのだ。

 

私はマスコミにおける悪意の排除というものを身にしみて感じた。

テレビの世界はこうやって成り立ってるんだ。

そんなことをとても感じたのだった。

 

その経験から私はテレビの世界に興味を持ったのかもしれない。

あの日、悪意が排除されて全国に流れた私の姿を見て、多くの人はどう感じたのだろうか。

 

制作者の意図で、こうも印象が変わるとは私は思わなかった。

テレビという凶器はいいように使えば、人を助けることにも利用でき、悪いように使えば、誰かを傷つけることもできるのだ。

本人の意図していないところで、取材対象者を傷つけてしまうこともよくあるらしい。

それでもテレビスタッフたちは仕事を続けている。

 

私はそんなことを「破線のマリス」を読んでいる時に思い出していた。

結局、私はテレビの世界を諦めてしまったが、今でもマスコミの報道の難しさや裏方で死に物狂いで働いているスタッフさんのことをよく思い出す。

 

何気なく毎日見ているテレビは、多くの制作者の葛藤や、取材対象者への配慮の上で成り立っているのだ。

 

破線のマリス」はそう言ったマスコミ報道による悪意の排除が招いた悲劇を描いた傑作ミステリーだ。

 

マスコミにあまり興味が持てない人でも楽しめる小説だと思う。