写真という名の鏡
「君は相手のことをしっかりと見ているのか?」
とあるプロカメラマンにあった時、こう言われた言葉が頭の中を反芻してならなかった。
「自分は何のために写真を撮るのか?」
「君は一体何になりたいのか?」
大学を卒業して早2年が経つ。
20歳の頃は人生なんて、まだまだこれからだという、どこか可能性に溢れているかのように思えていたけども、本当に月日が経つのは早い。
あっという間に時が流れて、25歳になった。
いろんな人が言っていた。
「21歳から時間の感覚が早くなって、20代なんてあっという間に終わっちゃうよ」
その言葉の意味がなんとなく最近わかってきた。
「君は一体どんな写真を撮りたいの?」
「相手の人のことをしっかりと捉えて写真を撮っているの?」
そうプロ中のプロカメラマンに言われた言葉がずっと頭に響き渡っている。
自分は一体どんな写真を撮りたいんだろう……
ましてや何になりたいんだろう……
思い返すと私は昔からとにかく「何者」かになりたくて仕方がなかった気がする。
とにかく「何者」かになりたくて、大学時代はアホみたいに映画を作り、
就活の時は何者かに近づけられそうな、クリエイティブな職業に憧れて、
広告代理店やテレビ局を受けまくっていた。
自分なら何者かになれる。
人と違って感受性にあふれている。
そんな自意識過剰な精神を持て余し、自分の周りの人にトゲを向けて、心のそこでは侮辱していたのだと思う。
自分なら何者かになれる。
ただ、そう信じていた。
そして、壊れた。
最初に入ったテレビ製作会社をすんなり、数ヶ月で辞め、海外を放浪しては空っぽになって日本に戻ってきた。
「君は何をしに海外まで行っていたの? ただ逃げたかっただけでしょ」
日本に帰ってくると多くの人にこんなことを言われた。
テレビの世界は過酷だってわかって入ったのに数ヶ月でやめるなんて……
転職活動の時は本当に苦労した。
新卒の時はちやほやされていたのに、自分の履歴書に書かれた経歴だけで
「こいつは数ヶ月で会社を辞める使えない人」というレッテルを貼られてしまうのだ。
面接の度に「なんで辞めたんですか?」と繰り返される質問の数々。
目の前にいる人を肩書きだけで判断する癖がある日本の風潮にうんざりしてしまい、本当に逃げたくなってしまった。
なんとか転職活動を続けて、やっと内定を出してくれる会社が現れた。
「4月まで待ってくれたなら、もう一度新卒と同じ扱いで採用してもいい」
そう言ってくれた今の会社にとても恩を感じてしまい、この一年はただがむしゃらに働いた。
大した営業成績も出せてないけど、誰よりも早く出社し、カタカタ仕事をしている。
毎日、終電近くの電車に乗って、疲れた表情で電車のつり革を眺めていると、
目の前にはいつもブツブツと嘆いているおじさんがいたりする。
みんなストレスを抱えながら必死に生きているのか。
そんなことを感じながら仕事に行く毎日だ。
大勢の人を吐き出すようにして開く電車のドアを眺めていると、
人生に本当に絶望していた自分でもこうやってなんとか生きていることに、驚いてぞっとしたりすることがある。
絶望して、死にかけていた当時、自分が見ていた一枚の写真……
「潜在能力を引き出せ」
ポカリスエットの広告で有名なとある若手写真家が撮った一枚の写真を見て、私はとにかくも魂が揺さぶられた。
全身全霊で踊り狂う高校生たちを捉えた写真。
その写真を見て、私はとにかくも圧倒的な生を感じてしまった。
あの写真を見てから心の中の空っぽだった部分に、何かが注がれるような何かを感じた。
あんな不思議な感覚になったのは初めてだった。
それから私は、たった一枚の写真を撮る写真家という人たちにとても興味を持った。
たった一枚の写真でも、人の人生を変えることがある。
絶望の中で見たあの一枚の写真が心に残り、兎にも角にも写真が撮りたくて仕方がなくなった。
とにかく写真家という人たちに会いに行きたくて仕方なかった。
今はいいことにSNSの時代である。
会いたいと思った人に会いに行ける時代でもある。
広告の写真を見て、このカメラマンに会わなきゃと思い、とにかく会いに行った。
プロだけでなくアマチュアで活躍しているカメラマンにも会いに行った。
いろんな人に会った。
「君は一体何になりたいの?」
自分は人から見ると空回りしているように見えるらしく、
そんなことをたまに投げかけられるが、正直な話、自分でも何になりたいのかはわからない。
だけど、今はとにかくいい写真が撮りたい。
自分だけしか撮れない写真を見つけたい。
そのことだけが全てだ。
写真は鏡に似ていると思う。
自分が相手をどう見ていたのか?
それが写真を通じてわかる。
相手が自分をどう見ていたのか?
写真を撮ってくれた相手が普段、自分をどう見ていたのかもわかる。
「君は相手のことをしっかりと見ているのか?」
「写真を通じて興味があるのは、相手との関係性だ」
そのようにプロカメラマンから言われた言葉の意味がちょっとずつだが分かってきた。
相手のことをしっかりと見つめているのか。
自分が撮りたいと思った絵と被写体の人が潜在的に自分をこう撮って欲しいと思っていた絵が合体した時の喜びが本当にたまらない。
そして、写真にしっかりと向き合うようになってから、自分がどれだけ小さな世界でしか物事を見ていなかったのかがわかった。
もともと人と話すのが本当に苦手で、飲み会とかに行くとぐったりとしてしまう性格だ。
休みの日なんて映画館に飛び込むくらいしかしてこなかった。
もっといろんな人と出会いたい。
もっと多くの人の写真を撮りたい。
そんなことを最近は強く思うようになった。
もし被写体になってくれる方がもしいらっしゃいましたら連絡お待ちしております。