ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

書く上で一番大切なことって実はこのことじゃないのか

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「ある程度PV数が増えてくるとアンチが飛んできます」

一年前に私がブログを始めた時、知り合いのライターさんに言われた言葉だった。

 

その時、私は書くということを始めたばかりで、そのアンチが飛んでくるという言葉にピンとこなかった。

正直、アンチが飛んできてもいいじゃんとも思っていたのかもしれない。

 

自分が好き勝手に書いている文章だ。

否定的な言葉が飛んでくるのは当たり前じゃんと思っていたのだ。

 

去年の今頃はフリーターのプー太郎をしていたので、ただひたすら書く時間だけはあった。

その頃は家とアルバイトを往復した生活を送っており、家に帰っても家族から白い目が飛んできていた。

はじめに就いたテレビ局の仕事があまりにもハードすぎて、精神的に壊れてしまい、

気が付いた時にはアルバイトですら怖くて仕事が出来ない有様だった。 

大学生の頃は飲食店などの割とハードな仕事も何度か経験していたが、スーパーのレジ打ちですら怖くなってしまったのだ。

 

このままじゃ、いけない。

社会と接点を持つことを始めなきゃ。

 

そう思って、私が始めたのが書くということだった。

 

「とにかく書いて下さい。書けば人生が変わります。答えは書けです!」

 

なんの縁かでたどり着いたライティング教室で、ハイパーフルスロットルで働きまくっている店主さん兼ライターさんにそう言われ、私は書くということを始めた。

 

その頃は精神的に相当病んでいたらしく、今思うと、

とてもじゃないが恥ずかしくて読めない。

 

よくこんなこと書いていたなと読み返してみると恥ずかしくなる。

 

それでも書き続けていた。

 

書くのが面白いと思った。

 

自分の中に芽生えていた感情を相手に伝える。

そんなライティングという手段を身につけられたことは本当に幸運だったと思う。

気が付いたら自分の周りにはポジティブな人が集まってきていた。

プロのカメラマンとして生きていくと決めた人。

書くことで生きていこうと決めて、ブックライターをやっている人。

ニューヨークで日本人シェフとして活躍し、日本中を飛び回っている人。

 

書くことを始めた去年にかけて、本当に心から尊敬できる人たちと幸運にも出会えた。

 

ポジティブなことを書き続けると、自然とポジティブな人が集まってくるんだ。

そんなことを書いているうちに思ったりした。

 

本当に書くということは不思議で、ちょっとでも気分が乗らず、マイナスなことを書いてしまうと、どっとマイナスの発言をする人が集まってきたり、

ポジティブな発言をすると、今度は不思議な縁で社会でも活躍しているようなポジティブな人たちが集まってくる。

 

私は気がついたら書くのが面白くて、書いて書いて書きまくっていった。

 

 

そして、PV数もちょっとずつだけど伸びてきて、気が付いたらはじめて知り合う方にも「いつもブログ読んでますよ〜」と声をかけられるようにもなった。

 

 

その頃からだろうか。

書くのが辛くなったのは。

はじめは本当に些細なことがきっかけだった。

 

どうしてもPV数が伸びてくるとアンチなコメントが飛んできたりするが、

さすがにメールやらメッセージで直接アンチコメントを飛ばしてくるのは精神的にキツかった。

 

 

「感性が豊かで何者かになったかのように振舞っていて、読んでいて虫唾が走る」

 

周囲にトゲを発してくる人に、トゲのある言葉を返すと余計に炎上するだけだとライティングを通じて私は嫌という程痛感していたので、何も返信しなかった。

 

基本的にスルーするのが一番だが、さすがに直接メッセージやらメールを飛ばされるのは精神的にきつかった。

 

自分が書いた文章やら写真を通じて、少なからず不愉快な気持ちになる人がいるのか。

ちょっとずつPV数が増えていくにつれて徐々にそんなことを感じるようになった。

気が付いたら、人に好かれるようなことしか書けなくなっていた。

そして、書くのが辛くなってしまった。

 

SNS時代になるとほっといても人と自分を見比べる手段が多く出てきてしまう。

 

あ、あの人この上場会社で働いているのか……

この人もう結婚したのか……

 

ひと昔に比べて、自分と他人を比べる手段が増えてしまったので、いやでも承認欲求というものが膨大になってくる。

 

 

自分も毎日書いていたから、承認欲求の塊に見えていたのかな。

何者かになったように振舞っている痛いやつと思われていたのか。

 

そんなことを思うようになり、書くのがきつくなった。

人からアンチ的なコメントが飛んでくるのが怖くなり、身動きが取れなくなってしまった。

 

ちょうど同じタイミングで仕事が猛烈に忙しくなり、目の前にある大量の仕事に没頭しているうちに、気が付いたら書くということを忘れて行っていた。

 

忘れたというよりかは、書くことから逃げていたのだ。

フリーターを長くやっていたせいか、少ない給料ながらも今ついている営業の仕事が楽しくて仕方がなく、毎日誰よりも早く会社に出社し、夜遅くまで働きづめの毎日を送っている。

 

終電近くに疲れて目が死んでいる状態でも、いろいろポツポツと感情が芽生えてきている。

洪水のように溢れ出てくる感情を何かに残したい。

人に伝えたい。

そう思うが、人から批判的なコメントが飛んでくるのが怖くて、身動きが取れなかった。

 

ただ好き勝手に書くだけはもう終わりなんだな。

自分が書くことによって、少なからず、不愉快を感じる人がいるんだ。

 

書くのが怖くなり、何も書かない日が続いていった。

するとある時、こう思った。

 

 

あれ、元々自分って何のために書いていたんだっけ。

 

書くことによって、プロのカメラマンやライターさん、ベストセラー作家さんと出会うことができた。

会社経営をしていて、自分が好きなことを好きなだけやっている人たちと出会った。

好きなことを熱中して取組んで生きている人たちは、本当に目がキラキラしていた。

 

自分もそういった人たちに猛烈に憧れたのだ。

別にクリエイティブな何者かになりたいというわけではない。

 

だけど、生き生きと仕事に楽しんで取り組んでいて、周囲の人たちにパワーを与えていくような人たち。

そんな人になりたい、周囲の人たちに何か心に残るものを残したい。

そんなことを思い、私は書くことに没頭して行ったのだ。

 

 

 

書くということは鏡の前に立つことに似ている。

人前に自分の感情を見せびらかすと、人は自分をどう見ているのか?

自分は人にどう見られたいのか?

 

そんなことを嫌でも考えさせられてしまう。

 

だけど、もう人にどう見られるかよりも、自分自信を見失わないことが大切なのかもしれないと最近は思うようになった。

人に好かれる文章を書こうとしても、万人に受け入れられるものを書くことは不可能なのだと思う。

自分が書いた文章を読むことによって、少なからず不愉快を感じる人がいるかもしれない。

だけど、やっぱり自分の中に芽生えた感情を出すということ、

自分は些細な日常の中でこんなことを思って、生きていますよと人に伝えることだけはやめたくないと思う。大切にしたいと思う。

申し訳ないけどもそう思ってしまう自分がいる。

 

以前にとある人からこんな諺をもらったことがある。

この諺が好きで、よくたまに読み返したりする。

 

「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」

 

英語にすると、

「One must draw the line somewhere」

 

 

君子は誰とでも調和するが、道理や信念を忘れてまでも人に合わせることは決してしないという意味だ。

 

この英語にした時の音と言葉の響きが好きで、私は昔からよく読み返すことがある。

最近になってすごくその意味がわかってきた。