「クリエイティブな仕事」があるのではない
「なにかモノを作りたい欲求が溢れているんです」
そう目をキラキラしながら映画への情熱を語る人がいた。
その時、私は久々に映画好きの人が集まっている会に参加していた。
毎月開催されており、以前は毎月参加していたが、最近は仕事が忙しいのを理由に全く参加できてなかった。
久々の休日とその映画好きの会の日がかぶって、今日は参加することができた。
「久々だけど、行くか」
そう思って、足を運んだのだ。
毎月のように映画好きが集まるその会……
「これでもか!」というくらいマニアックな映画を語る人、
だれも知らないけど、とにかく好きでたまらない映画を語る人、
などなど若い世代から年配の方まで多くの人が集まってくる。
自分は大学時代にわりと多くの映画を見ていた。
授業をサボっては映画館に閉じこもり、一日6本くらいの映画を見ていた。
(映画の見すぎでTSUTAYAから年賀状が届いてしまったくらいだ)
わりと映画について詳しい方だと思っていたが、その会にいくと
周囲の人の映画への情熱と知識の量に圧倒されてしまう。
久々に楽しい会を過ごす中で、ある方が、自分が好きな映画について語り、
「最近、映画が撮りたくて仕方がない。モノをつくりたい欲求がすごい」
と熱く語っていた。
具体的に映画が作りたくて、行動に移しているらしいのだ。
その方の熱い目線を見ているとなんだか懐かしくなってしまった。
自分も昔はこんな感じだったんだなと思ってしまったのだ。
大学時代はアホみたいに映画を見て、アホみたいに映画を作っていた。
とにかく映画を見ていたか、映画を作っていたことしか記憶がないくらいだ。
どうしてもゾンビ映画を作りたいと思い、大学に10リットル以上の血糊をばらまいてゾンビ映画を作ったり、ヒーロー戦隊者の映画を作ったりで、
無我夢中になって映画を撮りまくっていた。
とにかく、なにか自分というものを表現したかったのかもしれない。
今思うと、大学生特有のエゴが爆発していたのか。
とにかく夢中になって映画を作りまくっていた。
自然と、映画の現場に興味を持ち、撮影所でアルバイトを始めた。
そして、その流れのままテレビ制作会社に就職して、映像の現場で働き始めた。
「やっと夢だったクリエイティブな世界に入れる!」
そう思って、胸をときめかせて映像業界に入ったが、なかなか現実は厳しかった。
2ヶ月以上休みがなく、5日寝ずに働いていたら体を壊してしまったのだ。
今思うと、自分が弱かっただけなのかもしれない。
好きなことなら続けられると思ったが現実は甘くなかった。
仕事を辞めてからしばらくフリーターをして、転職は出来た。
どうしても映画に関わる仕事がしたいと思い、
映画や業務用のカメラを扱う会社になんとか入れたのだ。
自分が感じたことだが、日本という社会は第二新卒に異常に厳しく、
一度失敗した人間にはとても冷たい目線が送られる。
そうした中で、運良く少しでも興味がある業界に入れたのはラッキーだった。
なんとか今は営業職ということでサラリーマンをやって、
毎日満員電車に格闘しながら会社に出社している。
一度、痛い挫折を味わったので、意地でも逃げ出せないと思い、誰よりも早めに出社して、毎日終電近くまで残って仕事している。
カメラという自分が興味を持っているものだからか、あまり仕事が辛いとは思わないが……
それでもなんだろうか。
少しずつ、少しずつ心の中でもやもやが広がっていった。
以前は自分が持っていたはずの何かが少しずつ損なっていく感じ。
きっと大学時代には何かを作りたいという欲求があったはずなのだ。
だけど、毎日の忙しさに没頭しているうちの、そのクリエイティブなものを感じる部分が明らかに消えていっていた。
「クリエイティブな仕事についている人は偉い」
「毎日、適当に働いているだけで決まった日に給料が出るサラリーマンはださい」
大学生の頃はそんなことを心のそこでは思っていた。
たぶん、サラリーマンになった今でもそんなことを少しは思っているのかもしれない。
映画好きの集まりが終わり、帰りの電車の中でふと本屋で見かけたある本を思い出していた。
それはカンヌで賞を取り、今話題になっている「万引き家族」の是枝監督のインタビュー本である。
本屋で見かけたときに、タイトルに惹きつけられたのだ。
「クリエイティブな仕事はどこにある?」
家に帰ってから本を読み直していた。
読み返してみると、いろいろと新たな発見があって、感じる部分があった。
あ、自分が最近悩んでいたものの答えってここにあったのかもしれない。
是枝監督はテレビマンユニオンという制作会社の出身である。
(たぶん、映像業界に勤めている方なら誰もが知っている会社だ)
そのテレビマンユニオンの社長に昔言われた言葉が今でも忘れないという。
「クリエイティブな仕事とクリエイティブでない仕事があるのではない。
その仕事をクリエイティブにこなす人とクリエイティブにこなせない人がいるだけだ」
若きアシスタントディレクター時代にそう社長に言われた是枝監督は、
今でもこの言葉が忘れられないという。
私はこの一説を読み直した時、はっとしてしまった。
自分はもともつクリエイティブな仕事に就きたいと思っていた。
だけど、今は冴えないサラリーマンをやっている。
たぶん、今でもクリエイティブなことをしたいという欲求はある。
一度、失敗してしまった分、そのことを口に出すのが怖くて仕方ない。
だけど、どんな仕事でも「クリエイティブにこなせるか、こなせないか」
の問題だけなのかもしれない。
エクセル入力の単純な作業でもクリエイティブにテキパキこなせる人はこなせるし、ダラダラと適当に済ませる人は適当に終わらせ、「仕事がつまらない」
と嘆いている。
もともと私はクリエイティブな仕事についている人が一番偉いと思っていた。
だけど、どんなに単純な労働でもテキパキとクリエイティブにこなしている人がいるのだ。
単純なゴミ掃除でも、「自分が担当しているトイレはこの駅で一番綺麗にしてみせる」と毎朝笑顔で清掃しているおばちゃんたちがいるのだ。
眼の前の仕事をクリエイティブにこなす……
そういった視点で自分の仕事を見直してみると、いろいろな発見があるのかもしれない。そんなことを思ったのだ。
「クリエイティブな仕事はどこにある?」
是枝裕和著 樋口景一著