全てがモノクロに見えていた当時の私を変えた、あるひとつのフィルムカメラ
「とにかく全部捨てよう」
そう決心してすぐ私は東南アジア行きのチケットを買っていた。
もう何もかも捨ててしまえ。
無理やり自分を押し殺して生きていくことに疲れ果て、私の心は限界に来ていた。
他人の目が気になる。
仕事を辞めてしまった自分に居場所なんてない。
当時の私は相当、精神的に滅入っていたと思う。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、劣等感で人とも全く会えなくなった。
ツイッターやフェイスブックに流れてくる同級生たちの投稿をみつけては、家に閉じこもりニート生活をしていた私は劣等感に苛まれ、身動きが取れなくなっていた。
やりたいことなんてない。
人とも話したくない。
今思えば、人生どん底の日々である。
ずっと家に閉じこもり、死んだ目をしたまま天井を見上げていると、ふと思い立った。
「いったん、全て捨ててしまおう」
私が唯一選択したことは、日本をいったん離れ、海外に行くことだった。
とにかく今、自分の置かれている状況から離れたかったのだ。
世界がモノクロにしか見えなかった私は、とにかく逃げることで必死だった。
このままでは死んでしまう。
とにかく日本から離れよう。
昔から日本に暮らしていたが、どうしても馴染めないと感じている自分がいた。
小学校の頃から、右習えの教育を習い、大多数の意見に流され、気がついたら
自分の居場所がどこにもないように感じていた。
何でこんなに生きづらいのか。
小学校の頃からどこか違和感を感じていたが、社会人になってからがピークだった。
あっ、だめだ。このままじゃ死んじゃう。
自分の中に湧き上がっていた黒い感情がプクプクと湧き上がり、徐々に心に浸透していった。
満員電車の中で軽くパニック障害になり、動悸が激しくなって、あわゆく人身事故を起こしかけたこともある。
とにかく全部捨てよう。
その一心で、私は逃げるようにして東南アジアの旅に出た。
タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと回っていくうちに多くの刺激的な旅人と出会った。
カンボジアで一人ゲストハウス経営を始めた女性。
一輪車に乗って世界一周をしている旅人。
世界中の薬草を探している研究者。
耳が聞こえないのに韓国語と、日本語、英語を理解するスケベなおっちゃん。
いろんな価値観と出会った。
日本にいた時には、会社という小さな世界でしか物事を見れていなかったが、いったん外の世界に行けば、ものすごく大きな世界が眼の前には広がっていた。
自分は今までどれだけ小さな世界を見ていたんだろうか。
そのことに気がつき始めた頃、ある一人の旅人と出会った。
その方はベトナムからラオスを旅しているうちに、なぜか不思議な縁に導かれるかのようにして、行くところ所で再会していった。
最初はベトナムのフエという街のゲストハウスで偶然出会った。
その後もラオスに向かう国際バス(ラオスの断崖絶壁を24時間にわたって突き進む……地獄のバス移動)の時もなぜか不思議と再会した。
ラオスの旅をしているうちにその人がいつも抱えていたフィルムカメラが気になって仕方がなかった。
旅人がみんな行くような絶景を訪れても決してシャッターを切らないのだ。
なんでだろうと思っていた。
その旅人が大切に持っていたのは古びたフィルムカメラだった。
「みんなスマホで簡単に絶景を写真に撮るけど、国に帰ってその写真を見ることなんてあまり無い。本当にいいと思った瞬間だけシャッターを切ればいい」
当時の私はカメラに疎く、あまり言っていることがピンとこなかったが、日本に帰ってからもその方が言っていた言葉がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。
「カメラを始めれば世界の見方が変わる。君は絶対カメラは始めた方がいいよ」
日本に帰ってから、転職活動を始め、徐々に社会復帰をしていった。
気がついたら再びサラリーマンをやって、社会の歯車の中に染まっていた。
別に仕事に不満があるわけではない。むしろ今の仕事先は好きである。
だけど忙しい毎日を送る中で、ふと何か忘れてはいけない感情があるような気がしてならなかった。
満員電車から吐き出されるようにして、人でごった返している渋谷の街を歩き、目の前の世界がモノクロにしか見えなかった私が、どうしても見たかった景色が眼の前にある気がするのだ。
気がついたら私はカメラを買っていた。
約8ヶ月かけて徐々にお金を貯めて購入した。
カメラを始めてから驚いたことがあった。
今まで自分が見ていたモノクロの世界が色あざやかに見えるのだ。
普段乗っている満員電車の中でも、ささいな日の光でさえ美しく感じられ、涙が溢れてくるようになった。
そうか。
あの人が言っていたことは、こういうことだったのか。
気がついたら私はカメラに夢中になっていた。
数日前、フェイスブックのつながりで私はその旅人と再び再会した。
新宿の居酒屋で飲みながら、当時の旅のことを話しているうちにとても懐かしい気分になった。
「あのラオスの山奥で出会ったスケベなおっちゃん、今何やっているんだろうか?」
「あの24時間のバス移動は本当に命がけだった……」などなど。
ふと眼の前に座る旅人にこんなことを言われた。
「本当に君、顔色が変わったね。だいぶ話しやすくなった」
私はへ? という感じだった。
聞くところによると海外にいた頃の私は相当精神的にやばかったらしい。
常に死んだ目で街を徘徊していたようなのだ。
そんなに変わったものなのか?
自分にはよくわからない。
だけど他人の目からしたら相当変わったらしい。
気がついたらカメラの話になっていた。
旅人がいつも大切に抱えているライカのカメラを見せていただいた。
カメラファンにはたまらない人気のブランドだ。
50年以上前のモデルでも全く色あせない。
私はライカを見せてもらっているうちに、ふと気がついた。
フィルムカメラはファインダー越しでしか世界を見れないんだ。
私が普段使っているソニーのα7Ⅱというデジタル一眼カメラは、液晶モニター越しに目の前の世界を見ている。撮った写真もすぐに液晶モニターで確認できる。
しかし、ライカなどのフィルムカメラはファインダー越しでしか世界を切り取れないのだ。
小さなファインダーの中を覗いているうちに私は不思議な気分になった。
あ、カメラってルビンの壺なのかもしれない。
ルビンの壺は見る人の見方によって、壺にも見えるし、人にも見える。
カメラのファインダー越しに見えるありふれた日常の世界も、見る人によって見方がだいぶ違ってくる。
たとえ些細な日常でも、人によって大切な一瞬の写真にもなり得るし、つまらない写真にもなり得る。
仕事なども同じなのかもしれない。
サラリーマン人生はつまらないと思っている人にとって、会社勤めはつまらないものでしかないのだ。
社会は理不尽だと思っている人にとって、社会がそう見えるだけなのだ。
身の回りにある光景も、切り取り方次第でだいぶ見えてくる世界も変わってくる。
私はカメラを始めてからちょっとずつ、そのことに気がついていたのかもしれない。
どんな些細な景色でも、見る人の捉え方によって最高の絶景にもなり得る。
きっと絵になる景色はいろんなところに転がっているのだ。
私は死にそうになりながらも海外を放浪し、カメラと出会ってから、ちょっとずつ見えてくる景色があったのかもしれない。
ファインダー越しに見える世界をどう切り取るかは自分次第。
ある人には色褪せたモノクロに見えるだろうし、ある人には色あざやかなカラフルにも見える。
きっと、どのように世界を切り取るかを決めるのはいつも自分自身なのだ。
そのことに気がつくまで、結構な時間がかかってしまった。
カメラを通じて、私は相当多くのことを学んでいたのかもしれない。