映画「硫黄島からの手紙」を見て、日本人の「働き方改革」について深く考えさせられた
「今日は映画を見なきゃまずい」
私は飛び込むようにしてレンタルビデオ屋に駆け込んで行った。
大学を卒業して1年以上経つが、転職するなり、海外を放浪するなり、ストレートで卒業した人よりから少し遠回りをしてきた。
何かの縁で入れた今の会社だけはしっかりと頑張らなきゃ。
そう思い、毎日夜遅くまで仕事をしている。
夜遅くまで仕事をして、誰よりも早く会社に来て仕事をする。
そんな毎日だ。
はじめの就職に失敗した影響か、世の中の厳しさが身にしみてわかってきたのか、
いろいろ遠回りしてきたこともあり、仕事の楽しさが最近ようやくわかってきた。
私がついた仕事は営業職だが、物を売るということはこれほどまでに難しく、奥深いものだとは正直思わなかった。
学生の頃までの22年間の人生では、人に何かをサービスするということはあまりやってこなかった。
お店に行って何かを買うときでも、当たり前のようにお金を出し、ものを買っていた。
アルバイトをしても、適当に済まして、時給分の働きだけをすればいいと思っていた。
しかし、実際に社会に出るようになって、人にものを売ることをするようになると、
私の中の価値観が少しずつ変わっていったのだと思う。
ものを買うのは簡単だけど、ものを売るってこんなにも難しいのか……
普通に「この商品のここが魅力で〜、値引きしますよ〜」
とか話していても全く売れない。
どうすればいいのか?
ああすればいいのか?
そんなことを考えながら仕事をしている。
ここは踏ん張りどころだ。
そう思いながらも自分なりに毎晩遅くまで働いている。
割と残業の嵐である。
私の知り合いに仕事の話をすると、まず間違いなく言われることがあった。
「それってブラックじゃん」
「残業してもお金にならないなら意味ないじゃん。定時で帰ったほうがいいよ」
私の会社の中でも定時でふらっと帰る人もいれば、毎晩遅くまでがむしゃらに仕事をしている人の2パターンがあるのだ。
新入社員の中でもはっきりと仕事を早めに済まして定時に帰る人と、
次から次へと自分の仕事を作っていき、夜遅くまで働いている人の2パターンの人種にくっきり分かれる。
10月ごろになると「早く帰る組」と「遅くまで残っている組」が生まれてくるのだ。
「早く帰る組」の人は周りも「この人はこういう人だから仕方ない」と思っているのか、誰も咎めたりしない。
会社の中でも働き方にこんな違いがあるんだな。
そんなことを最近、感じ始めていた。
長時間残業や過労死の事件の影響で、「働き方」改革が求められているこの頃。
会社の中でも定時になったら強制的に家に帰るように注意させる企業が増えてきたという。
昔の頃のように「会社のために汗水垂らして働け!」という風潮はタブー視されているみたいだ。
確かに、体が壊れるくらいに働くのはどうかと思う。
私も一度、5日間ほぼ無休で働きぶっ倒れたことがあるので、明らかに過労気味の人を電車で見かけるとどうしもほっておけない。
だけど、「6時になったんで帰ります」
「残業して何の意味があるの?」
「会社のために働いても意味ないじゃん」
などなど行って、定時にパッと帰っていく人を見ると何だかやるせない気持ちになる。
何だろう、この違和感。
そんなことを思いながら、金曜日も夜遅くまで働いていると、どうしても心がもやもやしてきてしまった。
何だろう、この気持ち。
とにかく、明日休日だから映画でもみよっか。
そう思い、レンタルビデオ屋に駆け込んで映画をレンタルすることにした。
私がふと手に取ったのは「硫黄島からの手紙」という映画だ。
クリント・イーストウッド監督で主演は渡辺謙や嵐の二宮君など、日本の俳優が多く出演しているハリウッド映画だ。
学生時代にアホみたいに大量の映画を見てきた私だが、なぜかこの映画はまだ見たことがなかった。
パッケージの絵からして何だか重そうな映画に見えたのだ。
戦争映画は基本好きではあるが、この映画だけはなぜか
重たい人間ドラマのように思えて、見る機会がなかった。
金曜日の夜、一週間の疲れがどっと押し寄せてきた私は、クラクラの状態のまま、
「硫黄島からの手紙」のDVDを手に持っていた。
なぜか、この映画が見たい!
と強烈に思ったのだ。
本当になぜかはわからないが、今このタイミングで見なきゃいけない。
そう思ったのだ。
私は早速、家に帰り、自宅で映画を見ることにした。
ハリウッドを代表する名俳優であり名監督のクリント・イーストウッド。
プロデューサーにヒットメーカーのスティーブン・スピルバーグが関わっていることから、もうハズレではないなとは思っていた。
だけど、私の予想以上にすごい映画だった。
私は前半15分あたりから映画にクギ付けになっていた。
なんだ、この濃厚な人間ドラマは……
家族のため、国のため、硫黄島で命を捧げた日本人の姿がそこにはあったのだ。
2時間20分という少し長い映画だが、私は時間を忘れて映画に夢中になっていた。
気がついたら涙が止まらなくなっていた。
きっと、硫黄島にいた日本兵の多くが生きて帰ってこれないことがわかっていただろう。
それでも、家族を救うため、自分の「信念」を最後まで貫き通した人々の姿がそこにはあった。
ハーバード大学に留学していた渡辺謙演じる栗林は、アメリカ人の友人たちのことも深く知っていた。心のそこでは戦争などやりたくないと思っていた。
だけど、国という大きな組織の中で、自分の「信念」に従ったのだ。
「我々の子供らが、日本で1日でも長く安泰にくれせるなら、我々がこの島を守る1日には意味があるんです!」
大きな国という組織の中で、理不尽な命令だとわかっていても、己の「信念」を最後まで貫き通し、散っていった人々を涙無くして見れなかった。
決して戦争賛美の映画ではない。
反戦的な映画である。
戦争なんて何の意味があるんだというメッセージが深く深く込められているのだろう。
だけど、最後まで心の中で「信念」を貫き通し、死んでいった司令官の姿は凛々しかった。
司令官の最後を見送る、二宮君の姿も凛々しかった。
アメリカの友人たちと戦争などやりたくない。
だけど、国のため忠実にならなければならない。
組織の中でも己の「信念」を貫き通した司令官が最後を迎える時、
二宮くん演じる西郷の瞳にぽろっと涙が溢れてくる。
古くいえば大和魂なのかもしれない。
だけど、これが日本人が一番強い部分なのかもしれないと思った。
日本人はとにかく組織に忠実なのだ。
時には「個」を捨てなければいけない時があるかもしれない。
だけど、組織の中で「信念」を貫き通して、がむしゃらに働くのだ。
これは自分を第一に考えてしまう欧米人には持てない価値観なのだと思う。
日本人の働き方はよくないと海外から言われる。
「働き過ぎで人生を無駄にしている」
「仕事よりも大切なものがあるはず」
確かに欧米に比べたら日本人は圧倒的によく働く。
自分らしく生きよう。
あるがままの自分でいよう。
自分の好きなことを仕事にしよう。
そんな働き改革の風潮か、ノマドワーカーやベンチャー企業の台頭など、働き方に変革が起きているこの頃。
だけど、日本人が世界に通じるパワーを見せられるのは、ベンチャー企業などの自由な働き方ではなく、大きな組織の中で忠実に「信念」を持って働く姿なのかもしれない。
自分の「信念」を持ってがむしゃらに働くということは欧米人には難しいのだと思う。
私はずっと「日本の働き方はよくない」
「みんな定時に帰って、自由気ままに好きなように働くのがいい」
そう思っていた。
だけど、「硫黄島からの手紙」に描かれていたように、組織の中でも「信念」を貫き通して働く大人はかっこいいと思う。
ベンチャー企業を創立していった人よりも、表には名前が出ないかもしれない。
だけど、家族のため、会社のために「信念」を持ってがむしゃらに働く人はとてもかっこいいと思う。
私も何かに「信念」を持って働ける大人になりたい。
そんなことをこの映画を通じて思った。