社会の歯車になった果てにあるもの……「三度目の殺人 」
「え? こんな機械的に裁かれていくの」
私は初めて裁判というものを見て、妙な居心地の悪さを感じていた。
大学時代に私は一度、裁判を傍聴したことがある。
特に傍聴席に行った理由などなかった。
一度は裁判を見てみたいという好奇心があったのかもしれない。
裁判と言ったら海外ドラマのようにスリリングな展開があって、ハラハラドキドキするんじゃないか?
そんな淡い期待を抱きながら、東京の都心にある地方裁判所に向かったのを覚えている。
重いゲートを通り過ぎると、警備の人に荷物をチェックされた。
さすがに裁判の傍聴でも、荷物検査には厳しいようだ。
一回のロビーで本日の裁判のスケジュールを確認していると、後ろから次々とおじさんたちがスケジュール帳を開き、自分のノートにメモを取っていく。
こんなに傍聴マニアな人って多いんだな……
平日の昼間でも傍聴席に来る人は案外多かった。
目の前で人が裁かれるということに妙なスリリングがあるのか、寄ってたかって裁判の傍聴に群がっているのだ。
人気の裁判となると早朝から整理券が配られる。
私が裁判所に着いたのは11時過ぎだったため、人気の裁判は案の定売り切れていた。
私は初めての傍聴だったため、ひとまず目に入った法廷に足を踏み入れることにしてみた。
生まれて初めて見る法廷は、とても澄み切っていて神聖な雰囲気が漂う場所だった。
私が席に座ると、横に明らか傍聴慣れしてるおじさんたちが座っていく。
「起立」
裁判官が法廷に入ってくると、補佐官が声をあげた。
今まで噂話をしていたおじさんたちも静まり返った。
「裁判官、弁護側がただいま遅刻しているようでして」
え? 弁護士が遅刻?
私は驚いてしまった。
弁護士が遅刻なんてするのか? と思ったのだ。
いくつか裁判を傍聴している中で薄々感じたことなのだが、裁判官と検察官は国の公務員に当たるので、とても時間厳守で働いている印象だった。
その一方、弁護士は営利目的で動いている。
国に仕える身分ではないので、何かというか自営業者みたいな印象の人が多かった。
私が裁判の傍聴席に座っていると、何度も時間に遅れてくる弁護士を見かけた。
遅れてくると言っても2分ほどではあるが。
「次の裁判があるので、これで失礼します」
分刻みで裁判のスケジュールが埋まっているため、弁護士の人たちも大忙しのようだった。
裁判自体も判決を言い渡すだけで、5分くらいで終わってしまうものもあった。
そのわずか5分の時間でも、法廷の仕組み上、一人の裁判官と検察、弁護人が一人一人いなければならないのだろう。
「こんな機械的に人って裁かれていくんだな」
私は目の前で初めて見る法廷というものに驚いてしまった。
本当に次から次へと人が裁かれていくのだ。
そうしなければ、スケジュール的に何時までたっても裁判が終わらないのだろう。
私は初めて傍聴席に座ってみたが、人の不幸を目の前で見て、なんだか居心地の悪さを感じてしまった。
傍聴にハマる人がいるのはわかる。
日常では味わえないドラマチックな展開の話が聞けるからだ。
不倫訴訟、刑事事件、耳を覆いたくなるような殺人事件の裁判が毎日何十件と展開されているのだ。
平日の昼間なのに、何百人という人が傍聴席に集まっていた。
私はというと他人の不幸を目の前で見て、とても辛くなってきてしまったせいか、数時間くらいで退出してしまった。
大学時代に一度行ったきり、それ以来、傍聴には行っていない。
「あんなに分単位でスケジュールが埋まっているなんて……弁護士も検察官も大変なんだろうな……」
生まれて初めて見る裁判というものはそんな印象だった。
それから数年が経ち、私は大学を卒業して社会人となった。
社会に出てまだ数年も経っていないが、学生の頃のように親に甘えているわけにはいかない。
社会に出て自分のお金を稼ぐようになっているうちに、こうも世の中、自分が食っていくだけのお金を稼ぐということが大変だとは思わなかった。
会社に雇われている身だが、それでも自分の給料を稼ぐというだけでもとても大変だ。
こんなことを世の中のお父さん方はやっているのか……
今まで育ててくれた親のありがたみが嫌という程わかった。
わかると同時にどうしても違和感を拭えない自分がいたのだ。
毎日のように満員電車のドアから吐き出され、会社に向かっている中、周りを見回してみると、自分と同じ方向に、自分と同じような服装を着て、自分と同じような顔の人が、駅を歩いているのだ。
没個性……
きっと自分も何も感じない方がいいのかもしれない。
だけど、毎日満員電車から吐き出されてくる人を見ていると、こんなにも世の中機械的に分単位で動いていって、何事もなかったかのように人身事故が片付けられていくことにどうしても違和感を忘れられなかった。
テキパキとスケジュール通りに動いて、分単位で電車がホームにやってくる。
機械的に動いていく世の中にとても居心地の悪さを感じてしまう自分がいた。
そんな時だった。
是枝監督の最新作「三度目の殺人」を見たのは。
是枝監督の作品は昔から知っていた。
文句なしの日本一の映画監督だと思う。
「そして、父になる」もみたし、「誰も知らない」も傑作だ。
こんなに日常の些細な部分まで丁寧に描けるなんてすごい……
ずっと憧れの映像作家だった。
そんな是枝監督の最新作の「三度目の殺人」のトレーラーを見た瞬間、これはやばいなと思った。
普段は家族の日常などを丁寧に描く作風だが、最新作は法廷ミステリーだという。
このトレーラーを見た瞬間、これは絶対に傑作だと正直思った。
学生時代に350本以上映画を見てきたので、ある程度いい映画と、ダメな映画の区別がつくようになっているとは自分では思っている。
死ぬほど映画を見ては、映画を撮りまくっていたので、ある種の直感でこのトレーラーはやばい。絶対名作だと思った。
私は早速映画館に駆け込んで「三度目の殺人」を見てみることにした。
映画館は案の定、福山雅治目当ての女性客が多かった。
さすが福山雅治だな……と思っているうちに映画が始まった。
見ていて、私は驚きを隠せなかった。
なんだ、この法廷劇は。
なんだ、この面会シーンは。
私は最初の5分のうちに「三度目の殺人」で描かれている世界観に夢中になってしまった。
なんだこれ。
初めて見る法廷劇だ……
何回も続く面会のシーンに私は夢中になってスクリーンに食い入った。
なぜだか胸がチクチクと痛んでしまうのだ。
なんでこんなに胸が苦しんだろう。
なんでこんなに胸が重たいんだろう。
その映画の中で描かれていたのは、誰もが心のそこでは感じている口には出せない感情なのかもしれない。
罪を犯したものと、弁護する側のものが面会を続けていくうちに、両者ともに何一つ変わらない普通の人間であることに気がついていく。
罪を犯すものと、犯さないものの間には大きなガラスがあるはずなのに、物語が進むにつれて、そのガラスの板が崩れていくのだ。
映画館の中では誰一人、席を立つ者もいなかった。
ポップコーンを食べる音もしなかった。
皆、スクリーンで繰り広げられる役所広司の怪演と福山雅治の演技に、
そして、広瀬すずの凍てつくような表情に夢中になっていたのだ。
こんな映画が……
映画が終わった後、私はしばらく放心状態だった。
結局、結論が出ないまま映画は終わってしまうのだが、自分の中ではなんとか結論は出したいと思ったのだ。
結局、犯人は罪を犯したのか?
犯さなかったのか?
普段はあまり映画のパンフレットを買わない方なのだが、「三度目の殺人」のパンフレットは欲しいと思い、買うことにした。
結局、この映画の結論は一体なんなのか?
何が言いたかったのか?
帰りの電車の中でもじっと呆然としながら、パンフレットを開いていった。
そこには福山雅治がコメントした言葉が書かれていた。
「わからないことをわかろうとする心はあるのか? 真実がわからないからといって、見て見ぬふりをするのか? という社会への問いかけなのかもしれません」
私はこのコメントのことをとても考えてしまった。
「わからないことをわかろうとする心はあるのか?」
毎日、忙しい時間を過ごしていると、どうしても見えてきたものでも、見て見ぬ振りをした方が好都合なことが多い。
路上で貧しい人がホームレスの人がいても、醜いものを見るような目線で、見ない振りをした方が楽である。
毎日、機械的に動いていく社会の歯車の一員になって、余計なことを見ず、考えない方が楽である。
だけど、そんなに機械的に動いている社会の中で何か大切なものを見過ごしていることもあるのかもしれない。
この映画は裁判を舞台にした法廷劇だが、それ以上に世の中に対する思いが強烈に描かれているのだと思う。
確かに見て見ぬ振りをする方が楽だろう。
だけど、もう少し余裕を持って見なければいけないことも世の中にはあるのではないのか。
私は人身事故が起きた駅構内でも、スマホをいじって復旧を待つだけの大人にはなりたくなかった。
社会に隅にうずくまっている人も、見てみる振りをして、通り過ぎたくなかった。
きっと、もっと見なければいけないことがこの世の中にはあるのだろうと思う。
この映画を見終わった後、数時間考えさせられてしまった。
自分にとって、世の中に対する価値観が変わるくらいの印象深い映画だった。