ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

趣味を仕事にしている人にあこがれを持っていたけども……

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「趣味を仕事にするのはしんどい」

大学の同級生はそう言っていた。

彼はカメラや映像が大好きな人だった。

学生時代に何十万もするカメラを買って、パシャパシャ撮りまくっていた。

私は、きっと彼はカメラマンになるんだろうなと思っていた。

 

しかし、彼が選んだ道は銀行員だった。

「趣味を仕事にしたら、趣味が嫌いになりそうだと思ったんだよね。好きなことを仕事にするのは辛いよ」

彼はそう言って安泰な銀行員という道を進んでいった。

 

私はというと好きを仕事にしようと考えていた。

就活では好きだった映像の職に就きたいと思い、マスコミや制作会社を片っ端から受けていた。

幅広く受けることが大切だとキャリアセンターの人に言われたこともあり、ベンチャー企業なども調べて受けていた。

 

しかし、受けようにも世の中には何10万社と会社があるため、どこを受けていいかわからない。

私は仕方なく就活エージェントと呼ばれる人たちに頼ることにした。

就活エージェントは数ある選択肢の中から就活生が受けるべきオススメの企業を紹介してくれるサービスである。

エージェント会社も企業からお金をもらっているため、怪しい会社をオススメされる危険性もあるが、自分の力で何10万社という会社を一個一個探るより手っ取り早くて負担が少ないので、今就活生の間でオススメされているサービスである。

 

私は就活エージェントに面談を申し込んだ。

その時はもう6月だった。3月に解禁され、4月にはエントリーシートが締め切られていた。

6月の時点で私は内定ゼロだったのだ。

私は焦っていた。周囲の学生はどんどん内定をもらい、就活という名のゲームから外れていった。

私は3月解禁の時に、よくわかんないまま就活情報サイトに載っている面白そうな企業を片っ端からクリックして、エントリーをしていた。

エントリーシートを書いては書類選考で落とされ、面接をしては落とされていった。

 

そして、気がついたらもう残された企業はほとんどなかったのだ。

 

 

どうすればいいんだ……

私は途方に暮れていた。

 

 

そして、就活中に出会った人から就活エージェントの存在を知り、私はエージェントに頼ることにしたのだ。

もっと早くにその存在を知っていれば……

 

就活エージェントの方は真摯に私の進路先を相談してくれた。

「映画が作りたい! 脚本が書きたい! これがしたい、あれがしたい!」

私は今までに自分がやってきたことやこれからやりたいことを語りまくっていた。

エージェントさんは頭を抱えていたと思う。

 

今ならわかる。

私は就活で落ちまくった理由が……

それは自分の中の軸を全く持っていなかったからだ。

 

自分は何か人と違うものを持っているはずだ。

何かクリエイティブな才能があるはずだ。

 

そんな無意味なプライドに翻弄されて、電通やら民放キー局などの超高倍率の企業ばかり受けていたのだ。

 

特にやりたいことなどはっきりしていなかった。

それでも自分は人に自慢できるような会社名を求めて、華やかでカッコ良さそうな企業ばかりを受けていたのだ。

 

「一旦、映画が作りたいという気持ちを置いといて、君が一番何をやりたいか考えてみないか?」

 困惑している就活エージェントの人はそう言った。

 

自分がやりたいことっていったい何なのだろうか?

私はやりたいことはあった。

映画が作りたかった。

しかし、その夢に飛び込んでいく勇気がなかったのだ。

 

叶えるつもりのない夢を持っていたことがネックになって私の就活はうまくいかなかったのかもしれない。

企業の選考を受けても、腹の中では映画の仕事がやりたいと思っているため、心の底からこの会社に入りたいと思えなかったのだ。

 

ベンチャー企業などを受けてみると、上のいいなりにならずにやりたいことをトコトンやっている人がたくさんいた。

 

好きを仕事にしないともったいない。

そんなことを思っている就活生は多いと思う。

私もそんな就活生の一人だった。

好きなことや趣味を仕事にしないと人生もったいないと思っていたのだ。

しかし、私は好きなことを仕事にする勇気を持てず、ウジウジしたまま7月が過ぎていった。

 

私は結局、とある制作会社に勤めることになるが、尋常じゃないストレスと寝不足が続き、すぐに辞めてしまった。

先輩に辞めると言った記憶がないほど、ノイローゼ状態になっていたのだ。

 

趣味を仕事にするのはしんどいと言っていた同級生の言葉の意味がわかった。

好きだからこそ、自分の理想とのギャップを見て、つらくなるのだ。

 

私は転職をして、なんとか第二の社会人をやるようになったが、今でも好きを仕事にすることの難しさを考えることがある。

映像制作で頑張っている人のほとんどが好きを仕事にした人たちだ。

私は結局、普通のサラリーマンをやることになったが、趣味を仕事にした人たちとどっちの方が幸せなのだろうか?

 

そんなことを考えている時、とあるライターさんと出会った。

その人は小説家になろうと思い、20代の大半を小説家になるために過ごしたという。

フリーターを続けながら1日1万6字の文章を書いていたのだ。

尋常じゃない量だ……

結局、その人は小説家になることはできなかった。

しかし、30歳を過ぎた時、自分が心から挑戦したいことを見つけ、毎日を楽しそうに過ごし全国を走り回っている。

 

1日1万6字は原稿用紙40枚分だ。尋常じゃない量を書いていたことになる。

それも10年間、毎日書き続けていたのだ。

誰かに見せることでもなく、ただひたすら書いていたのだ。

ものを書くことで食えているわけではなかった。

しかし、それでも毎日書き続けたのだという。そして、30歳過ぎた頃に自分の本当にやりたいことを見つけ、今トコトンやりたかったことと向き合っている。

 

私はそんな芯が強い人を見ていると羨ましく思える。

なんでこんなに生きる力があるのだろうか。

好きなもので食べていけるわけではないのに、なんで好きなことと向き合えるのだろうか?

 

そして、私は好きなことを仕事にしている人に憧れていた理由がわかった。

 

 

趣味や好きを仕事にしていることに憧れていたのではなく……

私は力強く生きている人に猛烈に憧れていたのだと思う。

たとえ将来、その道で食べていくわけでもなく、好きなことをトコトンやって、

力強く生きている人に憧れていたのだ。

 

好きを仕事にしなきゃいけないと思っていたが、そんなことはなかった。

好きでないことでも、目の前のことにがむしゃらになり、毎日を力強く生きている人はどこか輝いて見える。

 

私もそんな風に力強く生きる人になりたいと思って、こうして毎朝5時に起きて、記事を書くことにしたが、まだまだ未熟なのかもしれない。

 

猛烈に目の前のことに夢中になって力強く生きている人はやはり人を惹きつけるものだ。

私もそんな風に力強く生きて、熱を感じたい。

 

そんなことを思いながら、今日もライティングに励むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中のものさしが消えたとき

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「君は一体何がしたいの?」

私はアルバイト先の先輩にそう言われていた。

そのとき、私はとあるWEB系の映像制作会社でアルバイトをしていた。

イラストレーターやアドビのソフトを使って簡単な動画を作り、加工する作業をする仕事だ。

毎朝10時に出勤で、夜の19時まで働き、時給1000円という映像業界においては割とホワイトでおいしいアルバイトだった。

 

その会社の中には、もともとテレビ関係の会社に勤めている人から、大学生のインターンなど、いろんな人がいた。

多くの人が切磋琢磨して、笑いながら映像を作る環境でとても居心地の良い環境だったと思う。

しかし、当時の私にはそのありがたみを気付くことができなかった。

 

そのとき、私は新卒で入った会社を辞め、ノイローゼ状態だったのだ。

テレビの世界で働いてみるも挫折し、世の中をさまよっているうちに、まだ心のそこで映像業界への憧れが残っていたので、WEB系の映像なら自分にもできるだろうと思ってアルバイト面接を受けていたのだ。

 

自分がやりたいことって一体なんなのだろう?

今思うと、自分がやりたいことはある程度わかっていた。

しかし、飛び込む勇気がなかったのだ。

 

ずっと叶えるつもりがない夢というものに翻弄され、私は普通に仕事をすることもできず、ずっとノイローゼの状態が続いていた。

 

仕事中にイラストレーターを使っても、手こずっている私を見て、先輩方は親切にアドバイスしてくれた。

しかし、私は心のそこで

「こいつらはCM業界から外れてここにたどり着いた人たちだ……自分と同じ負け犬なんだ」そんなことを思っていた。

 

自分はもっとレベルの高い人と付き合うべきだ。

自分はもっとクリエイティブな存在に決まっている。

そんな上から目線のことを思っていたのだ。

 

 

自分の中で作り上げたものさしに翻弄され、私は常に人を見下しているようなずるい奴だった。

WEB系の仕事も心のそこで、こんな子供向けの映像を作って何になるの?

と思っていた。こんな仕事面白くない。自分がやるべき仕事じゃない。

そんなことを思いながらアルバイトしていた。

 

ある時、私はアルバイト先の社長に呼び出されることがあった。

会社の近所のカフェに入り、二人で話をする。

 

何だろう? 

早く帰りたいな。

私はただ、呆然としながら話を聞いていた。

 

「君は何がしたいの?」

どうやら会社内でも、常にネガティブオーラ全開で周囲を見下していた私は、他の社員さんからも忌むべき存在だったらしいのだ。

「他の社員からも不安の声が上がっている。社内の雰囲気を悪くするような人は困るんだよね。これからどうしたいの?」

 

どうしたいの? と言われても、わかるわけない……

私はただ、呆然としながら社長の話を聞いていた。

ここでも私は役立たずなのか。

何をやってもダメなのか……

 

私は結局アルバイト先を辞めることにした。

映像制作という憧れの仕事に就きたいという思いがあったが、私はどうしてもその世界で仕事をすることができなかったのだ。

 

クリエイティブな世界は面白いと同時に過酷だ。

納期が決まっているため、夜中の2時だろうが納期に間に合わせるために映像を作らなければならないのだ。

普通のサラリーマンのように9時出社〜19時退社という決まったルーティーンは存在しない。

時間帯はバラバラだ。

私は基本的にのんびりと仕事したいタイプなので、時間バラバラで納期前になるとバタバタするクリエイティブな職業に向いていなかったのかもしれない。

 

ずっと、私は叶えるつもりのない夢に翻弄されていたと思う。

自分にはクリエイティブな才能があるはずだ。

20代で何かで頭角を出さないと人生終わりだ。

そんな自分が作り上げたものさしを基準にして世界を見ていたと思う。

 

私は結局、映像の世界で生きていくことを諦めてしまった。

クリエイティブな世界は自分には向いてなかったのかもしれない。

 

ノイローゼ状態になりながらも私は転職活動をして、なんとか内定をもらえる会社と出会えた。

ストレートで大学を卒業していたら他の同級生は社会人歴3年目になる。

私は浪人するなり、新卒で入った会社を即行で辞めるなりして、世の中をさまよっているうちに、24歳になってしまった。

 

新しく入った会社の先輩の中でも、同じく92年生まれで社会人歴3年目の人も多くいる。

そんな人を見ていると、私と同い年でもこんなに差がついてしまったのかと後ろめたくなる気がしてきた。

ほとんど社会人歴がない私はワードをいじるのにも、パニック状態だ。

電話対応もエクセルもきちんとこなす社会人歴3年目の同い年の人を見ると、自分は一体今まで何をしてきたんだと思ってしまう時もあった。

 

私が新しく入社した会社はBtoB企業で、ある製品を作っている会社だ。

営業として先輩についていろんなところを走り回っているうちに、私はあることに気がついた。

 

世の中ってこんなにも仕事で溢れているんだ……

そう思ったのだ。

 

椅子一つ作るのにも、ネジやパイプ、座るところのクッションなど5社以上の会社が携わって一つの椅子が作られているのだ。

いろんな人の仕事があって、自分の身の回りのものが生まれてくることを感じたのだ。

パソコン一つ作るのにも半導体やら液晶画面など、何100社という仕事が携わって製品が生まれてくるのだ。

 

私は目の前の仕事に取り組み、忙しい毎日を送っているうちに、自分の中で作り上げたものさしも消えていっていることに気がついた。

 

ずっと社会の歯車になって働きたくないと思っていた。

自分の好きなクリエイティブな仕事をやって、生きていきたいと思っていたのだと思う。もっと自分はレベルの高い人と仕事できるはずだ。

そんなことを思っていたのだ。

 

しかし、世の中に出て、いろんな挫折を味わい、自分が作り上げたものさしが薄らいでいくと、なんだか世の中の美しさに気がつけた気がする。

 

仕事一つとっても、楽しんで働いている人はどこか美しい。

書類をパッとまとめて、テキパキと仕事をしている人はどこか毎日を楽しんで生きている。

何事も自分の意識次第なのかもしれない。

目の前のことにきちんと向き合っている人は、どこかイキイキと生きている気がするのだ。

 

もっと上に行かなきゃ。自分が好きなことをやらなきゃというものさしが消えた途端、なんだか生きるのが楽になった。

今でもどこか自分は何者かになれるという思いがあるかもしれない。

クリエイティブなものを持っていると思っているかもしれない。

しかし、ひとまず目の前のことに真剣に向き合っていれば、いつかどこかにたどり着けるような気がするのだ。

 

自分が作り上げたものさしに翻弄され、就活も失敗した私は、ようやく自分の人生を歩み始めた。

そんなことを思いながら、私は今日も満員電車の中に飛び込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「破線のマリス」を読んで、ふとしたきっかけでテレビ出演してしまった日のことを思い出す

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「テレビは簡単に人を殺せる」

そう先輩ディレクターが言っていた。

 

私は前職でテレビ番組制作会社に勤めていた。

毎日のように怒号が繰り返される環境で走り回り、精神的に滅入っていたのだが、先輩ディレクターが言ったこの言葉だけは異様に私の記憶にこびりついていた。

 

テレビ番組制作は多くの人が知っているようにだいぶブラックな世界だ。

24時間テレビが放送されているので、毎日毎日、放送に向けた映像素材を探さなくてはならない。

現場にいる人はみんなフラフラの状態で働いていた。

 

「ディレクターが早く編集してくれたら、家に帰って寝れるのに……」

私は5日間、家に帰れない日々が続いて精神的に滅入っていた。私がついた先輩ディレクターがものすごく編集にこだわる人で、何回も編集の直しを繰り返し、

「あれの素材持ってきて〜これも撮ってきて〜」などと真夜中の2時だろうが指示が飛んできて、一向に私は寝れる気配がなかった。

 

たかがテレビだ……そんなにこだわらなくてもいいのでは?

そんなことを思っていた。

 

私が深夜遅くまで一人会社に残り作業していると、先輩ディレクターがそっと私の隣に座ったことがあった。

「お疲れ!」

 

「お疲れ様です……」

私はその時、帰れない日々が続いていてノイローゼ状態だった。

クラクラだったのだ。

先輩ディレクターとたわいのない話をしているうちに、ふと真面目なトーンでこういった。

「テレビは簡単に人を殺せる。間違っても取材対象者を傷つけることはあってはならない。制作者は覚悟を持って仕事をしなきゃいけないんだ」

そう何度も言っていた。

よく考えたらテレビは時として殺人兵器にもなりうる。

若い人はテレビを見なくなったと言われていても何100万人の人が今もテレビを見ている。

変な思想を持ったディレクターが番組を作って、200万人以上が見ている視聴率5パーセントの時間帯に番組を流したら、視聴者は一方的にその思想の影響を受けることになるのだ。

私はディレクターの言葉からテレビ制作の難しさを身にしみて感じた。

 

結局、私は前職を辞めてしまうことになったが、先輩ディレクターが言っていたその言葉だけは頭にこびりついていた。

今でも街中で街頭インタビューしているテレビ関係者を見ていると、いつもその言葉を思い出す。

ずっと頭の片隅でマスコミによるテレビ報道の難しさを感じていた。

そんなこともあってか、気がついたら私の本棚にはこの本が置いてあった。

きっと、本屋で見かけて思わず買ってしまったのだろう。

いつ買ったか記憶すらないが、なぜか私の本棚に迷い込んでいたのだ。

 

破線のマリス

1997年に出版され、ベストセラーになった本だ。

知っている人も多いかもしれない。テレビによる虚偽報道の真相を描いたこの小説はミステリー小説として高い評価を受けているという。

 

私はこの小説のことを全く知らなかった。

しかし、あらすじや周りの評価を見ているうちに何かの拍子で買ってしまったのだろうと思う。

私はその小説を時間がある時に読んでみることにした。

それは報道の最前線で走り回るテレビディレクターと無実の罪にもかかわらず、報道の捏造によって社会から犯罪者のレッテルを貼られてしまった被害者との葛藤を描いたミステリー小説だ。

 

私はのめり込むようにして、その小説を読んでいった。

 

自分が見てきたテレビの世界がその中に書かれてあった。

「テレビは簡単に人を殺せる」

そう何度もディレクターが言っていた言葉を思い出していた。

本当にそうだ。テレビは簡単に人を傷つける殺人兵器にもなりうるのだ。

制作者が取材データの切り取る箇所を意図的に捏造すれば、違った内容に変更され放送することもできるのだ。

 

小説ではその切り取る部分……マリスの排除がキーポイントになってくる。

悪意の排除という意味だ。テレビ報道では何100万人という視聴者がいるので、制作者は悪意を排除しなければならない。

間違っても切り取る部分を間違って、意図的に悪意を持って放送することは許されないのだ。

 

制作者が意図してなくても、間違った部分が切り取られ、対象者を傷つけてしまうことも度々ある。

そんなマスコミ報道の難しさを描いた傑作小説だったのだ。

 

私はその小説を読んでいるうちに、マスコミの面白さを一番初めに体感した日のことを思い出していた。

自分の意図していない箇所が切り取られ、全国に自分の顔が流れてしまった日のことを……

 

 

私はその時、就活というものをしていた。

新宿に合同説明会があり、その帰り道のことだった。

「ちょっと時間いいですか?」

その人はでっかいカメラを抱えていて、明らか何時間も炎天下の中、この場所に立ち、就活生相手に取材しているテレビ局のスタッフさんだった。

 

どうやら3月解禁に移行され、7月の猛暑の中走り回っている就活生相手に、就活の服装について聞いて回っているらしいのだ。

ちょっと時間があれば、就活の服装やクールビズについて聞きたいのだという。

 

私はその日、時間があったのだと思う。

次の選考まで二時間ほど時間を持て余していた。

テレビに映るのは恥ずかしいな……ま、自分のコメントなんてカットされるだろうし、取材受けてみるのもいいか。

そんなことを思っていたのかもしれない。

私は結局、取材を受けることにした。

確か質問は5つほどで3分ほどで取材は終わった。

何個か就活生の服装について聞かれただけだった。

 

だけど、私はその時とても就活に対する憤りを感じていたため、結構暴言を吐いていた気がする。

「暑い中就活なんてさせるな!」

クールビズでいいと大人は言うが、キチンとした服装を着てないと面接で落とされる気がするから誰もクールビズの服なんて着ない!」

 

そんなことをテレビカメラに向かってぶちぎれたのだ。

7月まで内定ゼロで私はとても焦っていたのだと思う。

30社以上落ち、毎日のように飛び書く就活メールと不採用通知に嫌気がさし、イライラが絶頂だったのだ。

テレビディレクターの人はちょっと困った顔をしながら

「ありがとうございました」

と言った。

こんなんでいいのかな? 

と思ったが、私はその場を後にすることにした。

なんかストレス発散にテレビ取材を利用してしまった気がしたのだ。

 

 

何事もなくその後の面接も終わり、家に帰ってゆっくりしていると親戚からLINEが飛んできた。

 

「さっきテレビに映ってなかった?」

 

え?

テレビに映ってたの?

 

友人からも何件か問い合わせが来ていた。

「さっきニュースに映ってたよ」

 

私が映っていたとされる夕方のニュースを確認してみることにした。

見逃し配信をネットで見てみると、驚いた。

思いっきり私が映っていたのだ。

 

就活生の服装というコーナーで、夏のくそ蒸し暑い中、汗だくになって就活をしている私の姿が思いっきり全国放送で流れていたのだ。

 

 

適当に就活についてブチ切れていただけなのだ。

まさか全国ネットで流れるとは私は思ってもみなかった。

 

そして、あの場にいたディレクターのスゴ技を身にしみて感じた。

うまい具合に私のコメントが切り取られ、柔らかい印象になるように工夫されていたのだ。

穏やかにコメントされている箇所だけを切り取って、つなぎ合わせていたのだ。

 

私はマスコミにおける悪意の排除というものを身にしみて感じた。

テレビの世界はこうやって成り立ってるんだ。

そんなことをとても感じたのだった。

 

その経験から私はテレビの世界に興味を持ったのかもしれない。

あの日、悪意が排除されて全国に流れた私の姿を見て、多くの人はどう感じたのだろうか。

 

制作者の意図で、こうも印象が変わるとは私は思わなかった。

テレビという凶器はいいように使えば、人を助けることにも利用でき、悪いように使えば、誰かを傷つけることもできるのだ。

本人の意図していないところで、取材対象者を傷つけてしまうこともよくあるらしい。

それでもテレビスタッフたちは仕事を続けている。

 

私はそんなことを「破線のマリス」を読んでいる時に思い出していた。

結局、私はテレビの世界を諦めてしまったが、今でもマスコミの報道の難しさや裏方で死に物狂いで働いているスタッフさんのことをよく思い出す。

 

何気なく毎日見ているテレビは、多くの制作者の葛藤や、取材対象者への配慮の上で成り立っているのだ。

 

破線のマリス」はそう言ったマスコミ報道による悪意の排除が招いた悲劇を描いた傑作ミステリーだ。

 

マスコミにあまり興味が持てない人でも楽しめる小説だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就活の時に選ばれなかった方のあなたへ

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「自己分析なんて時間の無駄です」

就活が本格的に始まる前に、とある就活生向けのセミナーに行った際に、講師の方が何度も言っていた言葉だった。

 

「自己分析をしている暇があったら、自分にあった会社を探すほうがいい。皆、ブランドを求めて大手企業ばかり受けてしまう。日本には優秀なBtoB企業や中小企業がゴロゴロある」

そんなことを言っていた。

 

私はその時、大学3年生で就活のことを全く知らなかった。

就活を経験した先輩によると、就活はどうやら地獄らしいのだ。

並大抵の努力ではうまくいかないという。

 

「大手病にはならないようにしてくださいね」

就活セミナーの人はそう言っていた。

私はその時の話をスルーしていたと思う。

自分なら大手だろうがどこだろうが受かるっしょとあまい考えを持っていたのだ。

 

私が行きたかったのはマスコミ業界だった。

テレビや広告代理店という華やかな世界に入りたいと思っていた。

 

ひとまず情報収集のためにと思い、大学のキャリアセンターに通うことにした。

自己PRを書いてはキャリアセンターの人に見てもらい、いろんなアドバイスをもらったりしていたのだ。

 

「この一行目はもっとわかりやすい言葉で」

「もっといい感じのフレーズ考えましょう」

就活が本格的に始まる3月解禁までにある程度、自己PRやエントリーシートを用意していたら、なんとかなるだろうと思っていた。

 

私は性格的にクソ真面目な部分もあるので、就活も事前準備をなるべく早くにやり始めていたのだ。

就活関連の本を読んで、自己を磨いていくなんだかよく分からない本を読んだり、コミュニケーション能力を磨く本を読んだりしていた。

 

そして、待ちに待った3月解禁の日が来た。

私はこれまで事前準備していた大企業のリストを見ながら就活サイトを開いてエントリーしていこうと思っていた。

 

解禁されたと同時にサイトはパンク状態だ。

一斉に何万人という人がエントリーし始めるのでネットになかなか繋がらなかった。

 

それでも時間をおきながら、私は自分が行きたいマスコミ関係の企業を受けて行った。

エントリーしては、説明会に行き、エントリーシートを書く。

その繰り返しをしているとあっという間に4月も過ぎていった。

 

気がついたら自分の周りには内定をもらえた人がチラホラ現れるようになってきた。

 

「〇〇っていうベンチャー企業から内定出たんだよね」

たまに行く大学の授業では、就活生同士の内定先自慢合戦が行われていたのだ。

みんな一つ内定をもらえただけで、どこか余裕ができたせいか、イキイキと就活のことを喋っていたのだ。

 

そんな人たちを見て、私は焦っていた。

私は内定ゼロだったのだ。

 

マスコミ関係を中心に受けていた。

テレビ局や広告代理店を、何十社か受けていたらどこかは受かるだろうと思っていた。

テレビ局となると倍率1000倍の世界だ。

 

普通ならそんなところ受かるはずがないと思うだろう。

しかし、就活をしていると自分が選ばれた人間になりたい一心で、目の前のエントリーシートに必死になって、倍率のことなど気にしなくなるのだ。

 

1万エントリー中、内定者はわずか13人。

マスコミ就活はそんな世界だった。

それでもみんな、憧れのテレビ局や電通に行くために必死こいて自分を見繕い、面接に挑んでいた。

 

集団面接の場になると、スーツケースを持って全国行脚している人も多く見かけた。

 

私はそんな人たちを見て、自分ならどこか受かるだろう……そんな淡い期待を抱いていたのだ。

自分は人と違う何か持っている。

そんな傍観者の目線を持っていたのだと思う。

 

結果的に30社以上、ほぼ全て落ちた。

 

 

何で自分は選ばれないのか……

そう思い悩んでは私は鬱状態になっていた。

 

6月まで内定がゼロ状態で私は本当に焦っていたのだと思う。

3月で解禁され、ほとんどの会社が4月までにエントリーシートの受付を締め切るため、皆自分が受ける会社をわずか1ヶ月以内で決めなけらばならないのだ。

 

就活はわりと無茶苦茶な制度だ。

就活サイトには3万社以上情報があるのに、そこから受ける会社を選ぶとなると自然と名前を知っている大手企業に人が集まってくるのもわかる。

 

私はずっとマスコミ業界を受けていたために、中小企業などもほとんど受けてこなかった。気がついたらほぼエントリーの受付が終了していたのだ。

 

私はノイローゼになりながらもそれでも就活を続けていた。

負け組にはなりたくない。その一心だった。

たかが就活なのに……と思う人もいるかもしれないが、実際に就活をしていると本人には尋常じゃないストレスがかかってくるものだ。

毎日のように飛び交うお祈りメールを見ているうちに、自分は社会から必要とされてない存在に思えてきて、とんでもない劣等感を感じてくる。

 

行き先真っ暗闇の中をひたすら走り回る感覚だった。

私は結局、とあるテレビ番組制作会社に内定をなんとかもらえた。

しかし、ずっとこのままでいいのか?

そんな思いはあった。

 

だけど、他に行き先もなかったので仕方なくその会社に入ることにした。

 

会社に入ってからは本当に大変だった。

4日寝れないこともざらにあり、毎日会社の床で寝ては死ぬほど働いた。

 

テレビ局の中に入っていくと私と同じ新入社員が意気揚々と食堂で食べている姿を見かけた。

 

テレビ局員と制作会社となると年収も3倍以上違ってくる。

入った会社によってその人の人生もガラッと変わってきてしまうのだ。

 

なんで自分は夜中の4時まで働いて、テレビ局に入れた彼らは夕方7時には帰れるのか……

同じ時期に大学を出たはずなのに、なんでこうも扱いが違うのか。

私は社会の厳しい現実を見て、半ばノイローゼになっていた。

 

人間、4日も満足に寝れないと頭がおかしくなってくるものだ。

度重なるストレスで私はノイローゼ状態がずっと続いていた。

一度人身事故を起こしかけ、さすがにヤバイと自分でもわかった。

 

久しぶりに会った友人には「お前死にそうな顔だけど大丈夫か?」と言われた。

2ヶ月で8キロも痩せた私の体が、もはやボロボロだったのだ。

 

結局私は会社を辞めることにした。

上司に辞めると行った記憶がないほど、ノイローゼ状態だ。

それから家に閉じこもり動けなくなった。

 

なんで自分は弱い人間なのか……

 

思い返せば、私は就活に失敗したという劣等感が心のそこであったのだと思う。

なんで私はあの時選ばれなかったのか。

テレビ局員として選ばれたらこんなことにはならなかったのに……

派遣会社や下請け会社、大手企業など入った会社によって扱いや年収がガラッと変わる社会に嫌気がさし、私は動けなくなってしまった。

 

そんな人生どん底の時にこの本と出会った。

「面接で泣いていた落ちこぼれ就活生が半年で女子アナに内定した理由」

作者の霜田さんを私は知っていた。

大学3年生の時に就活本を読み漁っている時に、マスコミ就活についてよく書いていた霜田さんの本を何冊か読んでいたのだ。

 

著者の霜田さんも就活で苦労した人だった。

2年連続でアナウンサー試験を受けるも全て敗北。

結局、無内定のまま大学を卒業し、世の中をさまよっているうちにマスコミ就活には失敗したが、マスコミ就活に詳しくなった自分に気がつき、就活で苦しんだ経験を本に書いた人だったのだ。

 

私は何かに惹かれるようにして霜田さんが書かれたその本を読んでいくことにした。

就活についての本と思っていたら、コミュニケーションについての本だった。

 

コミュ症の私には驚くようなコミュニケーション能力の小技がそこには書いてあった。

多分、霜田さん自身、毎日のように面接に挑み、就活という名のよくわからないゲームをしているうちに、自然と面接官を惹きつけるフレーズやコミュニケーション能力を身につけていったのだろう。

 

私はなるほどと思いながらその本を読んでいったと思う。

 

そして、最後のまとめの部分で私は思わず泣きそうになってしまった。

それは就活というゲームに敗北しながらも懸命に闘ってきた霜田さんだからこそ書ける言葉だった。

 

「この世にはすごい星に生まれた人と、すごくない星に生まれた人がいる。倍率1000倍の世界でも何か人と違う素質を持った人はきちんと選ばれていく。すごくない星に生まれた人はどうもがいてもすごい星に生まれた人間には勝てないのかもしれない。

 

だけど、すごくない星に生まれた人でも、すごい星に向けた距離が遠く離れているほど移動のためにパワーが生まれて、輝きを放つことができる」

 

 

確かに世の中にはすごい星に生まれた人がいると思う。

テレビ局員になれた同級生たちはその類の人だろう。

 

私のようにすごくない星に生まれた人間はどうすればいいのか? とずっと思い悩んでいた。

しかし、すごくない星に生まれたからこそ、努力すれば人一倍最高の輝きを放てるのではないか?。

 

私はずっと就活の時に選ばれなかったのを悔いていた。

しかし、選ばれなかったからこそ、選ばれた人よりもいろんな光景を見てこれた気がしてきた。

よく考えたら、自分がライティングの魅力に気がつけたのも、会社を辞めて世の中をさまよっている時だった。

 

 

がむしゃらに目の前のことに夢中になって努力していたら、就活で選ばれた勝ち組の人にもいつか追いつける。

そんな気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人脈作りに勤しんでいる人がいたら……石田三成を見習ってみてもいいかもしれない

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「〇〇大学の〇〇と言います」

とある就活生は全力で大手企業の人に名刺を配っていた。

私はそんな風景を横目で見ながら、名刺配っても意味があるのか?

と思っていた。

 

その時、私は就活というものをしていた。

大学入学当時は「就活なんてしないで自分の道を生きて行く」と腹高々に言っていたが、気がつけば大学4年生になり、周囲が黒いスーツに身を引き締め始めると、私も流されるかのようにして就活というゲームに飲み込まれていった。

 

就活は今でもトラウマだ。

同じ大学を出ていても企業採用担当者が「この人は使える」と思えば、内定が出て、

喋り方や風貌を見てなんとなく「この人は社風に合わないな」と思えば、不採用となる。

 

全てがなんとなくで決まっていくゲームだ。

私はこれまで、高学歴の大学を出れば他と差をつけられると思っていたが、実際に社会に出るという段階ではそんなことはある程度のものでしかなく、体から発せられる雰囲気などで、なんとなくその人が割り振れられていく就活に憤りをとても感じていた。

 

なんだこの就活というゲームは!

そんなことを思いながらも、フリーランスなどになる勇気も持てずに、ズルズルと就活という荒波に飲み込まれていった。

 

ひとまず、就活サイトだけ見ていても始まらない。

イベントなどにも参加しようと思い、マスコミ関係の会社が集まっているイベントなどに積極的に参加するようにしていった。

そのイベントでは電通マンや株式上場しているベンチャー企業といったクリエイティブでエリートというなんだかかっこいい人たちが集まっていた。

 

やはり高収入の人たちはイキイキと働いているものだ。

多くの人が伸び伸びと自分たちの仕事や会社のことを語っていた。

 

就活生はそんな憧れのクリエイティブで華やかな世界にいる人たちを間近で見て、興奮を隠せなかった。

飲み会の席になると、近くに行って仕事内容や生きがいについて質問攻めにしているのだ。そんな中、私はやたらと名刺を配りまくっている人がとても気になった。

 

たいてい、都内の就活イベントでは同じような職種を目指す人が集まってくるため、以前に面接で一緒だった人や、同じ大学の人を見かけることがよくある。

 

マスコミ関係の華やかな就活イベントに行くと、やたらと名刺を配りまくっている人が多々いるのだ。

憧れの電通サイバーエージェントの社員さんを前にして、選考が始まる前に自分を売り込まねばという勢いで、彼らは名刺を配りまくっていた。

 

確かに就活や人生の岐路に立つ瞬間は人脈というものが大きな価値になるのかもしれない。

世の中で活躍している誰かが「この人はいいよ」といえば、無名の人でもテレビに出たりできるものだ。

会社でも上司に「こいつは使える」と思われれば、一気に昇進したりするものだ。

 

世の中勝ち上がっていく人は皆、人脈作りというものを大切にしているのだと思う。

就活でもその人脈というものがキーになることが多い気がする。

ベンチャーの先輩が、「このラグビー部の後輩うちの会社にぴったりだと思うから、

ひとまず気にかけてくれ」と人事部にお願いしていたら、集団面接の場でもその人だけ合格が約束されているかのようなものだ。

 

 

就活生はみんなある程度、就活の理不尽さをわかっている。

こんなよくわかんない面接というもので、人生が決められていくことに憤りを隠せない人も多いと思う。

そんな理不尽なゲームでも勝ち上がっていかなければならないのだ。

 

そして、何が何でも夢のマスコミ業界などで働きたい人たちはとにかくOB訪問やイベントで名刺を配りまくり、人脈作りに勤しむようになる。

私もそんな就活生の一人だった。

人脈が全てだと思っていた。

 

社会で勝ち上がっていくためには人脈というものが欠かせない。

大学生のうちに人脈を作っておこうと思い、いろんなイベントなどに足を運んだりした。

結局、何にもならなかった。

私は就活時、30社以上落ちた。

 

なんで自分は選ばれないのだろう。

そんなことで悩んだ時期もあった。

 

飲み会の席でも目立ち、人脈作りが得意な同級生はあっという間に大手企業に受かっていった。

やはりコミュニケーション能力が高い人は、人脈作りも得意で出世していくのだろう。

私のように人としゃべるのがとにかく苦手で、いつも下ばかり向いている人間には人脈など作れないのではと思えてしまっていた。

 

そんな時、ネットかどこかで石田三成の「三献の茶」の話を聞いた。

石田三成の出世秘話がとにかく面白い。

有名な話だが、歴史に疎い私はそれまで石田三成三献の茶」の話を知らなかったのだ。

 

関ヶ原で天下分け目の戦いをすることになる石田三成も、元はと言えばただの小姓だった。

彼が多くの人間に影響を与えるようになる武将にまで上り詰められるきっかけになったのは、豊臣秀吉にお茶を入れたことから始まったという。

 

城下町に視察に来ていた秀吉は、休憩がてらいっぱいのお茶を飲むことにした。

そのお茶を入れることになった若きに日の三成は一杯めは疲れているだろうから、ぬるい大きなお椀に入れた茶を、二杯めは中くらいの茶を、三杯めは小さめで温かいお茶を入れたのだ。

気の利いたことをする小姓がいると思った秀吉は、幼い三成を城まで連れ帰ったという。

それが石田三成の出世の始まりだったのだ。

 

この三献の茶」の物語に人脈作りの全てが詰まっているような気がした。

人脈作りに勤しんでいる人でなく、目の前の仕事にきちんと向き合い、己を磨いている人に自然と人脈は渦を巻くようにして、近づいてくるのではなかろうか。

 

人脈を作ろうといろんなセミナーやイベントで名刺を配っている人でなく、目の前のことに死ぬ気で努力している人に人脈が生まれてくるのだと思う。

 

尊敬するとあるライターさんも同じようなことを言っていた。

「努力している人には自然と人が集まってくる」

本当にそうなのかもしれない。

 

下手に外に人脈を作ろうと名刺を配る前に、目の前のことに対し、努力をすること。

それが人脈作りなのだと思う。陰で努力していても見ている人は見ているものなのだ。

 

 

 

よく考えれば、今年になってから毎日書くということをし始めたら、私の周りにもよくわからない人脈が増えていったような気がする。

自分なりに真剣に努力していると自然と人が集まってくるのかもしれない。

そんなことを思いながら、今日もライティングに励んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「フォレスト・ガンプ」を見て、周囲に人が集まってくるカリスマ性の正体がわかった

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「何でこの人の周りにはいつも人が集まってくるのだろう?」

私はカリスマ性ある人と会った時、いつもそう思っていた。

学生時代に私は、インタビュー記事を書いてはwebサイトにアップするアルバイトをしたことがあり、何度か世の中で活躍している著名な方と会ったことがあった。

そういった人は大抵、カリスマ性がある。

ツイッターフェイスブックなど、1000人以上フォロワーがいるのが当たり前だ。

テレビなどに出ていて、名前が知られているということもあるが、それにしてもなぜ、その人の周りにはいつも人が集まってくるのだろうか?

私はずっと疑問に思っていた。

 

世の中に名前を出すような人は、実際会ってみると99パーセントいい人が多い。

いつも柔かで、ポジティブ思考なのだ。

しかし、前向きで明るい人なら世の中にはたくさんいる。

その中でも、人を惹きつけるカリスマ性がある人は普通の人と何が違うのか?

 

そして、何よりもそういったカリスマ性ある人と直接会ってみると、案外普通な人が多かったのが意外だった。

おしゃべり上手でいつも周囲の人を笑わせてくれるということもあったが、何か特別なオーラを身にまとっているようには見えなかったのだ。

 

とあるカリスマ性溢れる作家の方はこう言っていた。

「昔から書いていることは一緒だけど、勝手に周りの目が変わっただけだ」

売れてない時も書いている内容は全く変わってないというのだ。

気づいたら、周囲の目線が変わっていて、賞を受賞したりしていたらしいのだ。

 

何だろう、このカリスマ性って?

私は昔、世の中に頭角を出してくるカリスマ性が溢れる人と一般の人とは一体何が違うのか? 真剣に考えたことがあった。

 

昔、撮影所でアルバイトをしていたことがあり、撮影時間中に暇を持て余している有名人の方を何度か見かけたことがあったのだ。

映像の撮影はとにかく待ち時間が長い。

照明のセッティングなどをしていたら、役者の人は普通に1時間待ちになったりすることがよくある。

役者の人は外に出て、タバコを吸ったり、待合室で待機していたりして暇を持て余しているのだが、撮影所の照明スタッフとして最下層だった私は何度か有名人の方にお茶くみをしたことがあった。

 

私はワクワクしながらお茶を持って行ったものだ。

あのテレビに出ていた〇〇っていう人はどんな感じの人なんだろうか?

やはり有名人と会う時は、ワクワクなのだ。

どんな雰囲気の人なんだろうと思いながら私はドアを開けていった。

 

部屋の中にいたのは、テレビの印象と打って変わって、とても温厚で普通の方がそこにいた。

 

正直、あれっ? と思った。

もっと、どしんとしていて、オーラ溢れる人だと勝手に想像していたのだ。

 

テレビに出てくるようなタレントさんを直接見てみても、案外普通の人だったなという印象が多かったのだ。

 

テレビは顔をクローズアップに映し、横に引き伸ばして画面に映すため、とても威厳溢れる人と勝手に私が想像していったのだろう。

実際会ってみると普通の人が多かったのだ。

 

世の中に頭角を出す人と普通の人を引き裂く境界線は一体なんなのか?

私はずっと疑問だった。

映画「フォレスト・ガンプ」を見直した時、その疑問が少し解けた気がした。

 

フォレスト・ガンプ」は名作と呼ばれる映画だ。

私も高校生の時に見て感動したのを覚えていた。

 

しかし、6年以上前に見た映画なので内容がほとんどうる覚え状態だった。

去年、いろいろ精神的に病んで、フリーターのプー太郎をしていた頃(要するにニート)、私はひょんな拍子で映画「フォレスト・ガンプ」を見直してみることにした。

 

映画を見ていて私は不思議なカタルシスに陥った。

あれ? こんな映画だったけ?

私は気がついたらあるシーンを見ている時に、涙してしまっていた。

高校生の頃は何も感じなかったとあるシーンを見て、とても心動かされてしまったのだ。

それは主人公のフォレストがアメリカ大陸を一人で走って横断するシーンだった。

愛しの人にもフラれ、億万長者になっても幸せを手にすることができなかったフォレストはある日走ることを思いつく。

昔からフォレストは走ることだけは好きだった。

特に取り柄があるわけでもなかったが、いつも走っていたのだ。

 

アメリカ大陸の西海岸まで走ったら回れ右、東海岸まで走ったら回れ右。

彼は人すら走り続ける。何年もかけてひたすら走った。

 

走り続けるフォレストを周囲は面白がり、テレビで特集が組まれるようになっていき、気がついたら彼の後ろには多くの人がついてくるようになっていた。

 

誰もが何らかの意味を持ってフォレストは走っていると思っていた。

しかし、ある日突然フォレストは「あ、俺家に帰るわ」と言って走るのをやめてしまう。

 

そこに人生の集積が詰まっているように思えた。

フォレストは特に取り柄もなく、何か才能あふれるものを持っているわけではない。

しかし、ただ好きだった走ることをやっていたら、自然と彼の周りに人が集まってきたのだ。

特に走り続ける意味なんかなかった。

ただ、好きで走っていたのだ。

 

よく考えたら私がこれまで会ってきたカリスマ性溢れる人たちは、ただ単に好きなことにトコトン向き合っている人達だらけだったと思う。

自分が腹の底から大切にしたいことに全身を傾けて、情熱をかけて好きなことに取り組んでいるのだ。

 

私はこれまで何らかの才能をもって生まれた人だけが選ばれ、社会の中で頭角を出していくと思っていた。

しかし、才能とかは後についてくるのかしれない。

 

ひとまず、やるということが一番大切なのだと思う。

好きなことにトコトン向き合っていたら自然と才能やお金が後からついてくるのだろう。

映画「フォレスト・ガンプ」を見ているうちになんだか勇気をもらえてきた。

 

私が好きなことはきっと、ものを作ること。

ものを書くことだ。

 

トコトン向き合っていたらいつか実りあるものになるのか……

そんな淡い期待を抱きながら、私は今日もライティングに励むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことが見つからず30歳になった男が、即興芝居から学んだこと

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「何も考えるな! その場その場で感じろ」

芝居の先生は何度も彼に怒鳴りつけていた。

 

舞台という名のステージの上に立つと、四方八方から照明が当てられ汗が吹き飛ぶくらいにどっと溢れ出るものだ。

彼は汗だくのまま、芝居の稽古をつける先生に何度も怒鳴られていた。

 

 

大学は卒業したものの彼は就職をしなかった。

今まで一緒に遊び呆けていた同級生たちは、みんな黒いスーツを身にまとい、就活という名のゲームに飲み込まれていく中、彼だけは就活をしなかったのだ。

大学ではみんな個性を出し切っていたのに、企業に入社するためにその個性を脱ぎ捨て、社会の構図にはまっていく様を横目で見ていて、彼はずっと心のそこで違和感を感じていた。

自分が進むべき道はこっちではない。

そう思った彼は大学4年のはじめの頃に就活を拒否し、夢だった役者の道に進むことを決意した。

親は大反対だった。

「役者など食っていけるわけがない。今すぐ就職しろ!」

日頃は温厚な父親だったが、役者の道に進むため就職しない息子を前に、怒鳴り散らしていた。

そんな父親を見て、一瞬うろたえるも、彼は必死に父親を説得していった。

没個性の塊になり、再び就活をするくらいなら、食えない道でも自分の好きなことに向き合いたい。その一心で彼は父親を説得した。

「もうどうでもいい。金の面で援助はしない。好きにしろ!」

父親は結局、息子の真剣な眼差しに圧倒され、役者の道に進むことを許してしまった。

 

彼は結局、家を出ることにした。

親に迷惑をかけるわけにはいかない。

これからは自分一人で生きて行く。

そう決意した彼は、夜は警備員の仕事、昼はスーパーのアルバイトをして、生活費を工面しながら、夕方には劇団の稽古に出るというハードな日々を送ることにした。

 

劇団には彼と似た境遇の若者がたくさんいた。

夢をあきらめきれず、大学を中退して役者の道に進んだ者。

高校を卒業したのちに、フリーターをしながら役者を目指す者。

ありとあらゆる夢追い人が集まっていた。

 

芝居の稽古は過酷だった。

毎日3時間以上、ぶっ通しで舞台の上に立ち、芝居をしていかなければならない。

稽古の先生もスパルタだ。

ちょっとでもセリフを噛むと容赦なく怒鳴り散らしてくる。

「セリフを考えるな! ちょっとでも気持ちが揺らぐと観客まで伝わる」

彼は何度も怒鳴られた。

 

彼は芝居をしている瞬間がとにかく好きだった。

舞台の上に立って、観客の注目を一身に浴びていると、精神と肉体が腹の底から共鳴し、その一瞬一瞬に全力で芝居している瞬間だけが彼が生きていい証のような気がしていたのだ。

気がついたら大学を卒業して4年が経っていた。

同級生たちは次々と結婚していった。

 

彼はというと、今だに駒場東大前にある小さな劇団に一人立ち続けていた。

この4年間という間に次々と仲間たちは辞めていった。

時間というものは、夢追い人に現実を突きつけてくるのだ。

この4年間という間に、周囲は着々と社会人として成長して行っている。

その一方で、彼はいまだに時給900円のアルバイトで生計を立てているのだ。

月給18万が限界だった。

このままでいいのかという焦りが彼につきまとう。

 

このまま自分は何者にもなれず、終わってしまうのではないのか?

そんな焦りが彼に襲いかかってきたのだ。

 

大学の同級生とはもう会えなくなっていた。

役者の道に進んだ自分とは違って、きちんとした収入もあり、社会的な責任を全うしている同級生たちに会うと、強烈な劣等感を感じてしまうのだ。

 

自分は一体4年間何をやっていたんだ?

そう罪悪感を感じた彼は結局、役者の道を諦めることにした。

 

夢を語るのは簡単だ。しかし、夢を現実にするのは難しい。

現実という過酷なものを身にしみて感じた彼は、普通の一般企業に何とか就職することにした。

4年間も遠回りしていたため、月給は少なかった。派遣の仕事でしか雇ってくれる会社がなかったのだ。

その派遣会社で働きながら、気付いたら彼は30歳になっていた。

 

人生は21歳を過ぎたあたりから、ものすごい速さで進んでいく。

10代の頃は可能性に満ちていて、新鮮な光景に胸をときめかせていたが、現実というものを日々感じるようになり、周囲の人々と同様、社会の枠にはまっていくのだ。

そんなことに後ろめたさを感じるも、気がついたらあっという間に30歳になっていた。

 

自分の人生はこんなでいいのか?

自分は一体何がやりたかったのだろうか?

全く面白みもない単純作業が続く仕事に飽き飽きしていた彼は、何かに導かれるようにして駒場東大前にあった小さな劇場に足を運んでいた。

自分が劇団に所属していた頃の仲間はもう誰もいなかった。

しかし、劇団の先生だけはまだ残っていた。

彼は先生に挨拶するも、自分が夢半ばに役者の道を諦め、サラリーマンになったことを悔いていた。

「ま、今日は芝居を楽しんでいけ。観客席から芝居を見るのもいい勉強になる」

先生はそんな夢を諦めた昔の生徒に向かって暖かく微笑んでいた。

 

舞台の上には昔の自分のような夢を諦めきれない若者たちで溢れかえっていた。

皆、その場の空気感というものを全身に浴び、舞台上で自分というものを真剣に表現しているのだった。

彼はそんな夢を諦めきれない役者たちを見ているうちに、稽古の先生に言われた言葉を思い出していた。

 

「何も考えるな! この瞬間だけを感じろ!」

即興芝居中に先生に何度も注意されたことだった。

台本がない中で、舞台に立った役者たちは強制的に即興で芝居をすることになる。

それでもあの時、自分は即興で芝居を組み立ってていたのだ。

頭を空っぽにして、この瞬間、この舞台で感じていたことを全身で表現していたのだ。

 

人生も即興の連続かもしれない。

どんな人にもあらかじめ台本など配られていないのだ。

即興即興で自分の人生を歩んでいくしかないのだ。

 

先生が言っていたように、何も考えないずにその一瞬を全力で楽しめばいいのだ。

 

今まで、自分が何がやりたいのかわからずに30歳になってしまった彼は、

即興芝居を見ているうちに救われるような気持ちになっていた。

 

何をするべきかあまり考えない方がいいかもしれない。

人生に台本などないのだから……

 

今この時、この一瞬を楽しんでいこう。

もう10年経ったら自分はどんな場所に辿り着いているのか?

そんなことを思ったら彼はワクワクしてきた。

 

人生も即興芝居の連続だ。

どんなことになろうともその一瞬を楽しめばいい。

そう思った彼は、どこか微笑みながら舞台を後にしたのだった。

 

✳︎すべてフィクションです