ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

いまが消えていく  

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今から自分が後悔していることを書こうと思う。

ずっと、心の奥底で抑えていた感情。

とにかく今、この時に何か書かないと再び闇に消えていってしまいそうな気がする。

そう思いながら、自分は手を動かしながら書いている。

 

なぜ、あの時、そうしなかったのか。

ずっと、頭の片隅に後悔の念があった。

 

私はもともと映画監督を目指していた。

「学生時代に頭角を現す」

そう思い、破水の陣を敷くようにして、映画に夢中になって、自主映画作りに取り組んでいた。

アホみたいに映画を作っては、アホみたいに映画を見まくっていた。

 

「自分なら何か持っているはずだ」

そう思い、大学の授業をサボっては、映画ばかり観る生活を送っていた。

 

自分が住んでいる調布市はあまり知られていないけど、昔は「東洋のハリウッド」と呼ばれるような映画産業が盛んな地域だった。

 

家から自転車で数分後のところに、大映撮影所、日活撮影所、東宝撮影所などの日本に4つ現存している撮影所の中で、3つが調布市近辺にあるのだ。

 

「ここで働きたい。映画の世界で仕事をしたい」

 

とにかく当時、自分はものを作る仕事に就きたかった。

なにか自分の中で膨れ上がってくる感情を伝える手段……

それが自分にとって映像であったり、文章を書くことであったり、写真を撮ることであったりいろいろある中で、とにかく何かを作って、人に伝えるという手段が欲しかったのだ。

 

 

撮影所では結構、泥臭く働いていた。

映画やCM撮影の現場はどこかクリエイティブで格好いいと思っていたが、実際に見てみたその世界はどこか泥臭く、一つの映像を撮るのに何十時間もかけて撮影するような職人技の世界だった。

 

そんな世界に憧れていた。

憧れていたはしたが、どこか心の奥底で違和感があったのを覚えている。

 

自分は少しでもいいからクリエイティブな世界に行きたい。

肥大化した私の自己が抑えきれなくなり、就活で苦労しながら倍率1000倍のマスコミ就活に挑むことになる。

 

結局、テレビ制作というクリエイティブな世界に進むことになる。

もちろん、初めはものを作る最前線には立てなかった。

毎日、ディレクターの無茶振りを聞き、走り回る毎日である。

 

毎日、毎日怒鳴られ、疾走しているうちに自分は何をやっているのかと思ってしまった。

当時は、私は毎晩3時まで仕事しながら、隙間時間を見つけては、文章を書くことをしていた。

知り合いの方から書評を書いてくれと簡単なアルバイトの仕事をくれていて、そこでものを書く魅力に気がついたのだ。

 

私は来る日も来る日も怒鳴られ続ける日々に滅入ってしまい、その際に溜まった感情を吐き出すかのように、書いて書いて書きまくっていた。

今思うと、何であんな生活が出来たのか不思議でならない。

 

結局、当時していたテレビ制作の仕事は辞めてしまう。

だけど、その後もどうしても何か自分の中にある感情を吐き出す手段を探していた。

 

何か表現したい。

自分の中に膨れ上がってくる感情を抑えきれず、吐き出す手段を探していたのだ。

そんな時に出会ったのが、とある本屋が主催していたライティング講座である。

どこで見かけたのかわからないが、私はなぜか導かれる家のようにしてその本屋にたどり着いた。

 

今思うととても不思議である。

そこでいろんなプロの方と出会った。

「とにかく書くしかない。書け」

とひたすら書け! 書け! と講師の方から言われ、とにかく無我夢中で書きまくっていた。

 

たぶん、毎日1万字以上は書いていたと思う。

ずっとずっと自分の中に膨れ上がってくる感情を吐き出す手段を探していた。

その手段がようやく見つかったような気がして、自分の中にまた書きたいという感情が抑えきれなくなった。

 

そんな中、ある日突然書けなくなってしまったのだ。

むしろ、書く理由がなくなってしまったと言ってもいいかもしれない。

 

長いフリーター生活に耐えられなくなり、転職をし、再び社会の荒波に入っていくに連れ、「今は仕事に集中しなければならない」と思い、何も書けなくなってしまったのだ。

むしろ、書くことから逃げてしまった。

 

何も書くことがない。

そういう言い訳をして、書くということから逃げていた。

 

すると、不思議と今まで鮮やかに見えていた世界が少しずつ色あせてくる様になった。

 

大好きで仕方ない映画もまったく見れなくなった。

土日になっても映画館に行く気すらしなくなったのだ。

こんなことは初めてだった。

 

毎日、夜遅くまで仕事を行い、土日も書類を作ったりと仕事をしていた。

わりと仕事に不満はなかったけども、自分の中に芽生えていたモヤモヤがどんどん消えていってしまう感触があった。

 

 

あれ、もともと自分って何がやりたいんだっけと感じ始めた。

 

「あ、自分がやりたいことって永遠に続くと思っていたけども、そうではないんだ」

そう思った。

これが好きだ。これがやりたいと思っていても、時が過ぎていくと自然と自分の中から消えていってしまうものなのだ。

 

明日になったらやる気がでるかもしれない。

どこか人生の中で突拍子のない出来事が起こって、誰かが自分を導いてくれるかもしれない。

そんなことを思い描いていても、実際の現実の中ではまずそんな人と巡り合うことはない。

 

やりたいことや欲しいもの。それをその時感じていても、今この瞬間で感じていた思いをキープすることは本当に難しい。

 

自分の中で「書く理由がなくなった」という言い訳を作って、書くことから逃げていた自分が恥ずかしくなった。

書いて、書いて書きまくっていくうちに何か見えてくるものがあるはずなのだ。

 

書くということは今を生きることに似ている。

今、この瞬間で感じたことを文章に落とし込むことで、自分を再確認する作業。

その作業を放棄した私は生きるのを放棄したのと同じだったのかもしれない。

 

その時に感じたものや思いは時とともに消えていく。

絶対に消えていく。

 

そのことに気がついた私は再び書かずにはいられなくなった。

もっときちんと生きたいと恥ずかしながらも思った。

 

どんなに回り道したっていい。

書いて書いて書きまくっているうちに、何かが見えてくるはず。

そう思うことにした。