「なぜカメラを始めたんですか?」という質問に対し、いちよ答えは出た
「なんでカメラを始めたんですか」
会社に行くときもカメラを持ち歩いて、飲み会の時もカメラを持ち歩いて、
ちょっとコンビニに行く時も自分は基本的にカメラを持ち歩いている。
写真を撮るためということも確かにあるが、なぜかカメラを持っていると心が落ち着くのだ。
なぜかはわからないけども。
いつもカメラを持っているせいか、よくこんなことを聞かれる。
「なぜ、カメラを始めたんですか?」
なぜと言われても具体的な理由が正直思いつかなかった。
子供の頃から映画が大好きで、物心着いた時からカメラに憧れを抱いていた。
初めてカメラを買ったのは大学一年の時だった。
当時は映画サークルに所属していて、映画を撮るために一眼カメラを買ったのだ。
気がついたら映画やら写真の世界にどハマリしていた。
就職活動も自然とそういった分野に向かっていった。
結局、映画や産業用の特殊カメラを扱う会社に入社することになり、
毎日会社の中ではレンズに囲まれて、わりと好きな仕事にありつけた気はする。
毎日、カメラを触れたりしていると、「なんで自分はカメラを始めたんだっけ?」
とふと思ったりする。
電車の中にいる時も、妙に車窓からの景色がキレイだったりすると、
ついついスマホで写真を撮ってしまう。
どこに行ってもカメラで写真を撮ってしまう。
近くにカメラがないと本当に落ち着かないのだ。
最近だと、どうしても人が撮りたいと思い、知り合い伝いなどから、人を撮らせていただく機会も徐々に増えてきた。
もともと自分は尋常じゃないほどの人見知りである。
人と関わるのが本当に嫌で、学生の頃などはずっと自分の世界に閉じこもっているような子供だった。
人と話をしていると、どうしても周囲の目線が気になってしまい、
身動きが取れなくなってしまうのだ。
そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。
どうしたら人と関わりを持てるようになるのか。
そうずっと思い悩んでいた。
そんなある日、ある人からこんなことを言われた。
「カメラを持てば、コミュニケーションがうまくなるよ」
カメラを持って、女の子だったり、男性を撮る場合、どうしてもコミュニケーションが必要になる。
やはり、いい顔を撮れる写真家は妙にコミュニケーションを大切にしているし、うまいと思う。
自分も人とうまく話せるようになりたい。
今思え返せば、その一心だったのかもしれない。
正直、よく考えてみたら、いい写真が撮りたいという思いもあったが、自分がカメラを手に持つようになったきっかけって、
ただ単純に「人とつながりたい」と思ったからだと思う。
大学時代には安い一眼カメラを買ったが、社会人になって、本格的な一眼カメラを買いたいと思い、ボーナスをすべてつぎ込んで、数十万円するソニーのカメラを買った。
購入してから一年以上経つが、今でもほぼ毎日持ち歩いている。
「カメラを持てば世界の見方が変わる」
「カメラを持ってから、こんなに世界が美しいということに気がついた」
などそんな大層なことは自分には言えない。
カメラを持ち歩けば、些細な日常の出来事も美しく感じることが出来たりするのは確かだと思う。
プロのカメラマンのように大きなことは言えないけども、
カメラを持つようになって、特に人を撮るようになってから、
すごく感じたことがあった。
自分がカメラから学んだことって、実は「人を好きになる努力」なんじゃないのか。
写真家の方に何度かお会いしたことがあるのだが、
どんな写真家やカメラマンの人に共通して言えるのが、
とにかく人が好きな人が多いことだと思う。
妙に人懐っこいというか、妙になれ親しく、近くにいると落ち着くのだ。
なぜだかプロのカメラマンさんには異常に「人が好き」な人が多い気がする。
自分もちょこちょことだが、人を撮る機会をもらえるようになって、
つくづく写真って、
「自分が相手をどう見ているのか」
「どんなふうに社会を見つめているのか」
そんなことが現れてくる媒体だなと思う。
カメラは本当に、ルビンの壺に似ている。
眼の前にいるひとを「優しい人だな」と思えば、自然と優しそうな人の写真になるし、
「怖そうな人だな」と思えば、写真では自然と怖そうな人に映る。
自分が相手をどう見ているのかによって出来上がる写真も変わってくる。
写真を撮るようになってから、人とのコミュニケーションもこんな風に
ルビンの壺に似ているのかもしれないなと感じるようになった。
「人が嫌いだ」と思っている人には、常に他人がそのように見えて、
人に愛情を注いでいる人にとっては、社会も他人も優しい目線で物事が見えてくる。
カメラを持つようになってから、そのことを痛感するようになった。
自分が相手をどう見ているのか、どう思っているのか。
それは自然と写真に現れてくる。
自分はひねくれ者で、人とのコミュニケーションが大の苦手ではあるが、
ファインダー越しの世界を通じて、ちょっとずつだけど、人と関われるようになってきた気はする。