ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「自分の中に自分はいない」……そう教えてくれたのは。

 

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今思えば、大学生の頃から自分は常に浮足立っている感覚があった。

ずっと浮足立っていて、生きているのかどうかわからなくなる瞬間。

そんなことが常にあった。

 

無機質なコンクリートジャングルで生まれ育ったせいか、

土にしっかりと踏み込んで立っていない感じ。

 

常に浮足立っていたのだ。

その感覚が露呈し始めたのが、就活の頃からだった。

 

「自分の強みは〇〇です」

何百人と受けてくる就活生。

面接官もしっかりと優秀な学生層を引っこ抜くのに必死である。

 

「私は大学生時代に〇〇をやっていました」

とにかく人と違うことを喋らなきゃ。

人と違うことをしなきゃ。

 

そんなことで雁字搦めになっていた。

 

他者と簡単に比較できてしまう時代。

SNSを開けば、小学生の同級生の動向も簡単にわかってしまう。

 

「あ、あいつ今この会社でこんなことやっているんだな」

「あ、昔は静かなやつだったが、今はこんなことをやっているんだ」

みな、楽しそうな日々を送っている様子がタイムラインで流れてきては、

自分と他人を比較してしまい、胸が苦しくなる。

 

一体何をやっているんだろう。

自分は一体、何になりたいのだろう。

 

 

とにかく人と違うことをしなきゃ。

人と違う自分でいなくちゃ。

 

そんな思いが込み上がって、常に浮足立っていて生きている心地がしなかったのだ。

 

一度、すべてが嫌になって海外に逃避行の旅に出たことがあった。

東南アジアをぐるっと一ヶ月以上かけて一周したのだ。

 

タイ、カンボジアベトナムラオスと自分の足で歩き回って、自分の足で

世界を見に行きたい。

その思い出駆られて、ただ何も考えずに放浪していた。

 

海外に行けば、何か見つかるだろう。

きっと、そのときは自分自身と一旦距離を起きたかったのかもしれない。

 

ずっとむやみに放浪しているうちに多くの人と出会った。

一輪車で世界一周をしている青年。

耳が聴こえないのに、英語、日本語、韓国語を喋るおっちゃん。

 

旅の中で出会った人は今でも色鮮やかに覚えている。

だけど、どうしてもわからないのだ。

 

海外に出てきたけど、自分は一体何をしにきたのか。

自分は何がしたいのだろうか。

 

タイ・バンコク貧困層に苦しむ人々の暮らしを眺めているうちに、

ふと自分はこんなところで何をやっているんだろうかと思ってしまった。

 

自分はただ、逃げてきただけだ。

そんな思いに駆られて、結局は日本に帰ってきた。

 

日本に帰ってきてから転職をして、きちんとした社会人一年目をスタートさせた。

社会人になって、早一年以上が経った。

毎日仕事を覚えるのに必死で、あっという間に一年が経ってしまった。

忙しない毎日の中、ただひたすら仕事を覚えるのに必死だった気がする。

 

ちょっとずつ仕事に慣れてきて、すこし余裕が持ててきた頃、ふとSNSを開いた。

そこにはやっぱり周囲の人々に様子が全面に映し出されていた。

 

ある人はベンチャーで成功して、裕福になっていたり、

ある人は自分のやりたいことを追い求めて、アメリカに渡ったり、

さすがに26歳となるとみんなそれぞれ自分の道を決めていっていた。

 

すごいな。

みんな自分の道を決めているな。

 人と比べて、自分の劣等感を感じていた頃。 

そんな時、ふとある本を開いた。

「芸術と科学のあいだ」

 

動的平衡という生物学の新しい概念を生み出した福岡伸一先生の著者である。

 

動的平衡というのはすべての人の細胞は常に半年後には生まれ変わり、

人の記憶は一体どこから来るのか? という学術的にも難しい論点だ。

(全部わかってなくてしっかりと書けなくて申し訳ない)

 

秩序があるなかで美しさを感じるセンス。

科学の世界で生きているからこそ、美的センスというものが大切だという。

 

数学的な計算でも、整数が続く数字に美を感じられるかどうか。

それが数学者にとって大切なことらしいのだ。

 

日本の教育は早い段階から文理がわかれてしまう。

理科系も文学系も共通で芸術的な論点が必要だと思い、

芸術と科学のあいだにある繊細さとその均衡の妙さをまとめたのがこの本だった。

 

私はこの本が好きでたまにパラパラと開く。

 

何か心がもやもやしていたのだろう。

ふと、開いたページに目をやった時に、考え込んでしまった。

やはり、心が病んでいるときには、その時々に出会うべき言葉がしっかりと存在するのかもしれない。

 

「自分の中に自分はいない」

先生はパズルのピースの例を出しながら、生物学の根幹にあるものを教えてくれる。

 

なくしたパズルを探す場合は、メーカー側になくしたピースの周囲8つ分を渡せばいいという。

 

周囲のピースがわかれば、無くしたピースも判明するのだ。

 

生命も同じで、それを取り囲む要素との関係性のなかで初めて存在しうる。

 

私はこの一説を読んだ時に感動してしまった。

「自分の中に自分はいない。自分の外で自分が決まる」

 

就活をしていた頃はとにかく何者かになりたくて必死だった。

常に浮足立っていて、生きている心地がしなかった。

 

だけど、どんなに自分を探し回っても結局答えは見つからないのだ。

 

自分と外の世界とのつながり……それが自分を構成する様相になる。

 

今までずっと自分の殻に閉じこもって逃げていた部分があった。

いつも周囲と自分を比べてしまい、劣等感を感じてしまう。

そんな自分が嫌で、なおさら自分の殻に閉じこもっていく感覚。

 

だけど、自分が外の世界とどう繋がっているのか?

それがいちばん大切な気がするのだ。

 

もっと、人と関わらないとなとふと思ってしまった。