人との境界をあいまいにする
「人との境界をあいまいにする」
ふと、湧いて出てきた言葉だった。
何か悟りを開くかのように、自然と湧き上がってきた。
仕事している時にふと、このフレーズが思いつき、ずっと考え込んでしまった。
「人との境界をあいまいにする」
どこか今の自分にとって大切な言葉のような気がした。
きっと、どこかの本の抜粋なのかもしれない。
そう思って、深夜に家の本棚を探り、自分が読んできた本の中でこのような言葉が書かれていないか探してみることにした。
しかし、見つからなかった。
もしかしたら数年前に読んだ本にこの言葉が書かれていたのかもしれない。
だけど、自分の心から自然と湧き上がってきた言葉なのかもしれない。
なんだろう。
どうしてもこの言葉の意味をずっと考え込んでしまった。
私はとにかく人との境界をわりと作ってしまうタイプだった。
人と話していてもすぐに壁を作ってしまう。
昔からそうだった。
相手と話をしていてもちょっとした仕草が気になってしまい、
ちょっと目線を外しただけで「あ、この人きっと自分に興味がないんだな」と思い込んでしまう。
一旦、そう思い込んでしまうと、自分もそういう態度を取ってしまうのだ。
どうしても人と話していると疲れを感じてしまう時があった。
飲み会のときもそうだった。
会話が展開されていても、どこでどういう話をしていいかわからなくなるのだ。
普通、飲み会は楽しい場のはずだ。
だけど、自分にとってもわりと精神的にぐさっとくる場所でもあった。
「きっと今、次の会話の内容を頭で考えているんだろうね」
会社の上司に飲み会に誘われた時だった。
飲み会が始まって1時間以上、じっと黙っている自分を見て、そんなフレーズを発してくれたのだ。
相手に合わせて次の内容を考える。
それが本当に出来なかった。
人に興味がない自分も正直いる。
だけど、それ以上に、相手に気を使いすぎて、ぐったりと来てしまう自分もいる。
飲み会の席など、楽しそうな会話が続いていくのに、自分からこんな話題が出ないことが苦痛で仕方なく、いつも相手に悪いと思い、自分をがんじがらめにさせてしまう。
あ、今日も駄目だった。
そんな感じで飲み会が進んでいく時に、ふと
「相手に合わせるってものすごく大切だよ。酒が飲めなくても、少しでいいからビールを飲む。そうやって少しずつ相手に合わせていくんだ」
いつも自分に気を使ってくれている自分の上司からそんなことを言われる。
社会に出て、一年以上経つが、どうしてもまだ自分の殻に閉じこもっている自分がいる。
たぶん、自分は人と接するのが苦手ではある。
だから、毎日同じ場所でおなじような仕事をするのは正直、向いていない部分がある。
土日になると、「あ、やばい」と思い、軽くパニックになってしまうことがある。
仕事のことをぐるぐる考えてしまい、じっとしていられない自分。
どうしても人と自分とに距離を置く時間が取りたくて、一人で映画館に駆け込む。。
映画館に駆け込んで、二時間の間だけでも映画の世界に良い浸る。
その時間が今の自分にとってかけがえのない時間なのかもしれない。
一旦、自分と周囲との距離を置く。
そんな時間がとても愛おしく、必要な場所になった。
だけど、そんな風じゃいけないと思っている自分もいる。
もっと、人と接しないといけない。
どんなに嫌がられても、人と接しいかないといけない。
そう思っている自分もいる。
自分は普段、営業の仕事をして、人と話す仕事をしている。
そんな中、人と話すということは本当にキャッチボールに似ているな、
とふと思った。
「言葉のキャッチボール」とよく言うが、そのとおりなのだ。
相手に向かって、強い球を投げると、強い球で投げ返される。
愛情のこもった優しい球を投げると、優しい球で投げ返される。
営業の仕事をして、いろんな人と接していくうちに、本当にそのことを痛感した。
初対面の相手はどうしても第一印象で「この人はこういう人だ」と頭で考えてしまう。人間、見かけで決めるなというが、どうしても見かけの印象が大きく左右されてしまう。
ぱっと見の印象で、この人はギザギザな心を持った人だなと思い、心地なく話していると、相手からもギザギザな形で言葉が帰ってくる。
優しいおっちゃんだなと思っていると、自分にも優しい言葉を投げかけてくる。
本当に鏡に向かってキャッチボールをしているような感覚になることがある。
人との境界をあいまいにする。
見かけや第一印象で、相手のことを決めつけず、人との関係をあいまいにする。
ゆるっとふわっとしたあいまいな境界で人と接するようになったら、もっと多くの人とコミュニケーションを取れるようになるのではないか。
そんなことを最近はよく考えるようになった。
人に対し、ガチッとした境界を作るのではなく、どんな人でも受け入れられる、
ゆるい境界線……
そんなゆるい境界を持つ人でありたい。そう思うようになった。