魂の速度は人それぞれ
「あ、もうこんな時間だ」
忙しない毎日の中、朝の時間は貴重である。
会社に向かって家を出る前に、朝ごはんを食べて、スーツを着て、最寄りの駅までに向かうまでの時間。
東京の満員電車はどこもかしこも、ぎゅうぎゅうづめ状態で、どうしても満員電車というものが苦手な私は、時間に少し余裕を持って、家を出るようにしている。
いつも、なんだかんだ朝は大忙しである。
毎朝、同じ時間に家を出て、同じ時間の電車に乗る。
その間にきっと、いろんな光景を出くわす。
毎朝、同じ時間に出ていても、家から伸びる影や、太陽の光の位置は変わっているはずだ。
私は普段、どこにいくにもカメラを持ち歩いている。
そのため、ちょっとした毎日の変化や人の動きが気になってしまい、気になる光景を目にするたびにシャッターを切るようにしていた。
「世の中ってこんなにも色鮮やかなのか」
そんなことを思ったりしていた。
だけど、最近はどうなのか。
あまりにも仕事が忙しすぎて、気がついたら毎日見る光景に嫌気が指してきてしまった。
満員電車の中で揺られながら会社に向かっていても、目の前に映る忙しない風景に翻弄されてしまい、何か感じる心が削ぎ落とされていく感じ。
明らかに昔は持っていた感受性というセンサーが曇っている感じがしていた。
何でだろう。
自分の中でなにか折り合いをつけられる時間を持てないからかな。
土日のたびになると、何か写真を撮ろうと思い、街なかに出てみることにした。
しかし、写真が撮れないのだ。
何も感じないのだ。
どんどん自分の中から感受性というものが消え始めていっていることが身にしみて感じていた。
毎朝、時間に追われているために、歩く時間も短縮され、身の回りの風景を見る余裕がなくなっていったのか。
何か自分の中から大切な部分が消えていく感触がずっとあった。
旅に出なければいけない。
どこか無理やりまだ見たところもない風景を見に行って、写真を撮らなければならない。
しかし、旅に出てみても、旅先で新鮮な光景を切り取ることが出来なかった。
毎朝の満員電車って相当、自分の心にも影響を与えているようで、何か感じる部分が明らかに消えていっている。
そんなことを感じ始めた時、あるツイッターのタイムラインで流れてくる文章に目をやった。
「村上春樹の遠い太鼓で描かれていた距離感、それにインスピレーションを受けて旅先の写真を撮っている」
その方はどこか旅先で出会う人々と自分と間にあいまいな距離感で写真を撮っているプロのカメラマンの方だった。
自分がその土地に溶け込んでいく感じ。
どこか自分の目線は持っているはずなのに、現地の人々の中に溶け込んでいく感触がそのカメラマンの目線にはあった。
濱田英明というSNSで活躍するプロカメラマンの方だ。
最近、なぜかこの方の写真が好きで、よく眺めてしまう。
どっちつかずな距離感というか、染まり過ぎもせず、離れ過ぎもしない、あいまいな距離感。
愛おしく、世の中を見つめている視線に憧れを抱いていた。
こんな写真を撮りたいなと思っていた。
そんなときにふとツイッターでインスピレーションを受けたという本について書かれてあったのだ。
「遠い太鼓」
世界的なベストセラー作家の村上春樹氏が1986年〜1989年まで、
ギリシャやイタリア、ヨーロッパ各地を旅しながら、走り、当時感じたことをエッセイとしてまとめた本だった。
私はとくに村上春樹ファンというわけではないと思っているけども、ほぼすべての本は読破していた。
「世界の終わりのハードボイルド・ワンダーランド」
「ノルウェイの森」
「IQ84」
その他、もろもろ、ほぼすべての本は読んでいる。
ま、自分では思っていないけど、世の中的にはだいぶ村上春樹ファンである。
旅をまとめたエッセイを書かれてあったのは知っていた。
だけど、ブックオフで見かけた時にものすごい分厚い単行本で読む気が起きななったのだ。
ま、これも何かの縁だと思って読んでみるか。
早速、ブックオフに向かい、分厚い単行本を買って、読み始めてみることにした。
読んでみると、著者の文体に吸い込まれていった。
どこか優しい口調、読んでみると脳の中でリズムが刻まれていく感覚。
この本の著者がもともと体内で持っているある種の言葉のリズム感がこのエッセイの中にどこかしら滲みこまれていた。
それが読んでいて心地いいのだ。
なんでこんなに心地よい文章を書けるのか。
そんなことを感じながら、少しずつ読み進めていった。
それはファンにはたまらない内容の本だった。
名作「ノルウェイの森」の制作秘話や執筆中の創作背景、
毎日徒然なるままにスケッチを取っていく過程で、この本の著者が日々感じている些細な出来事をどれも美しい光景に切り取っていく姿勢が感じられるのだ。
苦しい長編小説の制作過程でも、毎日走ることを忘れず、時たま自分の立ち位置を確認するかのようにスケッチを書いていく。
なんで、こんなに世の中を切り取るのがうまいのだろう。
そんなことを感じながら、夢中になって読みふけってしまった。
毎朝の満員電車の中で、この分厚い単行本を読んでいったのだが、
東京の地下にいても、気分はヨーロッパを旅しているような感じになった。
そして、ある一説が胸にひっかかった。
それは著者が毎日の日課にしているランニングについて書かれた本だった。
「旅に出て、その街を走るのは楽しい。時速数十キロ前後というのは風景を見るのに理想的な速度だと僕は思う。車では速すぎて、小さな物を見落としたりする。歩きでは時間がかかりすぎる。それぞれの街にはそれぞれの空気があり、それぞれの走り心地がある」
毎日、忙しなく通り過ぎていく風景の数々の中で、きちんとした目で世の中を見つめている姿勢を感じてしまった。
世界に行けば、広いと感じるだろうけども、文京区だって、渋谷区だって、見つめ方を変えたら、それぞれの広がりに気がつける。
そんなことが本を読んでいて感じた。
人それぞれ、何かを感じる適度な速度というものがあるのだろう。
村上春樹氏はたまたま、走っている時が一番、ちょうどいい魂の速度だったのだと思う。
毎日、忙しない日々に翻弄されていくうちに、私はきっと多くの景色を見逃していったのかもしれない。
目が苦しいほどの速度で情報が流れている今の世の中でも、
きちんと自分の距離感と速度でもって、ありふれた日常を見つめていきたい。
少し、日常と距離を取って、日常を大切にすること。
そんなことをこのエッセイを読んでいくうちに感じた。