いつも「生きづらさ」を抱えていた私が見つけた、ファインダー越しに見える世界
「どこへ向かっているんですか?」
私はカンボジアのゲストハウスで出会った日本人の方にこう尋ねられた。
どこへって……
その時の私は本当に精神的にヘトヘトだった。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞めてしまい、精神どん底のままひとまず日本を離れようと海外に旅に出たのだった。
外国に行けば自分を変えられる。
そう思っていた。
日本にいた頃の私はとにかく常にマイナス思考で、いつも心の奥底で生きづらさを抱えて過ごしていた。
なんだ、この違和感は。
どこにいても自分はここには存在しないような空気に包まれ、友達との会話にも全く入ることができずにいた。
飲み会の席にいても友人たちの会話についていけず、いつもぐったりとしてしまう自分がいたのだ。
自分の居場所はどこなのだろうか。
自分の居場所は日本にはない。
そんな後ろめたさを常に抱えながら生きていた。
「もうどうにでもなれ」
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、いきなり暇になってしまった私は、海外に飛び込んでみることにした。
学生時代には何度か海外旅行をした経験はあるが、一ヶ月以上の旅をする経験は初めてだった。
海外に行けば自分を変えられる。
きっと自分の居場所が海外にはあるはずだ。
24歳にもなって私はようやく自分探しの旅に出る決心をしたのだった。
ひとまず物価が安い東南アジアに行こう。
そう思い、私はタイ行きのチケットを買って、東南アジアに向けて旅立つことにした。
約一ヶ月近くかけて東南アジアをぐるっと回って、いろんな人たちと出会った。
タイのゲストハウスに一ヶ月以上こもっている人。
日本を離れ、2年近く外国を放浪している人。
みんなどこか日本に居心地の悪さを感じ外国に旅に出てきた人ばかりだった。
そんな人たちと会話をしながらも、心の奥底で思ってはいけないようなことを感じていた。
この人たちは日本から逃げてきた人たちだ。
外国に放浪の旅に出ている人たちはみんな独特で面白い人たちばかりだ。
だが、どうしても外に刺激を追い求めているばかりで、本人の中身はどうなのかといったら空っぽな気がしてならなかった。
この人たちは日本から逃げてきただけだ。
そう感じていた自分も日本から逃げてきただけだった。
いつも人のことをバカにしていて、自分はなんてカッコ悪いんだろう。
海外に行けば自分を変えられると思っていた。
しかし、日本で居心地の悪さを感じていても、世界中どこに行っても、自分の中の価値観は変えられずにいた。
この人を見下す視線をなくしたい。
人よりも上に立って、いつか何者かになれると考えている自分をなくしたい。
そう思っていたものの、実際の自分はただの弱虫で、意気地なしだった。
どこに行っても自分の性格は変えられない。
自分の居場所は一体どこなのだろう。
そんなことを思っていた時、とあるカメラマンと出会った。
その人はいつもフィルムカメラを抱えていて、いい景色を見た瞬間、いつもファインダー越しに世界を眺めているような人だった。
その人は私にこう言った。
「カメラを持てば、世界が変わって見える」
どういうことだ?
私は正直そう思ってしまった。
学生時代には映画漬けの日々を送っていたので、私はもともとカメラには興味は持っていた。
あの独特のフィルムカメラ特有の空気感といい、身の回りの景色を切り取っていくカメラマンの視線というものにとても憧れは抱いていた。
しかし、カメラとなるとレンズ代も含めて結構な値段になるので、どうしても手を出すことを躊躇してしまう自分がいたのだ。
その人は何度もこう言った。
「君はカメラを始めたほうがいい。カメラを持てば人生が変わる。世の中の見方が変わってくるよ」
本当かな。
私は半分疑いの目を持ちながらもファインダー越しに見える世界に憧れを抱きながら日本に帰ることにした。
日本に帰ってからは大変だった。
海外ではバックパッカーという謎の肩書きだけで、世間的にはなんだかかっこいい人みたいなポジションにいれたが、日本に帰ると、ただのプー太郎のフリーターである。
すぐに職など見つかることはなかった。
それでもなんとか転職活動を繰り返し、内定をもらえた会社を見つけた。
その会社はカメラを扱う会社だった。
なんだかバックパッカーをやっていた時に出会ったカメラマンの人の言葉が脳裏にこびりついていたため、気がついたらカメラ関係の会社に辿りついたのだった。
「カメラを持てば世界が変わって見えるよ」
その言葉がずっと脳裏にこびりついていた。
結局、お金を貯めるのに8ヶ月以上かかったが私は念願の一眼カメラを手に入れた。総額16万以上に出費である。
カメラを買った日から、早速私は写真を撮るばかりの生活が始まった。
どこに行くにもカメラを持っていく。
仕事中も上司にバレないようにシャッターを切る。
そんなカメラ漬けの毎日だ。
今になって、あのカメラマンが入っていた言葉の意味が分かり始めていた。
カメラを使うようになって気が付き始めたこと。
それは世界の切り取り方だった。
カメラはライティングにとても似ている。
自分の身の回りの風景を切り取ってコンテンツに昇華していく作業だ。
身の回りの風景をどう切り取るかは自分次第なのだ。
私は日本にいた頃、いつも居心地の悪さを感じていた。
どこに行っても自分の居場所はここじゃない。
きっともっと自分を認めてくれる場所があるはずだ。
そんなことを思い描き、常に宙に浮いて浮足立っていた気がする。
なんでこの社会はこうも生きづらいのだろうか?
そんなことを常に感じていた。
しかし、社会は生きづらいと思っている人にとって、社会がそう見えるだけなのだ。
自分のファンダー越しに見える世界をどう見つめるかは、常に自分次第なのだ。
この社会をどう切り取ってみるかは自分次第。
そのことを、カメラを手に取るようになってから、ひしひしと感じ始めた。
やはりあのカメラマンが言っていたことは正しかった。
「カメラを持てば、世界が変わって見えるよ」
実体験をもとにしたほぼフィクションです。