一滴ずつだけど、バケツの水は溜まっていく
「最近、あまり写真撮っていないね?」
この頃、人に会うたびにこんなことを言われることが多かった。
「忙しくて写真取る暇がなくて……」
そんな言い訳をいっては、いつも言い逃れていた。
「いつも君の写真楽しみにしていたんだから、もっと撮ってね」
そう言ってくれる、お世話になっている方には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そうだよな。写真撮らなきゃな。
そして、記事も書かないとな。
そう思っても、なかなか記事も更新できず、一ヶ月近く経ってしまった。
一年以上前のフリーター時代はアホみたいに時間を持て余していたせいか、
毎日1万字近くの文章を書いていた。
今はどうなのかと言うと、一ヶ月に2000字くらいになってしまった。
書けないという言い訳はしたくない。
だけど、パソコンを前にしても全く心が動かなくなってしまった。
なんか最近、何も心が動かなくなった気がする……
そんなことを薄々と感じていた。
土日になって、映画を見ることがたまにあるが、映画を見ても明らかに昔よりも
感動する比率が低くなったのだ。
面白い映画を見て、「面白いな〜」と思うことはあっても、
感動する映画を見て、涙を流すことが本当になくなった。
大学時代は授業をサボっては、図書館で映画をみて、一人隅っこで映画の世界観に浸って、号泣ばかりしていた。
(小説とか映画の世界観にすぐに浸ってしまう性格)
昔はなにか本を読んだり、映画を見たりしただけで、すぐに心が動かされていたが、社会人になってからは、不思議と心が動く機会が極端に少なくなっていった。
なんでだろうか。
なんか心がカサカサになっていく感覚。
そう薄々感じつつも毎日の忙しない日々に奮闘しているうちに、いつしか一ヶ月以上何も書かず、写真を撮らない日々を過ごしていた。
こないだ、仕事で都心を歩いているとき、不思議なことが起こった。
自分の仕事は業務用のカメラの営業で埼玉だったり、東北地方だったり、いろんな場所を飛び回る。
そういった業務用のカメラのニーズが有るお客様はたいていが自動車産業である。大きな工場は多くの場合、都心でなく地方にあるので、営業先まで車で一時間〜二時間かかるのが当たり前である。
私は普段、車の運転が大嫌いで、ほとんど運転などしなかった。
まさか、社会人になって、毎日こんな長距離を運転する羽目になるとは……
ま、仕事だから仕方ないと思い、1時間以上の時間を書けて関東を飛び回る毎日である。
その日は代々木で仕事があった。
都心の方にお客さんがいるケースは少ないが、本社の方とちょっとした打合せがあったのだ。
久しぶりに電車に乗るな……
そう思いながら電車に乗って、毎日忙しない山手線の代々木駅に降り立った。
線路沿いに歩いて目的地に向かっていると、ふと目の前の光景を見て、立ち止まってしまった。
そこはなんの変哲もない、線路沿いの風景だった。
だけど、妙に心が動いた。
まるで、糸の線がプチンと切れるかのように、バケツがどっと溢れかえったのかのようにして、気がついたら涙がポロポロ溢れていたのだ。
周りの人からは怪しまれた。
サラリーマンの人が道路のど真ん中で涙をポロポロ流しているのだ。
それは確かに怪しい。
なぜか、その時、涙が止まらず、気がついたら立ちすくんでいた。
なんの変哲もない線路沿いの風景だ。
それなのに、心の糸がプチンと切れたのか、どっと感情が溢れてしまった。
しばらく深呼吸していたら、その症状はおさまったが、この出来事は何だったのだろうかとしばらく考え込んでしまった。
最近はずっと仕事に熱中していた、わりと無理ばかりしていた。
朝8時から終電まで仕事ばかりである。
喋りが下手で、人とのコミュニケーションが大の苦手な自分は営業の仕事なんて出来っこないと思っていたが、実際に営業の仕事をやってみると、しっくりきている自分がいた。
なぜか、飛び込み営業が大の得意なのである。
上司からは「仕事ばかりしていないで、家で休め」
とよく怒られるが、容量が悪く仕事が遅い私は
「20代のうちに、なるべく仕事を覚えなきゃ」と思い、多少無理してでも仕事ばかりに取り組んでいた。
体力は持っても、心にガタが来ていたいのか……
ある日突然、感情が溢れかえってしまったみたいだ。
普段閉じていた感受性がどっと開くようにして、どっと涙が溢れてしまった。
あ、最近は多少無理していたんだな……
その日は普段以上に早めに帰ることにした。
昔、読んだ本でこんな一説があった。
「書くということは心のバケツが溢れかえるようなものだ。
何もしなくてもいい。普通に生きていただけでバケツの水は溜まっていく。
そして、それがいっぱいになった時、その一滴一滴が何であったのかを理解するんだ。どんな人間だって、それが訪れる瞬間が、人生の中に訪れる」
最近は仕事に雁字搦めになりすぎて、あまり心に余裕を持てなかったのかもしれない。
少し余裕を持つようになると、ちょっとだけど毎日黒く色ずんでいた満員電車の光景が、明るく色鮮やかに見える様になってきた。
自分にとって、そのバケツの一滴が何なのかはまだわからない。
だけど、いつか、その一滴、一滴が何だったのかに気がつく時が来るのだろうか?
そんなことを感じつつ、たぶん明日も満員電車のなかに飛び込んでいくのだろう……